マリールの観察3
☆マリール視点
さて、腹も満たされた所で検討に戻る。
太陽の光を分光した時に出る虹――太陽のスベクトルって誰かが命名したのよね――に含まれる黒い線。スペクトル上、この黒い線が隠している色は塩を炎に掛けた時の光を分光したものと同じ。
私はこれを偶然の一致とは思わない。
理由を知りたい。少なくとも太陽光の中の黒い線が何かを知りたい。どういう役に立つのかは分からないけど、誰も知らないことなんだから、もしかしたら画期的な何かに使えるかもしれない。
「マリール、見てください! 緑の炎です!」
ちょっと、メリナ。勝手に大事な薬品を燃やさないでよ。緑?
んー、銅を特殊な水に溶かしてから蒸発乾固させたヤツか……。作るのに手間掛かったやつじゃん!
「これと塩を混ぜたら、何色になると思いますか?」
黄緑。もうやった、それ。
プリズムに当てたら、二本の線が出るんだよね。
素材の成分分析で使えないか考えたけど、炎の色が変わる物質じゃないと使えないし、簡単に燃えるような紙だとか油なんかだと、全部一緒だったから、余り面白くない。
……あと、プリズムと透明に近い炎を出す機器か魔法があれば簡単に出来るから、今さら私が研究しても遅いと思っている。
世界のどこかで、誰かがもうやってるわ。
私の反応が鈍かったせいか、メリナは不満げな顔をした。少し冷たかったかな。
「じゃ、黄色に黄色の光を合わせると何色でしょうか?」
ほんの間の沈黙が申し訳なくて、私はメリナに尋ねる。
答えは黄色。
でも、引っ掛け問題だと思うでしょうね。
メリナは考える。
「黄色じゃないんですか……。でも、変わったら面白いなぁ」
そして、ここには、たまに悪乗りするフランジェスカ先輩がいた。
「塩に塩を加えても塩のままだから、光源を二つにして足してみようか」
まだ昼休みだから、バーナーもプリズムも余っていたのね。先輩は勝手に取ってきて、私の実験台にセットした。
そのバーナーは同じ最新型だけど小型のヤツで、ちょっと炎の温度も低めだと、金属熔解の実験をしているフランジェスカさんとは違う先輩が言っていた。
フランジェスカ先輩は手際よく実験器具を組み立てて行く。
私も口を出しながら、調整していく。
プランはこうだ。
最初のバーナーに塩を振りかけて、黄色の炎を作る。それをプリズムで分光して、次のバーナーに当て、そこには白金棒で塩を入れる。合わさっただろう光を、更に二個目のプリズムに通して観察する。光を当てるところは暗幕で覆って見易くもした。
これ、素人じゃ組み立て出来ないアイデアじゃないかしら。ただ単に黄色の光を集めて、黄色い事を確認するだけなのに。
結果、黄色の光が消えた、いえ、線の色が弱くなった……。
何でよ……。
最初のバーナーで光が出て、同じような条件の二つ目のバーナーで吸収? もう魔法の世界よ。
足し算だと思ったのに引き算になってるわよ。
塩から出た光を塩が食べた……?
「マリール、凄い! もっと見ていたいけど、そろそろ、巫女長が戻ってるかもしれませんので行きますね」
えぇ……どうぞ。
あっ、私も意外な結果に驚いていたけど、気を取り直して訊くべき事をメリナに問わなくては。
「また、どこかに行くんでしょ? 次はいつ神殿に帰ってくるのよ?」
「……マリール、まだ秘密にしておいて欲しいのですが、私、神殿を辞めるかもしれません……」
えっ!?
……あぁ、王国から逃げるのね。やっと気付いたか、遅いわよ。いや、手遅れではない。今から急いで西へ、王都の逆へ向かいなさい。今日の成果を私が形にしてあげるから、それまで死ぬんじゃないわよ。
「パン職人になりたいので、王都に行きます」
……死ね。死んでしまえー!
敵側に突っ込むだけでは飽きたらず、パン職人とか、もう理解が遠く及ばない。
これが強者の思考ってやつなのだろうか。
「ぷふふ、……ごめんなさい。聖衣の巫女様は本当に愉快ね。お辞めになられるのが、本当に残念よ」
先輩、少しは引き留めて下さいよ……。
仕方ない。私の役目ね。
「唐突過ぎるわ。だから、別れの挨拶はまだしない。戦争が終わったら顔を出しなさい。分かったわね、メリナ?」
メリナは困った顔もせず、軽い調子で「分かりました」と言って出ていった。
「聖衣の巫女様は変わってるね?」
「お城の塔をへし折る人間ですよ。今更です。どう考えても変人以上のヤツです」
「で、マリール。この現象、何に使うのよ?」
フランジェスカ先輩は私と同じ。理論や理屈は後回し、まずは使える物を探す実用重視派。
「使えるかどうかはまだ分かりません。ただ、可能性は有ります」
「ふーん」
気の無い返事だけど、フランジェスカ先輩の目は鋭くなっていた。
この人も何かアイデアがあるのね。今の質問は、私を試すためか。
「先輩、光源が安定しません。別のものに変えましょう」
「他は?」
「色々あります。試料の量、バーナー炎の形と温度、他の物質への適用、再現性、ブランク状態の確認、それから、――」
「分光光量の定量化、そして、それと試料量との相関。直線性が出ると良いわね」
あっ、やっぱり。
私と同じアイデアだ。
炎色反応では諦めた、元素の定量分析への応用。
塩以外の物でも同じ現象が見られるのなら、可能性がある。
世の中の物質には元素と呼ばれる何かが含まれている。これは、先人達の研究の成果である。例えば、亜鉛を炎の中に入れたら出て来る白い粉を、炭と一緒に燃やすと、また亜鉛になる。他にも色々試して、どう変化しても亜鉛、いえ、亜鉛の源になる何かはずっと残っている。これを元素と呼ぶって、たっかい書籍に書かれていた。
もしも、元素の簡易分析が実現出来たら画期的。分析の前処理に要する時間が遥かに早くなるはず。
「先輩、とりあえず、望遠鏡を使いましょう」
「えぇ、そうですね。普通の光源でも塩の炎を通すと暗い線が出来るのか、まずはそこから確認しましょう」
私たちは忙しなく、器具の設定から始める。あっ、望遠鏡は借り物だから新しいのを買わなくちゃ。
薬師処で遠くを見る物なんて、予算が下りるのかな。
今回の閑話、終了です。
炎色法をすっとばして原子吸光法に足を踏み入れたマリールでした。
プラズマ発光法まで進化させても良かったのですが、紫外線の知識がまだ彼女にはありませんでした。




