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異世界の乙女たちは、社長と一緒に笑っていたい  作者: まあく
第十五章 エルドアの混乱
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大切なもの

「行ってまいります」

「体に気を付けるのですよ」


 涙はない。抱擁もない。

 母は、微笑みながら息子を見送った。

 子は、引き締まった顔で別れを告げた。


 馬車に乗り込んだ一行は、屋敷の門を出て北へと向かう。揺れる馬車の中で、話す者はいなかった。

 口を真一文字に結ぶアルバートを、クロエが心配そうに見つめている。何か言いたそうな剣士と魔術師も、時々アルバートに目を向けるが、結局は黙ったままでいた。

 一行が乗っているのは、貴族が使う華美な馬車ではなく、使い古された幌馬車だ。地面の凹凸が直接感じられるほど乗り心地は悪かったが、目立たないよう移動するためには仕方がなかった。

 手綱を握るのはミナセだ。馬車を操るのは初めてだったが、生家の道場に馬がいたおかげで、馬の扱いには慣れている。旅立つ前に、ヒューリから短いレクチャーを受けただけで、ミナセはすぐ馬車の操作を覚えてしまっていた。

 ミナセの隣にはフェリシアが座っている。その顔は、なぜか不機嫌だ。


「どうしてフードなんて被らなくちゃいけないのかしら」


 アルバートたちに聞こえるほどではないが、ミナセにははっきり聞き取れる声で、文句を言う。


「こんなにいい天気なのよ。風も心地いいし、景色も素敵。それなのに、このフードのせいで全然気持ちよくないじゃない」


 ブツブツ言い続けるフェリシアに、ミナセは苦笑い。


「だいたい、どうして私たちが御者台にいなくちゃいけないのよ。この国の男は、女子に対して冷た過ぎるわ」


 あまりに続く不平不満に、怒るというよりミナセは笑ってしまった。


「フードを被って移動するのは目立たないようにするためだ。御者台に座るのは、私たちが一般市民で、この旅の案内役だからだ。どれも打ち合わせの通りだろう?」

「そうなんだけどぉ」


 諭すようなミナセの声に、フェリシアがむくれる。

 ミナセの言う通り、今のこの状況は、すべてが打ち合わせ通りだった。


 ミナセとフェリシアが”護衛”であることを、じつは後ろに乗っている四人は知らない。そうした方がよいとアルバートの母親が判断し、影の老人もそれに賛成している。

 剣士と魔術師は、コメリアの森での滞在中、アルバートの護衛をすることになっていた。同時に二人は、アルバートの教育係としての役割も負っている。剣や魔法、そして様々な知識と教養をアルバートに教授することが、二人に課せられた重要な使命だ。その使命を与えられたことに、二人は誇りを持っていた。

 ゆえに、ミナセとフェリシアが、二人を遙かに凌ぐ力を持っていることは伏せられた。ミナセの太刀も、フェリシアお気に入りの短剣も、屋敷を訪れる前からマジックポーチにしまってある。

 影が連れてきたのは、護衛ではなく案内役だった。旅の間も森での滞在中も、護衛は後ろにいる剣士と魔術師。

 貴族としてのプライド、優秀と認められた剣士と魔術師のプライドに配慮した結果だ。もちろん、いざとなれば二人とも全力で四人を守ることにはなっている。

 一般市民で案内役の二人が、その美貌で目を引かないようにフードを被って御者台に座る。後ろの四人も、地味な服や帽子などで、身分を隠して移動する。

 すべてが打ち合わせ通りのはずなのに、なぜかプンプン怒っているフェリシアに、ミナセが聞く。


「いったい何が不満なんだ?」


 何となく理由は分かっていたのだが、あえてミナセは聞いてみた。

 すると、予想通りの答えが返ってくる。


「だって私、この旅でアルバート様と仲良くなるって決めたのよ。それなのに、これじゃあお話しすることもできないじゃない!」


 小声のまま、フェリシアが全力でミナセに訴える。


「案内役が御者台にいなくたっていいと思わない? 一般市民が貴族と一緒の客車に乗ったっていいと思わない? もうちょっと女の子に気を遣ってくれてもいいと思わない?」

「まあ、そうかもな」


 生返事をするミナセに、フェリシアの熱い言葉は続く。


「今夜は宿に泊まるでしょう? そうしたら部屋も別々でしょう? チャンスがどんどん減っちゃうのよ?」

「……」


 もはやミナセに返事をする気力はない。

 黙ってしまったミナセを見ながら、拳を握り締めてフェリシアが言った。


「こうなったら、馬車が使えなくなってからが勝負ね。山道に入れば歩いて移動だし、夜は野宿も多くなる。もうそこしかないわ!」

「フェリシア。索敵忘れるなよ」

「もう、ミナセ!」 

 

