マリールの実験2
☆引き続きマリール視点☆
配管の堆積物、スケールの物性評価については先輩に任せた。
私はこれと石鹸を混ぜて、石鹸カスのような固い何かが出来るかを試している。
ただ単純に混ぜるだけでは何も起こらなかった。乳鉢で磨り混ぜても同じ。
水が必要かと思って、更に濡らした状態で擂り潰したけど、これも無駄だった。
スケールは水の不純物由来だから普段は溶けているのよね。でも、それが析出するという事は違う物質に変化しているに違いない。
だから、単純に混ぜただけでは石鹸の状態は変わらない。うん、事前の予想通り。
「先輩、水への溶解度は出ましたか?」
「うん。溶けないね」
「全く?」
「難溶性にしても結構な部類よ。お酢には易溶だった。それで水溶液を作ろうか?」
私は考える。結果、それじゃ不十分と私は判断した。メリナの粉は普通の石鹸カスから作ったのだから。
それに、乾燥か水洗いで除去できるかもしれないけど、お酢の入った化粧品というのも変だ。
少しでも臭気が残ったら、あの娘が貴族から臭いとバカにされてしまうわ。
聖衣なんて持ち上げられていたけど、あれは遅く帰って来たあの日のボロ服だ。私がメリナの胸を揉んだ日。
獣の臭いがひどくて、まさか、神殿もアレが聖竜の臭いだなんて言い張るとは思わなかった。
信じている貴族もいるだろうけど、そうじゃない連中もいる。メリナに恥を掻かそうとする奴等が絶対に出て来る。
「先輩。お酢を入れた時に泡は出ましたか?」
「出たね」
よし。なら、加熱だ。
私の経験上だけど、お酢と反応して泡を出す白い粉を加熱すると、重量が大きく減った上で性質が変わる。鉄みたいな金属なんかでも泡が出るけど、今回の堆積物は金属じゃないもの。
ちなみに、お酢と鉄粉を混ぜて作った液は、木材向け塗料として売っている。木材の見た目を経年劣化したように見せる、魔法のような液だ。余り売れないけど。
先輩はすぐにスケールを皿に入れて魔力式オーブンに入れてくれた。もちろん、重量変化を確認するために重さは量り済みだ。
「マリール。焼いた粉も難溶性よ」
そういう事もある。でも、重量は減っている。だから、別の物に変わったはず。
「あら、でも、少量なら溶けるようになったわね」
でしょ。
私は拳を握り、黙って喜んだ。
先輩が作った水溶液へ、オーブンの待ち時間に作った石鹸水をスポイトで滴下する。
入れた途端に、白いモヤモヤが水中に出来た。
「これが石鹸カスかな?」
「不明。だから分析が必要に決まってるでしょ。……あっ、先輩、すみません」
あっ、私、ため口が出ちゃった。少し熱くなりすぎたわ。
「そうね。単離しましょうか」
先輩は私の言葉遣いを全く気にせずに次の作業へと入っていった。
目開きが均一な実験用の布に反応液を入れて、手で圧搾は出来た。どの目開きを使うかの試行錯誤は簡単で、大した事じゃない。
で、低温オーブン、と言っても水は余裕で蒸発する温度だけど、そこに布ごと入れて乾燥させたら析出物は融けたみたいで、布に染み込んでいなくなっていた。
これ、乾燥温度の検討が必要なの?
