08.野望を打ち砕くのは、嫌いじゃない
到着した医者と、護衛のリヒターにレオンハルトのことは任せ、シャルとアシュリーは王城へ向かった。やらなければならないこと、それはエルファーデン公爵との決着をつけること。そして、王都に乗り込んできてしまったティグリア軍を退去させることだ。
ただでティグリア軍が軍を退くとは、とても思えない。ティグリアだって、インフェルシアの土地を虎視眈々と狙っていたのだ。なんとか追い返しても、それを口実に戦端が開くことは確実だ。
「どうにか、戦争を回避する手はないでしょうか……」
アシュリーがぽつりと呟く。シャルはそんな彼女をちらりと見やり、腕を組んだ。
「……戦争は避けたいが、俺は無抵抗主義じゃないからな。やられたら、やり返すぞ」
「勿論です。黙ってやられるわけにはいかない。もし戦わなければならないなら、私はインフェルシアが優位に立てる状況を作り出したい」
確固たるその意思に、シャルは少し笑みを浮かべる。
「……国王陛下は、争い事には疎かったが国内情勢の『改善と維持』には長けた人だった」
「はい」
「お前は、そんな王の政治をすぐ傍で見てきた。王とは違って戦争のこともよく知ってる。俺は、お前が選ぶ道が最善だろうと信じるよ」
アシュリーは少し驚いたように目を見張る。
「お前が戦えと言うのなら、俺は戦う。お前の言葉に従うのが嫌だとかほざく輩には、俺が喝を入れてやる。だから、思うままにやれ」
「……有難う」
まあ、アシュリーがどうにかするまえにシルヴィアが決着をつけていたりして、と思わなくもない。イルフェはすでに報告のために登城して、レオンハルト救出を知らせているだろう。彼の消息不明は、一種の弱みであった。その弱みの元であるレオンハルトが無事だったのだから、もはやエルファーデン公爵に遠慮をする必要もない。イルフェが連行したトレーネが、色々と暴露してくれるだろう。
王城の城門前に、エルファーデン公爵の私兵がふたり門番として立っていた。堂々とこちらに向かってくるアシュリーとシャルに気付き、慌てたように手にしていた剣を向ける。と、シャルの一喝が飛んだ。
「王太子殿下の御前だ、控えろ!」
凄みのある口調とともに睨み、わざとらしく剣の柄に手を置いたシャルには、私兵たちも命を危険を感じたようだ。おそらくアシュリーを見つけ次第捕縛しろとの命令があったのだろうが、あまりの威圧感で彼らを素通りさせてしまった。
「シャルって、実はおっかない人なんですね」
「なんだよ、おっかないって。この国の最高権力者に剣を向けたんだ、不敬で首を刎ねても誰も文句を言いやしないぞ」
シャルはそう肩をすくめた。
良いか悪いか吹っ切れてしまったシャルに、宮廷の礼儀も作法も通用しない。感化されて、アシュリーも自然と堂々としていた。
あの時、城からの脱出を余儀なくされた会議室。シャルがその扉を、勢いよく押し開いた。その一瞬で、それまでどよめいていた室内に沈黙が舞い降りた。会議室の中央で向き合っているのはシルヴィアとエルファーデン公爵、そして早朝に見たティグリアの軍人たちだ。入ってきたアシュリーの姿を見て、シルヴィアや宰相、それにシュテーゲルが各々顔を綻ばせたりにやりと不敵に笑ったりする。
「外交の交渉事ですか? 私の不在中に勝手にことを進めるとは、どういう了見でしょう?」
「な、なな……!?」
エルファーデン公爵が後ずさる。ただでさえシルヴィアの登場で旗色が悪かったのに、追い出したはずのアシュリーが何食わぬ顔で戻って来てしまったのだ。しかも、自宅を破壊するという荒事つきで。
アシュリーはシルヴィアに向きなおる。
「シルヴィア。状況の説明を」
