08.いつまでたっても、俺は
シャルとレオンハルトは、裏口から王城に入った。そしてそこにあった異様な光景に、ふたりは絶句する。数えられないほどの騎士が、死体となって地面に転がっていたのだ。数えられないというのは――手首や脚などの身体の部分がいくつにも分かれてしまっており、厳密に何人が死んでいるのかが分からないのである。
「な……何だよ、これ……」
馬を下りたシャルが呆然と呟く。まさに地獄絵図。ろくな抵抗もできないままに死んでいった兵士たち。これではただの虐殺だ。
「シャル、あそこ」
レオンハルトが上空を指差す。ヴェルメがこちらに向かって飛んできていた。だがいつも力強く羽ばたくはずの翼は弱々しく、飛翔と呼ぶにはいささか頼りない様子だ。シャルが両腕を差し出すと、ヴェルメは主人の腕の中にぽとりと墜落した。
「ヴェルメ……この怪我……」
腹から翼にかけて、剣によってつけられたと思われる鋭い裂傷があった。直撃を受けていたら、命はなかっただろう。彼女は、主人が近づいてきていることを察して、力の入らない翼を必死で動かし、ここまで迎えに来たのだ。
少しばかり動きを止めていたヴェルメだったが、すぐにもう一度空へ舞いあがった。そのまま城内へ入っていく。シャルとレオンハルトは、そのあとを追って駆けだした。
ヴェルメが案内したのは、城内三階のホールだった。足を踏み入れた瞬間、そのあまりの惨状にシャルもレオンハルトも言葉を失った。死体となって倒れていたのはみな侍女だったのだ。戦いと無縁であるはずの彼女らをこんな風に殺せるなど、普通の神経ではない。
「れ……レオン、さま……!」
か細い声が聞こえた。レオンハルトがはっとしてホール内を見渡し、壁際でうずくまっている少女を発見して顔色を変えた。
「シルヴィア!」
シルヴィアとテューラが、抱き合うような形でうずくまっていた。ふたりとも泣き腫らした顔をしている。レオンハルトが彼女らのもとへ駆けつける。シャルもそのあとを追おうとして、視界の端に映った『それ』を見て、シャルが一気に血の気を失った。
「じい……さん!?」
そこに血まみれで倒れていたのは、シュテーゲルとメディオだったのだ。
出血が酷い。怪我をしてまだそれほど時間が経っていないようだ。意識はないが、呼吸はある。それを確かめたシャルはすぐさま自分の制服を引き裂き、止血を始める。その顔には、隠しきれない焦りと恐怖の色があった。
「じいさん……おい、じいさん……ッ!」
シルヴィアとテューラの無事を確かめたレオンハルトも、すぐさまメディオの止血を始めた。シュテーゲルに比べれば傷も浅い。命に別状はなさそうだ。
「何があったんです!? アシュリー殿下はどこに!?」
手当てをしながら、レオンハルトがシルヴィアに尋ねる。質問というより、詰問に近かった。こんな声音を彼が、しかもシルヴィアに投げかけるなど初めてだろう。そのキツさにびくりとしながらも、シルヴィアははっきりと自分が見たことを言葉にした。
「アジール騎士と思われる男がたったひとりで城にやってきて、警備の騎士も侍女たちもみな斬殺したのです。シュテーゲル元帥とメディオ殿を破り、お姉さまを連れ去りました。つい、さっきのことですわ」
「……!」
レオンハルトが息を呑む。シャルは無言のまま、必死で処置を続けている。だが勿論、彼も今のシルヴィアの言葉は耳に入っていた。
「……この斬撃は、間違いなくヴァンドールだ」
シャルがぽつりと呟く。シュテーゲルの傷を布で縛り終え、シャルはしばし目を閉じる。レオンハルトはそれを見やり、視線をシルヴィアに転じた。
「そのアジール騎士は、他に何か言っていた?」
「……ハールディン准将を誘い出すための餌として、お姉さまを狙ったようですわ。去り際に私に言づけていきました……『早く来い』、と」
その時、シュテーゲルの手がシャルの腕を掴んだ。シャルがはっとしてシュテーゲルの顔を覗き込む。呻きつつ、老将軍はうっすらと目を開けたのだ。
「じいさん! 良かった、気付いたか……!」
「……奴は、クライスを……知っていた」
シュテーゲルの口から洩れた言葉に、シャルは眉をひそめた。
「兄さんを……?」
「シャル、追うのはよせ……殺される……」
掠れた言葉は、こみあげてきた血の混じった咳でさらに掠れた。シャルはふっと笑みを浮かべる。いつもらしく、不敵な笑みだ。
