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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
3章 立ち込める暗雲
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06.組織に拘るなんざ俺らしくない

 その日は身を隠すように薬舗の中で夜を明かしたシャルたちだったが、夜明けと同時に家の中にヴェルメが飛び込んできた。眠りが浅かったシャルはすぐさまそれに気づき、飛び起きる。


「どうした、ヴェルメ!?」


 ヴェルメはばさばさと翼をはためかせる。その音や気配に気づいたアシュリーとリヒターも、慌てて寝転がっていた床から起き上がる。


 ヴェルメが再び外へ飛び出していく。それをシャルが追いかけ、少し遅れてアシュリーとリヒターも外に出た。俊足を誇るシャルは、既にヴェルメを追って道を駆けだしていた。


 空飛ぶ仲間が人間たちを連れてきたのは、王都レーヴェンの城門が見える場所だった。見えると言っても、じっくり見える場所ではない。遠方から、こっそり様子を探るような位置である。シャルはその場に立ち、城門をじっと見つめた。レオンハルト程の視力は持ち合わせていないし、まだ早朝で薄暗いこともあり、そこで何が起こっているのかを認識するのにだいぶ時間がかかってしまう。


「シャル、何が見えますか?」


 アシュリーが少し息を切らせながら尋ねる。シャルは腕を組んだ。


「……大勢の人間が、街の中に入って来てやがる。……なんか、制服っぽいのを着てるな。インフェルシアのものじゃないし、アジールでもテオドーラでもねぇ……」


 シャルは眉をしかめている。インフェルシア軍の制服はもちろん、戦い慣れた相手であるテオドーラ、アジールの軍服はすぐに分かる。だが、いまシャルの目に見えている相手の制服は見たことがない。


 アシュリーがシャルの隣に立ち、同じようにじっと相手を凝視した。確かにアシュリーも、見たことのない軍の制服だった。しかし、その軍服の胸元にあるエンブレムを、アシュリーは目ざとく見つけた。


「交わる二本の剣……あれは、ティグリアの紋章です」

「ティグリア? 南の海を越えた先の、ですか?」


 リヒターの言葉に、アシュリーは頷く。シャルは腕を組んだ。


「成程……エルファーデン公爵と握手したのは、ティグリアのお偉いさんだな」

「ティグリアが公爵のために軍を挙げるなどあり得ません! うまいことを言って、インフェルシアを掌握するつもりに決まっています……!」


 憤りをあらわにしたアシュリーに、シャルは少し笑みを見せた。


「分かってる。早く阻止しないとな」

「どうやって止めるつもりです、准将?」

「奴らをどうにかしたって、時間稼ぎにしかならん。予定通り、レオンの捜索だ。レオンと、決定的な結びつきの証拠でも見つけたら、エルファーデン公爵から実権を取り返せる」


 シャルの肩にヴェルメが留まる。その頭を指先で撫でてやりつつ、シャルは城門へ背を向けた。と、急にシャルの表情が険しくなる。


「……警戒を怠ったか」


 その言葉に、アシュリーとリヒターもはっとして身構える。だが、現れたのは想定していたエルファーデン公爵の私兵や陸軍兵ではなかった。なんと、それは市民たちだったのだ。アシュリーが困惑を隠せないらしく、不安そうに尋ねる。


「ど、どうして民衆が?」

「……レオンと一緒さ。俺らも指名手配犯で、賞金首なんだろう。民衆と言っても、奴らは一般市民じゃない。自主的な治安警備をしている自警団だ。……ま、要するに賞金首ハンターだな」

「くっ……エルファーデン公爵、つくづく無礼な……!」


 吐き捨てたのはリヒターである。自分はまだしも、確かに王族としてこれまで政治手腕を振るってきたアシュリー、そして国の宝とでも呼ぶべき英雄シャルを、賞金首とするとは。シャルは身構えつつアシュリーに言う。


「すまん、油断した」

「いえ……」

「さあて、どう切り抜けるかねぇ……」


 護衛についていながら、みすみす自分を追う者たちに捕捉されてしまったのは、シャルの責任である。なんとか彼らを傷つけずにこの場を切り抜けたいところだ。


 自警団といっても、その構成員は退役軍人が多い。老齢ではないが、怪我などの様々な事情が重なって退役せざるを得なかった者たちである。彼らは剣を捨てられず、こうして自警団を名乗る。なので、腕は確かな集団だ。