「ティグリア側から、『友好協定』なるものの締結を迫られておりますわ」
シルヴィアが、手に持っていた書類をアシュリーに差し出す。それを受け取ってさっと目を通したアシュリーは、顔をあげてティグリアの軍人を見やる。
「ここに記名してある『ウォルディス公爵』とは、一体どなたのことです?」
ティグリア側が黙ったところで、アシュリーが畳み掛けた。
「国同士の取り決めには、国家元首の記名が必要。ウォルディス公爵がどなたかは存じませんが、ティグリアの国王陛下でないことは明白。これは条約としての規定を満たしていません。さらに言えば、この条約の内容では我がインフェルシアの国益が著しく損なわれる。このような一方的な取り決めに、我が国が応じることはできません」
そう言って書類をティグリアの軍人に突き返したアシュリーは、視線をようやくエルファーデン公爵に向けた。
「エルファーデン公爵。随分と好き勝手にやってくれましたね」
いつも穏やかなアシュリーの表情が、このときばかりは冷たく鋭かった。完全に排斥したとばかり思っていたアシュリーの堂々たるさまに、エルファーデン公爵は言葉を発することができない。
「公爵」
続けて呼びかけたのは、ティグリアの軍人だ。
「ウォルディス公爵は、『王太子が自ら国権を棄て、自分が国を託されたが、反対派の武力抗争に対するための戦力が欲しい』という貴方の言葉を信じ、手を貸すことを決めたのです」
「大層な建前ですわね。王太子を陥れておいて『自ら国権を棄てた』とは、貴方の身体に王家の血が流れているとは思えぬ所業です」
シルヴィアが辛辣に吐き捨てる。エルファーデン公爵は、密かに手を結んだティグリアのウォルディス公爵とやらにも、嘘を伝えていたのだ。アシュリーが逃亡し、エルファーデン公爵にすべての国権をゆだねた、と。すべて『正統性』を主張するがゆえの建前で、次の国王になりたいと願ってやまない人間が現在の王位継承者を追放した、とはいくらなんでも外聞が悪いのだ。
そうして協力者にも偽りを告げたしっぺ返しである。
会議室の扉が開いた。入ってきたのはフロイデンである。彼はアシュリーとシャルがいることにたいして驚いた様子もなく、いたって淡々と告げた。
「エルファーデン公爵令嬢トレーネ殿が自白なさいました。すべては王位を簒奪し、国を手にせんとした父の野望であると」
「なっ!? この……裏切りおって!」
エルファーデン公爵が娘にむけて暴言を吐く。アシュリーは再び視線をティグリア軍へ向けた。
「エルファーデン公爵はインフェルシアを陥れようとした大罪人。……そんな人間に援助などすれば、ティグリアの名誉に傷がつくというものでは?」
アシュリーの視線を真っ向から受け止めていたティグリアの軍人だったが、やがて書状を畳んで懐にしまうと、アシュリーに一礼した。
「……分かりました、この場は退きましょう」
「お帰りの船を用意させましょうか?」
「いえ、港に船がありますので。停泊金は、現地の者にお渡しします」
「そうですか。しかし早朝ならともかく、国内を旅するのにティグリアの方だけでは何かと不便をかけましょう。シュテーゲル元帥、先導役の騎士を出してくれませんか」
シュテーゲルが無言で敬礼し、部屋から出て行く。勿論、先導というのは建前で、実際は『大人しく本国に帰るのか』を確かめるための監視である。
そうしてティグリア軍の者たちが去った後、アシュリーはエルファーデン公爵に告げたのだ。
「終わりです。公爵」
「ぐ……」
「民を混乱に貶め、国を掌握しようとし……アークリッジ中将を傷つけた。相応の罰を、覚悟しておいてください」
フロイデンが指示を出し、室内警備の騎士がエルファーデン公爵を取り押さえた。それを見つつ、フロイデンは苦い笑みをシャルに向けた。シャルも不敵にふっと笑う。
