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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
3章 立ち込める暗雲
28/51

01.お前が背負うものじゃない

「シャル、シャル、殿下とのデートはどうだった? ねえねえ」

「……」

「無視しないでよ、シャルってば」

「……お前、時々ほんっとに悪質な粘着野郎になるよな?」

「あれ、昔からだけど知らなかった?」

「知ってたよ。知ってたけど、お前の名誉にかかわると思って言わなかったんだこのド阿呆!」

「ちょっ、耳元で怒鳴らないでよ」

「鼓膜に直接叩き込まねえと、お前のそのお花畑な頭は理解しないだろうがっ!」


 シャルが怒鳴り散らすのを、その傍に佇んでいるイルフェとリヒターは無言で見守ってる。イルフェは呆れたように、リヒターは茫然としているが、そろそろリヒターもこの光景に慣れてきた時期である。


「わざわざ騎士隊の訓練場まで来てするのがその話かっ!? お前はいつもいつも――!」

「はーい、訓練開始するよー。それぞれ木刀構えー」


 上官の説教を掻き消すように、イルフェが整然と整列している親衛隊配属の部下たちに指示を出す。


「だって、気になるものは気になるんだよ。殿下があんなに嬉しそうにしているのは僕も久々に見たんだ。どれほど幸せな一時を過ごしたのかと思うと、はとことして気になるわけだ」

「演劇を見て飯を食べてぶらぶら散歩しただけだっ」

「今朝、綺麗な耳飾りをしていたみたいだけど?」

「似合いそうだったから贈ったんだ! 全部分かっているくせにまだ言わせるかっ」


 シャルは訓練用の木刀を手に取ると、おもむろにレオンハルトに向けて振り下ろした。危なげなくレオンハルトはそれを避ける。


「大体なあ、俺は朝お前があいつを城門まで送り届けた後、ずっとにやにやしながら俺たちのやり取りを見物していたってことを知ってるんだぞ!?」

「え、嘘、そうだったの? 嫌だなあ、隠れていたつもりだったんだけど」

「てめぇの考えることなんざお見通しなんだよ!」

「でも、僕が見ているってことに気付いていながらも、堂々としていたんだよね? いやー、シャル、君ってやるときはやるよね」

「っざけんなあっ」


 徐々に激しくなっていくシャルの攻撃を、レオンハルトはいとも簡単に避けてしまう。次第にこの白熱した戦いに見惚れる騎士たちが増え、同じく唖然としてそれを見物してしまっていたイルフェが我に返った。


「こらこらっ、みんなは訓練に集中!」


 かつて訓練生時代に『問題児』と呼ばれ、両名とも輝かしい武勲を持つ者同士のくだらない戦いを見ていたいのだが、イルフェの声で渋々部下たちは訓練に戻った。と、そこへフォルケがやってきた。


「准将。……准将!」


 フォルケがシャルに声をかけるが、すっかり白熱しているシャルにもレオンハルトにもその声は届かない。溜息をついたフォルケはゆっくりと剣を抜き放ち、呼吸を整えて一歩大きく踏み出した。リヒターが真っ青になる。


「せ、セルマンティ大佐!?」


 リヒターらには、フォルケの行動は酔狂にしか見えなかった。英雄と呼ばれるシャルと、彼の攻撃をあっさりかわすレオンハルトの間に、あろうことか割り込んだのである。だがフォルケのタイミングは完璧だった。シャルが振り下ろした木刀はフォルケが突きだした剣に阻まれ、レオンハルトも後方に飛び退って驚いたように動きを止める。


「……ふぉ、フォルケ」

「……准将。王太子殿下がお呼びです。向かってください、今すぐに」

「お、おう、分かった……」


 シャルは慌てて木刀を下ろした。フォルケもやれやれと構えを解く。シャルとレオンハルトのおふざけを言葉で止められるのは、おそらくシュテーゲルの大喝くらいであろう。それ以外の者は力でねじ伏せなければならないのである。