「貴様ら、武器を捨てろ!」


 自警団員がそう命じる。だがシャルは鼻で笑った。


「殿下に向かってその口の利き方はねぇんじゃないか?」


 貴方が言いますか、とリヒターが内心で突っ込んだのは言うまでもない。


「はんっ、殿下だと? 己を偽り、民衆と我らの忠誠を裏切った小娘を、そんな大層な敬称で呼ぶなど考えられんな」

「あんたらはエルファーデン公爵の言葉を信じるってか? 歴史的敵国の人間、しかも軍人を王都に秘密裏に招き入れるような輩だぜ? あんたらのくそ堅い頭でも、その危険性くらい分かるよなぁ? 公爵のやっていることは、売国に等しいんだぜ」

「ふん、アークリッジも失脚した。直系の王族も途絶えた。となれば、唯一正統な継承権を持つのはエルファーデン公爵だけだろう」


 アシュリーは紛れもなく国王の娘で、正統な後継者だ。だがそんな事情を知らない者たちは、完全な「偽者」だと思い込んでいる。ここで、彼女が王太子の双子の妹であることなど告げれば、双子の妙な迷信でさらに話がこじれるだけだ。


「こうなれば、死んだ国王さえ真に王族の者であったかすら怪しいな。そんな疑惑だらけの王室に仕えていたとは、虫唾が走る」

「……! 訂正しなさい! 国王陛下への冒涜です!」


 不安げだったアシュリーが思わず怒りの表情になった。無理もない。国王は確かに純血の王族で、アシュリーがもっとも尊敬していた父親だ。それを馬鹿にされては、娘として黙っていられない。しかし、いまの自警団員にそれは通じなかった。


「なんだぁ? 偽の父を庇うってか。麗しい親子愛だねぇ……」

「っ……!」

「なあ、どんな気分だったんだ? 王太子の振りをして命令を出すってのは。さぞ愉快なことだろうなぁ。だがな、あんたのお遊びでこっちの人生狂わされちゃ困るんでな。大人しくついてきてくれねぇか」


 リヒターが抜剣一歩手前にまで身構える。自警団員はシャルに視線を向けた。


「あんたもあんただよ、【ローデルの英雄】。それに、【遠弓のレオン】もだ。一時は陸軍の期待を一身に背負ってたあんたらふたりも、結局は追い落とされる。身の程知らずに出世欲を出したりするからそうなるんだ。勉強になったろう?」

「知ったふりを……ッ!」


 リヒターが怒鳴りかけるが、それよりも恐ろしい声が聞こえた。


「……ざけんじゃねぇぞ……」


 地の底から聞こえてくるような、低く小さな声。しかし、そこには火山のマグマのような怒りがある。リヒターの背筋が凍った。


 ぶちギレる三秒前。


 自分に向けられた心無い悪口雑言にいちいち腹を立てるほど、器量は狭くない。そう自他ともに認めるシャルだ。そんなシャルが怒りを向ける先、それはひとつしかない。



「――馬鹿にすんのも大概にしろ、この死にぞこないどもッ!」



 シャルは怒鳴ると同時に大きく一歩踏み出し、先ほどから好き放題に言っていた男の胸ぐらを掴みあげた。どよめいた自警団員が一斉に剣を抜こうとして、それより前にシャルの抜いた剣が突きつけられる。


「黙って聞いてりゃあ好き放題言いやがって……」


 その眼は、本物の殺気を湛えていた。戦場から遠ざかって久しい退役軍人からすれば、その視線は強烈すぎた。


「確かにこいつは女かもしれない! だがな、敗戦寸前で壊れかけたこの国を、ほんの数週間で建て直してくれたのは誰だ!? その中心になって指示を出してくれたのは誰だ!? アシュリーだろうがッ! 国王が戦死して絶望しても、王太子っていう希望を見出して団結できたんだろう、俺たちはよッ!」

「シャル……」


 アシュリーがぽつりとその名を呼ぶ。


「アシュリーは戦場で敵と戦った! 敵を追い払った後も、国内情勢の安定のためにその身を削って尽くしてくれた! その時あんたらはどこで何をしていたッ!? 戦場に行って国のために戦ったわけでも、街の復興のために尽くしたわけでもねぇ。ただ『元軍人』であることに執着して、自己満足しただけで終わりだっただろう!」

