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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
3章 立ち込める暗雲
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04.逃げるのは得意だ

 レオンハルトが行方不明になって、二日が経った。


 最初こそ「陰謀に巻き込まれた」という意見で彼を信じる者の勢いが強かったものの、このころになると「彼が王太子を襲った犯人だ」と主張する人間が増えてきた。世論は圧倒的にそちらに傾いており、なぜ指名手配をしないのかと訴える者も出た。これにはやむなくアシュリーと宰相も、レオンハルトを探し出した者に褒賞を与えるとして、レオンハルトの消息を大々的に探すように布告を出さざるを得なかった。


「探し出した者に褒賞なんて、気分が悪いです! まるで賞金首ではないですか!」


 憤慨しているのはイルフェだ。王城の親衛隊詰所の室内で、イルフェはぶつぶつと不満を口にする。それに油を注いだのはアンリである。


「実際、賞金首なのではないかね?」

「ちょっと、アンリさん!?」

「まあそう怒るでないよ。アークリッジ中将が見つかれば万々歳だ、手段など問える場合ではないだろ?」


 アンリが自慢の顎鬚を撫でつつ言う。ぱたぱたと団扇で風を自分に送るシャルも、それに同意した。


「ああ、金出すくらいで見つかるならそれでいい。命を落っことしてたら、もうどうしようもならねぇんだからな」

「でも、シャル先輩……僕は、レオンハルト先輩が犯人扱いされるのが悔しくて」

「あいつは犯人じゃない。あいつを一番よく知ってる俺たちがそれを信じないで、誰が信じる? たいして詳しくもないくせに知ったふりしてわめきたてる奴らなんぞ、気にするだけ時間の無駄だ」


 いつになくシャルの言葉は辛辣である。そこから、どれだけシャルが苛立っているかが見て取れる。


 エルファーデン公爵邸に、今すぐ押し入りたい。けれど物的証拠が何もなく、シャルは動くに動けなかった。何度カインに『お前、今からちょっと公爵の家で騒ぎを起こしてこい』と命じそうになったことか。そう、例えば火事や強盗騒ぎが起これば、騎士の特権として突入できるのに。


「……レオン」


 低い声で、シャルは呟く。思いつめた表情の上官の様子を見て、気遣わしげにイルフェとアンリが視線を交わす。


 慌ただしい足音が、部屋の外で聞こえた。段々と近づいてくる。シャルが顔を上げたと同時に親衛隊室の扉が開かれ、リヒターとカインが姿を見せた。


「准将! 大変です!」

「何がどう大変なのかを簡潔に答えろ」

「説明するより見たほうが早いです!」


 リヒターがシャルの机の上に、手に持っていた一枚の書類を置いた。シャルがそれを取り上げる。カインが腕を組んだ。


「さっき親衛隊宛てに届けられた密告文書だぜ、それ」


 密告文書と聞いて、イルフェとアンリも表情を変える。書類に書かれた文字を目で追っていたシャルが、さっと顔色を失った。イルフェが尋ねる。


「なんて、書いてあるんです?」

「……王太子アレックスは女。王太子になるために男になりすまし、民衆を欺いたんだとさ」

「え!?」


 シャルはぐしゃりと書類を握りしめた。いつの間にか来ていたのか、部屋の入り口にフォルケとヴィッツも立っていた。


「その文書、どうやら今日一日で随分とばらまかれているようですよ。シルヴィア殿下にも届いています」

「はい、俺の実家にも同じような文章が届きました」


 フォルケとヴィッツが告げる。ヴィッツの実家の商家にまでこんな文書が届くとは、本気でそれを民衆にも広めるつもりだ。


「准将、どうする……? 殿下の護衛についたほうがいいんじゃねえのか?」


 カインの言葉に、シャルは首を振った。


「それは駄目だ。俺たち親衛隊がそんなことをすれば、この文書の内容に真実味を持たせちまう」

「じゃあ、何もしないのか?」

「何もしない。嘘だとやり過ごす。相手にしなければ、自然に鎮火していくだろうよ……」


 シャル自身がそう思っていないことは、誰の目から見ても明らかだった。


「いいか、何もする必要はない。本当のところはどうなんだと誰に聞かれようが、適当にはぐらかせ」

「了解」


 皆が答えたと同時に、シャルは座っていた椅子から立ち上がった。リヒターが目を丸くする。


「准将、どちらへ?」

「疲れたから、帰るわ」

「え!?」


 まだ時刻は午後を回ったばかり、いくらなんでも仕事を上がるには早すぎる時間だ。だがそんな突っ込みをできるはずもなく、シャルは部屋を出て行ってしまった。呆気にとられるリヒターをよそに、ヴィッツが呟く。


