第三十五話:寒いっ!
サレイレンジン公爵令嬢に、バレることはないというが。
いつ部屋に戻って来るか分からない。
ガチャガチャと音がして、バンと扉が開けられるかもしれないのだ。
両開きの窓が、自動ドアのように開いたことにはもうビックリだが、バトラーに言われるまま、庭園へ出た。
「寒いっ!」
これ以上、公爵令嬢に睨まれたくない!という思いで庭園に出たものの。
3月になったが、まだ気温は冬!
しかも夜。そして肌の露出が多いイブニングドレスなのだ。
すぐに寒さに包まれ、言葉が出なくなる。
「温室があるので、一旦そこで温まりましょう」
バトラーは着ていたテールコートを脱ぐと、私の肩にかけてくれた。
「あ、あり、あり」
ありがとう――の一言を言いたいのに。
寒さで歯が鳴っている状態で、言葉が上手くでない。
震えながらテールコートを着ると。
「歩いて行くと時間がかかるので、失礼」
いきなりお姫様抱っこをされ、もうビックリしたが。
バトラーが何か呟き、温かい空気を感じたと思ったら……。
温室の中にいた。
ゆっくり床に下ろされ、改めてバトラーを見る。
七三分けにされた黒髪。瞳の色はヘーゼル色。
黒のタイとベスト、そして黒のズボン。
一見すると、よく見かけるバトラーにしか見えない。
ただ宮殿で働く使用人らしく、身綺麗で清潔感もある。
年齢は二十代後半ぐらい。
でも只者ではない。
「あなたは……魔術師ですね」
「その通りです……というか、お忘れですか、わたしのことを」
黒髪がするすると伸びながら、その根元から髪色が白銀へと変わっていく。さらにヘーゼル色の瞳は、どんどん明るい色へ変化していくと……現れたのは金色の瞳。着ている服は、あっという間に黒に近い紫のロングローブに。
「……ウォーレンさん……!」
「お久しぶりです、領主様。魔術師ウォーレンです」
「ど、どうしたのですか!? なぜ王都に!?」
もうビックリだった。
「それはこちらのセリフですよ、領主様。ウィリス男爵領に、騎士団の屯所ができる。そして領主様は王都へ向かったと、風の噂で聞いた時は……びっくりです。約束していたじゃないですか。髪を切りに来るって」
「あ、それは……」
確かに約束をしていた。私からウォーレンに「では魔術師ウォーレンさん。交渉は成立です。二か月後に皆でお邪魔するので、髪をよろしくお願いします。揚げパンは出来立てが美味しいので、訪問した際に私が作りますから。ではこの丸薬もいただいて帰ります。御機嫌よう!」と申し出ていた。
だがしかし。いろいろなことがあったせいで、正直ウォーレンのことは……忘れていた。
「まさか自分のこと、忘れていたわけではないですよね……」
「まさか忘れていたなんて……ごめんなさい。忘れていたわ」
「領主様はバカ正直ですね。そこは嘘も方便、『忘れるわけないじゃない。それに髪を切る約束をしたけれど、それは来月でしょう!』と言えばいいものを」
その指摘には苦笑するしかない。
でもその通りだ。
「不器用なのよね、私」
「そのようですね。あんな公爵令嬢などに、白ワインをかけられるなんて。既に乾かし、匂いも消しました。ですがその美しい髪も、ワインで濡れていたんですよ」
「あ……本当だわ。ありがとうございます。乾かしてくれて。匂いも。臭いものね、アルコール臭は」
ウォーレンは「やれやれ」とため息をつくと、温室内に置かれているベンチに座るよう、促す。そこで私はゆっくりベンチに座り、深々と息をつく。
「それで領主様が突然王都へ向かってしまった理由は、何なのですか?」
隣に腰を下ろしたウォーレンに尋ねられた私は、その理由を打ち明ける。
わざわざここにいるということは。
私に何があったのかと、心配してくれたのだ。
しかも白ワインをかけられた髪を乾かし、匂いを消し、ドレスもこの通り。
ウォーレンは巷の噂とは違い、いい魔術師だった。
ゆえに王都へ来た理由を、包み隠さず話した。
「なるほど。つまり侯爵に無理矢理攫われたわけではないのですね。嫁になれと、脅されているわけでもないと」
これには爆笑しそうになる。
「ウォーレン、それはあり得ないわ。私はしがない男爵……一応今回、子爵位を賜った。それでも侯爵であるセドニック副団長から見たら……。貴族の結婚というのは、家同士のつながりが重要なのよ。婚姻関係により、財産が増えるとか、人脈が広がるとか、事業が有利になるとか……そういう点が重視される。そもそも私との結婚なんて、考えるはずがないわ。あくまで恩人である私への温情で、王都へ連れて来てくれたの。後は幼い弟や妹への親切心よ。セドニック副団長は、本当によくできた人だから」
「……人間というのはこうもお人好しで、鈍感なのでしょうか。いや領主様だからでしょうね。まあ、人間の色恋沙汰などどうでもいいことです。それでわたしはどうすれば? 王都には腕の立つ理髪師もいますよね」
なんだか私、ひどい言われ方をしているような……。
でも仕方ない。
それこそウォーレンは魔術師。
人間というか、貴族の事情に詳しいわけではないのだから。
それよりも。
「ウィリス領から王都は、人間にとってはとても遠いわ。魔術師から見たら、どうかしら?」
「あくびが終わる頃には到着していますよ。地球の裏側に行くわけではないので」
「そう。では出張料も払うから、王都へ髪を切りに来てくれるかしら?」














