第14話
入学して初めての席替えで教室の窓際を引き当てたまき子は窓に打ち付けられる雨をぼうっと眺めていた。
(そういえば、朝のニュースで梅雨入りしたとか報道していたなぁ。もうそんな季節か)
古文の先生の眠くなる低い声を聞きながら、欠伸を噛み殺す。
現在の授業は中間テストの範囲なのでしっかりとノートを取らなくてはならないのだが、昼食後の5限は眠くて仕方がない。
ミミズのような文字を見て、まき子は板書するのを諦めた。
眠気覚ましにそっと教室の前から三番目の席を見てみれば、今日は可愛らしく髪をポニーテールにしている春陽が目に入る。
クラスの男子の視線を独り占めする彼女は時折目が合った男子に微笑んでいた。
その様子を見て、まき子は再び窓の外を見る。
──あの日からまき子ははっきりと春陽が苦手になった。
「春陽は完璧だから!」と胸を張り、まき子をコケにした彼女を好きにはなれるはずがない。
春陽は相変わらずクラスの男子には好かれ、女子には遠巻きにされていた。まき子に言ったように他の女子にも牽制するような言い方をしているのなら、嫌われるのも無理はない。
しかし、なにが一番不思議って、男子は何一つ春陽の正体を知らないのだ。
いや、少し我が儘で可愛い、くらいに思っている。お腹が空いた、喉が渇いた、クラスの仕事をしたくない等々やりたい放題で、だけど誰も文句を言わない。異常にすら思える状況である。
女子は日々ストレスに晒され、それと反比例するように春陽の奇行は目立っていく。危うい均衡の中で、クラスは成り立っていた。
(あぁ、この空気感、嫌だなぁ)
まき子の心を表すかのように、雨は激しく降り続いていた。
□□□
休日の昼下がり。ニュースで大雨の予報が出たにも関わらず、まき子は傘を手にファーストフード店に入店した。
学校から遠いこの店は勉強するのにうってつけで、中間テストのためにわざわざ足を運んだのだ。
高校受験の頃もよくお世話になったお店だった。
店内は家族連れやカップル、女子高校生など様々な人間がいて、騒がしいこの空間が意外と集中できたりする。
参考書を詰め込んだリュックを背負い直し、ハンバーガーとポテトを注文した。
揚げたてのポテトと紙に包まれたハンバーガーをトレーに乗せて空いている席を探す。どうせなら両隣が空いていて一人席の方がいいが、休日にそんな贅沢は言ってられない。
キョロキョロと視線を動かしていると、一つだけ空いている席があった。
(ラッキー、あそこにしよう)
取られないように、足早に席に近づきトレーを置いた。さっさと席に座り、一息つく。
この人が多い休日に一人席を確保できるとはとても運が良い。
「──西島?」
隣から聞こえてきた自身の名前に振り返る。
そこには高校生とは思えない見事な私服でこちらを見る斗真がいた。
まき子はさぁっと顔色を変える。そしてすぐさま立ち上がった。
「す、すみません。すぐに退きます」
「いや、待て待て」
何に謝っているのか分からないまま、まき子は小さな声で呟きながらトレーを持ち直そうとするが、その手を押さえられる。
以前、作品を持ち出そうとした時と同じ状況だった。
「……手、離して貰えませんか」
「残念ながら、俺は君に話があるんだ。座って聞いてくれないか?」
斗真は優しい声で言った。
まき子は恐る恐る彼を見て、そして斗真が苛ついていることに気が付いてすぐに着席した。
斗真はまき子が座ったのを見ると、むっつりと黙り込む。そして、ため息を吐いた。
「単刀直入に聞く。春陽に俺の居場所を言ったのは君か?」
「……っ!」
斗真の鋭い眼光に、まき子は言葉を詰まらせる。
「あ、あの。故意では、ないです……」
「では、事故で居場所を漏らしてしまった、と?」
「偶然、春陽ちゃんが、聞いてて……。いえ、でも彼女は生徒会のメンバーですし、七々扇先輩だって時々生徒会長に会いに来てるじゃないですか。問題ないのでは……?」