「……ついに耄碌したのか、じいさん? 俺が行かなきゃ、アシュリーは助けらんねえんだ。ここで大人しく怪我人やってろ」
尚もシャルを引き止めようと伸ばしたシュテーゲルの腕をさらりと躱し、シャルは立ち上がった。すると、前方に赤く光るものが落ちていることに気付く。拾い上げてみて、それが以前アシュリーに贈った耳飾りであることに気付いた。
掌に包み込んでぐっとそれを握りしめたシャルは、振り返らずにシルヴィアに言った。
「お姫さん。じいさんたちを頼む」
「分かりましたわ……」
「レオン、行こうぜ」
レオンハルトは無言で頷き、シルヴィアとテューラに微笑みかけてその場から歩き去る。ホールにある台座に留まっていたヴェルメも、ゆっくりと羽ばたいてシャルの肩に移る。
正門へと向かって駆けながら、レオンハルトは呟いた。
「クライスさん絡みだったんだね、これは」
「……そんな気は、ちょっとはしてた。本当に俺と戦うためだけだったら、それこそローデルでのことがあった時から狙われていておかしくはないんだから」
シャル・ハールディンの名が諸国に知れ渡るきっかけとなった、ローデルでの事件。国王を守るため、たったひとりでテオドーラ騎士と渡り合った【英雄】。強者シャルに挑みたいだけならば、その時点でヴァンドールはシャルに目をつけていただろう。だがその時、彼の興味は兄のクライスにあったとしたら――?
クライスは強かった。シャルが足元にも及ばないほどに。【ローデルの英雄】と呼ばれるようになったシャルであるが、クライスの弟ということで「ああ、道理で」と納得する者が大半だった。おそらくあのまま生きていれば、騎士隊長はフロイデンではなかっただろう。
だが彼は死んでしまった。八年前、アジール軍の刺客によって。そしてアジールとの戦争は終わりを迎え、シャルは消息を絶った。
しかし今になって、シャルは再び表舞台に戻ってきた――。
「……あの時クライスさんを殺した刺客が、ヴァンドールだったということはないかな」
同じことを考えていたのか、レオンハルトがぽつりと呟く。シャルは城内の階段を駆け下りながらふっと笑う。
「奴はお前が射殺したじゃないか」
「僕にだって討ちもらしはあるよ。倒したと確かにあの時は思ったけど、よく考えれば死体の確認はしていない。急所を外して、逃げたかもしれないでしょ。……クライスさんを殺して目的を達した次は、シャルに目をつけたとか」
確かに、打算や陰謀があってシャルを狙っている風には見えなかった。単なる自分の実力試しで、強い者と戦うのが趣味のような人間なのだろう。ならばレオンハルトの言うことにも一理あるのだが――。
「……そいつはないな」
「どうして?」
「奴は騎士だ。騎士にとって剣は己の右腕に等しい。『自分の手で殺す』ことを目的にしているなら、矢で射殺すなんて真似はしないと思うぜ」
「……根っからの戦闘狂、かな」
ふたりは開け放たれた巨大な扉を潜り抜け、正門へと至る石造りの橋を駆ける。空は先程までの青さを失い、今のこの状況を示しているかのように灰色の雲が覆っていた。嫌な天気である。と、前方に大勢の人間がいる。半数は地面に倒れ、半数は立っていた。それを見てレオンハルトが目を見張った。
「父上!」
そう、それはアークリッジ公爵の軍だったのだ。公爵は疲れた表情で振り返り、息子とシャルの姿を見て驚いた顔になる。
「お前たち、なぜここに……」
「異変を察知して引き返して参りました。それよりも奴は、アジールの騎士はどうしましたか?」
公爵は城門を見やる。
「ここに先回りをして防ごうとしたのだがな。呆気なく破られてしまった。全滅も目に見えていたから、追いはしなかったのだが……」
「それでも十分な時間稼ぎです。有難う御座います」
レオンハルトが頭を下げる。公爵は頷き、二人を見やった。
「ふたりとも。……殿下を頼む」
灰色の空からぽつぽつと雨が降ってきた。そんな中、アークリッジ家の私兵が乗っていた馬を借り、シャルとレオンハルトは市街地を駆ける。大体の方角は公爵が見ていたので教えてもらえたが、それ以降はなんとか探し出して追いつかなければならない。
だが、ヴァンドールもアークリッジの兵から馬を奪って逃走しているそうだ。馬が市街地を駆けるのには無理がある。細い路地などは絶対に通れない。だとすれば、おのずと通る道は分かってくる。
