第16話
突然聞こえた第三者の声に一番驚いたのはまき子だった。反射的に、殺される! と脳内が盛大に騒がしくなる。
ここで斗真のファンなんかに見つかれば服を剥かれて裸を撮られて拡散される。
内心震え上がっているまき子を横目に、斗真はやけに静かだった。
斗真を呼んだスーツ姿の男性はじっと斗真を見ている。彼の見た目からして、ファンではなさそうでまき子は少し安心した。
「そのように油分の多いものを召し上がってはお体に障ります。さぁ、どうぞご帰宅ください」
「……もう少し、ここにいたい」
「こんな騒がしい場所は貴方に相応しくない。貴方ももう18です。我々の手を煩わせるような我が儘はもうお止めください」
スーツ男の厳しい言い方に、斗真は言い返すことを諦めたのかじっと黙り込んだ後、立ち上がった。まき子に視線を寄越すことなく、黙々と帰宅の準備を進める。
ずっと斗真を見ていた視線が、今度はまき子に移った。スーツ男はキリッとしているが、小柄で可愛らしい印象の男性だった。
「貴女は」
「あ、はい」
「斗真様のご友人ですか?」
「ゆ、友人というか……」
「失礼ですが、お名前を伺っても?」
「名前……?」
まき子は目を白黒させながらも名乗った。すると彼は分かりやすく顔をしかめる。
「西島? 聞いたことがない」
「えっ、どこかでお会いしました……?」
「失礼ですが、ご両親のご職業は?」
まき子はズカズカと質問を重ねる男に心底驚いた。会っていきなり親の職まで聞くなど、失礼の塊である。
「知らない方にはお教えできません」
まき子が鋭く男を睨み付けて言うと、斗真が隣で息を飲んだ気配がした。
男はまき子の言葉に動揺した素振りもなく、さっきと変わってにっこり微笑んだ。
「これは、申し訳ありません。私は、城田要と申します。斗真様の付きの者です。決して怪しいものではありませんよ」
城田はやんわりと笑みの形を保ったまま、ペラペラと話し始めた。
胡散臭い男だと思ったのが顔に出たのか、さらに笑みを深める。
「さぁ、これでお知り合いになりましたね、西島様。どうか、貴女の身分を明かしてくれませんか」
(身分!?)
まき子は驚いてとっさに言葉が出てこなかった。自分よりも年上であろう人物が、胡散臭くて頓珍漢なことを言っている。
「もういいだろう」
今まで黙っていた斗真の静かな声に、まき子も城田も弾かれたように斗真を見る。
「西島は関係ない。帰るぞ、城田」
「ですが、斗真様。貴方様はいずれ斗弥様を継ぐお方です。関わるご友人の把握も私の勤めでございます」
「彼女はたまたま会って話をしただけなんだ。詮索するのは止めてくれ」
斗真は感情のない瞳で床を見つめながら言った。さっきまでの生徒会長としての威厳も、伊集院斗真としての彼もいない。
諦観を滲ませ、疲れきったように項垂れる青年がいるだけだった。
「西島、引き止めて悪かったな」
斗真は力なくまき子に笑いかけると、そのまま踵を返して立ち去ろうとする。その様子を見ていた城田も踵を返してまき子たちに背を向けた。その瞬間、まき子は斗真の手にポテトたちを詰めた袋を握らせた。
「え、え?」
「これ、あげます」
戸惑う斗真に短く一言だけ言った。
「冷えて美味しくないかもしれないですけど、ポテトにもハンバーガーにも手をつけていなかったでしょう」
「……箸もナイフも無かったものだから、どうやって食べるのかと……」
「手でそのまま食べるんですよ。気になるようなら、家ではお箸を使って食べてください」
斗真のハンバーガーたちは一切食べられることなく城田が素早く捨ててしまったので、ここにはない。
冷えきったポテトとまき子好みのハンバーガーで我慢してほしい。どうやら彼はこんなに安くて高カロリーで旨いものを気軽には食べられないようだから。
