大人の世界 続
アデリーナ様がフロンの顔の横に立つ。
光る矢はまだ刺さったままで、彼女は地に横たわったまま身動きしていない。
「聞いてました? そろそろ、目を開けられたらどうでしょうか?」
「い、痛いです! ご主人様、お助けを!!」
突然、彼女はそんな事を言い出す。わざとらしいです。いつから起きていたんでしょうか。
村長は悲愴な顔で下を向いた。曲がりなりにも愛してるらしいですからね。
これ、傍目から見ると、こちらが悪役かもしれません。早く何とかしないと。聖竜様の威厳に関わります。
「黙りなさい」
アデリーナ様は、まだ声を出そうとする彼女の喉をじわりと踏みつけられました。
うん、これは完全にこちらがヒールですね。
しかし、そのまま力を入れて潰すのですよ!
悪役でも何でも構いません。言いたい奴には言わせておけば良いのです。
聖竜様は「殺すな」とは仰っていませんでしたっ! こちらの判断で殺ってしまいましょう。さあ、早く!
様子を見ている私は手を握って、たぶん興奮していました。
ん?
いえ、これ、私も完全にアウトでしょ!!
私は何を目指しているのよ!?
思い浮かべなさい。
人が踏まれて喜ぶ巫女がいますか? 聖竜様の威厳云々の前に、人間そのものとして失格でしょう。
アデリーナ様に疑われたみたいに魔族ではないのですから。
私は淑女、私は淑女、私は素敵な淑女。
落ち着きなさい、メリナ。あなたは、狂犬として神殿で後ろ指を指されて生きていきたいのですか。
狂犬といえば、口からだらしなく垂らす涎。そんなイメージを備え持つ巫女っぽい狂戦士として生きていきたいのですか。
アデリーナ様が足を少し上げて息を許すと、フロンが呟く。
「うっ……。……気持ちイィ」
…………もういいかな。
この場はレディーであるよりも、耳に汚い言葉を入れない方が大切な気がしてきました。
村ごととは言いませんよ。
二人を灰にして神殿に帰りましょう。きっと、それが人類のためです。
聖竜様は、そいつがもう魔族でないと仰いましたが、性格、思考はそのままで御座いますよぉ。
「それは何よりです。私たちの名前を出すことは許しません。正直にお答えください、魔族フロン」
私の葛藤など知らぬアデリーナ様は会話を続けられる。
魔族フロンと仰いましたが、先程までは、そこの魔族がフロン自身なのかも分からないとの事だったはずです。
村長の話を聞いて、思い直されたのでしょうか。それとも、魔族にそう思わせるブラフなのでしょうか。
「あら、あなた様でしたか」
「白々しい。欲望に塗れた雌猫風情が。こちらの女性の体をどうするつもりだったのでしょう?」
アシュリンさんを見ながらアデリーナ様が言いました。
まずはアシュリンさんに取り憑いた件を問い質すのですね。雌猫って、痴話喧嘩みたいになってますが大丈夫ですか。
「……ご想像にお任せしますが。素晴らしくお強い方のお体は、やはり違いましたね」
アデリーナ様はその言葉を聞いて、厭らしく、暗く、ほんの少し笑ったような、悲しんだような……。
何?