「短い逃亡劇だったね」
「それだけに、なかなかに刺激的でしたよ?」
シャルがアシュリーとリヒターを連れて脱出して、たった丸一日の間での出来事であった。
★☆
「お姉様っ。本当によくご無事で……! お怪我はありませんの?」
「大丈夫。有難う、シルヴィア」
貴族たちも撤収し、事情を知る数名のみが残った会議室。テューラが扉を閉めた途端にシルヴィアは感情と身分という蓋を外し、姉に抱き着いたのだ。部屋に戻ってきたシュテーゲルも、シャルを見やった。
「本当に殿下に怪我をさせていないだろうな?」
「どういう心配だよそりゃ」
「そのままに決まっとるだろうが。たった三人で敵の本拠地に乗り込みおって……もし何かあったらどうするつもりだった?」
「早まったのは悪かったと思うが、ああしたことに後悔はしてないぜ」
ちょっぴり拗ねた様子のシャルの肩を、フロイデンが叩く。
「お疲れ様、シャル。君も怪我がなくてよかったよ」
シャルは肩をすくめたが、すぐ笑みを引っ込めて腕を組んだ。
「しかしティグリアの奴ら、やけにあっさり退いたな。公爵に騙されていたとはいえ、あの条約はなんとしても取りつけたかっただろうに」
条約には、ティグリア軍が自由にインフェルシア国内に入ることの許可、機械製品の持ち込みの許可などが盛り込まれていた。どう考えても、インフェルシアを乗っ取る気満々である。
「それがあっさり退いたというわけは、まだお楽しみがあるということかな」
フロイデンは何気なく言ったが、その言葉にみな沈黙する。それを破ったのはアシュリーだ。彼女は顔を上げ、はっきりと言う。
「何が起こるにせよ、私にはまだ決着をつけなければならないことがあります」
「……自分の生い立ち、か?」
シャルの確認に近い問いに、アシュリーは頷く。先程は場の勢いで貴族たちも聞きそびれたのだろうが、アシュリーの生い立ち、真実をまだ何も語っていない。このままうやむやにはできないことだ。一度は偽者として追いやられたアシュリーである。どうにかして、皆を納得させなければならない。
「シャル。……明日の朝、人を集めてください。陸軍や海軍の軍人たち、そして民衆、貴族。できるだけ多くの人を、城の前の広場に」
「何する気だ?」
「……何も。ただ、ありのままを伝えるだけですよ」
優しい笑みに、シャルは少し目を伏せた。だがそれも束の間のことで、すぐに彼は頷いた。
「分かった、手配しておく」
「有難う」
「それと、シルヴィア殿下」
シャルがシルヴィアを振り返る。
「レオンが、殿下に会いたいと言っています」
「! レオンさまの、ご容体は……?」
「身体の方は大丈夫でしょう。だいぶ衰弱していましたが、ただの切り傷と空腹なので」
そんな程度の軽いものではないのだが、あえてシャルはおどけた調子でそう説明した。腹を刺されただの、脱水症状だのと言えば、彼女が真っ青になることは明らかだ。
「俺は今日一日アシュリー殿下の護衛につきますが、都合が良いときにお声かけ頂ければ……」
「今行きます。今すぐに!」
切迫してそう詰め寄ってきたシルヴィアに、シャルは苦笑をもらした。
「……分かりました。支度をお願いします。俺は部下に指示を出してきますので」
★☆
シャルはシルヴィアを連れ、シュテーゲル邸へ向かった。レオンハルトを担ぎ込んだ客室の扉をノックすると、リヒターが顔を出した。シャルの顔を見てほっとした彼は、次いで隣にいるシルヴィアを見てぎょっとする。無理もないだろう。あえてそれには触れずに、シャルが尋ねた。
「レオンの様子は?」
「先程医師がお帰りになられて、少し前まで起きておられたのですが、今はまた眠ってしまいました」
