03.って俺まで行くのかよ?
フロイデン率いる騎士隊がラーディナ城塞に到着したのはずいぶんな日数がかかったように感じられるが、実際にはそれほど時間差がない。
というのも、ティグリアからの宣戦布告文書が届いた時点で、開戦は『三日後』と書かれていた。騎士隊はその日のうちに、アシュリーの演説が終わってすぐに王都を発った。そして三日後、インフェルシアの南海で両海軍が激突し、その日の夜中に騎士隊は城塞に到着したのである。
そして丁度その時、アジール軍は密かに渡河を試みていたのであった。おりしも、インフェルシア軍人が周辺住民の避難を行っていた時である。
急に慌ただしくなった城塞内の様子に気づき、フロイデンが僅かに眉をしかめる。
「何が起こっている?」
と、副官のラヴィーネが駆け寄ってきた。彼女はフロイデンの恋人であったが、勿論今はフロイデンの部下としてここにいる。
「どうやら城壁にあがったレオンが、渡河を決行している敵の姿を見つけたようです。矢を射かけて牽制に入っています」
「……成程。それはアジール側にしてみれば大いなる誤算だっただろうな」
そもそも、インフェルシアが挟撃に気付いていたこと。気付いていたとしても、まさか到着がこれほど早いとは思わなかったこと。このふたつが大きな問題だ。通常、王都から国境までは四日。それが三日目の夜に着くとは、フロイデンがどれだけ行軍を速めたかが分かる。
「よし、我々も住民の護衛にあたる。……ラヴィーネ、君は城内に残ってくれるか?」
すとんと声音を落としたフロイデンは、すっかり優しくラヴィーネに微笑んだ。ラヴィーネも肩の力を抜き、フロイデンを見上げる。
「どうして? 私だって、足手まといには……」
「それは勿論、よく分かっているよ。君には、城内に避難してきた住民たちの誘導なんかを頼みたいんだ。こういう時、女性がいることで安心する人は多いからね」
フロイデンはそう言ったが、勿論本心としては『危険に晒したくない』という思いもある。夜の戦いはただでさえ危険なのに、傍に敵がいる状態で人々を守らなければならないのだ。
「私と、私たちの後輩を信じて」
「……はい!」
ラヴィーネは頷いた。そうしてフロイデンが部隊を連れて駆けだしたのを見送っていると、部下の騎士がラヴィーネに問いかけた。
「ヘッセラング准将。王都への急使を……」
「その必要はないよ、もう急使は出発したからね。夜に飛び立たせてしまったのが、あの子には酷なことだっただろうけど」
部下は首を傾げるばかりである。当たり前だ、まさかレオンハルトが連れていた鷹がそんな重大な役目を帯びて王都へとんぼ返りしたなど、想像できようはずもない。
「ヴェルメの王都到着はおそらく明日。そこから三日。援軍の到着は五日後……か。それまで持ちこたえなきゃね」
ラヴィーネは呟く。そして、持ちこたえてみせるさ、と思い直す。
ここは五年前、シュテーゲルやフロイデンとラヴィーネ、レオンハルト、シャルらが命がけで守り抜いた城塞。アジールを撃退した場所だ。数か月出撃と籠城を繰り返した。たった五日、それができなくて国を守れるか。
★☆
ラヴィーネでなくとも援軍の到着は五日後と考えたであろう。しかしながら王都では、騎士隊がラーディナ城塞に到着するより先に援軍の編成がおこなわれていた。その日の午後になって、海軍のハルブルグから『一部敵艦がラーディナ城塞を目指して北上している』という情報がもたらされ、アジール参戦が確実なものとなったからだ。
「シャル。貴方も国境へ向かってください」
王都に残る気満々だったシャルは、その一言を投げつけられてきょとんとした。そして呆れた顔になり、その声の主に反論する。
