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知らない世界

 近くで、薪がパチパチとはじける音がする。

 何だか頭が重い。体もだるくて、手足を動かすのもちょっと面倒くさい。

 この感じは……。


 あぁそうか

 私、魔力を使い果たしたんだ


 少し前までは、こんな感覚をしょっちゅう味わっていた。苛烈な修行の末、魔力を使い果たしてその場に倒れ込む。

 気付いた時には、地面の上に転がっていたり、雨に打たれていたり。

 でも今は、柔らかい敷物の上に寝ているみたいだ。毛布のような、暖かいものまで体に掛かっている。


 そう言えば、私、ヒュドラと戦ってたんだっけ

 たしか、あの二人と協力して、無事に倒すことができたんだ


 仕事は為した。

 そして、今回も生き残った。


 いつもは、仕事を完遂したらそれで終わり。帰って主に報告して、また次の仕事を待つ。何の感想も感傷もない。

 だけど、今回は満足感がある。


 何でだろう?

 ちょっと不思議な気持ち


 そんなことを考えているうちに、フェリシアの意識は徐々にはっきりしてきた。

 フェリシアが、ゆっくりと目を開ける。


「気が付きましたか?」


 すぐ近くから、静かな男の声が聞こえた。


「……社長さん?」


 フェリシアが、ぼんやりとマークを見つめる。

 柔らかな、優しい顔がそこにあった。


 仕事が終わった後、こんな風に穏やかに目覚めたのは初めてだ。

 やっぱり不思議な気持ち。


 そう思いながら、フェリシアは、少し気合いを入れて体を起こした。

 辺りは暗い。ずいぶん長い時間意識を失っていたようだ。

 焚き火のそばにマークが座っている。その横で、ミナセとヒューリがぐっすりと眠っていた。


 この二人らしくない


 フェリシアは、素直に思った。その寝顔は、安心し切っていて隙だらけだ。

 その視線に気付いたのか、スープの皿を差し出しながら、マークが言った。


「さっきまで起きてたんですけどね。後は俺が見てるからって言って、寝てもらいました」


 そうなんだ

 考えてみたら、私もダメダメね。こんなに長い時間、意識がなかったんだから


「ありがとう」


 皿を受け取りながら、フェリシアは自分に苦笑する。

 暖かいスープを飲むと、意識も体もずいぶんスッキリしてきた。


「今日はお疲れ様でした」


 フェリシアがスープを飲み終わるのを待って、マークがねぎらいの言葉を掛けた。


「仕事、だから」


 少し間をあけて、フェリシアが答える。


「聞いてもいいかしら?」


 フェリシアが、マークに問い掛けた。


「何でしょう?」


 相変わらずの静かな表情で、マークがフェリシアを見る。


「ミナセとヒューリは、社長さんのところの社員なのよね?」

「そうですよ」

「リリアと、えっと、シンシア? も社員なんでしょう?」

「はい、その通りです」

「社長さんは、どうやってその四人を満足させているの?」

「ん?」


 質問の意味を取りかねて、マークが首を傾げる。


「こんなにきれいな二人と、あんなに可愛い二人を手元に置いて、何もしないはずないと思うのよね。四人もいれば、それなりに確執が生まれるのが普通。それなのに、ミナセとヒューリは本当に楽しそう。リリアとシンシアも、とても仲が良さそうだったわ」


 フェリシアが、真面目な顔で続けた。


「だから社長さん。どうやって四人の女を満足させているの? お金? 薬? それとも、快楽?」


 フェリシアの生きてきた世界、それは、欲望うずまくドロドロした世界。力のある者が、力のない者を、権力で、金で、暴力で、時には薬で支配していく。

 支配される側は、ほとんどの場合、支配する側を恨み、妬み、だがそれでも支配者に依存しながら生きている。

 でも、ミナセとヒューリは、マークのことを恨んでも妬んでもいない。それどころか、あんなに楽しそうに会話をし、マークの隣で安心し切った様子で眠る。


 支配者と隷属者がこんなにいい状態を保っている。

 どうしたらそんな風に……。


 フェリシアの目は真剣だった。

 そんなフェリシアに、マークが静かに言った。


「俺は四人に、一切手を出していませんよ」

「うそ」


 即座にフェリシアが否定した。


「いやいや、うそじゃないです。まあ正直に言えば、これだけ素敵な女性たちに対して、何も感じないってことはないですけど」


 マークが苦笑いしながら答える。


「本当に?」

「はい、本当です」


 フェリシアの探るような目を、マークが真っ直ぐ見つめ返す。


「まあ、信じるわ」

「どうも」


 フェリシアは、とりあえず納得した。


「でも、じゃあどうやって?」

「そうですねぇ」


 しばらく考えたマークは、眠っている二人を見ながら言った。


「たぶんそれは、俺がみんなの幸せを願っていて、みんなもそれを分かってくれているから、じゃないですかね」

「幸せ?」


 フェリシアが首を傾げた。


 幸せ。

 言葉としては知っている。それは、漠然としたもの。

 みんなが追い掛けているけれど、手に入れられる人はほんの一握り。それも、ちょっとしたことがきっかけで、あっさり壊れたり逃げたりしてしまう。


 そんな曖昧なもので、人をあんな笑顔にさせることができるの?


