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清浄なる私

 天幕に戻ったものの、違和感があります。私はお食事を二回ほど取りました。つまり、それだけの時間が経過したということです。なのに、天幕の中の二人は先程と同じような顔です。

 人間は食事をしないと弱っていきます。彼らが疲弊していないのはおかしいのです!



「おい! クリスラ! どうなっているんだ!?」


「……私にも分かり兼ねます……」


 私の立ち位置はあの空間に飛ばされた時と同じでして、クリスラの顔は横顔しか見えません。しかし、赤い血が眼から頬にかけて一筋、流れているのが見えました。


「もう一度――」


 クリスラの言葉の続きは分かります。しかし、私はそれを許しません!


 足を氷に固定されて逃げれないクリスラの額に蹴りを入れるべく、突進します。


 間に合わないか!?

 クリスラの手が合わさろうとしているのが見えました。繰り出した足の進路を変えて、狙いをヤツの肩へ!


 くぅ、ダメそう。届かない。

 お願い、同じ転移魔法であって!


「死ねええぇ!!!」


 せめて、この大声でクリスラが驚くことを期待しましたが、彼女は動じず、両の掌がくっついたのでした。



 再度、あの薄暗い空間へ。

 しかし、今度は地平線はありません。


 小屋がまず見えました。また、紅く光る物が流れる川、炎を吹き出す山が遠目にありました。周囲は草木もない荒地。大小の石が転がっています。



 クリスラは私の眼前、二歩ほど先。手を伸ばせば届きそうです。

 が、それは叶わない。私は手首も足首も縄で固定されて、椅子に座らされていたのです。



 まだ左目からの血が流れているクリスラが

品格ある雰囲気で口を開く。


「浄化も許されない大罪を背負った、哀れな娘さんなのですね。申し訳ありませんが、この浄火の空間で滅んで頂くのが、人々の安寧となることでしょう」


 私は黙ったままです。

 問答を求めているのか迷ったからです。私が逆の立場なら知りたいことを言わせた後に、そのまま殺します。ならば、口を割らない方が得。もちろん、逆に喋らなければ殺すという可能性もありますが、それなら、先の空間でそうしたはずです。


「どうやって、あの斎戒の間から出られたのですか?」


 これか。これを知りたいのですね。

 私は答える。


「聖竜様の為せる業です。全ての救いは聖竜様の許に御座います」


「答える気はないと仰るのですね」


「その目、痛いですか?」


 私は意図的に話題を変える。流れをこっちに引き寄せるため。


「刺すように体温を奪っていく氷に苛まされている兵達に比べれば、大したものでは御座いません」


 小屋の扉が開き、中から猫背の何かが出てくるのが分かりました。体が緑で魔物だと瞬時に理解しました。

 どの程度の強さの物なのか、思わず、視線が動いてしまいました。その結果、話の主導権はクリスラの下に戻ります。



「お別れです。私は王国の秩序を回復し、皆が再び安穏に過ごす日を迎えるべく、努力致します」


 クリスラは消えました。


 うん、転移系だ。幻覚ではなくて良かったです。目からの血を止めないということは治癒系魔法は使えないのですね。聖女とか大それた地位なのに、ちゃんちゃら可笑しいです。アシュリンさんの方がまだ適性あるんじゃないですか。


 さっきと同じ様にここも脱出してやります。そして、今度こそ、蹴りで首をへし折ってくれます!



 決意を新たにした私の前に、小屋から近寄ってきた緑の魔物がやって来ました。緑の小柄な体、曲がった背中、汚ならしい唇に届きそうなくらい長くてだらしない鼻、そう、これはオロ部長のおやつ、ゴブリンです。


 私にとっても瞬殺対象です。一匹でノコノコ出てきた事を後悔する間もなく、あの世に送ってやります。


 四肢を縛る縄を引きちぎろうと力を込める寸前に、ゴブリンが喋りました。


「はいはい、お嬢ちゃん、今までご苦労さんなんだな。煉獄にようこそ。どれに焼かれたい? お薦めは火口なんだな。落下するまでに記憶を失う事が多いから痛くないはずなんだな」


 流暢な人語を喋れるのか。


 私は沈黙を保つ。考えているのです。

 山の高さは相当あります。なので、クリスラが言及した先程の『斎戒の間』という何もない空間よりも高さのある所だと私は感じました。

 底も深くなっているとしたら、脱出するのに時間が掛かるかもしれません。


「どれに焼かれる?」


「ではお薦めで」


 山に登って高いところから周囲を観察したいから。


「おぉ、素直でいい子なんだな。僕、嬉しい。よし、願いを三つまで叶えてあげようかな」


 ……明るい調子で言ってくるのが癪に触ります。


 ゴブリンは黙って私を見てきます。

 願いですか……。それを聞いて従ってくれるとは思えませんねぇ。


「あっ、ここから出してくれとか、自由にしてくれとかはダメだからね」


 私が考えている中、目の前の緑色の生物は言ってきました。



「お腹が空きました。お肉とか食事がしたいです」


「よし。待っているんだな」



 ゴブリンは小屋に戻り、大皿に乗った鳥の丸焼きを直ぐに持ってきました。茶色く綺麗にローストされていてます。

 魔法かな? 余りにも用意するのが速すぎます。でも、出来立ての証しである湯気も見ることが出来ました。

 お皿にも特徴があって、金属でなく素材は石みたい。陶器じゃなくて石なのです。丹念に磨いた時に出来る艶を持っていました。



「ほら、口を開けて。あーん」


 器用にナイフとフォークで肉を取り分け、私の口元に持ってきました。このナイフとフォークも石製だと思われます。


「……拘束は外してくれないのですか?」


「フォークとかは危なくて渡せないんだ。恥ずかしくても口を大きく開けて欲しいな」


 ……ふむ。ここはまずは空腹を満たしましょう。

 うーん、塩味が効いてなかなかの美味です。神殿の料理の方が油が乗っていて私好みなのですが、ゴブリンの料理にしてはやりますね。


「水も欲しいです」


「それ二つ目の願いなのかな」


「いえ、一つ目ですよ。食事がしたいと私は言いましたもの。飲み物はセットです。お酒様とは言いませんから、早く下さい」


「お嬢ちゃん、見た目と違って強欲だなぁ。こんな所に来るのも分かるな」



 ゴブリンはぶつくさ言いながらも小屋からコップを持ってきてくれました。これも石か。確かに其処らにはゴツゴツした岩が多くあります。材料には事欠かないと言うことでしょうか。



「ほら、口を開けて」


 そう言ってから水を口に含んだゴブリンの顔が近付いて来ます。


「……何のつもりでしょうか?」


 ゴクリと水を飲み込んだ緑のヤツが言います。


「口移しだよ。はい、あーんして」


 なるほど、了解です。


 私を縛っていた縄がブチブチと切れました。

 この清浄なる私の唇を奪おうとは不貞野郎です。厳罰です!

 

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