 のどかな農村の道を馬車は走る。

 呆れるミナセとプンプン怒るフェリシア、そして無口な四人を乗せた馬車は、北に向かって走っていった。



 初日は穏やかな旅だった。予定通りの行程を終えて、一行は街道筋にある宿に入った。

 エルドア国内でゆっくり休めるのは、この宿が最初で最後だ。次にまともなベッドで眠れるのは、イルカナに入ってからとなる。


 今日一日走ってきたのは、エルドアとイルカナを結ぶ最も主要な街道だ。エルドアの混乱で、以前に比べれば人の通りは減っていたが、それでもそれなりに整備はされているし、立派な宿もある。

 その街道は、国境線の中央よりやや東側にあった。明日からは、人目を避けるため、さらに東を通る裏街道を進むことになっている。

 イルカナに向かう街道は、西側にもあった。距離で言えば、その道がコメリアの森への最短経路となる。しかし、今やその街道を使う者は一人もいない。エルドアの北西部、イルカナから見て南西部に、大量の魔物が発生しているからだ。

 東の裏街道は山賊も少ない。そして、一行が北西に向かっていることを隠すこともできる。

 遠回りにはなるが、一行にとってはそれが最も安全な選択と言えた。


「アルバート様は、今何をしているのかしら?」


 宿の部屋で体を拭きながら、フェリシアがつぶやく。


「護衛の仕事の難点は、体が洗えないことだな」


 同じく体を拭きながら、フェリシアを無視してミナセがぼやく。


「まあ、そうよね」


 無視されて怒るかと思いきや、意外にも、フェリシアが頷いた。

 この世界では、一般市民に入浴の習慣がない。よって、普通の宿には風呂もない。

 今も二人は、フェリシアが持ってきた桶に水を張って、タオルを濡らしながら体を拭いていた。


「あの小屋、一つ持ってくればよかったわね」

「それはやめろ」


 冷静なミナセの言葉にフェリシアがむくれた。

 仕事でアルミナを離れる時以外、社員たちは、毎日中庭の小屋で体を洗っていた。それに慣れてしまうと、体を洗わないことが気持ち悪く感じてしまう。


「お話に出てくる収納魔法みたいに、このポーチが何でも収納できたらよかったのに。そうしたら、あの小屋を解体せずに持ち運べるでしょう?」

「しまうのも取り出すのも、重くて大変そうだけどな」

「つまらないことを気にしちゃいけないわ。物語には、夢が必要なのよ」

 

 タオルを絞りながら、フェリシアの話は続く。


「お話の中ではね……」


 なぜか収納魔法について語り出したフェリシアを横目に、体を拭き終えたミナセが荷物を片付け始めた。

 楽しそうにフェリシアがしゃべり続ける。

 そのフェリシアが、ふいに黙った。そして、ミナセに聞く。


「どうして、そんなボロボロの布を持っているの?」


 ミナセが鞄から取り出したものを見て、フェリシアが首を傾げた。

 あちこち擦り切れている、ちょっと汚れたボロ布。それをミナセは、とても慎重に鞄から取り出していた。

 聞かれたミナセがうつむく。そして、小さな声で答えた。


「これは、とても大切なものなんだ」


 あの夜捨てそびれたそれを、ミナセはずっと大切に持っていた。擦り切れたままで、汚れも染み付いてしまっていたが、できるだけきれいに洗って、きちんと丁寧に畳んである。

 少女と出会ったのは、イルカナの東、カサールとの国境付近。どこから来たのかと聞かれた少女は、南を指さした。

 見渡す限りの深い森と、その先にそびえる国境の山々。

 少女は、エルドアの北東から来た可能性が高かった。

 もし少女とゆかりのある人に出会えたなら、ミナセはそれを、その人に託したいと思っていた。

 もし少女の家族と出会うことができたなら、ミナセはそれを、家族に返したいと思っていた。


 商隊の護衛でエルドアに来ることは多かったが、通るのはいつも主要街道。そこからさらに東に行くことはない。


 でも今回は……


 ミナセの顔には微笑み。

 寂しげで、泣きそうな微笑み。


 それ以上問うことをやめて、フェリシアも荷物を片付け始めた。

 片付けながら、フェリシアが言った。


「私にできることがあったら何でもするわよ。遠慮しないで言ってね」


 驚いて、ミナセが顔を上げる。

 優しく笑うフェリシアを見て、ミナセが笑った。


「ありがとう」


 心が暖かくなる。

 それなのに、なぜだか泣きたくなる。


 心許せる仲間がいるということは、本当に幸せなことだとミナセは思った。


「悪いけど、先に寝かせてもらうよ。時間になったら起こしてくれ」

「分かったわ」


 アルバートをコメリアの森まで送り届ける。その仕事を完遂するまで二人は油断しない。

 ミナセがベッドに潜り込む。フェリシアに任せてミナセは眠る。

 慣れない宿の、慣れないベッド。それでもミナセは、すぐ眠りに落ちていった。

 ミナセの寝顔に微笑んで、フェリシアが灯りを消す。窓とドアを少しだけ開け、索敵魔法の魔力を一段引き上げて、フェリシアは、窓辺のイスにそっと腰掛けた。


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