「冗談よしてくださいよ。自分は殿下の護衛です。いついかなる時も、殿下の傍を離れるわけには……」
口調が改まったのは他の人間の目があるからだが、周りからすれば「何をいまさら取り繕っている」という状況だ。
「レオンから聞いていませんでしたか? 『有事に際しては戦地に派遣する』と。その判断は私に委ねられています」
「それはそうかもしれないが……」
「きっとシャルの力が必要になります。フロイデン中将らを助けに行ってあげてください。何よりも貴方が、それを望んでいるはずですよ」
アシュリーの言葉に、葛藤するように眉をしかめて沈黙したシャルだったが、シュテーゲルが唐突にその背中を強めに叩いた。思わずつんのめったシャルに、シュテーゲルは容赦なく告げる。
「殿下のご命令だ、さっさと支度をしないか!」
「げほっ……ったく、分かったよ。じいさん、信用しているからな」
シャルはそう言ってシュテーゲルに指を突きつけると、その場を駆け去った。『人を指差すな!』とその後ろ姿に説教をするシュテーゲルを見て、アシュリーはくすりと微笑む。シュテーゲルは王都を動かない。育ての父に、シャルはアシュリーのことを任せたのである。勿論シュテーゲルとしては、『言われなくとも』という心境であろう。
シュテーゲルは溜息を一つ吐くと、アシュリーを振り返った。
「良かったんですか、シャルを行かせることにして。殿下のことですから、あいつに辛い思いをさせないためにと王都に残すものだと思っておりましたが」
「確かに、そうも思っていましたが……シャルの落ち着きがなかったので。きっと、みんなが心配なんだろうと思って」
そのことはシュテーゲルも見抜いていた。口では何も言わずとも、焦るシャルの雰囲気は伝わってきていたのだ。
シャルがあっさりとアシュリーの傍を離れた。それはつまり、アシュリーに身の危険はないだろうと考えているということだ。アシュリーが女だと知って謀反を起こそうとする人間もいなければ、敵が乗り込んできてアシュリーに害を成そうとする者もいない。そう思っているからこそ、シャルは出撃を決めたのだろう。
しかし、それとは別にシュテーゲルには心配なことがある。
「……殿下。フォロッドをテオドーラの軍人が襲撃した際、シャルは敵を残らず斬り捨てたのでしたな?」
「? ……はい、そうでした」
「その後、貴方とふたり軍に合流するまでにも、敵を斬って?」
「はい」
シュテーゲルはもう一度溜息をつく。アシュリーが首を傾げると、老将軍は言った。
「あいつはやはり、まだ剣を握ることに躊躇いがあるようだ」
「え……?」
「フォロッドでの戦いは、躊躇いよりも怒りが勝ったためにできたことでしょう。貴方の護衛を務めていたとき、シャルの奴ははっきり思い出したのだと思いますよ。人を斬り殺す感触を」
「人を斬り殺す、感触……」
アシュリーはぽつりと呟く。そう言えばあの頃、彼は戦いを終えると真っ青な顔をしていた。だというのに、軍に合流してからは顔色一つ変えずに――。
「おそらくあれ以降シャルが殺したのは、テオドーラ軍のノブレス将軍だけでしょう。ロゼリアの街で」
ロゼリアの街を取り戻す際、領主の館で対峙したノブレス。一対一の状況はシャルにとっては何としても避けたいものであった。だがしかしそういう訳にもいかなくなり、あれはシャルの勝利で終わったのだ。
しかしそれ以外は? 部隊を率いて戦場を駆けていた時、シャルはいつも先頭で戦っていた。あの時、シャルは――。
「あいつは剣を斬る道具ではなく、殴打の道具にしがちです。そうしたほうが人を殺しにくいですからね。……そのようにして、テオドーラとの戦いも終えたはずです。先日のレオン救出の際もそうでしたでしょう?」
