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異世界の乙女たちは、社長と一緒に笑っていたい  作者: まあく
第八章 怖いもの知らず
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謎の小屋

「よし、完成だ!」


 工具を握るマークが、満足げにそれを眺めている。


「何ですか、これ?」


 社員たちが、興味津々といった表情でそれを見つめていた。


 ここは、事務所のアパートの中庭。そこにある井戸のすぐ横に、小さな小屋が建っていた。

 ミアの入社前から、時間を見付けてはマークが作っていた謎の小屋だ。


「大家さんの許可はもらってあるから」


 そう言って黙々と作業をするマークは、それが何なのかを誰にも教えることなく作り続け、そして今日、ついに完成させたのだった。


 小屋の大きさは、幅およそ一メートル半、長さは三メートルに少し届かないくらいの長方形だ。天井近くには、小さな明かり取り用の窓がある。

 高さは二メートル以上あって、社員の誰が入っても結構余裕がありそうだ。

 横の井戸にはちょっとした櫓が組まれていて、やたらと高い位置に手押しポンプが設置されていた。

 小屋の下からは、地面に半分埋もれている土管が延びていて、敷地を隔てる壁の向こうまで続いている。


 みんなの注目を集める中、マークが水の入った桶を抱えて櫓に上り、ポンプに水を注いで、ハンドルを上下に動かし始めた。

 すると。


「おおっ、水が出てきた!」


 ポンプの先から勢いよく水が溢れ出す。

 その水は、小屋の上部に作られた貯水槽にどんどん貯まっていった。


 この世界では、魔法で簡単に水を発現させることができる。

 魔力の小さな一般人でも、料理や洗い物、洗顔に必要な水くらいは誰もが扱うことができた。

 それでも井戸は、大量の洗濯物がある時や行水をする時、そして火事が起きた時などのために、町のあちこちに作られている。

 このアパートにも井戸はあったが、エム商会の社員以外はあまり使っていないようだった。


 貯水槽に水が貯まったのを確認すると、マークがみんなに声を掛ける。


「誰か、気分壮快、さっぱり体験をしたいと思う人いないか?」

「???」


 全員が首を傾げている。

 

 社長、いったい何を?


 そんな中、ミアが元気に手を挙げた。


「はいはいっ! 私、体験してみたいですっ!」


 警戒心も疑問の欠片もない笑顔で、五人を押しのけて前に出る。


「さすがだな」

「さすがね」


 みんなの尊敬を集めながら、ミアがマークの前に立った。


「よし、ミアが第一号だ」


 そう言うと、マークはミアと一緒に小屋の中に入っていった。

 パタンと扉が閉まり、中から二人の会話が聞こえてくる。


「まず、ここで服を脱ぐんだ」

「はい」


 ちょちょちょちょっと!


 全員の目がまん丸になる。


「そうしたら、これとこれを持って、こっちに移る」

「はい」


 二人が中を移動する気配がした。


「これ、ずいぶんドロドロしてますけど」

「大丈夫、すぐに慣れるさ」


 なに!?

 いったい何がドロドロしてるっていうの!?


