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異世界の乙女たちは、社長と一緒に笑っていたい  作者: まあく
第十七章 人ではない者
379/419

圧倒

「あれが神の鎧か」

「どうしますか?」


 押し寄せる大軍を冷静に観察するマークに、ミナセもまた冷静に聞いた。


「そうだな」


 わずかな沈黙の後、マークが素早く指示を出す。

 皆が頷く中で、フェリシアが珍しく異議を唱えた。


「相手はあのキルグです。その方法では、後々面倒なことになるのではないでしょうか」


 フェリシアの目は真剣だ。

 その目を見ながら、マークが答えた。


「たしかにな。だがまあ、そこは俺に任せてくれ」

「……分かりました」


 穏やかに言われて、フェリシアもそれ以上は何も言えなかった。

 そうこうしているうちに、キルグの軍が急接近してくる。

 マークがシンシアを見た。


「頼む」

「分かった」


 シンシアが一歩前に出る。目を閉じて、マークに言われたことをイメージする。

 そして。


「お願い!」


 シンシアが大きな声を上げた。


 ゴゴゴッ!


 敵軍の幅いっぱいに、高さ五十センチの壁が立ち上がる。

 たかが五十センチ。しかし、突如として現れたその壁に馬たちは驚き、そして急停止した。


「何だ!?」


 騎乗の兵が、落馬を免れようと必死に手綱を握る。

 そこに後続の騎兵が押し寄せる。

 キルグの軍が混乱に陥った。


 すると、またもやシンシアの声がした。


「お願い!」


 騎兵がひしめく大地が、今度は不規則に隆起を始める。

 連続して起こった超自然現象に、馬は恐慌に陥った。


「うわあぁっ!」


 狂ったように暴れ回る馬から、兵士たちが次々と振り落とされる。


「くそっ!」


 見事な手綱さばきで落馬を免れた皇太子も、混乱する人馬の中で動きが取れなくなってしまった。

 唇を噛みながら、皇太子が前を見る。その目に映るのは、一人の少女。

 詠唱もなしに、術者から離れた場所にこれだけの現象を起こせる存在。


「やつも精霊使いだというのか!」


 静かにこちらを見ている少女を、皇太子が睨み付ける。

 その皇太子のもとに、参謀が駆け寄ってきた。


「殿下、一度引いてください!」


 切羽詰まった声を、だが皇太子は振り向かない。


「どんなに不利な状況でも、神の鎧は必ず……!」


 声を張り上げる皇太子が、宙を見て、動きを止めた。

 晴れ渡る青い空。そこに、一人の女が浮かんでいた。

 その女の、さらに上。


「何だあれは?」


 兵士たちがざわつき始める。


「まずい!」


 参謀が叫んだ。

 その目が捉えたのは、半径百メートルはあろうかという真っ黒い雲。青空の中に発生した、異常に不自然な現象。


「全員、雲の下から逃げろ!」


 大きな声を上げ、皇太子の馬の手綱を強引に引っ張りながら、参謀が必死に後退する。


「貴様、何をする!」

「風の第五階梯です! 雲の下の兵が全滅します!」


 皇太子が目を見開く。

 参謀の目は血走っている。


「逃げろ!」


 兵士たちが逃げ出した。馬を捨て、武器を捨て、段差を乗り越えて後方へと走る。

 捨てられた馬が、捨てた兵士を蹴散らしながら逃げていく。

 その混乱を空から見下ろしていた女が、小さくつぶやいた。


「とっくに詠唱は終わっているのよ。発動を抑えるのも大変なんだから、早く逃げなさいよ」


 その顔は、ちょっと不機嫌だ。

 バチバチと不気味な音を立てる雲の下で、女は待った。

 そして、眼下の兵がいなくなる。


「じゃあいくわよ!」


 女が、満を持して叫ぶ。


「サンダーバースト!」


 空中を無数の稲妻が走った。それが、一斉に大地を直撃する。


 ズドドドドドーーーーン!