それどころではなく、エルファーデン公爵に雇われた刺客に襲われた時も、自警団に包囲されたときも。
シャルは、一度たりとも人を殺していなかった。
戦場では、腕や足を傷つけて戦う力を奪い、時には落馬させるにとどめる。ただ、それだけ。
「おそらく、手加減しているのは無意識なのでしょう。あいつの考えは至極まっとうで、素晴らしいものだと思います。しかし、軍人としてそれはまずい」
アシュリーは沈黙する。
「五年前の戦争が終わり、あいつが戦いを永遠に放棄するつもりだったら、私は何も言うつもりはありませんでした。しかしシャルは、半ばレオンの脅迫に近かったとはいえ、自分の意思で軍に戻ってきた。戻ったからには、腹を括ってもらわなければならんのです。でないと、自分の身はおろか、守るべき人間まで守れないかもれしない」
「……それでも。それでも私は、国境の戦いにはシャルの力が必要だと判断して、彼の出撃を指示しました。だから、信じます」
なぜシュテーゲルがこのタイミングでそんな話をしたかは、アシュリーにも理解できていた。『不安定なままのシャルでは、生きて帰れるか分からない』、つまりはそのくらいの激戦が予想されるという警告だ。何せ、何が起こるかはまだ誰にも分からない。
シュテーゲルも、そのことはシャルに伝えていただろう。シャルの兄クライスが告げたように、『自分の命を守るために戦え』と。しかし、あの頃納得したその考えも、いまのシャルには納得できない。
「シャルなら、人を殺さずとも戦いを終結させられる……そんな手立てを見つけてくれるのではないかと、期待もしています」
「……いやはや、かなりの期待を背負ってますなあ、我が息子は」
苦笑するシュテーゲルだったが、その顔はどこか満足そうでもあった。
「その手立てを見つけてしまいそうな奴だから、逆に恐ろしいもんです」
結局のところ、シュテーゲルも信じているようである。
★☆
「本当に、行ってしまわれるんですか……?」
「ああ。出撃命令が出たからな」
「どうか……どうかご無事で帰ってくださいね」
「勿論、必ず」
とある男女のそんなやり取りを物陰から聞いていたシャルは、ひくっと顔をひきつらせた。
「……おい、ありゃなんだ?」
「見ての通り、出陣する愛しい人を送り出す健気な女の図ですわ」
しれっとしてそう答えたのは、第一王女のシルヴィアである。
ここ最近ずっとシルヴィアの護衛に就いていたシャルの部下のフォルケ・セルマンティ大佐だが、シャルの出動ということで彼も当然のこと戦場へ同行することとなった。そのため、フォルケを呼びに来てみれば先程の場面である。思わず身を隠してやり取りを観察しているところに、シルヴィアがやってきたわけである。
フォルケと、王女付きの侍女テューラ。フォルケがシルヴィアの護衛に就いていたのだから、テューラとも毎日のように顔を合わせていた。――が。
「いいですわねぇ、お決まりのパターンだと分かっていても見ているこっちは心躍りますわ。ただ、障害としてはセルマンティ大佐の身分ですわね。あれでもテューラは侯爵家の娘ですし、平民とのお付き合いを家が許すかどうか。……まあ、そのあたりは大佐の腕の見せ所ですわね」
「ちょっと待て、そもそも確認したいんだが」
「はい、どうぞ?」
「なんだってあのふたりがくっついている?」
「わたくしがぐいぐいと背中を押したからですけれども?」
やっぱりあんたか! とはさすがにシャルも言わなかった。この王女様は、『こうなったら面白い』ということを本当にやってしまうから恐ろしい。
「まったく……シルヴィア殿下の護衛に就けたのに、思わぬことになってやがるな。……でも、あのドジ娘と堅物って組み合わせも悪くねえか」
