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第5話

いじめなどの辛い描写があります。

苦手な方は閲覧をお控えください。

 他者と関わるというのは、酷く面倒臭いものである。なぜなら、常に考えて行動しなければならないから。

 人間は思考を放棄した時が一番無防備であり、逆に考えるという行為には相応のエネルギーを使う。悩み事や苦労がある時は特にそうで、その問題を解決しようと頭を働かせ、考えるからこそ神経が磨り減るのだ。


 まき子の人格成形は、中学生の頃に行われた。彼女からすれば、色々体験した時代だと言えるだろう。人は、多くの出来事を経験し、そこから学び、考え、己とのすり合わせをして自分のものにしていく。

 まき子の経験も、そう珍しいことではない。


 中学一年生のまき子のクラスは、荒れていた。学年で一番治安の悪いクラスで、怖い男子と女子に目を付けられたら明日学校に行けないと思わせるほどだった。

 授業中に笑われたり、先生に指名されたらクラスのあちらこちらからヒソヒソと陰口を言われたり。

 最初に標的にされたのは、ちょっと変わった男の子だった。


 彼はいわゆるオタクだったらしく、よく自由帳に女の子のイラストを書いていた。それを見つけた怖い男子が、クラス全員に言いふらし、彼は孤立した。その男子が彼を馬鹿にするものだから、クラスメイトも"女の子のイラストを書くのは恥ずかしいこと"だと認識し、笑い者にした。

 彼は途中から学校に来なくなった。


 次の標的はぽっちゃりした女の子だった。その体型や容姿をひたすら馬鹿にされていた。足が太いとか、デブだとか、散々であった。彼女はじっと堪えるように日々を過ごしていた。


 人を蔑むついでとばかりに、いじめっ子グループでは内輪揉めも多かった。声の一番大きな人物を中心に、誰が無視された、誰がハブられた、だのがクラスの噂になる。

 仲間外れにされた子は、いままで周りを馬鹿にし見下していたくせに、一度そのグループに捨てられると居心地が悪そうに教室に居座るだけだった。それでもそんないじめも数週間で終わり、気がつけばその子はグループに戻って、今度は違う子が標的として引きずり出される。


 漫画やテレビのような派手ないじめではない。ものを投げられたり、持ち物を隠されることもない。それでも、無視された方は、辛い日々を過ごすことになるのだ。


 まき子はそんなクラスの目立たないグループでいつも静観していた。怖い、酷いと思いながらも自分はなにもせずに息を殺して過ごしていた。


 そんなある日、なぜかまき子が標的になった。


 先生に指名され、発表すれば、なぜか教室がざわつく。いじめっ子グループの人たちなど、クスクス笑っていた。まき子はその瞬間、自分が標的になったのだと気付き、冷や汗がどっと流れた。

 気のせいかもしれない、なんてのは自分がそう思いたいだけで、まき子がいたグループの子達にまで避けられるようになった。


 当然だが、クラスでは誰も助けてくれない。当たり前だった。だってまき子も、今まで誰も助けなかった。


 まき子は言葉にできない不安と恐怖を、生まれてはじめて知った。家でもどうしようどうしようと必死に考え、学校に行くのが心底嫌になる。まき子が考えても何も解決しないと理解しているけど、悩まずにはいられなかった。

 朝重い腰を上げ、憂鬱な気持ちで登校し、クラスではいつ悪口を言われるのかと神経を尖らせる。まき子の心が衰弱していくのも時間の問題だった。


(どうして私なの? 私、何かした?)


 原因が分からず、まき子は焦るばかり。

 その時、後ろの席から心ない陰口がまき子の耳に飛び込んできた。


「あの頭の白いの何? 汚いー!」

「おい、声大きいって、バレるだろ」


 まき子は思わず頭を隠して、顔を真っ赤にした。まき子は乾燥肌で、冬になると頭皮が乾燥して皮が剥ける。その皮がどうしても髪についてしまうのだ。

 それを、指摘されたのだとまき子は気付いた。そしてそれがとても恥ずかしいことなのだ、とも思った。


(仕方ないじゃない! ちゃんと頭洗ってもお昼になればこうやって乾燥するんだから!)


 しかし、ならば、この皮さえどうにかできればいじめはなくなるとまき子は思った。母に言って、シャンプーを変えてもらい、学校のトイレで頻繁にチェックした。両親には、悪口を言われていることはさすがに言えなかったが、これで無視も陰口もなくなると思った。


