第三話 無法の洗礼
――旅客機内――
「まもなく離陸いたします。
今一度シートベルトのご確認を……
それでは、快適な空の旅をお楽しみください。」
機体が動くのが知覚出来る。
その数秒後、全身に重力が掛かる。
グンと伝わる衝撃が心地良い。
魔法世界航空会社『ヒポグリフ』。
そこの魔導航空機の見た目はいたって平凡。
しかし、その速度は魔法の力で増幅されている。
普通なら数日掛かる長距離を数時間で飛ぶのだ。
それでいて内部環境は快適そのものだった。
「すご、雲のスピードが尋常じゃない。」
窓に顔を近付け、朝霧は外の風景に心を踊らす。
その隣の席からフィオナが微笑む。
「それだけ、この機が速いんだ。
とはいえ到着まで時間があるな……
少しアンブロシウスについて学んでおくか?」
朝霧は頷き、フィオナが広げたパンフレットを覗き込む。
「何度か言ったが、
アンブロシウスは原初の三都市の一つだ。」
――原初の三都市。
世界創世直後に造られた三つの都市。
当時の魔法使いたちは居場所を求めていた。
彼らは手を取り合い、自由に街を造る。
元の世界での弾圧から逃れ、身を隠し、
密かに魔術を研究していた彼らにとって
この『街造り』は最初の欲求開放の場だった。
「それまで抑圧されていた魔術を
大っぴらに行使出来るようになったからな。
燻っていた建築欲や顕示欲を発散させたのだろう。」
「なるほどねー。
それでゴエティアも海の上に建設されたってこと。」
海上都市ゴエティア。
最初に造る街としては奇をてらいすぎだ。
交通の便よりも見栄えを重視したのだろう。
「ははは! 確かにそうだな!
だが『見栄え』なら目的地はもっと凄いぞ!
何せ、街が丸ごと浮いているのだからな!」
空中都市アンブロシウス。
それは上空八千メートルの高さにそびえる
夢を具現化したような街。
朝霧はまだ見ぬ天空の都に期待を膨らませた。
――――
離陸から約三時間後。
機内では乗客たちが思い思いの時間を過ごす。
ゲームをする者もいる。寝ている者もいる。
機内モニターで映画を見ている者もいる。
平和な、休暇の始まりを過ごしている。
「よし、行くぞお前ら。」
細々とした掛け声と共に、
黒い服を着た三人の男たちが席を立つ。
二人は前方の操縦室へ、
残る一人は後方のトイレの方へと歩いていく。
「あ、ごめんフィオナ。
私ちょっとトイレ行ってくるね。」
ん、と軽く返事をしフィオナは道を開けた。
トイレへと向かう朝霧の背中を眺めていると、
その目に不審な男の姿が映った。
(…………トイレの前で、立ち止まっている?)
朝霧がその男の前を通りかかったその時、
男は彼女の体にしがみついて拘束した。
「きゃあ!」
朝霧の声に周りの乗客の視線が集まる。
フィオナも慌てて立ち上がった。
その時――
「ハイ、注もーく!」
機内前方から声が響く。
操縦室の前で二人の男が立っていた。
一人は乗客に向かい一人は操縦室へと侵入する。
それと同時に乗客たちは体に異変が起きる。
(――重い!?)
それは朝霧とフィオナも同じだった。
倦怠感に似た体の重さとそれに伴う頭痛。
これでは全力で動くことなどままならない。
それどころか、立っているのも困難だ。
「今お前らに掛けたのは俺の祝福だ!
その名も『密室制圧』! 分かるな?
要はお前らは俺の制圧下に置かれた訳だ!」
機内で突如起きた不審な男たちの行動。
「まぁつまり……ハイジャックって奴だ!」
男はそう宣言すると、
近くに座っていた青年の肩を掴み上げる。
「はい、コレと後ろの女は人質ね?」
「ひっ! ヒィィィ!! ヒィィィンッッッ!!」
「……俺らの目的はこの機内の金と荷物だ。」
「い、嫌だぁあ!! 誰かお助けぇぇえッッッ!」
「…………今機長には新しい目的地を伝えた。
そこで積荷を全部頂いていくって算段だ。」
「俺なんかしたかよぉ!?
なんでこんな目に遭わなきゃ――」
「うるせぇ! 黙れ!!」
男は青年の頭をスパンと叩く。
騒々しい青年は流石に黙り込んだ。
「ったく、どこまで話したっけ?