「なんです、ハールディン准将もノリノリではないですか」
シルヴィアは心の底から楽しんでいるようだ。やはりこの王女には、どこかレオンハルトに通じるものがあると思わずにはいられない。だからこそ気が合ったのかもしれないが。
「まあ……あんな風に恋人同士を戦争で引き裂くのは、できるだけ見たくはありませんね」
一転して寂しそうに呟いたシルヴィアの横顔をちらりと見て、シャルはふっと笑う。
「安心しな、レオンは必ずあんたの前に連れて戻ってくる」
「……信頼していますわ。貴方こそ、どうかご無事で帰ってきてくださいませ。アシュリーお姉様のためにも」
「ああ」
シャルは頷き、くるりとフォルケとテューラに背を向けた。そしてわざとらしくフォルケに声をかける。
「フォルケー、そろそろ出るぞー」
「はっ、はい!?」
その声で、フォルケもテューラも覗かれていたことに気付いたようだ。いつも冷静なフォルケの裏返った声に笑いをこらえつつ、シャルはその場を悠々と歩み去る。フォルケは一言、二言テューラと言葉を交わし、慌ててシャルの後を追って駆けだす。
その後ろ姿を、シルヴィアは深く頭を下げて見送った。
今回の行軍は歩兵たちも参加するため、騎兵だけだったフロイデンらの時と同じように迅速な移動はできない。そのため騎士隊に所属する親衛隊、シャルが率いる五百騎が先発して城塞を目指す。遅れて援軍が到着することを伝え、士気を上げることが目的であった。
剣歩兵隊、槍歩兵隊、弓箭隊もほぼ全人員が動員される。投石隊は隊長のエルドレッド以下数名。残りはシュテーゲルが直々に率いる騎士隊とともに、王都の防衛にあたる。
鞍の上に跨ったシャルは、後方に並ぶ親衛隊の面々を見やる。そしてにっと不敵に笑った。
「じゃ、行くか」
なんとも気軽な掛け声。しかしそれでも部下たちは、気合いの声をそれぞれあげた。
シャルは馬上から、右手にそびえる王城を見上げた。そこは軍議室に面しており、窓際にアシュリーが立っている。シャルはそれを見つけ、大きく手を挙げて見せた。アシュリーは小さく微笑み、同じように手を挙げる。
「……よし!」
シャルは手綱を掴み、一気に馬腹を蹴った。そのまま、軍人の出入り用の門から外へ駆けだす。リヒター、イルフェがそれに追従し、残りの者たちもそれに従う。
夕刻、親衛隊は王都を出発した。
順調に馬を進め、夜になった。シャルが行軍を停めて野営の準備をさせはじめたとき、北の空から黒々とした影がこちらへ接近してきた。その正体は、シャルには一目で分かった。
「ヴェルメ!」
呼びかけると、ヴェルメはゆっくりと降下してきた。シャルの腕に留まり、顔を摺り寄せてくる。イルフェが緊張の色を強めた。
「ヴェルメがここに来たということは……やはり、もうアジールが」
「攻めてきたんだろうな。中将たちの到着と同時ってところか」
呟いたシャルは、続けてヴェルメに言う。
「悪いんだが、アシュリーの傍にいてやってくれるか。もしもの時は、あいつを頼む」
心得たとばかりにヴェルメは空へ舞いあがった。シャルが目を見張る。
「おいおい、もう行くのか。せめて飯くらい食って行けよ」
しかしヴェルメは『大丈夫』と翼をはためかせ、夜闇の中へ羽ばたいていった。シャルが困ったように頭を掻く。イルフェが微笑んだ。
「働き者ですね、人間たちより余程」
「ああ、ここでこうして野営しようとしている自分が阿呆みたいな気がしてくるぜ」
シャルは苦笑し、視線を地上に戻した。焚かれている炎を見つめ、ぽつりと呟く。
「できるだけ急がないとな」
「はい」
フロイデンとレオンハルトがいて、滅多なことはない。それを信じていても、やはり心配になる。シャルはひとつ息を吐き出し、その場を離れたのだった。




