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変化は緩やかに

「シンシアもフェリシアさんも、大丈夫でしょうか?」


 リリアが心配そうにマークを見る。


「大丈夫。シンシアが、きっとフェリシアさんを連れて帰ってくるよ」


 マークが落ち着いた声で答えた。


 その言葉にみんなはいちおう頷くが、やっぱり気になるものは気になる。

 二人の話が途切れると、部屋の中は重たい沈黙に包まれた。


 ふと。


「私、何となくだけど、フェリシアの気持ち分かるかも」


 ヒューリが、珍しく神妙な面持ちで言う。


「どういうことだ?」


 ミナセの問いに、ヒューリは、ちょっと照れくさそうに頭の後ろを掻きながら答えた。


「私さ、山賊やってたじゃん。だからね、今でも何だが、後ろめたい気持ちがあるんだよ」

「そうなのか?」

「うん。そんな事みんなは気にしてないって思うんだけど、でも、自分の中ではどうしてもその事が消えない」

「ヒューリ……」

「だからさ。時々、ほんとに時々なんだけど、私はこんな風に笑っちゃいけないんだって、思うことがあるんだ」


 ヒューリの表情に暗い影はない。

 しかし、その言葉にミナセはショックを受けていた。


 ヒューリがそんな事を思っていたなんて……


「フェリシアは、ほんの一ヶ月前まで、とてもまともとは言えない生活を送っていた。私がクランで経験したことなんて大したことない、そんな風に感じちゃうほど過酷な人生だと思う」


 リリアが小さく頷く。


「だからさ、この打ち上げに参加したのって、フェリシアにとっては大きな一歩なんだよ。でも、あまりにも急激な変化って、怖くなっちゃうんじゃないかなって思ったんだ」

「怖くなる?」

「そう。私もね、この会社で働き始めてから、しばらくは何だが落ち着かなくてさ。もう敵の侵入に神経を尖らせる必要もない、逃げる必要もない。毎日を安心して楽しく暮らせる。でも、それが何だか不安なんだよ」

「それ、少し分かります」


 リリアが言った。


「私も、こんなに幸せでいいのかなって、最初のうちは思ってました」

「だろ?」

「はい」

「まあ、あくまで私の想像なんだけど、フェリシアも同じなのかなって」


 そう言って、ヒューリがうつむいた。

 その顔に微笑みを浮かべ、顔を上げてヒューリが続ける。


「でも、私にはミナセとリリアがいてくれた。あっ、あと社長も」

「俺のことはいいよ」

「あははは、すみません。だけど今は、社長もそうだし、シンシアもいる。みんながいるから私はやっていける」

「つまり、フェリシアさんにも誰かが必要っていうことですね!」

「その通り! ついでに言うと、当たり前に接するのも大事だと思う。ミナセが私に遠慮なく突っ込みを入れるみたいに」


 ヒューリが言ったことが正しいかのかどうかは、誰にも分からない。

 それでも、続くマークの言葉には、誰もがしっかりと頷いていた。


「とにかく、フェリシアさんが帰ってきたら普通に出迎えてあげましょう」


 その時、ちょっと遠慮がちに入り口の扉が開く。

 ゆっくりと開いていく扉の向こうには、フェリシアと、その手をしっかり握っているシンシアの姿があった。


「あの……」


 フェリシアが、何かを言おうとした瞬間。


「お帰りなさい」

「お帰り」

「遅い!」


 一斉に声が掛かる。

 フェリシアはびっくりしていたが、シンシアは、にっこり笑ってフェリシアの手を引き出した。


「あ、あの……」


 何か言おうとするフェリシアを、シンシアがそのまま元の席に座らせる。

 同時に、リリアがグラスに水を注いだ。


「喉乾いたんじゃないですか?」


 タイミングよく差し出されたグラスを、フェリシアが思わず受け取った。隣では、同じくリリアに注いでもらった水を、シンシアが一息に飲み干している。

 フェリシアも、それに誘われてグラスを口に運んだ。

 冷たい水が喉を潤す。その心地よさに、フェリシアは喉がカラカラだったことを知った。


 グラスをテーブルに置いた途端、ヒューリが聞いた。


「で、急にどうしたんだよ」


 フェリシアはまたもや驚いた。どうやって話をしよう……そんなことに思考を巡らす時間もない。


 でも、ちょっとありがたい


「ごめんなさい。あのね……」


 フェリシアが、かすかに微笑んでから話し出す。

 川岸でシンシアに打ち明けたこと、シンシアが自分にしてくれたこと、二人で抱き合いながら、泣いたこと。


 話を聞き終えたヒューリが、シンシアに言った。


「お前、いつからそんなに話せるようになったんだ?」

「そこはいいだろ、今は!」

 