そうだ、別の場所に飛行機降ろして、
そこで金目の物を纏めてぶん取るんだ。」
ハイジャック犯は三人。
客室に二人。操縦室に一人。
客室の二人組は前方の操縦室前と
後方のトイレ前に人質を捕まえ陣取っている。
操縦室側の人質は青年、トイレ側の人質は朝霧だ。
男は平静を取り戻すと再び声を上げる。
「まぁそう言うこった。
お前らはそのまま黙って座ってればいい。
コイツみたいにバカしなきゃ手荒にはしない。
何、元々アンブロシウスで捨てる金だ。
俺たちに盗られようが誤差ってモンだろ?」
「なるほど?
アンブロシウス行きの便を襲ったのはそれが理由か?」
機内に女の声が響く。フィオナだ。
彼女は腕と脚を組み、余裕の表情で佇んでいた。
「フン。強気な女は嫌いじゃねぇぜ?
だが人質がいることも忘れるなよ?」
男は腕に囚えた青年を見せつける。
青年はものすごく不満そうに頬を膨らませていた。
「後ろ側にも人質の女がいるぜ。
おい、見てみろよ! 恐怖で足が震えてるぜ!」
朝霧の足はプルプルと震えていた。
膝を閉じ、内股で何かに耐えるように立っている。
「フーッ……! フーッ……!」
「可哀想に、涙目になって息まで荒らげて。
お前がカッコつけたらコイツらは死ぬぜ?
そこんとこ、よーく理解しとけよ!?」
コイツら人質運が無いな、などと考えながら
別の戦いに苦しむ朝霧のためフィオナは動く。
「フン……一つ聞くが。
お前の祝福は『制圧』と言っていたか?
随分な大口を叩くじゃないか。」
「あ?」
「これはただの動作制限と魔力制限でしかない。
それも、見たところ制限の量は一定だろう。」
フィオナは自分の腕を上下させる。
確かに動かし難いが、全く動かせない訳では無い。
即ち、完全な『制圧』では無いのだ。
「平均的な魔法使いならこれでも十分なのだろう。
……だが、パワーも魔力量も規格外の女性なら?
その女性を、誤って人質にしていたら……?」
男はハッとし後方の仲間へと視線を戻した。
瞬間、人質の女から桁違いの魔力が溢れ出る。
「もう限界ィイイ――――ッ!」
絶叫と共に、朝霧は犯人の体を押し飛ばす。
制限下であってもそのパワーは顕在だった。
男を壁に激突させ気絶させると、
そのままトイレのドアを勢いよくこじ開ける。
「――な!? まずい! それはダメだ!
俺の祝福は密室じゃなきゃダメなんだ!」
男が驚いた時には全てが手遅れだった。
体の自由が戻ったフィオナによって、
抱えていたはずの青年を奪還され、
そのまま顔面に肘を打ち込まれる。
倒れた男が起き上がろうとした時には既に、
全身を細く硬い無数の糸が拘束していた。
(客室は制圧! あとは……!)
フィオナが狭い通路を駆け抜け操縦室へと向かう。
扉の前に辿り着くと、その隙間から数本の糸を通す。
(コイツらは役割分担が出来ている。
この先にいるのは操縦室を押さえる担当の男……)
敵の祝福は判明していない。もしかすれば、
開けた瞬間機長たちに危険が及ぶ物かもしれない。
(ならば、その祝福を使う間も無く制圧する!)
糸から伝わる空気の振動で内部を探る。
座る男二人とその背後で脅す男が一人。
敵を判別し、糸が獲物の服に結び付けられた。
「――獲った。」
扉を足で押しながら、糸を力強く引き伸ばす。
ピンと張った糸が犯人の体を後方へと引き、
そのまま扉へと激突させた。
ダァンと音を立て、男は一瞬で気絶する。
扉を開け制圧を確認すると、
フィオナは乗客たちに向け安全を知らせる。
「皆さん、ご安心ください!
犯人グループは無事、制圧いたしました。」
その瞬間、機内に歓声が溢れ出した。
歓喜の声と涙を上げ、隣通しで肩を抱く。
事件は速攻で幕を閉じた。
――お手洗い――
「ギリギリ…………セーフ!」
間も無くアンブロシウス。
そこは自由を謳う、無秩序の都市。
洗礼のような災難に見舞われながらも、
朝霧たちを乗せた旅客機は無事飛行を続ける。




