突然に、そして無駄に
歓声が止まらない中、床に落ちていた塊肉を薄切りにするための食事用ナイフを、私は手にする。
首筋を切ってお仕舞いですね。
まずは最初に手を出してきた方を殺りましょう。
大丈夫です。すぐに永遠の眠りに付きます。痛みはそんなにないと思いますよ。
私が二歩ほど歩いたところで、腰に何かが巻き付きました。誰かの腕ですね。
その手にナイフを刺そうとしたところで、それが女の子の物であることが分かりました。
「メ、メリナ様! それくらいで止めて上げて下さい」
ニラでした。
「守って下さってありがとうございます。……でも、私、慣れていますから! 臭いって言われるの、慣れてますから!」
慣れてはダメです。
二度とそのような事を言われないように、私が見せしめを作って上げましょう。
「ニラさん、まず、あなたは臭くありません。ご安心下さい。しかし、私は獣人に害なす、この者を最期まで殺らないといけません。それが聖竜様との約束なのですから」
私の言葉の強さに、徐々に店内は静まる。
観戦していたはずの何人かは外に走り出ました。
ニラの腕も弱まるのが分かりました。私の思いが通じたのでしょう。
転がっている大男を睨み付ける。
さっきまでの威勢は弱まっていて、少し目がウルウルしていますね。
でも、全く可愛くないです。可哀想な人です。すぐに楽にしてあげます。
「暴れると痛いと思います。首を差し出して下さいね」
私はよく理解して貰うためにゆっくりと喋る。
「……ゆ、許して貰えないのか」
「はい、許せません。聖竜様との約束ですから」
ニラの腕がもう一度強く私を止めます。
「ダ、ダメです。聖竜様はシャールで人を殺してはダメって言っています」
えっ、そうなのですか。
それは従うしかありませんね。
……大丈夫だったかしら。後から殴った人、肋骨が肺に刺さったりしてないかな。
とても心配です。回復魔法を掛けたいけど、街中では禁止されていましたか。
「お二人とも、死ぬ程の怪我はありませんか?」
「……無い。何で……今さら…………」
私は一安心しました。少なくとも一人は生きてます。
「ところで、ニラさん、眼を抉るのは禁止されていますか?」
殺せないのなら戦闘力を大幅に減少させるしかありませんからね。
「……え、眼ですか? 禁止されているのかは分かりませんが……」
「……ダメに決まってるだろ」
痛むのか、喉仏を押さえながら、男はそう言いました。
黙りなさい、あなたには訊いていません。
私は手にしているナイフを投げ付けました。
頬を掠めて床に突き刺さる。
それに対して表情を歪ませるだけで悲鳴を上げなかったのは、男がそれなりに修羅場を潜り抜けている証拠なんでしょう。
顔を振らなければ眼に刺さっていたのに。
「やっぱり、ダメですよ、メリナ様!」
そこで店の扉が激しく開いた。
まだ仲間がいましたか。
「俺が聖竜様の神殿に向かっている最中なのに、酒場で暴れているバカはどこだっ!? 殴ってやるっ! 非番の日に仕事で呼ばれた、この憂さを晴らしてやるからな!」
うん、仲間とは違うね。
言いっぷりからすると、腕に自信のある官憲の類いかしら。
私は既に冷静になっております。状況を見極めたのです。
そこで倒れている絞め殺しの何とかは、ここに宿を取っていると聞いています。殺してはいけないという事なので、後で十分に脅しに行きましょう。
そして、入って来た人を味方に付けることで、ニラの保護に繋げましょう。
私はゆっくりと振り向く。あと、笑顔も忘れず。
「お待ちしておりました。私の細腕では、そこの暴漢から少女を庇うのも限界でして……」
何か言いたそうな観衆は目で黙らせる。
よくよく考えたら、その保護すべき女の子が私を止める形になっていますね。
「おぉ、巫女様!!」
ん?
今のセリフどこかで聞いたというか、ヤツか!? お前は分隊長マンデル! 雄を妙に主張する男っ!
あの時と違って、兜を被っていないから顔の印象が違ったわ。黒髪がフサフサですね。
「このマンデル、巫女様に感謝申し上げます!」
「……はあ」
先程までの戦闘とは違うテンションでの発言だった為、少し気が削がれました。
感謝される意味が分からないですし。
「巫女様、聖竜様の奇蹟を、このマンデルに与えてくれる様にご依頼頂いたのですか!?」
マンデルの勢いに周囲の酔客も呆気に取られている。私が倒した二人も、誰か他の人に応急処置を受けているようだ。
私もニラに微笑みながら、その腕を外す。もちろん、私の腰からという意味で、ニラの関節を外した訳ではないです。
さて、マンデルへの返答ですね。
聖竜様は『後で見ておこう。家族に病気の者でもいれば、我が治しておこうぞ』と仰っておりました。
そのまま伝える前に、もう少し話をマンデルから聞きましょう。聖竜様はまだ奇蹟を起こされていない可能性があります。私が誤りを答えることで聖竜様に恥を掻かせてはなりません。
「マンデルさん、何か御座いましたか?」
「はっ! 我が家には不治の病を宣告されて伏している妻と、馬車に跳ねられて寝たきりの息子がいたのですが、それが、二日前に突然、完治したのです!!」
ちょ、マンデルさん、その治る前の状況、かなりと言うか、最悪に近い不幸状態じゃないですか。
よくそんな状況で夜勤もある見廻り兵として勤務していられたわね。
……いえ、そうではないわ。辛くても、それを一切感じさせなかったのは、やはり、このマンデルが任務に忠実で、その意味で優秀だからか。
心の中では苦しみながら、顔は笑う。うん、認めたくないけど、立派です。
「あぁ、巫女様! 私の祈りを聖竜様に届けて頂けたのですね!」
私は黙って首肯く。間違いなく聖竜様の御業でしょう。まさしく奇蹟ですもの。
「巫女メリナ様! 私は通える日は毎日、神殿でお祈りをしていたのです! 二日前も聖衣を触り、嗅ぎ、聖竜様とメリナ様を感じました!」
だから、そこに私を出すな。あなたが言うと、良くない方向に捉えてしまいます。いえ、その方向での発言なんでしょう。妻が寝込んでいるというのに最悪な感想ですね。
しかし、こいつはあの服が私の物だと認識出来ていた訳か。夜に一度見ただけなのに。やはり優秀。
「帰宅後に私は目を疑いました! 二人がベッドに座っているのです! 妻に至っては顔色も戻っているのです!」
ここでマンデルが静かに涙を流した。
うん、分かるわ……。必死に堪えていた苦境が無くなったのですからね。今もそれを思い出したのでしょう。
……私も聖竜様のお部屋で経験しましたね……。
「マンデルさん、良かったですね。聖竜様はあなたの深い祈りに応えたのです。あなたの努力が報われましたね」
私の言葉が彼の心の堰を切りました。彼は跪き顔を伏せて、大声で泣いた。
店内は急に湿っぽい雰囲気になりました。先程までは殺伐としていたのに、私自身、当惑しております。
突然出てきたのに、無駄にシリアスですよ、マンデルさん。