 大地を揺るがす轟音が響き渡った。


「うわあっ!」


 稲妻が地面を抉り、破片を周囲にまき散らす。兵士の体を大量の砂礫が打った。頭を抱え、うずくまりながら、兵士たちは己の無事をただただ祈り続けた。

 やがて爆風が収まる。黒雲も、嘘のように消えていた。


「ま、こんなものかしら」


 にこりと笑って、女が地面に降り立つ。

 女の計算通り、死人は一人もいなかった。重傷者もいなかった。

 

 兵士たちがゴソゴソと動き出す。


「た、助かったのか?」


 呆然と周囲を眺め、真っ青な顔で互いの無事を確認する。


「あやつ、わざと……」


 皇太子が歯ぎしりをした。

 自分たちが元いた場所は、天変地異でも起きたかのように滅茶苦茶になっている。それなのに、そこに兵士の死体は一つもなかった。


 稲妻の光と音に驚いた愛馬は、皇太子を振り落として、すでにどこかへと走り去っていた。

 周りにいる兵士たちは、すでに戦意など欠片もない。


「こんな馬鹿なことが……」


 皇太子が唇を噛む。焼けた大地に、微笑みながら立っている美しい女を睨む。

 そこに、二人の男が駆け寄ってきた。


「殿下!」

「ご無事で!」


 キルグ随一の槍使いと、キルグ最強の斧使い。

 大隊長と兵士長の二人が、後方から駆け付けてきた。


「おお、お前たち」


 歴戦の勇士の姿を見て、皇太子が力を取り戻す。


「お下がりください。敵がすぐそこに!」

「奴らは我らが引き受けます!」


 言われて初めて皇太子は気が付いた。

 二人の女が、こちらに向かって歩いてきている。


 一人は、黒髪の美しい女。

 その女は、見たことのない細身の剣を持っていた。


 一人は、栗色の髪の愛らしい少女。

 その少女は、体とまったく釣り合わない大きな剣を持っていた。


「武器の勝負なら負けはせぬ!」

「女だろうと手加減なし!」


 大隊長が、美しく輝く槍を構えた。

 兵士長が、鈍く光る戦斧を構えた。


 それを見て、黒髪の女が小さく言う。


「私は槍をやる。リリアは斧だ」

「分かりました」


 二人が走り出した。

 二人の男がそれを迎え撃つ。


 穂先の照準をピタリと合わせ、大隊長が雄叫びを上げた。


「アダマンタイトの盾をも貫く秘宝の槍。キルグ随一と言われた神速の突きを受けてみよ!」


 斧刃をブォンと振り上げて、兵士長が咆哮を上げた。


「オリハルコンより作られし自慢の戦斧。見かけ倒しの大剣もろとも真っ二つにしてくれるわ!」


 槍と斧が、同時に動いた。


 黒髪の女に、神速と豪語する槍が襲い掛かる。

 瞬間、白銀の光が煌めいた。


「なにっ!」


 槍は、女に届かなかった。

 受け止められたのではなかった。かわされたのでもなかった。


 握り締める柄から先に、槍がない。

 地面に転がる数本の棒と、二つに切断された秘宝の穂先。


「それで神速とは、笑わせる」


 冷たい声がした。


「それとも、お前の国の神は、そんなにのんびりしているのか?」


 大隊長が、膝をついた。


「そんな……」


 震えながら、大隊長は槍だった物を見つめた。


 その隣では、大きな体が立ち尽くしている。


「なんで?」


 呆然と、はるか遠くまで吹き飛んでいった自慢の戦斧を見る。


「あなたの攻撃は、雑過ぎます」


 可愛らしい声が聞こえた。


「それでは、何回戦っても私には勝てません」


 膝をつく男と、立ち尽くす男。

 それを、キルグの兵士たちが見ていた。


「うそだ」


 全員が目を見張っていた。


「あの二人が子供扱いだと!?」


 皇太子の声は掠れていた。


「で、殿下、は、早く……」


 参謀が、皇太子の腕を引く。

 そこに、またもや敵が現れた。


「さあ、仕上げといこうか!」


 驚くほど近くで声がする。

 赤い髪の美しい女が、わずか数歩先にいた。

 後ずさる皇太子に笑みを見せながら、女が軽く手を上げる。女の後方にいた精霊使いの少女が頷く。


 ゴゴゴゴッ!