リヒターがそっとその場をどくと、室内のベッドにレオンハルトが横たわっているのが見えた。輸液のための点滴が組み立っており、レオンハルトは静かに眠っていた。ベッド脇に立ってレオンハルトの顔を覗き込んだシャルは、肩をすくめてその場をシルヴィアに譲る。
「廊下で待ってます。気が済むまで、顔を眺めてやってください」
シャルには一見して、レオンハルトの眠りが相当深いことを悟っていた。当分目覚めないことも分かっていたので、そういう言い方をしたのだ。
廊下に出たシャルは、同じく部屋から出たリヒターに言う。
「レオンの面倒見てもらって悪かったな。警護は俺がするから、お前は休んでくれていいぞ。部屋ならいくらでも空いてる」
「いえ、そこまで疲れてはいませんから。下にいますね」
リヒターは軽くシャルに頭を下げ、階段を降りて行った。熱心な彼のこと、玄関でも見張るのだろうか、とシャルは思いつつ、自分の部屋から椅子を持ってきた。レオンハルトのいる客室の真正面に椅子を置き、そこに座って剣を抱える。
――寝ていたつもりはないのだが、大きな物音でシャルの意識が飛び上がったため、おそらくうとうとしていたのだろう。シャルがはっとして椅子から立ち上がると、目の前の扉が開いてシルヴィアが立っていた。彼女はきらきらと輝いた目で、シャルに尋ねる。
「ハールディン准将! 厨房をお借りしてもよろしいですか?」
「へ? あ、厨房?」
いきなりのことでシャルが目を白黒させていると、シルヴィアが勝手に話を終わらせた。
「お借りしますわね!」
「ちょっ……!?」
シルヴィアは軽い足取りで階段を駆け下りて行った。追いかけようとしたシャルだったが、ふと客室を振り返る。ベッドに身体を起こしていたレオンハルトが、くすくすと笑っていたのだ。シャルは腰に手を当てる。
「なんだ、目が覚めたのか。気分はどうだ?」
「随分と良くなった。ごめんね、色々迷惑をかけて」
「気にすんな。で? 念願のお姫様に会えて、お前何を注文したんだ?」
ここに運び込んだ時と比べると格段に顔色の良くなったレオンハルトは、すっかりいつもの調子に戻って微笑む。
「いや、彼女って実は料理が得意でさ。僕も昔からよく食べさせてもらったんだけど、その手料理が食べたいなって言ったら……」
「……色々突っ込みたいところがあるが、急激に固形物を食わせるわけにはいかねえんだけど」
「その辺は彼女も心得てくれていると思うけどね」
何不自由なく暮らしてきたシルヴィアが、趣味で料理ができるとは。多分、テューラの手も必要ないくらい、生活能力は備わっているのだろう。まあ、好きな男に「手料理が食べたい」などと言われたら――。
「もう、隠さないんだな。お前」
そう聞くと、レオンハルトは頭を掻いた。
「そうだねぇ……これまでずっと隠してきたけど、つい君にぽろっと零してしまったから。あまり褒められたことではないからね、僕とシルヴィアっていう組み合わせは」
「十七歳と二十四歳だもんなあ。一歩間違えば犯罪だぜ?」
「何を言うかな。君こそ、十八と二十四じゃないか。五十歩百歩だよ」
反論されてシャルは沈黙する。
「君はいつまで、彼女に『臣下』として接するの、シャル? 彼女はもう、きっとそれ以上に……」
「うるせぇ。病人は黙って寝ろ」
ぽかりとレオンハルトの頭を殴りつけ、シャルは部屋を出た。困ったような表情で溜息をつき、シルヴィアの様子を見るために階下へ急ぐ。
『いつまで、彼女に「臣下」として接するの』
「……何言ってるんだ。俺は平民で、ただの護衛だ。レオンとシルヴィア以上に、俺にゃ許されないことさ」
ひとりそう呟き、シャルは一瞬だけ切なそうな顔をした。




