第二十九話 戦の年季
ハウンドとメルメイルが落ちたのは
拡張魔術が施された屋内プールだった。
遅延の効果で落下に時間が掛かった
ハウンドとは異なり、メルメイルの体は
水面に強く打ち付けられた。
「いっ、てぇええ――!!」
「よし、遅延が解けた! 喰らいやがれ!!」
ハウンドは空中で姿勢を制御すると
拳銃の照準を暗殺者に合わせる。
「ッ!! まだッまだだ! 燃焼呪符――
『痛覚強制遮断』! 『身体過剰変異』! 『韋駄天』!」
複数枚の呪符を同時に燃やす。
メルメイルの肉体は見る見る変貌を遂げ
異形の化け物へと化した。
(チッ! 呪符が湿気ってくれてりゃ良かったが、
そう都合良く行かねぇか!!)
ハウンドは力強く引き金を引いた。
発砲と同時に水面から化け物は飛び上がる。
真正面から弾丸を受けても怯む事無く迫り来る。
「イヤハァア――――ッ!!」
「――!? バケモンが!!」
メルメイルの鋭利に変化した爪が
ハウンドの腹に突き刺さる。
苦しむ声と血を吐き出しながら、
そのまま水面に叩き付けられた。
「なはは! なははは!! やったぜアニキ!」
「……まだに、決まってンだろぉお!!」
水中から起き上がり化け物の襟を掴む。
「あぁ? 死に損ないが――!」
爪を突き立て肩を指す。
引き剥がそうと頭を掴む。
血が流れ、広大なプールの一部が赤く染まった。
しかし、ハウンドは力を振り絞り、
携帯していたナイフを抜いた。
「おぉぉぉおおお――――――!!」
赤く染まる口を大きく開き、
ナイフを化け物の胸へと突き刺した。
しかし、化け物は一切怯まない。
「効くかよぉ!! 離れろ、ジジイ!!」
「あぁ、そのつもりだ青二才。」
ナイフを刺したまま化け物を蹴り飛ばす。
元々離れようと抵抗していたメルメイルは
勢いよく後方へと倒れる。そして――
「起爆。」
ナイフが爆発した。
今までの比では無い火力が化け物を襲う。
激しい衝撃で大きな波飛沫が発生し、
ハウンドの体も押し流された。
衝撃が収まるころ、ハウンドの体は
プールサイドまで流れ着いていた。
(やべ……今一瞬、気を失ってた。
早いとこアランと合流しねぇと……)
大穴の空いた天井を見上げ、現状を確認する。
(穴から戻るのは無理、か。
しかし……プールに客が全くいないな。
既に船内全体の警戒度が上がっているのか?
騒ぎ過ぎたな……)
プールから抜けだそうと体を岸に掛けた時、
ハウンドは水面の波紋に気付く。
「……は?」
――瞬間、化け物の巨大な爪が襲う。
――売店前――
「おい、封魔局! これからどうするんだ?!」
「…………」
アランは廊下に空いた大穴を眺める。
冷や汗が頬を伝い、背中は汗ばんでいく。
(どうする? ハウンドさんの増援に行くか?
いや! 最優先はマナさんの護衛だ!)
唾を飲み、決心した表情でマナたちを見た。
「あの敵はハウンドさんに任せて、
移動しましょう。」
「だが、何処に移動する?
内側客室はさっきのやつの
報告で敵にバレているだろう。」
「えぇ、同時にこれほどの騒ぎなら
船員にも認知されているでしょう。
事情を話して匿って貰います。」
私兵の男がマナの手を引く。
「行きましょうお嬢様。荷物は、持ってますか?」
「……えぇ。」
マナは売店の袋を私物のバックに入れる。
その様子がアランにはやたら印象深く残った。
(そういえば、部屋を移動するってなった時から
ずっとこのバックを持ってきていたな。)
マナに向け注意を促す。
「大切な品であっても、命には代えられません。
いざとなったら捨てる可能性もあります。」
「……分かっています。」
「とにかくここは離れましょう!
移動しながらジャックさんにも連絡をいれます。
合流場所はそこで決めます。」
三人はその場を後にした。
――船内プール――
「フシュルルル……やっと、終わった。」
メルメイルの体からドボドボと血が垂れる。
傍には同じく血まみれのハウンドが浮いていた。
「ぐ、ぶふッ!! なはは……
流石にちょっと疲れたか?」
変異した体の穴という穴から血飛沫を噴きだし、
メルメイルはフラフラと天井を見上げる。
「けどまだ行ける! あのガキも殺れる!
