冷たい部屋
炎ではなく、魔石の力で光を放つランプ。魔力が切れ掛けているのか、その頼りない明かりは、大して広くもない石造りの部屋の反対側にさえ届いていない。
その暗がりの中で、ミナセは膝を抱えてじっと座っていた。
クレアが消えた後、ミナセは衛兵の分署に連行されて取り調べを受けた。さすがの衛兵たちも、クレアの服を抱き締めて泣き続けるミナセを哀れに思ったらしく、その扱いは非常に丁寧だった。
ミナセがおとなしく取り調べに応じたことも、衛兵たちを安心させた。犯罪者には容赦しない衛兵たちが、留置所に毛布を用意したほどだ。
「寒い」
ミナセが、あまりきれいとは言えない毛布を手繰り寄せる。
取り調べでミナセは、クレアについて知っていることを正直に答えていた。嘘は感じないその様子に、衛兵たちの追求もそれほど厳しくはなかった。
だが、クレアについて、衛兵が納得できるようなことをミナセは答えられていない。結局ミナセは留置所に留め置かれ、そこで夜を明かした。
初めて入った留置所。
体も、そして心も冷たくなっていく。
「会社は、クビだろうな」
ふとミナセはそんなことを考えた。
慣れないことばかりで最初は大変だった。それでも、最近は仕事が楽しいと感じ始めていた。旅の目的を忘れてしまう瞬間が、たしかにあった。
もう少しここで働いてみようかな。そんな風にも思っていた。
だが、あれだけの騒ぎを起こし、捕まって留置所に入れられているミナセのことを、社員として抱えておく会社などないだろう。
そうでなくても、集金で失敗したばかりなのだ。さすがのマークも許してくれるとは思えない。
「結局、相談する必要はなかったってことかな」
寂しそうに微笑むマークの顔を、ミナセは思い出す。
「社長に聞いてみたいことが、いろいろあったんだけど」
黒い瞳と黒い髪のマーク。
食事の前に”いただきます”と言うマーク。
「私は、何にも知らないままだ」
自嘲気味にミナセは笑った。
「社長のことも、クレアのことも……」
クレアとはいったい何なのか
そんなことを、衛兵からは繰り返し聞かれた。
プリーストの魔法で消滅したクレア。アンデッドと同じ体を持ち、普通の女の子と同じ心を持つ存在。だが、そんな存在は一般的に知られていない。
クレアの正体を明らかにすることは、衛兵にとって重要なことだったのだろう。
だがミナセにとって、それはどうでもいいことだった。
クレアの最後の顔を、ミナセは見ていない。
その顔は笑っていたに違いない。
そう思いたい。
クレアの最後の言葉を、ミナセは聞き取れていない。
それは感謝の言葉だったに違いない。
そう思いたい。
でも。
あんな最後を、クレアはきっと望んではいなかった。あんな結末を、クレアは絶対に望んではいなかった。
だが、あの結末を招いたのはミナセだ。間違いなく、ミナセがあの結末に導いたのだ。
今まで出会った問題は、すべて剣で解決してきた。でも、剣の腕なんて何の役にも立たなかった。
今まで出会った問題は、すべて一人で解決してきた。でも、一人では何もできなかった。
私は思い上がっていた。自分で何とかできると思っていた。
だから、クレアに何も言わせなかった。
だけど、クレアは何かを言いたかったんじゃないだろうか?
本当は、私に何か言いたいことがあったんじゃないだろうか?
クレアとはいったい何なのか
そんなことは、ミナセにとってどうでもいいことだった。
ミナセが知りたいことは、ただ一つ。
クレアの気持ち。
消えゆくその時の、クレアの気持ち。
「クレア、私を責めてくれ」
ミナセは自分を責める。
「私に謝らせてくれ」
ミナセは詫びる。心の中で、ミナセは何度もクレアに詫びていた。
苦しみが無限に続いていく。
私はどうすればよかったのだ
深く暗い闇の中へミナセが沈み込んでいこうとした、その時。
カツ、カツ……
突然靴音がした。
「短い時間だけだからな」
「はい、分かりました」
二人の男の声がした。そのうちの一人が、やはり靴音を響かせながら離れていく。
顔を上げたミナセが、目を丸くした。ミナセの目の前で、まるで打ち合わせにでも来たかのように、普段通りの声で男が言った。
「ここ、ちょっと寒いですね」
「釈放の手続きがもう少し掛かるみたいだったので、無理を言って入れてもらいました」
鉄格子の向こうで、冷たい石の上にあぐらをかきながらマークが笑う。
身元を聞かれた時、たしかにミナセはマークの名前を出していた。
社長が釈放の手続きをしてくれたのだろうか?
ミナセは慌てて立ち上がり、マークの前まで行って正座をした。だが、ミナセはその目を見ることができない。
「申し訳ありませんでした」
そう言って、ミナセは深く頭を下げた。頭を下げ続けて、マークの言葉を待つ。
マークが、静かに言った。
「顔を上げてください」
「はい……」
目を伏せたまま、上体だけをミナセが起こす。
ミナセは待った。マークの宣告を、冷たい床を見つめたまま黙って待った。
そこに。
「いろいろ、あったんですよね」
予想していなかった言葉が聞こえてきた。
「お疲れ様でした」
そう言って、マークは穏やかに笑った。
意表を突かれて、ミナセが顔を上げる。
「あの、私は会社を……」
「クビになんかしませんよ」
即座にマークが答えた。
「でも、私は社長にも会社にも迷惑を掛けてしまいました。この間も失敗したばかりなのに……」
「ミナセさん」
弱々しいミナセの声を、マークが遮る。
「剣の世界では、一度や二度試合に負けただけで、道場を追い出されるものなんですか?」
「え?」
またもや意外な言葉に、ミナセが目を見開く。
「少なくとも、俺はそんなことはしませんよ」
真顔でマークが言った。
「会社を構成するのは、人です。うちの会社は、俺とミナセさんでできているんです。ミナセさんを失うということは、会社の半分が無くなってしまうということなんです」
黒い瞳が真っ直ぐに見つめる。
「失敗したのなら、それを糧に成長すればいい。会社に迷惑を掛けたのなら、頑張ってそれを取り返せばいい。何度でもやり直して、強くなっていければそれでいい」
黒い瞳が真っ直ぐに見つめ返す。
「それでも、どうしてもこの町で信頼を回復できないというのであれば、ほかの町に行ってやり直せばいい。俺とミナセさんがいれば、何とでもなる」
黒い瞳が語る。
黒い瞳が揺れる。
「ミナセさんと何かを天秤に掛けるなんて、俺にとってはあり得ないことなんです」
そしてマークは、にこやかに言った。
「何たって、ミナセさんはうちの自慢の社員なんですから」
気負った様子はない。力説している訳でもない。
ごく自然に、マークはそう言った。
ミナセがまた目を伏せる。
その目から、ポトリと大粒の涙が落ちた。