 またもや地面が隆起を始めた。

 皇太子と、赤髪の女がいる周囲数メートルの地面が盛り上がっていく。

 突然の出来事に、皇太子がへたり込んだ。参謀が、隆起する斜面を転がり落ちていく。


 やがて隆起が止まった。

 高さ五メートルの舞台。全兵士から見えるその舞台の上で、赤髪が言った。


「神の鎧殿、私と勝負していただけますか?」

「おのれ!」


 馬鹿にしたような言葉に、皇太子が弾かれたように立ち上がる。


「愚か者め、神の鎧と知って我に挑むか!」


 剣を抜いて、皇太子が女を睨んだ。

 睨まれた女が、表情を引き締めて、剣を抜く。

 一つの鞘から、二本の剣を抜いた。


「何だ、あの剣は!?」


 舞台の周りにどよめきが起きた。

 皇太子の目も、その剣に釘付けになった。


 紅い光を放つ一筋の剣。それは、まるで炎のように揺らめいて見えた。

 青白い光を放つ一筋の剣。それは、まるで氷のように透き通って見えた。


 そんな剣は、見たことも聞いたこともなかった。

 それは、どんな秘宝とも違う妖しい気配を放っていた。


「ど、どんな武器であろうと、わしを傷付けることなどできはせん!」


 皇太子が剣を振り上げる。


「神の鎧は無敵なり!」


 叫びながら、剣を振り下ろした。

 それを、交差する二本の剣が受け止めた。


「まったく、剣の腕は三流だな」


 ため息をつきながら、女が体を逃がしていく。

 皇太子がよろめいた。同時に、二本の剣が皇太子の剣を叩き落とす。


「貴様!」


 刹那。


「やあぁっ!」


 裂帛の気合いとともに、真っ正面から、双剣が皇太子の両肩を打った。


 右の肩には炎の剣。

 左の肩には氷の剣。


 衝撃で、皇太子が思わず膝をつく。

 しかし、体のどこにも痛みは感じない。


「はっはっは! どんな武器もこの鎧には通用せん!」


 二本の剣に押さえつけられながら、それでも皇太子は、顔を上げて叫ぶ。


「神より与えられし至高の神器。神の鎧は無敵……」


 ピキッ!


 ふいに、小さな音がした。


「……え?」


 皇太子が動きを止める。


 ピキピキッ!


 してはならない音がした。

 皇太子が、自分の肩を見る。


 奇妙な音が続く中で、女が話し始めた。


「人に七つの神器を与えた後、神様は後悔したんだと」


 静かに女が語る。


「神器の使い方は、人次第。それが、どうやら正しく使う人間が少なかったみたいでね」


 皇太子が女を見上げる。


「だから、神様は新しい武器を作った。それをある一族に与えて、神器を監視させたんだそうだ」

「まさか、神殺し!」


 皇太子が目を見開いた。


「なんだ、知ってるんじゃん。そう、神殺し」


 女が両腕に力を込める。

 神の鎧が軋んでいく。


「まあ、私も初めて使うから、どうなるのかは知らなかったんだけどね」


 ピキピキピキッ!


 鎧が割れ始めた。

 鎧の光が失われていく。


「最後は、こうなるんだねぇ」


 パーン!


