第15話
酷く疲れたように椅子にもたれ掛かるまき子を斗真は不思議そうな表情で見ていた。軽く首を傾げる仕草はそれこそファンクラブの人間が見れば発狂して喜ぶものだろう。
まき子は斗真を見ながら、言われたことを素早く脳内で整理した。
まき子には理解できずとも、斗真には斗真なりの信念がありそれを中心に行動しているのだ。自身のトラウマをどのように認識しているのか、まき子が知ることはできないが彼の考えがあるだろうと、思考を止めた。
(分からないことを考えても仕方がないものね)
どこか清々しい気持ちで、まき子は笑った。
ここで偶然会ったのは、最後の話をするためだったのかもしれないと思い始める。
まき子は斗真と決別するために、ゆっくり話し始めた。
「先輩」
まき子が生徒会長、と呼ぶのを止めたことに斗真は気付き少し驚く。
まき子はうっすらと微笑んだ様子で、斗真を見ていた。
「私の絵を好いてくれるのは、生徒会長ですか? それとも、伊集院先輩ですか?」
まき子はただただ純粋に聞いてきただけだったが、斗真は一瞬だけ迷った。
ここで本当のことを言っても良いのか、迷ってしまった。
「……どっちもだ」
迷った結果、曖昧な答えになったが、まき子にはどちらでも良かったらしく、「光栄です」と淡々と言った。
「絵はもう少しで完成します。秋園先生に差し上げる予定なので、先生経由で作品を見てください。絵を描く過程は……すみませんが、お見せすることはできないです」
まき子はキッパリと言い切った。これ以上、斗真と関わることなどありませんと意思表示するかのように。
斗真はムッとしたように眉を寄せた。
「何をそんなに嫌がるんだ。別にいいじゃないか。絵を描くところを見たって……」
「なぜそんなに私の絵を気に入っていただけたのか……いえ、ありがたいです。ありがたいんですけど、一つ問題があってですね」
「問題?」
まき子は軽く息を吸って、気合いをいれた。自分のことを言うのはいつだって、誰に対しても緊張してしまう。
「私、人間不信なんです」
「人間不信……?」
「自分から申告するのも変なことかもしれないんですけど、人間関係に慎重なんです」
「……それは、まぁなんとなく分かるが……」
まき子の意図が理解できず、斗真は戸惑いながらも頷いた。
話を肯定して聞いてくれるだけ優しいなぁ、と思いながらまき子は続ける。
「正直なこと言います。私、七々扇先輩も春陽ちゃんも怖いです」
「そ、そうなのか? 怖い……?」
「そうです。怖いんです。なので、あまり関わりたくありません」
「……だから、君は作品を持ち帰ったのか。二人に会わないように」
「家が集中できるのも本当ですよ」
自分の言葉に嘘偽りはない。
まき子はただ、誰の敵意にも晒されることなく生きていたいだけなのだ。
他者の悪意は、まき子には刺激が強すぎるから。
「なので、もうあの美術室には行きません。伊集院先輩や七々扇先輩とお話することだって私にはおそれ多いことですし」
「……なるほど」
斗真は分かったのか分かっていないのか、小さく頷いた。
この人大丈夫かな……? と思いながらまき子は帰る準備を始める。勉強をしたかったけれど、今日のところは退散することに決めた。
だって、斗真と隣で勉強なんてハードルが高すぎる。
「いや、実はな。俺も君の気持ちが良く分かる」
「ん?」
ポテトをビニール袋に包んでいたまき子は驚いて手を止めた。一体目の前のイケメンは何を言い出すのだろうか。
「俺も真澄は怖いと思う時がある」
「……えっ、ん?」
「アイツは時々何を考えているのか分からない目で俺を見てるんだよ。そりゃ、出会って間もない西島はさぞ恐ろしかっただろう。二年も年上だしな」
「は、はぁ……」
まき子は気の抜けた返事しかできなかったが、斗真は気にせず続けた。
「でも安心してくれ。アイツは時々常識を逸脱しているが、根は良い奴だ」
「あの、私はその時々常識を逸脱される相手と関わりたくないって言ったんですが?」
「……そこは俺に免じて目を瞑ってくれないか」
「どうせ作品はもう完成しますし、先生に見せてもらってください」
「いや、俺が最初に見たいんだ。駄目か?」
(この人しつこい……!)
まき子は若干苛立ちながら、どうすれば斗真を説得できるかしばらく考えた。
斗真と関わりたくないのに、斗真本人から引きずり出される不毛なやり取りに意味はあるのか。そもそも、なぜ斗真がここまで自分に固執するのかまき子は皆目検討もつかなかった。
「私の作品、そんなに気に入りましたか」
「あぁ」
「そもそも、先輩は女性が苦手なんですよね? 私と話してて大丈夫なんですか? 出会った当初から普通に話せていますけどずっと不思議だったんですよ」
「だって、お前は俺を"男"として見ていないだろう」
斗真はあっけらかんと言った。息を吸うのは当然だろう、と言わんばかりのトーンだった。
まき子は肩透かしを食らった気分で、目をまん丸と見開く。
「いや、先輩は男ですけど……?」
「違う。正確に言うなら、性的に見ていないだろう」
まき子はますます驚いた。と同時に、なるほど、と納得する。
だから、斗真は春陽が苦手なのだ。春陽は、斗真に"男"を求めているから。
「性欲を伴った好意が俺は虫酸が走るほど嫌いなんだ。春陽はもしかしたら、俺に恋愛感情があるのかもしれないが……ハッキリ言って迷惑だし気持ちが悪い」
まき子は口の端をひきつらせて、曖昧に笑った。笑う場面じゃないかもしれないが、笑ってないとどんなリアクションをすればいいのか分からなかった。
春陽が聞いたら烈火のごとく怒るだろう台詞を、斗真は淡々と言った。
斗真の言うことは事実かもしれないが、なんというか、言葉を選ばなさすぎる。
斗真の女性恐怖症を考えれば当然かもしれないが。
「春陽ちゃんに、先輩の思いが届けばいいですね……」
「まったくだ」
辛うじて絞り出したまき子の返答に、斗真は呆れを含んだため息を吐きつつ頷いた。
この生徒会長、一筋縄ではいかないぞ、とまき子はそっと心の中で春陽に語りかけた。
「にしても、私には随分と最初から好意的だったような……」
「そうか? これでも警戒はしていたが……まぁ、そうだな。君は絵を描くから」
「絵を描く? そんなの、美術部はみんなそうですよ」
「言い方が悪かったな。絵を描くことに一生懸命だから」
……"あの人"みたいに。
ポツリと小声で呟いた斗真の言葉をまき子は聞き逃さなかった。
(最初から、私に親近感があったわけか。)
しかし、すぐに首を振って考えを打ち消した。そんなことはまき子にはどうでもよいのだ。斗真との関わりは、今日この場所で終わるのだから。
「こんな場所にいたのですね、斗真様」
騒がしい場所が急に静かになった気がした。まき子が声のした方を見ると、そこには小柄なスーツ姿の男性が厳しい表情で斗真を見ていた。