今までにない表情です。でも、一瞬で消えた。横からだから、そんなに見えなかったけど。
「……アデリーナ様?」
思わず、声を掛けてしまった。
「はい? あっ、すみませんね。ちょっと家族を思い出したものですから」
どんな理由ですか。想像も付かないですよ。そんな表情になる程、王家の方の事情は複雑なんですか。それとも、そこのフロン並の変態がいるのですか。
視線をフロンに戻してアデリーナ様が続ける。
「舐めた口を叩いた事を後悔させても良いのですが、それは私の趣味ではありません」
いえ、進んで好まれていると日々感じていますよ。
「詳しくは館で別の方が聞くでしょうが、この場でも軽くお尋ねします。あなたが皆に掛けたのは精神魔法ですね?」
「もう使えませんけども」
アデリーナ様の質問にフロンが素直に答える。観念してくれているのかな。
でも、何か場の雰囲気が変わっていくような気がする。
「えぇ、私の術で、あなたの体内の魔力を放出させましたから」
「私、そこまで非道な事はしてないのにね」
「内容は?」
アデリーナ様の問いにフロンは語る。
魔法の掛け方は詠唱じゃなかった。口付けすることで発動。さっきの戦いでも、代官様の配下が急に私の進路を妨害したのはそういう事ね。見たことないけど、魔族特有の方法なんだろうか。
ラナイ村の近郊で襲ってきた集団は、村に寄った旅人たちの成れの果て。森でずっと見張っていて竜の巫女を見かけたら襲うのらしい。拐うのが目的で、でも、負けても構わなくて、その騒ぎの間に逃げる手立てを考えていたらしい。
そんな目的だったけど、術を掛けられた人たちは巫女とは巫女服を着た人という認識だから、襲ったのは今回が初めてだった。そうよね、調査部の人、巫女服とは限らないものね。
しかも、今回は鎮圧が早すぎて、私達が来ている事は分からなかったらしい。
旅の途中で拘束された挙げ句、犯罪をさせられて、しかも、役に立たなかったって、彼らに全く救いがありません。序でに私に焼かれている人もいます。
この10名以上の人生を狂わせたという時点でフロンは死刑で良い気がします。
あと、やはり、村長とナタリア、それから村民数名が術に掛けられていました。
全員には掛ける必要が無かったのでしょう。
偽巫女が出たと言う噂も合わせて流せば、術に掛けていない人達も勝手に巫女を襲い出すんだって。確かに、追われた時に、そんな事を叫ばれたと思います。
「あなたに嵌められた彼らには罪はありません。そう処理します」
「あら、ハめただなんて、甘美で、やらしい響きね。事実だけど」
生娘の私には刺激が強すぎるのですけど。
「あなたの趣味にナタリアのような子供が巻き込まれなかったのは救いです」
「あぁ、そうね、それも悪くなかったかもね。英才教育よね。10年後には立派な御淫乱になられて、私に感謝してくれたかも。うふふ、段々と気持ち良くしてあげるの。ほら、あなたも試される?」
私を見ないで。
すみません、アデリーナ様。
気持ち悪くなってきました。
「あなた、お名前は?」
ここで、私はさっきの偽名シェラを出すのは憚れた。シェラまで狙われてはいけませんから。
「竜の靴」
私の代わりに、アデリーナ様がそう言いました。意味が分かりません。
話は続いていましたが、私はアデリーナ様に許可を貰って、場を離れる。
やはり、この魔族を殺してしまいたくなって来ました。少しクールダウンしないと。アデリーナ様が命を奪わないと決めたのだから。
賢い方だから、私の及ばない知恵でもって、そう判断されたのでしょう。
短い時間でしたが、魔族が嫌われ忌まれる理由がよく分かりました。あれが彼らの普通の感覚なんでしょう。
言葉に毒が含まれていて、それが体に侵入してくる、そんな印象も持ちました。
あと、関係ないのですが、靴の中が私の血でヌルヌルして不快です。これ、臭いは取れたとしてもシミになったらどうしよう。
革紐を解きながら、私は考えます。
靴を逆さまにして血を抜いていると、エルバ部長も私に近付いてきた。
「あの人の目的は何なんですか?」
私は涙目で部長に尋ねる。
「快楽の追求なんだって。巫女服でヤったら気持ち良いかなと思って巫女になったんだよ。不純だよねぇ」
倒錯の何かなんでしょうが、魔族の考えることは理解不能です。
「村に来る巫女を捕まえたら、どうするつもりだったんでしょう……?」
「神殿で巫女とヤったら良かったって言ってたよ。もう一回したかったんだって。凄いね」
ひー。
怖すぎです。お相手はまだ在籍されているんですか。
「メリナも毒を盛られたんだってね。危なかったね。麻痺させられたまま、快楽で魔族の虜になっていたかもね」
ウィンクしながら、無邪気に言う部長。
私は更に胸が気持ち悪くなりました。
「でも、ホントかな。魔族って賢くて、嘘付きなんだよね。どれが真で嘘か分からないよね」
さっきの話が嘘だとしても、魔族とは仲良く出来そうにありません。
「アデリーナちゃんも頑張るね。何か聴きたいことがあるのかな。でも、自分からは訊かないんだよ。退屈だよね」
そうなんですか。でも、それはアデリーナ様にお任せします。
魔法で出した水でも血の汚れが取りきれないと諦めた私は、仕方なく靴を履きました。帰ってから、靴をどう直すべきか考えましょう。