 神の鎧が弾けた。

 どんな武器もはじき返す無敵の鎧が、砕け散った。


 声が出なかった。

 思考も止まっていた。

 皇太子は、かがんだまま、廃人のように地面を見つめていた。


 その目の前で、二本の剣も輝きを失っていく。

 二つの剣の柄頭から、小さな石が剥がれ落ちた。その石を拾ってポケットにしまい、剣を鞘に収めると、女が言う。


「私の役目はここまでだ。社長、あとはお任せです」


 動かない皇太子を放置して、女は斜面をすべり下りていった。


「神の鎧が……」


 参謀が、大隊長が、兵士長が舞台を見つめる。

 五万の兵士が、鎧を失った皇太子を見つめる。


 そこに、また敵が現れた。

 それは男。黒い瞳と黒い髪の不思議な男。


「お願い」


 精霊使いの少女の声で階段ができる。

 その階段をゆっくりと登り、舞台の上に立った男は、膝をついたまま動かない皇太子の後ろに立つと、その首を掴んだ。

 そして。


「あっ!」


 五万の兵士が声を上げた。


「うそっ!?」


 舞台の下で、赤髪の女が目を丸くした。

 ほかの社員たちは声もない。

 

 社員たちと、五万の兵士の視線の先。五メートルの高さの舞台の上で、男は、皇太子の体を、片手一本だけで持ち上げていた。


 皇太子が意識を取り戻す。驚きと首の痛みで呻き声を上げるが、そんなことで男は力を緩めることはない。

 足をバタつかせてもがく皇太子を兵士たちに見せつけながら、男が叫んだ。


「我が名はマーク! エム商会のマーク!」


 周囲に響き渡る声で男が叫んだ。


「魔物の軍も、精鋭と呼ばれる兵も、神器ですらも、我らの敵ではない!」


 男の声が、兵士たちを圧倒する。


「今日の敗戦を心に刻め! 神器が破壊されたその様を忘れるな!」


 男の声が、兵士たちの心を圧倒していく。


「即刻この国から立ち去るがよい! そして、二度とこの地に足を踏み入れるな! もしまたキルグが攻め込んで来たならば」


 そう言うと、男は皇太子の体を放り投げた。

 ゴロゴロと転がり落ちるその体を、参謀がどうにか受け止める。

 それを見ることもなく、男が言った。

 兵士たちに向かって、男が宣言した。


「我らが、全力でキルグを潰す!」


 瞬間、男の体からとんでもない気が放たれる。

 それは、殺気。体を貫き、心を穿つ、とてつもない殺気。


 五万の兵が震えた。

 社員たちでさえも体を震わせた。


「ば、化け物……」


 誰の声かは分からない。

 しかしそれは、そこにいる全ての兵士に恐怖を目覚めさせた。


「うわあぁっ!」


 全員が走り出した。

 武器を捨て、旗を捨てて兵士たちは走った。


「ま、待ってくれ!」


 腰が抜けて動けない皇太子が、参謀の足を掴む。


「放せ!」


 その手を反対の足で蹴り飛ばして、参謀も逃げた。


「待って……待ってくれ……」


 皇太子が、這うようにして参謀を追う。

 それを舞台から見ていた男は、大きく息を吐き出して殺気を収めると、ゆっくり階段を下りていった。


 砦からそれを見ていた老人が、掠れた声でつぶやいた。


「あの男は、一体何者なのだ」



 この後、キルグの軍勢は雪崩を打ったように撤退していった。逃げていく侵略者たちに教団の教祖は驚き、そして必死に追い縋ったが、軍の参謀は、教祖を蹴り倒してこう言ったという。


「作戦は失敗だ。教団はお前の好きにするがいい」


 この日以降、エルドアで教祖の姿を見たものはいない。


 エルドアの脅威は去った。

 しかしこの時、エルドアの北の国を、建国以来最大の危機が襲っていた。

 参謀の言っていた”もう一つの作戦”。それが発動されたことを、遠く離れた南の地にいるマークたちが知る由もなかった。


 第十七章完結です。

 ここまでお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。

 第一話に出てきた少女。その謎が、こんなところまで来てようやく明らかになりました。ほかにもいくつかの背景が見えてきて、物語は確実に大詰めへと近付いています。

 次週は幕間。一話完結です。

 次週もよろしくお願いいたします。

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