「荒れてますね、准将」

「ああ、まるで昔の彼を見ているようだよ」


 アンリも苦い笑みを湛えて頷く。リヒターが彼らを振り返る。


「昔の准将、とは?」

「八年前に兄上を亡くしてから、シャル先輩は毎日今みたいな感じだったんだ。ぴりぴりして、会話も素っ気ないし、独断行動が目立つ。復役してからは穏やかな元の性格に戻ったけど……」


 イルフェが口ごもった先を、カインが引き継いだ。


「焦ると、またぶっきらぼうになっちまうみたいだな」

「……私からすれば、懐かしい光景だな」


 フォルケも少しだけ笑みを浮かべる。彼は元々の『穏やかな性格のシャル』を、シャルが復役してから知ったのだ。だがフォルケとリヒター以外の面々はシャルと古い付き合いだし、イルフェなど子供のころからシャルを知っている。彼の変わりようは、見ていて心苦しいところもあっただろう。



 シャルは城内から出て中庭に入った。そこでふと足を止め、後ろを振り返る。


 ――姿はないが、確かにそこに『いる』。


「レオンが容疑者なら、友人の俺も重要人物か。……もしくは、エルファーデン公爵の手先かな」


 どちらにせよ、シャルはいま監視される身だ――。



★☆



 翌日、王宮では通常通り議会が開かれた。昨日の怪文書など誰も気にしている様子はない。すべての事情を知るシャルやシュテーゲル、宰相、はたまたアシュリー本人もけろっとしているので、その様子を見た貴族や軍人たちは「やっぱり出まかせか」と安心したのである。


 今日の議題は、『逃走中』のレオンハルトについて。そして彼が率いていた弓箭隊の面々の処遇についてだ。謀反人と呼ばれるレオンハルトが率いていた部下たちだ、必然的に共犯を疑われている。そして今彼らは監視下にあって謹慎を命じられている。ほぼ軟禁状態なのだ。


 会議室にアシュリーが入ってくる。既に室内にはシャルがおり、警備として貴族たちが怪しい動きをしないかを見張っていた。勿論この場にはアークリッジ公爵、エルファーデン公爵もいるのだ。


 アシュリーが席に着こうと椅子の前に立った瞬間、逆に座っていたエルファーデン公爵が立ち上がった。シャルが眉をしかめる。


「本日、皆に伝えることがある」

「エルファーデン公爵、殿下の御前でありますぞ。勝手な真似は困ります」


 宰相がそう指摘したが、エルファーデン公爵はそれを無視した。


「昨日の文書を、みな目にしただろう。あれは真実だ。王族として私が保証する」

「! ……公爵……!」


 アシュリーが顔色を失う。公爵は会議室内にいる貴族たちに訴えかけるように言う。


「私には王家の血筋を引くひとりとして、現在の王家の間違いを正す義務がある。だからこそこうしてその歪みを公表するのだ。そこにいるのは、王太子アレックスの名を騙る偽者。しかも女だ!」


 どよめきが起こる。シャルは知れず止めてしまっていた息をゆっくり吐き出す。そしてそっとアシュリーの傍へと移動を始めた。


 会議室の扉が開き、多くの男たちが入ってきた。それはエルファーデン公爵の私兵だった。これにはさすがに驚愕した。エルファーデン公爵は自分の兵士を用いるまでに本気なのだ。その中には、何も事情を知らない陸軍軍人たちの姿もある。大金をちらつかせて買収したのだろう。


「エルファーデン、これはどういうつもりか!」


 アークリッジ公爵の大喝が響いた。常ならばこの剛毅な声に委縮するエルファーデンだが、このときばかりは恐怖より尊大さが勝った。


「言っただろう、インフェルシア王家を正しい道へと戻すのだ。……それに、いまさら何を言っている? 昨日のあの怪文書を広めたのは貴方だろう?」

「!?」

「私は知っているぞ、貴方が息子のレオンハルトと共謀し、彼を王位につけようと画策していることを! ゆえにレオンハルトは王太子を排斥しようと兵を出したのだろう?」


 エルファーデン公爵は、アークリッジ家を失脚させようと企んでいる。あの怪文書を送り、王家の秘密を暴露した不義の者はアークリッジだとするつもりなのだ。だからレオンハルトを連れ去り、彼を容疑者に仕立て上げた。そして父親のアークリッジ公爵も共犯にさせるつもりだ。