「う、ぐ……」

「国をまとめるのに、血筋が正しいことや男児であることが関係あるのか!? そんなことよりももっと大事なことがあるだろうが! それ全部をアシュリーひとりに背負わせやがって……てめぇも人間なら、ちっとは恥を知れ!」


 シャルはそう言って男を突き飛ばした。よろけて倒れた男を、他の自警団員が慌てて助け起こす。


 アシュリーもリヒターも唖然としていた。通常は静かに静かに怒りを燃やすタイプのシャルが、ここまで激昂するとは。レオンハルトがこの場にいるなら「珍しいもの見れたねえ」とでも笑うかもしれない。彼としては、ここまで溜めて来ていた怒りが爆発したのであった。レオンハルトの誘拐からアシュリー偽者説、エルファーデン公爵の売国行為。積み重なった怒りの蓋が、とどめの自警団員の暴言で外れた。


「き、貴様……!」


 突き飛ばされた自警団員が、力なく呟く。シャルは剣を手に提げたまま言う。


「鬱憤晴らしたいなら戦場にいきな。我慢できないなら俺が相手をする。だが、俺はあんたたちよりずっと強いぜ。加えて、今は手加減できそうにねえ。死にたいなら、止めはしないがな」


 自警団員はしばし躊躇った後、黙ってその場を逃げ出した。シャルは溜息と共に剣を納める。アシュリーがそっとその傍に歩み寄る。


「シャル……有難う御座います」

「気に食わなかっただけさ。もう少し黙っていれば、先にリヒターがキレてただろうよ」


 シャルの言葉に、リヒターが頭を掻く。確かに、リヒターも激昂寸前だったのだ。


 シャルは大きく空に向けて手を伸ばした。思い切り伸びをしてから、シャルは腕を下ろす。


「……あー、すっきりした!」


 その口から飛び出した意外な言葉に、アシュリーが瞬きをする。


「すっきり……?」

「考えてみれば、宮廷でうまくやるために小細工を弄するなんて、俺の柄じゃないわ。証拠証拠言ってたけど、もうそんなの見つける必要ねぇ」


 何かが吹っ切れてしまったようだ。シャルは良い笑顔で、アシュリーとリヒターを振り返る。


「おい、今からレオン取り戻しに行くぞ」

「え、えっと、エルファーデン公爵の屋敷ですよね? どうやって……?」

「無論、強行突破。貴族さまだかなんだか知らねえが、地位や身分に気を配るなんて馬鹿馬鹿しいぜ」


 少しは大人になり、王太子の護衛という重要な役に就き、多少は自分や相手の身分を自覚するようになったシャル。しかし彼の本質としては、『アシュリーの面目に関わる』とか『証拠がなければ突入できない』とか、そんなことを気にする性質ではないのだ。思い立ったら即行動、自分の思いに正直。良くも悪くも、それがシャル・ハールディンだ。


「宮廷なんて堅苦しい型にはまるなんて俺らしくない。俺は俺がやりたいことをする」


 そう言うシャルの横顔は、とても楽しそうで。


「……ふふ。いつものシャルですね」


 アシュリーが微笑んだ。彼女も、ここ最近のぴりぴりしたシャルが気になっていた。シャルが彼女のために怒ってくれたのも、いつもの調子を取り戻してくれたのも、嬉しいことだった。リヒターも困ったように肩をすくめた。だが、いくら慎重な彼とてシャルと同じく平民の出。思うことは同じである。


「よし、行こうぜ」

「はい」


 シャルはアシュリーとリヒターを連れ、エルファーデン公爵邸へ向かった。



★☆



 夜通しエルファーデン公爵邸の門番として立っていた男は、人の目がないのをいいことに欠伸をした。もうそろそろ交代の時間だ。まずはゆっくり寝て、それから食事を摂ろう。そんなふうに考えていた矢先、一迅の風が接近してきた。


