第18話
じゅわじゅわと肉が焼ける音だけが個室に響く。斗真は溢れ出る肉汁をじっと見つめた。
「先生、お肉どうぞ」
まき子が焼けた肉を秋園の皿に乗せた。秋園は短く礼を言い、そして意味深に斗真とまき子を見てから肩を竦めた。
「なんだこの、お通やみたいな空気は。なんか話すことないのかよ、お前ら」
「……そんな急に言われたって……」
まき子が困惑したように首を傾げる。
斗真はご飯を食べながら、焼けたであろう肉を見つけた。
「西島、あの肉が欲しい」
「え? あぁ、これですか。はい、どうぞ」
「ちょ、まき子。斗真を甘やかしたら駄目だ」
秋園の言葉に、まき子は「まぁ今だけなんですから」と言った。
「斗真は生粋のボンボンだぞ? 甘やかされるのが当然みたいな人間なんだ」
「その言い方は酷いよ」
斗真はムッとしたように眉をひそめ、秋園を睨んだ。まるで自分が我が儘みたいではないか。
斗真はトングを掴んでから、焼けた肉をまき子の皿に乗せた。ついでにホルモンを秋園の皿にも乗せた。
「俺、ホルモン食べれないって……。注文するとき言ったよな?」
「え、そうだったっけ?」
「なんも聞いてないじゃん……」
「ホルモンは私が貰いますから、先生にはこちらを差し上げますよ」
「駄目だ。西島はカルビが好きなんだろう。だから君はこっちだ」
「斗真って俺のこと嫌いなの?」
斗真は自身の叔父の悲しそうな声を無視して肉を貪る。秋園のことは好きだったが、思春期の斗真にとっては少々鬱陶しい部分があるのも事実だった。
そんな中、まき子は驚いた顔をして斗真を見る。
「そんなに見てどうした」
「いえ、私がカルビが好きってよく知ってますね」
「さっきからそれしか食べてないから」
「よく見てますね。ありがたくいただきます」
まき子は感心したように言ってから、もそもそとカルビを食べ始めた。そして「美味しいー!」と嬉しそうに笑う。
斗真は少し心がじんわりするような感覚に襲われたがその正体が分からず首を傾げた。
「……お前たちが楽しそうで先生も楽しいよ。ホルモンは斗真にやる」
「ありがとう」
「先生、もう一皿追加していいですか?」
「お前はよく食べるな!?」
秋園が頷いたのを見て、まき子はベルを押した。一皿どころか三皿は頼んでいたが一体どれだけ食べるつもりなのか。
斗真はまた焼けたカルビをまき子の皿に乗せた。
視線を感じて前を見れば、秋園が驚いたように斗真を見ていた。
「なに、叔父さん」
「いや、お前が人の世話するなんてな……」
「焼き肉置いただけだよ」
「お前はいつもそれすらしねぇんだよ」
秋園の呆れたような物言いに斗真は目を瞬かせた。
(俺はいつもやってるつもりだけど……)
「斗真は本当にまき子が好きなんだな」
「え、その言い方は語弊があります。伊集院先輩は私の絵が好きなんですよ」
注文を終えたまき子がすかさず話に入り込んできた。驚くほどの早さで秋園の言葉を否定する。
「照れるなって」
「照れてないですから。伊集院先輩も何か言ってくださいよ」
「西島の絵も好きだが、こうやって話してると優しい奴だって分かるから人柄も好きだぞ」
「うっ……」
斗真がまき子を見ると、まき子は少し頬を染め視線を反らした。そして小さくお礼を言った。
「そういうの、学校で絶対言わないでくださいね」
「言わない。生徒会長は平等でなければならないからな」
「おおぅ、堅い。堅いぞ、斗真」
秋園の言葉を黙殺して、斗真はサラダに手を伸ばした。まき子はホッと胸を撫で下ろす。
「でも──」
まき子も自分のサラダを手元に引き寄せたとこりで斗真が再び話し始めた。
「学校の外で友人と話したことは無かったから、少し嬉しい。しかも女子」
「えっ」
「今のは女子が苦手じゃなくなって嬉しい、みたいなニュアンスだからな。決して、プライベートで女子と話せるなんてラッキーみたいな意味はないからな!」
「分かってますよ……」
なぜか斗真を庇うように言いつのる秋園に、まき子はこくりと頷いた。
