第22話
帰宅途中、お腹が空いた二人はファーストフード店に寄り、ハンバーガーを貪っていた。それでも家に帰れば夕飯が食べれるのだから、高校生の胃袋はブラックホールと遜色ない。
「まきちゃんは、美術部なの?」
「そうだよ」
「辞めるの?」
「辞めないよ。やっぱりまだ描こうかなって思って」
チーズバーガーを頬張り、コーラで流し込む。喉にくる刺激が最高だ。「くぅっ!」と唸りそうになるのを、イケメンの手前堪えた。
「美術部かぁ。高校から?」
「ううん。中学も美術部で、絵を描くのが好きなの」
「……そっか。うん、分かる。まきちゃんは昔から絵が上手だったもんね」
亮太郎は昔を懐かしむように呟いた。まき子は幼稚園児に絵が上手いも下手もあるか? と首を傾げた。
「幼稚園の頃、お絵かきなんてしたっけ? 公園で遊んでなかった?」
「俺とはね。でも、幼稚園でさ、絵を描いて飾るってイベントあったじゃん? 夏くらい」
「そうだっけ?」
まき子は思い出せずに唸るが、亮太郎はそうだよ、と強く言った。
「その時のまきちゃんの絵、めっちゃ怖かった」
「怖かったんかい」
「いや、マジで。俺、忘れられないもん」
亮太郎は心底愉快そうに笑った。まき子は必死で記憶を漁る。
「どんな絵?」
「なんか、黒い化け物みたいな絵。誰か呪ってんのか? って思った」
「えー、黒い化け物? ……あっ!」
亮太郎は思い出した? と楽しげに聞いてきた。
「あれね、うん。呪ってたかも」
「あはは! やっぱりね。でも、怖いのにずーっと頭に残ってるし、上手だなって思ったよ」
「クレヨンの黒がすり減って無くなったくらい描いてたからね。思いの丈が詰まってんのよ」
「やべぇじゃん」
あの絵を描いた時、まき子はある女の子から嫌がらせを受けていた。亮太郎と仲のいいまき子に嫉妬する女の子は多く、その子もそのうちの一人だったのだが、彼女の嫌がらせがまき子の荷物を隠すものだったのだ。
母から作ってもらった手提げ袋を隠されたまき子は泣くより先に怒り狂ったのである。結局先生に仲介されそれ以降は二度と嫌がらせをされなかったが、その時の怒りをこの絵にぶつけた記憶がある。
もう本当に、引くくらい暗い絵だった。
「亮くんは? 部活してるの?」
まき子の何気ない質問に、亮太郎は一瞬止まった。しかし、すぐにいつもの柔らかい笑みを浮かべる。
「部活はね、サッカーしてたよ」
「運動神経良かったもんね。今も?」
「んーん。今は帰宅部」
何やら意味深な空気に、まき子は踏み込んではならない境界線を感じた。わざわざ帰宅部である理由を言わない辺り、言いたくないことなのかもしれない。
「そっか。美術部もおすすめだよ」
まき子は当たり障りない言葉を選んだ。
亮太郎は少し眉尻を下げて、「考えとこうかな」と言った。
家まで送ってくれた亮太郎をマンションの下で見送りつつ、その背中を見る。
どこか落ち込んでいて、しょんぼりしているな、と思った。まき子は亮太郎と十年も会っていなかったがその雰囲気くらいはなんとなく分かった。きっと、今帰宅部であることに何か関連があるのだろうことも。
「亮くん」
大きな声ではなかったが、亮太郎は振り向いた。
かつてと変わらない癖っ毛が揺れる。
「気が向いたら、美術室おいでよ。今度はもっといい絵、描いてあげるから」
亮太郎は少し驚いた顔で、まき子を見た。
自分は美術室に行かない気でいるくせに、と思ったが、まぁ彼が来ることもないだろう。こうして一緒に帰ることも、もう二度とないような気がした。
「それと、バイバイ。また明日」
『バイバイ、亮くん! また明日ね!』
幼い自身の声が、脳裏に響く。初恋は終わったんだな、とぼんやり思った。
小さく手を振ると、亮太郎は嬉しそうにぶんぶんと手を振った。
「まきちゃんの絵、楽しみにしてるね。バイバイ、また明日!」
飛ぶように走る彼の後ろ姿が、幼い彼に重なって見えた。
◇
「あっ、まきちゃん」
次の日の朝、玄関から出てくる亮太郎とばったり出会した。まき子はピシリと固まり、亮太郎を凝視する。もう二度と関わることはないと思っていたのに。
亮太郎は嬉しそうにまき子に駆け寄り、挨拶をした。
「おはよう、まきちゃん」
「お、おはよう……」
なにが、『初恋は終わった』だ。
ちょっと切ない空気醸し出して感傷に浸った自分自身が恥ずかしくて仕方がない。初恋の彼との久しぶりの再会に、知らず浮き足立っていたようだ。
まき子はまた黒歴史を増やしてしまった、と思った。イケメンに優しくされて、調子に乗っていたのだ。
まき子は自分を叱咤した。落ち着け、身の程を知れ、と言い聞かせる。しかし、にこやかに笑う亮太郎を邪険にすることもできず、その流れのまま一緒に登校することになった。
「ねぇ、今日、美術室行っていい?」
「ぇ、えっ!? 本当に来るの?」
「うん、まきちゃんが絵を見せてくれるっていうから」
「作品なら、前描いたの見せてあげるよ」
「今は何も描いてないの?」
「大きな絵は描いてないかな……。気分転換に適当に……」
「じゃあ、気分転換に描いてる絵を見せてもらおうかな」
まき子はくらりとした。完全に墓穴を掘ったとも思った。
人がむせかえる電車の中で、亮太郎に支えてもらいながらまき子は死んだ目で流れる景色を見つめていた。