「フェリシアさんは、幸せを感じたこと、ありますか?」


 マークが逆に質問をする。

 フェリシアは、少し考えた後、答えた。


「ないわ」


 美味しいものを食べた時、仕事を終えてベッドに潜り込む時、束縛から解放されて自由になった時。

 どれも、幸せと言えばそうかもしれない。

 でも、今マークが聞いた幸せとは違う気がする。

 もっと根源的な、心から感じる何か。


「では、今日のミナセたちとの仕事はどうでしたか?」

「今日の仕事?」


 フェリシアは考える。


 フェリシアは、いつも一人だった。仕事で誰かと組むことはあったが、それはあくまで一時的なもの。それぞれが役割を果たし、仕事が終わればそれでおしまい。


 じゃあ、ミナセとヒューリとの仕事は?


 今までと同じ、かもしれない。

 だけど、さっき目覚めた時の不思議な気持ち。あれは、初めての経験だった。


 そう言えば、ヒュドラに三人で向かっていった時、ミナセとヒューリを、本当に凄いなあって思ったっけ。

 ヒュドラの倒し方は知っていたけれど、魔物の群がいたら、ヒュドラに攻撃が集中できない。だから、まず周りの魔物を一掃する必要があった。

 あの時はあんな作戦しか思い付かなかったけれど、あの大群の中を私を守りながら走れだなんて、無茶もいいところ。

 三人揃って死ぬ確率の方がはるかに高かった。


 でもあの二人は、文句も言わず、見事にそれをやってのけた。そして、私の言った通りにヒュドラの首を落とした。

 いっぺんに二つも落としたのにはびっくりしたけれど。


 あんなに厳しい状況だったのに、あの時の会話は楽しかった。


「フェリシア! こいつ、火を噴くぞ!」

「ごめんね。言うの忘れてた」

「こらっ!」


「ちょっと! いっぺんに二本切り落とすなんて反則よ! どっちに撃つか迷っちゃうじゃない!」

「お前が迷ってどうする!」


 気を抜いていた訳ではない。

 あの二人となら何とかなると思った。

 この二人なら、信じられると思った。


 だから、戦いの最中だというのにあんな風に会話ができた。


 あの時の私は、何だか……


「そうね。幸せかどうかは分からないけれど、楽しかったっていうのは、間違いないわ」


 フェリシアは、眠っている二人の顔を見て答えた。

 すると、マークがにこっと笑う。


「良かったです」


 なぜか、とても嬉しそうだ。


 なぜそんなに嬉しそうなのか?

 いぶかしげにマークを見るフェリシアに、マークが話す。


「幸せって、形がないんです。楽しいとか嬉しいとか、そういう言葉で言い換えたって、全然問題ない」

「そう、かもしれないわね」

「そうなんです。そしてね、楽しいとか嬉しいとかを、より一層高めてくれる重要な要素が、”自分以外の誰か”なんだと思っています」

「自分以外の、誰か?」

「はい。この人と一緒だから楽しい、あの人が喜ぶから頑張る、誰かを守りたいから力が湧いてくる、みたいな感じです」

「……分からないわ」

「フェリシアさんは、この二人と一緒に戦った時、楽しいって思ったんでしょう?」

「そうね」

「一人で仕事を成し遂げた時よりも、ずっと強い満足感が得られたんじゃないでしょうか」


 満足感。

 そうだ。たしかに私は、今回の仕事にとても満足していた。


「仲間とか友達とか、家族とか。そういう、自分が一緒にいたいって思える人と一緒にいること、その人のために何かをしてあげること、その人と一緒に何かをすること。そんなことが、幸せにつながっていくと思うんです」


 フェリシアが、じっとマークを見る。

 今までフェリシアが聞いたことのない”何か”を語っているマークを、じっと見つめる。


「俺はね、うちの社員が”一緒にいたい”って思った人を採用してきました。最初の社員のミナセは俺が誘ったんですけど、リリアとヒューリはミナセが、シンシアはリリアがきっかけで入社しています」

「社員が社員をスカウトしたの?」

「まあ、そんな感じです。俺の役割は、一緒にいたいって思える社員を集めること。そして、社員たちがいつも集まれる場所を作ること。言ってみれば、仲間を作ることなのかなって、思っています」