斗真は何をフォローされたのかよく理解できておらず、サラダを黙って食べていた。
「でもなぁ、お前が仲良くできるのはまき子だからであって、他の女子じゃ無理だろ」
「……そうなの?」
「いやいや、そんなことないですよ。伊集院先輩なら誰とでも仲良くなれますって」
まき子が保身も含んだ言い方をしたことにも気づかず、斗真は彼女の言葉に目を輝かせた。
誰とでも仲良くなれる、とまき子が言ってくれたことが嬉しかった。
「まき子は斗真を恋愛対象に見てない貴重な人物だし、打算も媚もない。そんなの、斗真の周りにはそうそういない」
「あ、じゃあ媚売っときます?」
「なんでそうなる?」
斗真は不機嫌そうに口を尖らせてまき子を見る。
折角ここまで仲良くなれたのに、まき子を苦手にはなりたくない。
斗真だって、好きで女性が苦手になったわけではないし、性別で人を判断するようなことはしなくないのだ。
だけど、女性特有の仕草や高い声、男とは違う肩の細さ、柔らかさ──その全てがあの忌々しい記憶を思い出させてしまう。
目の前の女の子は、あの女じゃない。
頭では分かっていても、あの時感じた気持ち悪さが斗真の身体を震わせる。怖くて怖くて、身体が言うことをきかなくなってしまうのだ。
だけれど、目の前の少女はどうだろう。
まき子と出会ってから、斗真は不思議と彼女に嫌悪を感じることはなかった。それは勿論、まき子が斗真の叔母──撫子に似ているからでもあるし、彼女が斗真に恋愛感情を抱いていないからでもある。
あの媚びるような女の目が斗真は嫌いで仕方がない。自分に何を求めているのか知らないが顔と家柄だけで一目惚れするのだけは止めて欲しいと常々思っている。
まき子は斗真にとって貴重な人間だ。
察しが良く、斗真の顔に左右されない。そして何より、確立された強い自我がある。
斗真は絵を描くまき子を見た。真剣な目で、自分の思い描く絵を追及する彼女は誰よりも自由だった。
その姿が、撫子の姿によく似ていた。
「伊集院先輩、ホルモンいりますか?」
まき子の声に斗真はハッとした。
斗真はまき子を見て、一つ頷いた。
こちらを凝視してくる斗真にまき子は困惑した様子だったが、そっと皿に焼けたホルモンを乗せた。
顔も体型も全然撫子に似ていない。似ても似つかない。撫子はとても綺麗で上品な女性だったし、基本的に無口でいつも優しく微笑んでいる人だった。
まき子はあまり手入れしないのか、髪はパサついているところがあるし、箸の持ち方も少し変だ。中学生感が抜け切れない幼さが垣間見える。
それなのに、斗真を惹き付ける何かがある。それはきっと、彼女が誰よりも自由で、強い芯を持っているから。
「斗真食べないのかー?」
「食べるって」
まき子を見たまま固まっていた斗真を秋園がニヤニヤと笑う。斗真は鬱陶しそうに秋園を見て冷えきった焼き肉を口に運んだ。
「そうだ、まき子今度は斗真を描いてやれよ」
「え、えぇ!?」
秋園が明るくまき子に言った。まき子は思わず驚いた声を上げたが、斗真は勢いよくまき子を見た。
まさかまさかのチャンスである。
「俺を描いてくれるのか!?」
いつになく興奮した様子の斗真に、まき子は気圧されたようにオロオロと視線を泳がせた。
斗真は畳み掛けるようにまき子に近づいて言いつのる。
「えぇっと」
「ぜひ! ぜひ描いてほしい!」
「わ、分かりましたから……! 顔が近いです!」
まき子は斗真を避けるように顔の前に手を出した。ほんのりと赤い頬を見て、照れているのか、と気づく。恥ずかしそうに頬を染める表情は斗真がよく見てきたものなのに、不思議と嫌な感じはしなかった。
「俺の前でいちゃつくのは止めてくださーい」
秋園の声に、斗真は勢いよく身体をまき子から離した。そしてできるだけ無表情になるように意識しながら言った。
「俺の絵を描くときは、描いてるところを見せてほしい」
まき子はしばらくピクリとも動かなかったが、小さな声で「分かりました」と呟いた。
「青春だねぇ」なんて呟く秋園の声は、自分の心臓の音で聞こえなかった。