 元々、そういう筋書きで公爵の事情聴取もされていた。すべてはエルファーデン公爵の思惑通り、アークリッジは陥れられる。


 その勝ち誇った表情に、キッとアークリッジ公爵は表情を険しくした。エルファーデン公爵を睨み付け、いつにない怒声が飛ぶ。


「貴様、戯言を……息子は、レオンハルトはどこにいるッ!?」


 アークリッジ公爵も、すべての黒幕はエルファーデン公爵であると漠然と予想はしていた。ただそれについての証拠はなく、口に出しても言いがかりで片付けられてしまう。それが分かっていても、公爵は叫ばずにはいられない。彼にとってのレオンハルトは、公爵家の跡取り、陸軍の幹部という前に、大切な一人息子なのだ。あまりレオンハルトは詳しく語らないが――レオンハルトの母は彼を産んですぐ亡くなり、父である公爵は使用人たちの手を借りながら、それでもほぼ男手ひとつでレオンハルトを育ててきたそうだ。貴族の一夫多妻も珍しくないこの国で、今も再婚しようとしないアークリッジ公爵は、それだけ妻と息子を愛している証拠であろう。


「国に仇なすアークリッジ公爵と、そこの偽王太子を捕縛しろ!」


 エルファーデン公爵の私兵たちが、剣の刃をアシュリーに向ける。アシュリーも応戦の構えを取りながら、それでもゆっくりと後退した。そこへシャルが割り込み、アシュリーを庇うように立ちふさがる。


「シャル……!」

「剣は抜くなよ」


 小声でそう指示する。いくらなんでも相手は自国の人間で、紛うことなく王家に連なる人間の部下たち。流血沙汰は避けたいところであった。


「正体を知りながらその者の盾となるか。親衛隊とやらも、不義の輩だな」


 エルファーデン公爵は鼻で笑うが、シャルも不敵に笑い返した。


「何を勘違いしているのか知らんが……俺たち親衛隊は『王太子』の護衛じゃないぜ。『アシュリー・L・インフェルシア』の護衛だ。だから俺らにすりゃ、アシュリーだけが唯一の本物に決まってる」


 シャルは公爵に視線を向けたまま、そっとうしろに左手を伸ばした。その手は、アシュリーの手をしっかりと掴んだ。その動作から、シャルが強行突破するという意思が伝わってくる。


「それに客観的に見れば、王家を陥れようとしている逆賊はあんたのほうだぜ、エルファーデン公爵。俺らが不義の輩? はんっ、笑わせんな!」


 台詞と同時に、シャルは突きだされた剣を危なげなくかわした。宰相が叫ぶ。


「シャルよ! 殿下を任せるぞ!」

「ああ、任された!」


 シャルは頼もしく答え、アシュリーの手を引いて駆け出した。


 アークリッジ公爵は無駄な抵抗をしなかった。「私は無実だ」と言っても、状況を悪化させるだけである。今この一時だけは、汚名を受けてでも事態の収束のほうを優先させたのだ。公爵はシャルに言う。


「シャル……不肖の息子を、頼む」

「大丈夫だよ、アークリッジはタフだってこと、俺がよく知ってる! これしきの陰謀で負けるあんたらじゃねぇだろ!?」


 シャルはそう言い、立ちふさがる敵を片手で投げ飛ばして会議室から外に出た。シャルはアシュリーの手を離し、彼女に短く問いかける。


「アシュリー、走れるか?」

「は、はい……!」


 偽者と名指しされたことのショックなどは、いま感じている場合ではない。一時を軍人として生きたアシュリーは、感情より優先させねばならないことがあるということを知っている。今はシャルの指示に従うのが絶対だ。


 シャルが走りだし、アシュリーもそれを追いかける。と、横合いからリヒターが駆けてきた。


「准将!? これは何の騒ぎですか!?」

「リヒター、お前はついてくるな!」

「嫌です、自分は准将の副官です!」


 きっぱりと拒絶したリヒターに、シャルは一瞬気圧される。それからシャルは告げた。


「……逆賊と罵られることを我慢できるか?」

「はい、罵られようと馬鹿にされようと!」

「……よく言った、来い!」


 リヒターは嬉しそうに頷き、そして瞬時に状況を理解していた。リヒターは最後尾に回り、アシュリーの背後を守るような位置についたのだ。



 シャルらが駆け抜けたその廊下を、少し遅れてエルファーデン公爵の兵士がかけてくる。と、先頭を走る男の足元に、ひょいと別の誰かの足が差し出された。ものの見事に男は引っかかって転び、玉突き風に後続の者も倒れた。