「これを掴んでみてくれ」

「こうですか?」

「いや、そうじゃない」

「よく分からないです」

「しょうがないなぁ」

「きゃあ! いきなりやめてくださいよー」

「ごめんごめん」


 五人の顔が真っ赤に染まっていく。

 フェリシアでさえ、動揺で目が泳いでいた。


「こ、こうですね?」

「そうだ。それを優しく……」


「だめーっ!」


 ついに耐えられなくなったリリアが、小屋の扉を勢いよく開けて中に飛び込んだ。

 そこには、小さなバルブを握るミアと、その手元を懐中電灯で照らしているマークがいた。

 二人とも、ちゃんと服は着ていた。


「あの……えっと……」


 まともな言葉が出てこないリリアの背中越しに、ほかのみんなも小屋の中をのぞき込む。

 全員が、一様に脱力していた。



 説明を終えたマークが、一人で小屋から出てくる。


「分からないことがあったら声を掛けてくれ」

「はい!」


 疲れ切っている五人を不思議そうに見ながら、マークが小屋の外に立つ。

 中からは、今度こそミアが服を脱いでいるらしい気配がしていた。

 もっとも早く立ち直ったフェリシアが、咳払いをしてからマークに聞く。


「これって、何なんですか?」

「これは、まあ、簡単に体を洗い流す装置ってところかな」

「体を洗い流す装置?」

「そう。どうしても欲しくてね、作ってみた」

「はあ」


 フェリシアもほかのみんなも、ピンと来ていないことがありありと分かる。

 空中に”…”が見えるようだ。


 やがて、中から水音がしてきた。


「わぁ、これ、気持ちいい!」


 ミアの嬉しそうな声が聞こえる。


「ちょっとぬるいですけど、ちゃんとお湯が出るんですね!」

「ああ。水の通る管に、魔石を仕込んであるからね」


 魔石には、様々な使い方がある。

 職人が加工することで、熱や光を発するようにしたり、冷たくしたりすることが可能だ。


「社長! この石鹸いい匂いがします!」

「精油を混ぜて作った特別製だ。気に入ったか?」

「はい!」


 民間に入浴の習慣があまりないこともあって、売られている石鹸は、とても質がいいとは言えなかった。

 香りのついた石鹸は、一部の貴族が使うだけで、一般の人が手にする機会などまずない。


「社長、この瓶に入ってるドロドロしたのが……」

「それで髪を洗ってみてくれ」

「分かりました」


 水音が止まり、少しの間静かな時間が流れる。

 やがて、また水音。

 その音が止まると、中から大きな声がした。


「社長! もの凄くさっぱりしました!」

「だろ?」

「これ、いいかも!」


 ミアの興奮した声が聞こえる。


「じゃあ最後に、もう一つの瓶の中身を、さっき説明したみたいに使ってみてくれ」

「はい!」


 またもや沈黙。

 しばらくすると、ミアが聞いてきた。


「これ、すぐ洗い流していいんですか?」

「ああ、大丈夫だ」


 また水音が聞こえてくる。

 その音が止まり、タオルで体を拭いているらしい、パタパタという音が聞こえてきた。

 続いて、ミアが小屋の入り口側に移動して、服を着る気配がする。


 そして。


「気分壮快、さっぱりです!」


 幸せそうな顔で、ミアが小屋から出てきた。

 外にいた五人がミアに寄っていく。


「ミアさん、いい匂いがします!」


 リリアが驚いたように声を上げた。


「ほんと、いい匂い」


 フェリシアが、遠慮なくミアに顔を近付けて匂いを嗅ぐ。


「悪いけど、誰かミアの髪を乾かしてやってくれないか?」


 マークの言葉で、シンシアを除く全員が魔法の風をミアに送った。

 風の魔法の第一階梯、ウィンド。女性に限らず、誰もが使える風の魔法の基本だ。

 四方からの風で、ミアの髪が乾いていく。

 すると。


「ちょっと、ミア! あなたの髪!」


 フェリシアが驚いて叫んだ。

 ほかのみんなも、驚きの表情でミアの髪を見つめている。


 まるで上等な絹糸のように、ブロンドの髪が日の光を浴びてきらきらと輝いていた。

 軽やかなその髪が、庭を抜けていくそよ風にさらさらと揺れている。


「天使みたい」


 思わずシンシアがつぶやいた。

 地上に舞い降りてきた天使。

 そんな言葉を思い浮かべてしまうほど、ミアは輝いていた。


「俺の国では、毎日お風呂に入って体も髪も洗うんだ。だから、湯船は無理だとしても、体を流すくらいのことは何とかしたかったんだよ。石鹸とかもまずまずの物ができたし、後はもうちょっと水を溜める手間を……」


「次、私!」

「だめ、私が!」

「ちょっと、年長者を立てなさいよ」

「なら先輩を立てろ」

「みんな落ち着け! とりあえず私が……」


 得意げに語るマークの目の前で、女性たちの激しい戦いが始まっていた。


「さらさら~、さらさら~」


 ミアは、ご機嫌な表情で髪をいじっている。


「えーっと、俺も使いたいんだけど……」


 マークの投じた爆弾は、以後しばらくの間、社員同士の熾烈な争いを生むことになったのだった。


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