メリナの魔法
下に見える王様の軍隊は移動中の仮設陣地で休憩中なんだと思います。仮設と謂えど、木の柵で見事な円形に囲まれたそれは、コッテン村よりも広いものでした。
しかも哨戒に当たる騎兵部隊もちらほら近くの街道に見えまして、一気に制圧することは通常の方法では難しそうです。
そこで、私は奥の手を使うことにしたのです。心の中で私の精霊にお願いします。
『ガランガドーさん、お願い致します。今から唱える魔法を全力で唱えたいのです。聖竜様が私をお試ししたあの日の様に、どうぞ私の体を使ってもらって構いません』
頭の中で『うむ』とあの黒い竜が応じた感じがしました。これは初めての感覚です。名前をお呼びしたからでしょうか。
『私は願う。氷、氷、氷の壁。でも、立てるのでなくて地を這うように、兵隊さんの膝まで凍りつくようにお願いします。もちろん、広域ですよ』
よし、お願い完了! 後はお任せしましたよ!
「! 巫女さん、何をしているの!? ま、魔力がぞうだ――」
ルッカさんの慌てた声が耳に入りましたが、私の体は既にガランガドーさんが操る体勢に入っているのです。
私は両手を斜め下に突き出して、詠唱を口にする。
『我は夢幻の片傍に侍るべき者にして、薄墨の応具に補閥せん者。我は乞う、飄然とした泰平の力点を。涼陰を越え、冷罵を乗し、凍星を墜とす。その遅明の果てには寥廓たる苛酷なる氷晶、否、至心の傍白は銀地を象り、全景と掩蓋の隠伏は煩瑣とす。其は晦冥に空劫さえ齎す雲鬢の妖姫の指顧であり、或いは換えて、死竜の嘆き』
言い終えると同時に、巨大な魔法陣が地上に現れる。それは本当に大きくて、王都の宿営地どころか、その周囲にさえ食み出るくらいでした。吸い込まれる様な真っ黒な丸の中に書かれた赤い文字が円を描くように動いています。
突然の異変に驚く兵隊さん達や馬の動作が一瞬見えました。しかし、魔法は発動。
赤い文字の回転速度が増し、文字というよりも一種の模様となった所で、閃光と共に眼下に広がったのは一面の氷でした。
緑の草原、そこを貫く灰色の石畳と茶色い土の道、そんな物も一枚の白い氷で覆われたのでした。
兵隊さん達は無事ですよ。ただ、足は氷の中に埋もれて固定化されているのです。何人かは手に持つ武具で氷を割ろうとしているのでしょうか、小さくてよく見えませんが、そんな感じです。
あっ、火炎魔法で融かそうとしている人もいますね。しかし、そんな威力では無駄ですよ。
何せ術者は聖竜様を傷付けるくらいの力を持つガランガドーさんですから。人間如きがどうにか出来るレベルじゃないのです! 私の精霊さん、流石です!!
……詠唱の最後に何か物騒な単語が有りましたが気にしませんよ……。
さぁ、狙い通りです。
ルッカさん、下りましょう。そして、王様と会うのです。
「……アンビリバボーよ、巫女さん……。ここまでの魔力だなんて……」
「お褒め頂きありがとうございます」
「……怖れたのよ……。あなた、神にも匹敵するんじゃないの?」
神?
どこかの邪教、いえ言い過ぎました、崇める対象が聖竜様ではない教えでは、そう呼ばれる存在がいるのは知っています。
「聖竜様の方がお強いのは勿論ですが、その神様に匹敵するのだとしたら、私の精霊さんが、ですよ。さぁ、行きましょう」
「……えぇ、分かったわ……。アポーリングだけど」
「アポー?」
「ドン引き」
「面白い響きですね」
「知らないわよ。……もう言うのもどうかと思ったけど、油断大敵よ、巫女さん。何人かは氷から抜け出るわよ」
そうでしょうね。アシュリンさん並みの人が幾人かいるのですから。
「私、長生きなのよ。でも、あなたみたいなの、見たことない。スーパークレイジー」
「あんな可愛いふーみゃんを家畜みたいに扱うルッカさんこそ、私はクレイジーだと思っていますよ」
話ながらも、私たちはゆっくりと地上へ向かって行きました。
「さてと、着地の準備をしましょうか」
地上の人達の表情がうっすら分かるくらいの高さになって、ルッカさんは仰います。それから続けて魔法詠唱されます。
『我は願う、その冥き途を往く獅子に。舞い降りる花弁を蹂躙し、其の螺旋を瞞着す。灯下とおぼしき濡れ烏。または閉じたる婀娜。蠢動すべし臏脚の童』
私が出した氷の上、幾人もの兵隊さん達を含む感じで紫色の魔法陣と文字が浮かびます。大きさとしては私の足で五十歩くらいかな。ガランガドーさんの魔法陣の方が圧倒的に大きかったです。
「何の魔法ですか? アンチマジック?」
「隷属魔法よ。意識を奪って命令させ易くするの。地上に降りる前に弓や魔法を射たれない様にね」
「魔族が使うと人類の敵みたいな魔法ですね」
「うふふ、そうかもね」
……魔族フロンがラナイ村で村人を操ったのと同種ですよね、それ。
ルッカさんは一気に降りるスピードを上げられました。浮遊魔法を解除されたのかもしれません。お腹がきゅんとする、少しだけ不快な感覚に襲われました。
地面に激突しそうで、目を瞑っていたのですが、その寸前で急減速。結果として、ふわりと氷上に降り立ったのでした。