「だ、誰だ!?」


 仲間の下敷きにされた男が喘ぎつつ怒鳴った。と、足を出して引っかけさせた本人はにっこりと笑う。


「廊下は走っちゃいけません、って、学校の先生に教わらなかった?」

「むしろ、足を引っ掛けてはいけません、のほうを言われたがな」


 満面の笑みで佇む、投石隊隊長シーリン・エルドレッド中将。渋面の剣歩兵隊隊長モース中将。幼馴染のふたりは、見事にシャルらの背後を守った。



 しかし勿論、敵は考え得るすべての道を通ってシャルを追い詰めようとしている。ある一隊は廊下を曲がった瞬間、そこにあった光景を見てみな絶句した。廊下は水浸しである。そこで雑巾をもって拭き掃除をしていたのは、なんとシュテーゲルとハルブルグ、そしてシュトライフェンだった。


「む。……なんだお前ら」


 シュテーゲルが顔を上げる。3人とも事情を知っているくせに、素知らぬ顔である。


「ここはいま掃除中だ。他の道を行け」


 ハルブルグが低い声音でそう言う。もはや脅しの口調だった。シュトライフェンも溜息をついた。


「まったく、なぜ私まで……」


 まったくである。まさかこんなところで、陸軍総帥、海軍総帥、陸軍参謀長がせっせと掃除しているなど、誰が想像できようか。――勿論、これは彼らの自作自演で、足止めの目的である。


 いくら改革に燃えるエルファーデン公爵の私兵たちでも、さすがにこの大御所たちの掃除を邪魔することはできないのだった。



 そしてまた別の一隊。前方から刃鳴りの音が聞こえてきて、「これは別部隊がシャルらを捕捉したな」と期待しつつその場へ向かった。が、そこにあったのは思いもよらぬ光景だ。


「貴方のせいだぞ!」

「阿呆、言いがかりはよせ!」


 城内にも関わらず抜き身の剣と槍で決闘をしていたのは、言わずと知れた騎士隊隊長のフロイデン、槍歩兵隊隊長のアーデルであった。何がきっかけで決闘をしているのかは不明だが、ふたりはそろって私兵に怒鳴り声を向けたのだった。


『お前ら、邪魔だッ! 引っ込んでろ!』



 それらの足止めを突破して先を進む一隊の前に、ふたりの男女がいる。片や賊と見まがうほどの大男、片や細身の女性騎士。そのふたりは、廊下の端と端に立って会話をしているのだ。


「ん? おめぇら、ここ通る気じゃねぇだろうなぁ?」


 大男、すなわちカインが凄みを利かせる。対面しているラヴィーネも、不敵に微笑む。


「まさか、エルファーデン公爵の私兵ともあろう者たちが、そんな無礼なことはしないよねぇ?」


 貴族同士が話している前を通るのは最大の無礼。それをエルファーデン公爵の私兵たちはその身に叩きこまれている。カイン・V・クロイツベルグとラヴィーネ・F・ヘッセラングは、普段の振る舞いはどうあれ確かに大貴族に名を連ねる者だ。貴族に敵を作るのは、公爵としても避けたいことである。


 貴族らしからぬふたりは、『貴族』という肩書を用いて私兵たちを撃退したのであった。



「……シャル先輩!」


 仲間たちの援護によって、追っ手を撒いたシャル、アシュリー、リヒターの前に、イルフェが現れる。シャルは足を止め、イルフェの姿を見てほっとする。


「イルフェか、そっちは大丈夫か?」

「はい、なんとか。フォルケさんはシルヴィア殿下についていますし、カインさんは追っ手の足止めに。ヴィッツさんとアンリさんが、退路を確保しています」

「そうか。……すまん、後は任せるぞ」

「はい、気を付けて」


 場違いなくらい明るい笑みを見せたイルフェが、アシュリーとリヒターに敬礼する。ふたりもそれを返しながら、みなの協力に感謝してその場を駆け去った。


 アシュリーは、こうして王城の脱出に成功した。

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