 すかさずミナセが突っ込んだ。


「だっておかしいじゃん! いつもは挨拶するのだって……」

「まあまあヒューリさん、落ち着いて」


 リリアがヒューリをなだめる。シンシアが澄ました顔でグラスに水を足す。

 マークが、苦笑しながらそれを見ていた。


「やっぱり、この場所は楽しいわね」


 フェリシアが、本当に楽しそうに言った。


「私ね、泣くのも笑うのも、すべて計算ずくだったの。気持ちと表情は別物だった。だから、ここにいて、楽しいから笑うっていうのが気持ち悪かったのよね」


 シンシアの髪を撫でながら、フェリシアが言う。


「シンシアが私に何を言いたかったのか、じつは今でもよく分からないの。だけどあの時、私は泣いた。何だか分からないけど泣いちゃった」


 フェリシアが、シンシアを見て微笑んだ


「それでね、思ったの。泣くべきだとか笑うべきだとか、泣いちゃだめとか笑っちゃだめとか、そんなことを考えていることそのものが不自然なんだって」


 シンシアも、ちょっと恥ずかしそうに微笑みを返す。


「正直に言うと、私、今でもこの場所に違和感を感じているわ。やっぱり落ち着かない。でもね、それ以上に思うの。こういうところに当たり前にいられるようになりたいって。泣いたり笑ったりすることを、いちいち考えなくてもすむようになりたいって」


 フェリシアが、マークを見る。ミナセを、ヒューリを、リリアを見る。そして、もう一度シンシアの目を見て微笑んだ。


 穏やかな沈黙が流れる。

 やがて。


「人が変わったようにっていう表現、よくありますよね」


 唐突にマークが話し出した。

 何事かと全員が注目する。


「でも、それって物語の中だけの話だと思うんです」


 みんなを見ながらマークが言う。


「強い決心をしたり、強烈な経験をしたりすると、人はそれまでと違う行動を取るようになります。そして、それはしばらくの間は続くけど、すぐに元に戻ってしまうことがあります」


 面接の時の話を思い出して、ヒューリが小さく頷いた。


「人間はね、すぐには変われないんですよ。今までと違う行動を、強い意志や仲間に支えられながら毎日毎日続けて、ちょっとずつ心と体が慣れていき、ふと立ち止まって自分を見てみたら、過去の自分と変わってることに気付く」


 シンシアが、真剣に耳を傾ける。


「久し振りに会ったら”人が変わった”と思うかもしれないけど、じつは、人間の変化は緩やかにしか起きないんです」


 マークが、フェリシアを見つめた。


「フェリシアさん。あなたは、しばらくの間はこういう雰囲気に違和感を感じ続けるかもしれません。だけど、ずっとそういう環境にいれば、いずれはそれが普通になります」


 マークの話をじっと聞いていたフェリシアが、小さく身を乗り出した。


「私でも、変われるっていうことでしょうか?」


 その声には切迫したものを感じる。

 だがマークは、それにあっさりと答えた。


「それは分かりません」


 その答えにはみんなが驚いた。


 もうちょっと答えようがあるんじゃないの?


 だがフェリシアは、その答えを聞いて、笑った。


「うふふ、そうでしたね」


 やけに明るい表情だ。


 なぜ?


 不思議がるみんなを横目に、フェリシアが姿勢を正す。


「私は変わりたい。私は、シンシアやみんなと一緒にいたい。だから」


 真っ直ぐマークを見つめて、フェリシアが言った。


「私を、この会社で雇っていただけないでしょうか」

「なにっ?」


 驚きの声が上がる。

 シンシアも、びっくりしてフェリシアを見上げた。


 フェリシアの目は真剣。

 だけど、その表情は穏やかだ。


 そんなフェリシアに、マークが答えた。


「分かりました。では、後日改めて面接をしましょう」


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