「社員じゃなくて、仲間?」

「はい。仲間と一緒だと、仕事がより楽しくなるんです。嬉しいことは倍になるし、つらいことは半分になる」


 穏やかな表情のまま、マークが言った。


「うちの社員たちが満足しているように見えたのは、一緒にいたいって思える仲間がいるからなのかもしれませんね」


 仲間。

 私にはいない。


「仲間がいないと、幸せにはなれないっていうことなのかしら?」

「そこまでは言い過ぎかもしれません。ただ俺には、一人で感じる幸せより、仲間と一緒に感じる幸せの方がずっと大きいって思えるんです」


 マークが、ミナセとヒューリを見ながら答えた。


「何となく、社長さんの言いたいことは分かったわ」

「質問の答えになったでしょうか?」


 フェリシアは答えなかった。

 焚き火のそばで幸せそうに眠る二人を見つめながら、再び考える。


 マークが、自分の知っている種類の人間でないことだけは分かった。

 支配者が隷属者の幸せを願う。そんな人間、見たことがない。そんな人間が存在する世界なんて、聞いたことがない。


 自分の知らない世界に生きる人間。

 自分とは関わりのないところにいる人間。


 だけど。


 本音を言えば、ミナセとヒューリが羨ましい。


 幼い頃に憧れた暖かい家庭。

 子供の幸せを願う優しい両親と暮らす、穏やかで楽しい人生。


 この二人は、幸せになってほしいと思われている。

 この二人は、私の知らない世界で楽しそうに生きている。

 きっとあとの二人、リリアとシンシアも同じなんだろう。


 支配者と隷属者。奪う者と奪われる者。

 そんな関係ではない、夢のような関係。

 家族のような、暖かい関係。


 私の知らない世界で……


 ……いや、違う。私は、知ってしまった。

 私の知らない世界。そんな世界があることを、私は今、知ってしまった。


 目の前に、手に届くところにそんな世界がある。

 幸せという言葉が存在する世界。


「社長さん」


 フェリシアが、小さな声で聞いた。


「私にも、仲間ができるでしょうか?」


 不安げな表情だ。


「私にも、幸せを感じることができるようになるでしょうか?」


 フェリシアの目は、マークに縋っているようだった。


 この人なら……


 その視線を正面から受けとめて、マークが答えた。


「それは、分かりません」

「えっ!?」


 フェリシアの表情がこわばる。

 勝手な期待だと分かってはいたが、マークからは、もっと違う答えが返ってくるような、そんな気がしていた。

 それなのに……。


 フェリシアが、視線を落とす。

 そんなフェリシアに、マークが言葉を続けた。


「俺には、フェリシアさんがこれからどういう生き方をするのかが分かりません。だから、フェリシアさんが仲間や幸せを見付けられるかどうかなんて、分かりません」

「?」


 フェリシアが、虚ろな瞳をマークに向ける。


「フェリシアさんの未来を決めるのは、フェリシアさんなんです。誰かと一緒にいたいのなら、一緒にいられるように努力をすればいい。幸せを見付けたいのなら、見付かるまで探し続ければいい」


 マークの言葉には、不思議な力が宿っていた。


「幸せを見付けられるかどうかは、フェリシアさん次第なんです。フェリシアさん、あなたは自分の未来を、自分の人生を、自分で決めることができるんですよ」


 そう言うと、マークはフェリシアに優しく微笑んだ。

 その微笑みは、驚くほど自然で、驚くほど暖かかった。


 フェリシアが、目を大きく見開いてマークを見る。


 自分の未来を自分で決める?

 私には、それができる?


 生まれてから今まで、ずっと何かに流されてきた。

 自分で決めたことなど、ほとんど何もなかった。


 そんな私が、自分で未来を……


「いちおう伝えておきますと」


 マークが再び話し出す。


「倒れたフェリシアさんを兵士たちが運ぼうとしたのですが、それをミナセが断って、自分でフェリシアさんを抱えてここまで来たんです。それはもう大事そうに、優しい顔でフェリシアさんを抱えていました」


 ミナセが?


「その横を歩くヒューリがね、やたらと気合いが入っているんですよ。もう魔物はいないっていうのに、フェリシアさんとミナセを守るように辺りを見回して。そのくせ、時々フェリシアさんの顔を見て微笑んでいるんです」


 ヒューリが?


「あの時の二人は、まるで大切な仲間を守るような、そんな目でフェリシアさんを見ていたように俺には思えました」

「大切な、仲間?」

「もしフェリシアさんが仲間を見付けたいって思うのなら、じつはもう目の前に、その候補がいるのかもしれませんよ」

「二人が……」


 フェリシアは、胸が熱くなるのを感じた。


 私にも仲間が……


「さらに言っておきますと」


 マークが続ける。


「俺も、フェリシアさんと一緒にいられたらいいなって、思ってます」

「社長さんも?」

「はい。フェリシアさんの生い立ちを考えれば、心が歪んでいてもおかしくはない。それなのに、フェリシアさんは真っ直ぐな心を持っています。そういう人、俺は尊敬します」

「!」

「だから俺は、フェリシアさんと、一緒に未来を歩けたらいいなって思っています」


 一緒に未来を。

 ミナセやヒューリ、そして、社長さんと。


 一緒に未来を。


 なんて暖かい言葉。

 なんて安心できる言葉。


 フェリシアの中に、何かがこみ上げてくる。


 こんな気持ちは、今まで感じたことがなかった。

 こんな気持ちが自分の中にあるなんて、全然知らなかった。


 一緒に未来を。


「幸せになるかなんて、自分で決めちゃっていいんです。フェリシアさん、あなたは自由なんですから」


 優しく笑うマークの顔を、フェリシアは見つめ続ける。

 自分の中で、何かが動き出す音が聞こえた。


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