 だけど一度無視されれば、簡単に元には戻れない。まき子と同じグループだった子たちは、完全にまき子のことを馬鹿にしていた。

 あんなに仲が良かったのに裏切られたのがまき子は許せず、激情のまま、友人に詰め寄った。


「どうして私を無視するの? 友達だったのに酷いよ!」

「……」


 そう言って怒ったまき子に、友達らは顔を見合わせた後、まき子を見て言った。


「前からさ、まき子ちゃんのこと苦手だったんだよね。いつも真面目で正論しか言わないし」

「あと時々する自慢もウザい。私が頭を悪いの知ってて態々自分の点数見せびらかしてくるでしょ? あれホントに嫌い」

「そ、そんなつもりじゃ……」

「いや、自慢でしょ、あれ」


 友人の言葉にイラッとしたまき子は思わず言い返す。


「なら、勉強すればいいじゃん。いっつも言い訳して勉強しないから、点数伸びないんでしょ?!」

「は?」


 相手の不機嫌そうな顔を見て、しまったと思った。立場としては、まき子の方が圧倒的に不利だ。それなのに、どうしてこんな攻撃的なことを言ってしまったのか。


「ね? 自分で分かった? そういうとこ。結局アンタが私らを馬鹿にしてるじゃん」

「し、してない! 不満ならもう言わないし、直すから!」

「いや、嫌いになった人好きになれないし」

「じゃ、じゃあどうして嫌いになる前に私に言ってくれなかったの……?」


 まき子の純粋な疑問を鼻で笑われる。


「別に、まき子ちゃんじゃなくても、好きな友達は沢山いるし」

「私たちがまき子ちゃんと一緒にいてあげてたんだよ。そんなのも気付いてなかったの?」


 彼女たちの言葉は、素直で残酷で、きっと真実だった。だからこそ、まき子の心は抉られた。


「自分が一人になる理由、考えてみたら?」


 心臓が氷で覆われたように冷たくなる。背を向ける友人に声をかける気力は無かった。

 人気の少ない薄暗いトイレで、まき子は大泣きした。自分の何が悪かったのかは未だにピンときていない。ただ一つだけ理解できたことがある。


 それは、友人だと思っていた子は、まき子を必要としていなかった。だって、結局まき子は一緒にいてもらっていただけだったのだ。


(ひどい、ひどいひどいひどい!)


 悔しくて、悲しくて、まき子は自分の感情を制御できずにボロボロ涙を溢す。涙が溢れる度に、まき子の心から大切なものが溢れ落ちているような気がした。

 その日を境に、まき子は他人に期待することを止めた。あまり自分のことを話さなくなった。そうすると、意外といじめは終わり今度はまた別の子が標的になった。


 友人だった子たちは、またまき子と関わろうとはしなかったけど、それで良かった。中学一年は一人で過ごして、二年からは人間関係も上手くいった。


(自分のことは話さず相手を褒める。友達に期待しない、相手が無条件に自分に好意的だと勝手に思い込まない)


 そう言い聞かせながら過ごせば、まき子は存外楽に生活できた。他者に心を乱されることも減っていった。たとえ嫌われても、もうどうでもよくなった。


「私たちは合わないみたいだね、さようなら」


 それくらいで済ませられるくらい他人を信じなくなった。


 そんな時、絵画に出会った。たまたま行った美術館でまき子はその美しさに心打たれた。現実世界と相反するその"美"にまき子は虜になった。

 愛とか恋とかが好きだった。

 ここまでひねくれてしまったまき子には憧れの存在だった。


 だから、絵を描いた。心の隙間を埋めるように美しいものを詰め込んだ。そうすれば、少しでも虚しさや寂しさが消えると思ったから。


 少女漫画を読み始めたのも、人を信じられない自分に嫌気が差してきた頃だった。中学生になってから読んでいなかった少女向け漫画雑誌を見て、まき子は感銘を受けた。

 こんなに美しい話があることが衝撃だった。


 どんな陳腐なハッピーエンドでもご都合主義でも幸せになれるならなんでもいい。物語とはそういう世界だ。まき子が唯一信頼できる、絶対的な結末が約束された美しいものだった。


 □□□


「まき子ってさ」

「なに?」


 入学から一ヶ月。まき子は部活を決めかねている美千代に連れられてお洒落なカフェに来ていた。こうして買い食いできるのも高校生の良いところだなぁ、とまき子は楽しんでいた。


「時々さ、ゾッとするくらい距離感じる笑顔を浮かべるよね」

「え?」


 美千代は、まき子の思う数百倍素直だった。まき子の顔がひきつる。まき子は自分を(あば)かれるのがなにより苦手だったのだ。


「いや、私も馬鹿じゃないし、さすがに察するでしょ。でもさぁ。寂しいじゃない」


(作り笑いそんなにバレたことなかったんだけど……)


 美千代はストローでアップルジュースをかき混ぜ、視線を下げたまま続ける。


「まだ知り合って日は浅いけど、私はまき子のこと好きだし、大切な友達だよ」


 大切な友達。

 まき子の胸がドクリと波打った。喜びではない、冷えるような何かが足元から迫り上がってくる。表情を固めたまき子を、それでも見透かしたように美千代は顔をあげてカラリと笑って見せた。


「でも、いいの。私もまき子に認めてもらえるように頑張るから」

「美千代が頑張るの?」

「うん。私が頑張るんだよー」

「……いや、それより早く部活決めてよ。放課後毎日付き合ってあげてるんだから」

「そうだったー!」


 どこから持ってきたのか、美千代はテーブルに鵬華のパンフレットを置いて部活を悩み始めた。まき子はその様子をぼんやり眺めながら、照れた顔を誤魔化すようにオレンジジュースを一口飲み込んだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] よくあるいじめだけど、やられた方はつらそうですよね
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