見ててくれ兄貴。俺大活躍だ!」
呪符を取り出し、ライターを近づける。
しかし、すっかり濡れてしまったライターは
なかなか点火せずにいた。
「――ったく。早く、早く!
俺の獲物が逃げちまう。」
自身の体から見る見る血潮が流れ出ている事も
気がつかず、男は苛立ちながらライターを構う。
カチカチ カチカチ カチカチ
カチカチカチカチカチカチカチカチ
そんな苛立ちの最中、プカプカとライターが
漂って来たのが目に留まる。
「おおー! 丁度良いところにライターが!
なはは! これで火を起こせるぜ。」
恐らくハウンドの体から落ちたライター。
メルメイルは笑顔で手を伸ばす。
「――って罠に決まってるよなぁ!!」
「――クッ!!」
メルメイルは異形と化した腕で攻撃した。
ハウンドは瞬時に回避し、距離を置く。
その姿はとても痛々しく、左腕に至っては
全く水面から上がっていなかった。
「そりゃ、バレるか。
……けどもうこれくらいしか思いつかねぇ!」
「なはは! そりゃ無駄な抵抗ってやつだ!
俺はお前より強い!」
水中であることを意に介さず、
化け物は高速でハウンドを襲い続けた。
ハウンドも負けじとナイフで
応戦するが、圧倒的に不利であった。
「なはははは! 兄貴の言った通りだった!
封魔局は五年前の戦争で既に死んだ!
これからは俺たち闇社会の時代!!」
「ッ! くぅッ!! 勝手な事を!!」
「事実だ、おっさん!!
それに兄貴は未来の『特異点』になる男!
そして俺は≪見習い暗殺者≫から
闇社会の帝王の腹心にランクアップだ!」
化け物の腕がナイフをなぎ払い叩き折る。
その攻撃の隙を突きナイフの破片を起爆するが、
とても人とは思えない動きで回避された。
それだけでは無い。水中からの蹴りが飛ぶ。
「どぁああ!?」
「お前の爆破能力は最も警戒しているに
決まってるだろうがよ!
もう俺にはあたらねぇよ!!」
化け物が不快に笑う。
ハウンドの顔から血と汗とプールの水が流れる。
ただ虚ろな表情で水面を眺めていた。
「なんだ? やっと諦めてくれたか?」
「……おい、若造。」
口を僅かに動かし、ボソボソと呟く。
「お前、途中から祝福使って無かったな。
偉大な先人たちの作り上げた魔術と
併用する自信が無かったか?」
「なは?」
「いや違うな。使えなかった、が正しいか?
なんせ僅かなダメージですぐ解除されちまう。
異形の体そのものが起こす負荷に、
遅延の力が制限されている。」
僅かに顔を上げ、ニヤリと笑う。
「所詮お前はその程度なんだよ!
自分の祝福も満足に扱えず、
他人の魔術に縋るだけ!
何が特異点! 何が腹心!
てめぇ如きが調子に乗るな!」
「なは、なははははは!! 殺す!!」
化け物は一直線にハウンドへと向かう。
しかし、その思考はあくまで冷静だった。
(分かってるぜ! 挑発だろ?
既にヤツの左手は上がらない。
右手に持つ物体にさえ警戒すればいい!)
迫る。迫る。迫る。
ハウンドの右手を注視する。
(銃か? ナイフか? コインか?
何が来ても問題はねぇ!!)
ハウンドの腕が大きく動く。
しかし動いたのは――
(――左手!? なんだ、何を?!
……何も持ってねぇ?)
バシャリ
ただ少しの水を掛けられた。
「――おさらいだ、青二才。
俺の祝福は『空気弾』。
物体に衝撃波を生み出す爆弾を埋め込む。
いや、今は少し違うな。正しくは物質だ。
そして貯める魔力によって威力が変動する。」
「……?」
「俺は自分の祝福を鍛えた。お前と違ってな。
入隊当初は出来なかったが、
今の俺は液体も爆弾に出来る。」
「まさか!!」
メルメイルは自分の体を見る。
ビショビショに濡れた体に雫が滴る。
――瞬間、その水滴は光り輝いた。
「水雷発破!!」
メルメイルの胴体を、無数の爆破が襲う。
激しい爆音が連発し、やがて止んだ。
プールには、男が一人だけ浮かんでいた。
「見たか若造? 戦の年季が違うんだ。」




