借金
「あのペンダント、何かあるんだろうな」
尾長鶏亭に向かって歩きながら、ミナセは昼間の出来事を思い出す。
リリアも年頃の娘だ。アクセサリーに興味を持ったっておかしくはない。でも、あれはそういう単純な話ではないだろう。
「今度、聞いてみようか」
そんなことを考えながら歩いていたミナセは、いつの間にか尾長鶏亭の裏手にやって来ていた。
「今日は泣いていないといいけど」
少し心配をしながら、暗闇をのぞき込む。
「リリア、今日も来たよ」
控えめに声を掛けるが、返事はない。
「おかしいな? いつもの時間なのに」
ミナセは路地に入り、店の裏口辺りに懐中電灯の明かりを当てた。
そこに浮かび上がったのは、小さく呻き声を上げてうずくまる、リリアの姿だった。
「リリア!」
ミナセが駆け寄って抱き起こす。
その背中にミナセが触れた瞬間。
「痛い!」
リリアが苦痛の声を上げた。
「ごめん!」
とっさに謝りながら、ミナセは背中の状態を見ようと明かりを当てた。
いつも着ているワンピースが、ところどころ破れていた。破れた隙間から、腫れ上がった素肌が見えている。あちこちで皮膚が裂けて、そこから血がにじみ出ていた。
「ひどい」
ミナセが顔をしかめる。
「ごめんなさい。私、まだ治癒魔法がうまく使えなくて、手のひらを当てられるところじゃないと治せないんです。ミナセさんが来るまでに動けるくらいになっておきたかったのに」
痛みをこらえながら、リリアが謝った。
「そんなことはどうでもいい! どうして……どうしてこんなにされるまで……」
ミナセは言葉を詰まらせた。
「店の主人にやられたのか? 女将か?」
ミナセの声は、怒りで震えている。
「リリア、答えるんだ! 私は、こんなひどいことをした奴らを……」
強い口調で言い掛けた、その時。
「私、借金があるんです」
リリアが、小さな声で言った。
「借金?」
予想外の言葉に、ミナセは怒りを忘れてリリアを見つめる。
「正確には、両親の借金なんですけど」
リリアが、ゆっくりと話し出した。
「私が小さい頃、両親がやっていたお店が火事になっちゃって、大変な時期があったみたいなんです。その時助けてくれたのが、ここの伯父さんと伯母さんだったそうです」
この店の夫婦が、リリアの両親を助けた?
信じられない気はしたが、ミナセは黙って続きを待った。
「お店を建て直すのにお金を貸してくれて、そのおかげでお店をまた始められたって、お父さんからも聞いたことがありました」
リリアの父親が言っていたのなら、本当のことなのだろう。
「ここに引き取られてしばらくした時、伯父さんと伯母さんに言われたんです。”お前の両親にはたくさんお金を貸していて、まだぜんぜん返してもらっていない。だからお前が働いて返すんだ”って」
そう言うと、リリアは顔を上げた。
「だから私、一生懸命働いて、借金を返したいんです」
ミナセを強く見つめる。
「私、お父さんとお母さんが大好きでした。だから、二人が残していったものは、私がきちんと終わりにしたいんです」
ミナセには返す言葉がなかった。
本当に優しい子。
本当に、お父さんとお母さんが大好きだったんだ。
でも、だからって……
「こんなにひどいことをされているのに、じっと我慢してるだけだなんて」
ミナセが弱々しく反論する。
その言葉が終わらないうちに、リリアが突然大きな声を上げた。
「じゃあどうすればいいって言うんですか!」
リリアが叫ぶ。
「私が逃げたりしたら、お父さんとお母さんが悪者になっちゃうんですよ! それに」
リリアが涙をこぼす。
「私には、ここしか住むところがないんです」
リリアの叫び。
リリアの悲痛な叫び。
ミナセが一人で生きてこられたのは、剣の腕と、父が残してくれたお金があったからだ。
リリアのような少女が一人で生きていけるほど、この世界は甘くない。
今のミナセにだって、リリアを助けてあげられるほどの余裕などない。
大好きな両親のためにも、自身が生きていくためにも、リリアはこの店で耐えるしかないのだ。
ミナセは、息がうまくできなかった。
拳を握り、涙をこらえて、リリアを見つめることしかできなかった。