「君は俺が女性を苦手だと知っているだろう」
「そ、それは……」
はっきりと言われたことはないし……と独り言レベルの小声で呟くまき子に、斗真は先程より大きなため息を吐いた。
「すみません……。私が迂闊でした」
怒っているであろう斗真を落ち着かせるために小さく謝罪した。
「しかも、君は絵の過程と完成を俺に見せてくれる約束じゃなかったか? 気が付いたら作品が消えているから何事かと思ったぞ」
「その、家の方が集中できるので……」
「ふぅん……?」
斗真は未だ何か言いたそうに顔をしかめたが、これ以上追及しても無駄だと思ったのか何も言わなかった。
まき子はそっと斗真の様子を盗み見る。
(どうも違和感あるんだよね……この人)
「……あの、聞きたいんですけど」
「なんだ」
「生徒会長は、春陽ちゃんのことあんまり好きじゃないんですか……?」
これはまき子にとって、とても勇気のいる質問だった。さっきまでの斗真の発言を考えると、好意的だとは考えにくいが、どうにも腑に落ちない点がいくつもある。
「生徒会長は、私が貴方の居場所を春陽ちゃんに教えたことを怒りましたよね」
「あぁ」
「それは、貴方が女性を苦手としているからだと」
「……」
「でも、聞くところによると、春陽ちゃんとは仲が良いようですし付き合ってるって噂もあります。──貴方の女性恐怖症の基準が分からないんです」
斗真は何も言わない。
まき子は手にしっとりと汗をかきながら、しどろもどろに伝えた。
「その、生徒会長が悪いとかじゃなくて、私も訳の分かんないことで怒られるのは違うかなーって思ってて」
「それは、誰への質問なんだ?」
「はい?」
「生徒会長としてか? それとも、伊集院斗真としてか?」
「……えっ? それって何か違いがあります?」
「俺にとっては、天と地ほど違う」
まき子は混乱した。本当に意味が分からなかった。
生徒会長は伊集院斗真で、伊集院斗真は生徒会長だ。イコールで結び付くのだから、同じものではないのか。
しかし、彼は違うと言う。
彼の中で、生徒会長と伊集院斗真は別物なのだ。
(私、宇宙人と会話してる?)
斗真は悩むまき子をじっと見ているだけで何も喋ろうとしなかった。
苦悩の結果、まき子は両方を選択する。
「……じゃあ、どっちの意見も聞かせてください」
(実は二重人格とかなのかな?)
まき子は本気でそう思った。
斗真は顎に手を当てて、考える素振りをしてから口を開いた。
「生徒会長としての答えは……女性は全く怖くないし、触れることも話すこともできる。春陽は優秀な会計だ。嫌うだなんてあり得ない」
「……そ、そうですか……」
まるで模範解答のような答えだ。
まき子は小さく頷く。
「──で、伊集院斗真としての答えだが」と斗真が切り出した瞬間、彼の纏う空気が若干変わった。
柔らかくも緊張したような雰囲気である。
「女性は苦手だし、触れるのも話すのも正直嫌だ。春陽は俺を"男"として見てるから余計駄目だ。むしろ嫌いになりそうで困っている……こんなところだな」
「いやいや! どうして生徒会長としての答えと伊集院先輩としての答えが違うんですか!?」
「生徒会長は、生徒全てに平等でなくてはならない。生徒のために働き、学校に尽くす。それが俺の目指す生徒会長だ」
「……そんな」
「たかが生徒会長だと思うか? 俺は自分の役目を全力でこなそうとしているだけだ。数百人を纏められずして、どうして会社が運営できる」
斗真の真剣なその様子に、まき子はようやく思い出した。そもそも、まき子と斗真は住む世界が違ったのだ。
生まれた時から大金に囲まれ父親の会社を継ぐことが決まっていた彼と、平々凡々の家庭で月のお小遣いを必死に貯めて漫画を買うようなまき子では考えの根本が違う。
背負ってきた期待も、与えられてきた教育も、見据える未来も何もかもが違うのだ。
まき子は引っ掛かっていた違和感が無くなったような気がして、脱力したように椅子に寄りかかった。




