リリアの決意
明け方の、人影がまばらな町の通り。
澄んだ空気を切り裂くように、もの凄い速さでヒューリが走っていた。
面接の時、まったくマークについていけなかった。それがヒューリにはショックだった。以来ヒューリは、毎朝欠かさず走り込みをしている。
間もなく、マークがスピードアップした場所だ。
そこから事務所まで、全力ダッシュ!
「見てろ、社長ー!」
うおぉぉぉぉぉぉっ!
ヒューリがさらに加速する。
砂塵を巻き上げ、野良犬が怯えて逃げ回るほどの勢いで、早朝の町をヒューリが駆け抜けていった。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
走り込みを終えたヒューリは、事務所のアパートの裏手に回る。そこはちょっとした庭になっていて、住人たちが洗濯などで使う井戸があった。
いつもはそこで汗を拭い、一休みした後で、ミナセと剣の修行をすることになっていた。
相変わらずミナセには勝てなかったが、それでも、少しずつ自分が強くなっていくのを実感する。誰と戦ってもほとんど負けることがなくなっていたヒューリにとって、ミナセは最高の修行相手だった。
それはミナセにとっても同じようで、最近ヒューリにこんなことを言っていた。
「やっぱりお前は凄いよ。技が多彩で動きが読みづらいし、動きが読めても、予想を上回る速さで攻めてくる。時々信じられないような勘の良さも発揮するし。おかげで私は、自分が強くなっていくのを実感している」
ミナセは、相手の動きを読んで、瞬時に戦いを組み立てる。相手は、ミナセが描くシナリオ通りに戦い、そして負けていくのだ。
だが、ヒューリが相手だとそれが簡単には行かないらしい。
シナリオが描きにくい上に、描いたシナリオが思わぬところで崩される。先読みの精度、とっさの対応力、そして全体的な地力を上げていかないと、いずれヒューリに勝てなくなるだろう。
そんなことを、ミナセはとても楽しそうに話していた。
「お前と出会えて、本当に良かったよ」
それを聞いて、ヒューリは嬉しくなったものだ。
「私も、ミナセに出会えて良かったよ」
濡らしたタオルで首筋を冷やしながら、ミナセとの会話を思い出してヒューリは微笑んだ。
そのヒューリの目の前、庭の中央には、ミナセとリリアがいる。
「私、強くなりたいです!」
リリアがそう言ってから、今日で三日。
ヒューリとの修行の前に、ミナセがリリアを鍛えることになってから三日が経っていた。
「そこで引いたらダメだ。前に出ろ!」
「はいっ!」
「目を閉じるな!」
「はいっ!」
ミナセの厳しい指導が続く。
今は、まだ武器を使っていない。基本的な体さばきを教わっているところだ。
それを見ていたヒューリが、小さくつぶやく。
「だいぶ良くなってるな」
たった三日だが、リリアの動きは、初日とは比べものにならないくらい良くなっていた。
ミナセの教え方がうまいこともある。
だが、何よりリリアは素直だった。
教えられたことを、そのまま受け入れて実践する。課せられた日課をきっちりとこなす。
子供が成長するように、日々成長していく。
小さな子供は覚えが早いと言うが、それは、余計なことを考えないからだ。
大人になればなるほど、人は自分で判断するようになる。せっかくいいことを教わっても、それは必要ないとか、その部分は違うなどと自分で判断してしまう。
だが、リリアは言われたことをすべて実行する。
迷わず、躊躇わず行動に移していく。
だから成長する。
だから伸びる。
こりゃあ意外と……
ヒューリが思ったその時、リリアが盛大に投げられた。
芝生の上で、リリアが大の字になっている。息が上がってすぐには動けないようだ。
「今日はここまで」
ミナセが終了を宣言すると、リリアは最後の力を振り絞って立ち上がり、礼をした。
「ありがとう……ございました」
リリアが、ふらふらとヒューリのところにやってくる。ヒューリが、自分のものとは別の濡らしたタオルをリリアに渡した。
「お疲れさん。頑張ってるな」
「はい……ハァハァ、ありがとう、ございます」
「朝からこんなに動いて大丈夫なのか?」
「はい……ハァハァ……大丈夫です」
リリアは気丈に答えるが、やはりつらそうだ。
「体が慣れるまでは、しばらくきついだろうな」
ミナセもやってきて、リリアに言った。
「はい……私、強くなりたいんです……だから、頑張ります!」
そう言って、リリアはタオルを握り締めた。
そんなリリアにヒューリはにこっと笑い、そしてミナセに向き直る。
「じゃあ、次は私の番だ。ミナセ先生、よろしく!」
「いいぞ、かかって来い!」
二人が庭の中央に立って木刀を構える。
そして、激しく打ち合いを始めた。
「やっぱりすごい」
首にタオルを掛け、足をだらっと伸ばし、両手を後ろにして体を支えながら、リリアは二人の修行を見る。
とにかく動きが速い。細かいところは何が起きているのか分からないほどだ。それでいて、動きに無駄がない。
リリアには信じられない高度な攻防が繰り広げられている。
その光景を前にしながら、リリアはシンシアの姿を思い浮かべていた。
リリアは、この三日間シンシアに会えていない。テントに行く度にシャールが出てきて、同じ言葉を告げられた。
「ごめんね。シンシア、まだ調子が悪いみたいなんだ」
リリアは、申し訳なさそうに謝るシャールに差し入れを預けて帰ってくる。三日間、そんなことを繰り返していた。
でも。
「私、絶対に諦めない!」
力を込めてリリアが言う。
決意を新たに、リリアは一人拳を握り締めていた。