「ハンバーガーもポテトも、死ぬほど美味しいんです。次は、揚げたての時に食べてあげてください」
斗真はパチパチと何度か瞬きした後、楽しそうに無邪気に笑った。
「ありがとう。大切にする」
まるで前から欲しがっていたものを与えられた子供のように目を輝かせ、大切そうに袋を鞄に入れた。
城田は車を取りに行ったのか、すでにそこにはいなかった。
「じゃあ、また今度」
斗真は心の底から嬉しそうな笑みを浮かべて、まき子に手を振った。
まき子はしばらく呆然としたまま、斗真が去っていくのを見ていた。
店内の喧騒がようやく耳に戻ってきたところで空いたトレーを片付けて、店を出た。
外は小雨で、大雨ではなかった。
(伊集院先輩に先に絵を見せた方がいいのかなぁ)
絵はもう完成に近い。テスト後の一週間で完成させられるだろう。
まき子は家への帰り道で悩みながらも、その時の気分で決めよう、と考えることを放棄した。
□□□
(結局、秋園先生たよりなんだよねぇ)
絵を抱え、職員室に入る。
テスト後、完成された絵をまき子は秋園に届けようとしていた。
秋園はまき子をみた途端、ぱぁっと表情を明るくする。子どものように分かりやすい秋園のことをまき子は存外好いていた。
「まき子! 絵ができたのか!」
「はい。完成しました。お約束の品です」
闇取引をするようにそっと秋園に絵を渡せば、秋園は「見ていいか!?」と興奮気味に聞いてきた。
全く茶番に気づかない秋園に肩を落として、まき子はどうぞ、と言った。
クリスマスのプレゼントを開けるように、秋園は興奮冷めやらぬ様子で絵を眺める。
BBQをする自分と、妻の姿がはっきり描かれていた。二人の表情は写真と違って想い合っているかのように互いを見て微笑んでいる。
海は太陽の光を受けて煌めき、夏の潮風がこちらまで香ってくるようだった。
「すげぇな……。やっぱお前すごいよ」
「そ、そんな言われると照れます……」
「この肉、めっちゃ旨そうだし」
「そこですか? 私も上手く描けたと思いましたけど」
秋園は涙を堪えるように無理やり笑った。年を取ると涙もろくていけない。
かつての自分達は、この絵のように真っ直ぐで美しい想いを抱えていた。今思えば、こっちが焼けそうなほどの熱量だった。
ただ、それが絵画に閉じ込められ、思い出として残されている。
どうやったって、自分の恋も妻もあの日々も過去のものにしかならない。
そのことが悔しいような寂しいような、言葉に出来ない複雑な気持ちを秋園は辛うじて飲み下す。
まき子はしばらく黙って秋園を見ていたが、やがて思い出したように声を上げた。
「あの、その絵を伊集院先輩にも見せてあげてください」
「ん? 斗真か。別にいいけど、お前最近仲良くないんだろ?」
「私は至って平和な日々を過ごしているだけで、生徒会長と揉めるようなことはしてないです」
まき子はハッキリと告げてから、礼をして立ち去ろうとした。
秋園はなんとなく、もう二度とまき子は美術室には来てくれないだろうと思った。
「まき子」
「はい」
秋園が呼べば、まき子は素直に立ち止まった。
「お前、焼き肉好きか」
「……はぁ。好きですけど……」
「じゃあ今度の休日の昼に食べに行こう」
「……先生と?」
「うん」
「えぇ? そんな、申し訳ないですよ」
「申し訳ないとか思ってないだろ。今、めんどくさいって顔してたからな」
秋園の鋭い指摘にまき子は目を泳がせた。
「今週日曜の予定は?」
「……特にないです」
「よし、決まりな。家まで迎え行くから親御さんにちゃんと伝えとけよ」
まき子は内心面倒くさいなぁと思いつつ、秋園の強引さに流されて渋々頷いた。