先輩の集めた石鹸カスの融点を調べたら、水が沸騰する温度よりも低かった。
つまり、ゆっくりと低い温度を掛けて乾かす必要があったという事。
やっぱり、先輩には先に石鹸カスの物性評価をして貰えば良かった。急がば回れってヤツか。
「マリール。この布、凄い……」
布を再利用するために洗ってくれていた先輩が呟いた。
「水を弾くわよ」
私は洗い場へ急ぐ。
布の上に水滴が乗っていた。コロコロ転がったりもする。石鹸カスが染み込んでいないところは普通に濡れていた。
「馬車の幌に使えない?」
先輩の提言に私は考える。
「いえ、融点が低かったので太陽の熱で劣化する可能性が高いです。傘や合羽に用いてはどうでしょうか」
「ロウ引きの撥水紙や布より安く出来るかな?」
「さぁ。今はメリナの粉を作りたいです」
「うふふ。分かったわ」
この時点でもう外が暗くなっていることが窓から分かった。
「さて、まだまだよ。私、ご飯を取ってくるから、マリールは実験よ」
「無論です。先輩、ありがとうございます。大きなヒントを頂けたので、もう一人で充分です」
私にはメリナの作った水に浮く粉の作り方が頭に浮かんでいる。たぶん成功する。
「ダメよ。今から楽しいんだから。答え合わせが待っているのよ」
この人も分かっているか。仕方ないや。
「ダッシュでお願いします、フランジェスカ先輩。今夜は徹夜ですので、その分もお願いします」
「任せて」
誰も居なくなった実験室で私は、釜に水と滑石を入れる。そして、石鹸水を投入して棒で掻き混ぜる。
もちろん、各原料の重さは記録する。
次にスケールを焼いた物を別容器の水に入れる。うん、確かに難溶性かな。
その上澄みを分取して、これまた別の容器に入れる。
片手で釜の中を撹拌しつつ、もう一方の手でゆっくりとスケール由来の液をゆっくりと投入する。この添加速度も後から再現出来るように、砂時計が落ち切るまでの時間とした。
熱は加えた方が良いのか分からないので、とりあえずは室温だ。
大きい砂時計をひっくり返して、その時間分だけ熟成させましょう。
私がグルグル釜を混ぜていると先輩が帰って来た。
「ふーん、マリールはそっちでやったのか。じゃあ、私は違う方法で」
えっ、私の合成ルート、間違えていたの? いえ、そんなはずは無いわ。
私は砂時計が停止したのを確認して、布による脱水を行い、更に、水に浸して余分な物を洗った。
で、布を開き、残った滑石粉を低温オーブンで乾かした。加熱温度は布の時と同じだ。そうすれば石粉に石鹸カスが染み込んでいい感じになるはず。
そこまで終えてから、私は先輩を見に行く。
滑石粉と石鹸カスを混ぜて乳鉢で擦り合わせていた。それを、私の使っている低温オーブンに入れる。ただ、それだけ。
簡潔だ。成功しているなら、私の方法よりも安価に合成出来る。
先輩が持ってきたパゲットを食べつつ、乾くのを待った。
二つの粉とも水に浮いた。
悔しい。同じ品質なら安い方、工程が短い方が勝つ。つまり、私は負けた。
「マリールの勝ちね」
先輩は私に気を遣ってくれた。お優しい事で。
「マリール、不服な顔ね。塗ってみなよ」
あっ。私の粉は軽くて滑る。でも、先輩のは、何だろう。滑るけど引っ掛かる?
答えは顕微鏡で確認して分かった。先輩の滑石粉の割れは、原料に用いた滑石粉よりも増えていた。更に粒子が大きく凝集しているのも沢山あるのが観察された。対して、私のはそれほど割れていない。
品質では間違いなく勝っている。
つまり、最高級品用と一般流通用が出来た。これはビジネス上、大きな利点だ。
「先輩、夜はまだまだです」
「そうね。化粧品を作るのだったら、他の顔料にも適用するのよね?」
私と先輩は目を合わせて軽く笑う。
メリナと話している時と同じ様にとても心地よい。今からの実験計画、いえ、そんな大それた物ではないけど、頑張らないとね。
金属石鹸処理タルクのお話でした。
うろ覚えですが、フランジェスカ先輩の方法は現代の40~50年前、マリールの方法は30年程前に、同じ様な原理で特許出願されている方法です。本当はマグネシウムやアルミを使った方がいいのですが。
マリールは巫女らしくないけど真面目に仕事をしているのでした。