大通りを、シャルとレオンハルトは駆け抜ける。この街の移動は馬車より船のほうが圧倒的に多いので、道を馬が、しかも軍用馬が駆けているのを見て人々は悲鳴を上げた。だがシャルもレオンハルトも馬の扱いには秀でているので、勿論人を撥ねるなんてことにはならなかった。
「シャル、あそこを!」
レオンハルトが前方を指差す。人だかりが道を埋め尽くしているのが、遠目だがシャルにも見えた。そして立ち往生している馬に乗るふたりの人間。ヴァンドールと、依然として意識を失ったままのアシュリーだ。
民衆はアジールの制服も、アシュリーの顔も知っている。アジール軍の者がアシュリーを連れているのを見て、民たちがヴァンドールの行く手を阻んだのだ。これは紛れもなく、アシュリーに対する人気の高さの表れだった。
足止めは、シャルとしてはかなり助かる。だが、ヴァンドールが非情な人間であるということは立証済みだ。民衆を手にかけることに、何の躊躇いもない。ヴァンドールが剣を抜こうと手を伸ばした瞬間に、シャルは大声で叫ぶ。
「お前らッ! 道を開けろッ!」
間髪入れず、レオンハルトが馬上から矢を放った。馬の速度は落とさずそのままの態勢で。弧を描いた矢はヴァンドールの馬の足元の地面に突き刺さり、驚いた馬が嘶く。突如暴れた馬から、人々は慌てて離れた。馬を抑え込んだヴァンドールは、間合いを取って馬を止めたシャルとレオンハルトを見て満足げに笑う。
「来たか。行動が早いな」
「追いかけっこは終わりだ……アシュリーを返せ」
レオンハルトが新たな矢を番え、ヴァンドールに狙いを定める。この距離でレオンハルトが射漏らすことは、決してない。
「お前が私に勝ったら、返してやろう」
ヴァンドールの言葉で、シャルが腰帯の剣に手を伸ばす。
「だが、ここは狭いな」
確かにここは市街の真っただ中、右にも左にも店が立ち並び、人々も怯えた様子でシャルらとヴァンドールの睨みあいを見つめている。――勿論、ヴァンドールが被害のことを気にしているわけがない。狭くて大立ち回りできない、と言っているのだろう。
何の予備動作もなく、ヴァンドールが腕を振るった。咄嗟に剣を抜いて防御の構えを取ったシャルだったが、銀色の光がシャルの左頬を掠めて飛んで行った。シャルは慌てて振り返った。
馬が嘶く。そのまま横転し、乗っていたレオンハルトも地面に投げ出された。彼の右肩には、ヴァンドールが投じた短剣が突き刺さっていた。民衆の中から悲鳴が上がる。
いつもならば避けられたであろう。だが、傷が全快していなかったレオンハルトはどうしても反応が遅れたのだ。
「レオン!」
シャルが引き返そうとして、ぴたりと止まる。
――蘇るのは、あの日。
雨が降る中、連れ去られたアシュリーを取り戻すために市街地を駆けていた。
一瞬のうちにクライスは敵の攻撃を浴び、なすすべなく命を落とした。
その鮮明な映像が、シャルの脳裏でフラッシュバックした。
身体が動かない。声が出せない。何も考えられない。
ただ額から頬にかけて、冷や汗が流れ落ちるだけ。
(また俺は、何もできずに――)
今度は目の前で、友を。
「――この、馬鹿っ! 早く行けッ!」
突如として大喝が耳に直接叩き込まれ、シャルは我に返った。見ると、地面に身体を起こしたレオンハルトが、シャルに向かって怒鳴っている。
気付けば、ヴァンドールは既に逃走を再開している。……いや、逃走ではなく誘導だ。
「だけど……!」
「掠り傷だ! 君が今最優先しなければならないことは、殿下の奪還だろう!? 見失うな、シャルッ!」
レオンハルトが怒鳴る。彼も分かっていたのだ、シャルがこの光景を見て兄の死を思い出してしまったと。だからこそ尚更、レオンハルトはシャルに前を向けさせなければならない。
シャルはしばしの逡巡を見せたが、すぐに頭を振った。そして傍にいる民衆たちに声をかける。
「悪いが、そいつの傷の手当てを頼む!」
言い終えないうちに、シャルは再び馬首を返してヴァンドールの後を追った。
街の者たちに助け起こされながら、レオンハルトはふっと溜息をついて独語する。先程までの剣幕はすっかり失われ、その白皙の美貌にも多少の疲労の色が滲んでいる。
「……毎度毎度怪我をして心配させてる僕が言っても、説得力なかったな……」
小さくなっていくシャルの後姿を、レオンハルトは見送ったのだった。
雨が、本格的に降り始めた。




