カビ
私は一粒の赤い葡萄を取って、口に入れます。
うん、甘いですね。
でも、何というか普通の葡萄です。
こんなもので聖竜様は満足してくれるでしょうか。いえ、私が渡す葡萄なのですから、きっと喜んで頂けるでしょう。もしかしたら、私が一旦口に入れて戻した葡萄と勘違いされて赤面されるかもしれませんね。
「ちょっと酸っぱいわね。タートよ」
なっ! 私の味覚と違うのですか!? あとタートって何ですか!?
「知らないの、巫女さん? ワインの酸味が強いことよ」
くそ、知るはずがないでしょ! 私はお酒なんて神殿に入ってからしか飲んでないんですもの!
「それも年の功ですよね。勉強になりました。ありがとうございます、ルッカさん」
「あら、巫女さんって無知を知るってご存じ? 素直になろうね。とってもインポータントよ」
この後にルッカさんが追加で言い放った言葉が私に突き刺さります。
「こんなの、街で買えばいいじゃない」
ぐさっと来ました。その通りです。
これは買えるのです。私は大金を持っている身ですし、何だったらもっと良質で大粒の物が店で手に入れられると思います。
特別感が有りません……。
私達がじゃれている間にケイトさんは斜面をドンドン登っていました。慣れたご様子です。
そして、一房の葡萄をハサミでパチンと切り取って、戻って来られました。
「これが一番甘い葡萄です」
ケイトさんが私達に見せたのは白ブドウ。元の黄緑色の皮も見えますが、ほとんどはその色じゃないんです。本当の白です。白カビが湧いているんです。
実もシワシワですね……。
これはお店では売っていませんが、聖竜様にお出ししたら、私への信頼感が揺るいでしまうのではないでしょうか。下手したら頭おかしいと思われますよ。
……ケイトさん、私はあなたを信頼していたのに……。
アシュリン被害友の会として、互助できると思っておりましたが、私だけだったようですね。
非常に残念ですよ……。
ガックリしている私に対してケイトさんは続けます。
「ほら、手を出してご覧なさい。ルッカもね」
「……ルッカさん、お願いします」
私は毒味をルッカさんに依頼しました。この人は死なないのでお腹を痛くすることも無いでしょう。
気持ちを変えましょう。何にしろ葡萄はあるんです。聖竜様へのお土産は最低限用意できるのですよ。
「わっ、甘い。香りも凄い。グレートね」
恐れず絞り汁を舐めたルッカさんが驚きの声を上げました。
遅れて私もケイトさんから汁を手に落として貰う。
あまっ! ルッカさん的にはスゥィティー!!
うわぁ、これ、本当に凄いや。ケイトさんは本当に知識が豊富です。こんなカビだらけでシワシワの実なんて、普通は味見しないですよ。気持ち悪いからポイッと捨てますよね。
これなら、これならば、聖竜様もご満足だと思います。ありがとうございます、ケイトさん。
「ケイトさん、これ、どうしてなの? 私、ワンダー」
「白カビが生えることによって皮が薄くなり、実の中の水分が蒸発して、甘味や香りが濃縮されているのだと考えています。私も数日前にここを訪れた際に初めて気付きました。以前にカビの生えた葡萄を食したことはありますが、この様な事は無かったので、葡萄の品種にも関係があるのでしょう」
ケイトさん、表情は変わらないけど、とても得意気に喋られてますね。
「どうしてこんなのを口にされたのですか? 悪食のルッカさんでもチャレンジしないと思うんです」
「薬師処の巫女の一人にね、キノコを研究している人がいるの。で、その人からね、キノコとカビは似ているから集めて欲しいって言われていたのよ」
カビとキノコが似ている? 何を血迷ったことを言っておられるのでしょう。
いえ、そうじゃない。
「口に入れた理由になってませんよ?」
ケイトさん、ニタリと笑うのです。
ひゃっ、怖い。
「うふふ、毒キノコがあるなら毒カビもあると思うでしょ? 私、そういうのが堪らないの。ゾクゾクするくらい食べたくなるの」
……これ以上、本件に触れたくない……。
ヤバイ感じがします。
ルッカさんと目が合いました。同感なのですね!
「癖になる様な浮遊感を味わい――」
「ストップ! ケイトさん、それデンジャラス!」
慌てた様子で、ルッカさんがケイトさんの言葉を止めました。
嫌な感じはしましたが、私にはルッカさんがそこまで焦っている理由が分かりません。
「それは絶対に他人に薦めてはダメよ。特に巫女さんにはダメよ! オッケー!?」
「分かっていますよ。それに軽い冗談でしたのに」
分からないです……。
ケイトさんは葡萄の実を布に包んでから手で潰し、汁を蓋の出来る筒に集めます。革紐も付いていて鞄なのかと思っていましたが、水筒の一種なんですね。ケイトさん、オシャレです。アシュリンさんが携帯している物と違って、粗野な感じはしません。
私とルッカさんはカビの生えた葡萄を採取する係でした。せっせっと頑張ります。斜面で両手を上げるとバランスを取るのが難しかったです。浮遊魔法を使えるルッカさんに少し妬ましい思いをしました。
水筒いっぱいに入った汁には皮の欠片とかカビとか浮いていましたが、ケイトさんは村に持ってきた加圧式濾過装置とか言うもので綺麗に出来ると言います。信じましょう。
私はケイトさんの汚れた手を魔法で出した水で洗って差し上げました。
「ケイトさんは村からこんなに離れた場所まで一人で来られていたのですか?」
作業を終え地面に座りながら、私たちは会話をする。
「フィールドワークは大事なのよ。薬草にしろ、鉱石にしろ、珍しいものは奥地にあるでしょ? 買ったりしても良いけど、質が分からない素人に頼みたくない時もあるのよ」
そうなのですか……。ケイトさんはおっとりして見えるのに凄いです。
詳しく訊くと、姿を消すことが出来る隠密魔法なるものを扱えるらしいです。本人は「あなた方みたいに強くはないのよ」と笑っていましたが、猛毒の薬品をお持ちになっている話を聞いております。今すぐに腕利きの暗殺者になれる気がしました……。
「魔物の素材は魔物駆除殲滅部に依頼するから、メリナさん、宜しくね」
「はい。ルッカさんも同じ部署ですよ」
「あら、そうなの? 新人が続けて入るなんて珍しいわね」
えぇ、お陰で私がパン職人になったとしても魔物駆除殲滅部の戦力ダウンは避けられると思うのです。
見付けたのは貴腐ブドウの一種です。