「なっ……ぐわっ!?」


 鳩尾に酷い衝撃がきて、門番は吹き飛ばされた。一瞬でそれをやってのけたシャルは、抜き身の剣を肩に担いでアシュリーらを振り返る。


「俺が突っ込む。お前らは自分の身を守れよ」

「とは言ったものの……い、いくらなんでも三人では心許ないのでは……?」

「それに、アシュリー殿下を巻き込むのはどうかと……」


 早速不安要素を口にしたアシュリーとリヒターに、『ごもっともだ』とシャルは肩をすくめる。


「リヒターの言い分は確かにそうだ。俺は、もはや私怨で国の大貴族をぶっ潰しに行く。それにお前を加担させるのは気が引けるが、お前はどうする?」

「……私も行きます。私だって、今は『謀反人』ですから。それらしく振舞いますよ」

「はぁ……殿下までハールディン准将に感化されてきていますね……」

「そういうリヒターだって」


 アシュリーとリヒターが微笑むのを見て、シャルは屋敷を振り返る。


「三人で突っ込むことの不安はないぜ、アシュリー」

「そう、ですか?」

「俺を誰だと思ってる? ことぶっ壊す戦いで、俺は負けを知らないね」


 戦場で、敵の陣形や輸送隊を破壊することに長けるシャルだ。そしてその自信。これ以上頼もしいことはない。守る戦いでもそうだ。彼は、十四歳にして国王を守りきった【ローデルの英雄】なのだから。


 シャルは屋敷の玄関まで堂々と歩く。が、その時点で庭の巡回にあたっていた私兵に気付かれた。シャルはにやりと笑う。


「なんだよ、丁寧に玄関から上がってやろうと思ったのに」


 シャルの剣が一閃、飛び掛かってきた私兵ふたりをまとめて吹き飛ばした。しかも、これもまた刃ではなく峰を使っている。どこまでも、彼は斬撃を使わない。


「邪魔するぜ、エルファーデン公爵さんよ」


 呟いたシャルは、悠々と扉を開けたのだった。



★☆



 ――地上が騒がしいようだ。


 レオンハルトは浅い呼吸を繰り返しながら、ぼんやりとそう考える。


 水を断ち、食事を断ってすでに四日目。普通の人間なら、もう死んでいてもおかしくない。それに、人間である以上は生存本能に逆らえない。何度、目の前に置かれる食事に手を伸ばそうと思ったかは分からないが、それを強靭な意志がすべて跳ね除けてきた。


 ついに来てくれたか、シャル。あの熱レーザーの取りつけられている扉をシャルが越える前に、それを教えないと。まあ、彼のことだから、壁ごと破壊なんて簡単だろうけれど。


 目の前に人が来た気配がする。トレーネだろう。彼女は毎日のように食事を持ってくるが、すべて無言で返していた。トレーネはレオンハルトの肩を掴んだ。


「レオン様、しっかりしてください。逃げましょう、敵が……!」

「……なぜ?」

「え?」

「私にとっては……待ち望んでいた味方。……わざわざ、身を隠す意味が分かりません……」


 この状況下で、まだ思考が働く自分に、レオンハルトは呆れさえもする。思いは、掠れた声であってもしっかりと言葉になった。


「貴方は逃げればいい……父親の元でも、どこへでも……」

「レオン様!」

「――その名で、呼ぶな……」


 弱々しい声ながら、初めての命令口調にトレーネはびくっと硬直した。


「貴方のような人に、そう呼ばれるのは……すごく、嫌だ」


 誰に対しても優しかったレオンハルトの口から出た、拒絶の言葉。泣きそうな顔になったトレーネは、しかし急に平静さを取り戻した。懐に手を入れ、何かを取り出す。


「貴方が私を嫌っても……私は、貴方と共にいたい。私が死ぬのなら、貴方も。貴方が死ぬのなら、私も……」

「……? な、に……」

「貴方を手に入れるために、父の野望に協力したのだもの……貴方は、どこへも行かせない」


 意識が朦朧としているレオンハルトには、彼女の言葉が理解できなかった。そして当然のこと、視覚等も著しく反応が落ちている。


 トレーネがレオンハルトに抱き着いてきた。その瞬間、激痛がレオンハルトの腹を襲う。残っている力でトレーネを突き飛ばすと、何かが折れる音がした。


 床に倒れつつ、レオンハルトは自分の腹部を見た。そこには刃が突き刺さっていた。だがその柄は、突き飛ばされたトレーネの手の中にある。どうやら、突き飛ばした拍子に折れ、刃の先だけレオンハルトの体内に残ってしまったらしい。それでなくとも、いまのレオンハルトに刃を抜くことも、止血することもできない。


「ぐっ……ぅ」


 レオンハルトは呻いた。もうトレーネがどうしているかなど目に入らない。脱水症状に加えて、大量に失血してしまえば死は逃れられない。


(父上。アシュリー殿下。シャル)


 みなの顔が思い浮かんでしまうのは、『走馬灯』というやつだろうか。



(シルヴィア……)



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