「お前ら、訓練続けてろよ。イルフェに任せる」

「了解です」


 それを見てレオンハルトが、服についた埃を払う。


「さてと、それじゃ僕も訓練に戻ろうかな」

「可及的速やかにとっとと帰れ」

「そんな邪険にしないでよ。さっきの話の続きは、また後で詳しく聞かせてもらうからね」


 レオンハルトは陽気にそう言って去っていった。舌打ちしたシャルは無言で踵を返し、城内に向かって歩き出した。


「殿下が呼んでるって、俺だけか?」


 そう尋ねると、横を歩くフォルケが頷いた。彼はこの日、カインと共にアシュリーの警護に当たっていた。この時間、彼女は執務室で調べ物をしているそうだ。


「そのようです」

「ふうん……なんか個人的な話なのかね」


 シャルはぽつりと呟き、歩を速めた。それを追いかけながらフォルケは思う。


 ――この人は、五年前に比べると本当に性格が丸くなった、と。


 かつてシャルが率いていた千騎の中の主要な百騎隊長の中で、実はフォルケは一番の新入りだった。それまでフォルケは別千騎隊長の下で百騎を率いていたが、その千騎隊長が亡くなり、シャルの元へと組み込まれたのである。すぐにフォルケは古参のイルフェやカインに追いつき、いまやイルフェとともにシャルと両腕と称されるまでになっている。


 しかしフォルケが知っているのは、兄のクライスを失って、戦争を終わらせることに躍起になっていたシャルだけだった。こんな風にシャルとレオンハルトがふざけたところも、見たことがない。もし五年前にレオンハルトが同じようにからかってきたら、シャルの返答は「うるせぇ」の一言で終わりだったはずだ。


 もう二度と、この人をあんな風に追い詰めてはいけない。フォルケは改めてそう思う。鋭利で氷の刃のように冷たかった昔も頼り甲斐があって良かったが、やはりありのまま自然体で生きている、素のシャルのほうがずっと良い。


 城内にあるアシュリーの執務室の部屋の扉の前には、忠実にカインが護衛として立っていた。カインはシャルの姿を認めてにっと笑う。


「よう、准将。お嬢さん方がお待ちかねだぜ?」

「お前、『お嬢さん』とか普通に言うんじゃねえよ。しかも、アシュリーだけじゃないのか?」

「シルヴィア王女殿下と、侍女のテューラ殿がいらっしゃいます」


 フォルケの言葉に、ますますシャルは疑惑の色を強めた。なんだってシルヴィアまでここにいるのか。これは只事ではなさそうだ――。


「俺たちは扉の前を張っているから、准将は心置きなく話をしてやってくれや」


 見目や中身を総合すると、このカインこそ最も貴族らしくない。この山賊風情のどこに、地方の街の領主を務める貴族の血が流れているというのだろう。――この方がシャルとしては接しやすいが、仮にも貴族がそれでいいのかと心配もする。既にカインの実家では、カインの弟が領主を務めているそうだ。


 シャルは覚悟を決めて、執務室の扉をノックした。するとすぐに、侍女のテューラが扉を開けた。今度は前回のように、躓いて転んだりはしない。室内に一歩入って、シャルは空気の重苦しさを感じた。


 アシュリーの執務室。南向きの窓からは燦々と太陽の光が差し込み、重厚そうな樫の卓を照らしている。几帳面な彼女は仕事を溜めることなどないから、普段机の上に書類が積み重なっていることなどない。暇なときは机に向かい、壁際にぎっしりと収められた適当な本を読んで時間を潰している――そんな風に日がな一日を過ごしているはずのアシュリーだが、このとき彼女の机の上には大量の資料が散らばり、彼女本人は机の傍に不安な面持ちで佇んでいた。化粧っ気はすっかり落ち、デートのときとは別人のように凛々しい顔立ちをした男装の少女は、入ってきたシャルを見て、辛そうに顔を歪ませる。彼女の耳には、シャルが贈った耳飾りがさっそく煌めいていた。


「シャル……」


 アシュリーの傍には、シルヴィアとテューラもいた。彼女たちの手前、一応臣下の礼を取ったシャルは、静かに尋ねた。


「お呼びと伺いましたが、いかがされましたか? 顔色が優れぬ様子ですが」

「……大丈夫です。それより……」


 あれだけ綺麗だったのに、今日のアシュリーの表情は暗い。


 アシュリーは、シャルに一冊の資料冊子を差し出してきた。それを受け取ったシャルは、表題を見て絶句する。敬語も忘れ、素に戻ってしまう。


「お前っ……これ……!?」



 ――『大陸歴二二四〇年、ジュレイヴにて』。



 この単語を見るだけで、シャルには何のことかがすぐに分かる。


 八年前、敵国アジールの工作員に誘拐されそうになったアシュリーを助けるため、クライス・ハールディンが命を落とした、あの事件。


 そんな資料を、なぜアシュリーが?


「なんで、急に……」

「――昨日演劇を見ていた時、シャルは言いましたよね。『事実が交じっている』って。それがどうしても気になって……子供のころ、私が誘拐されかけたときのことを思い出したんです」


 あの時演劇は、『誘拐された姫君を助け出すためにシャルが現れる』という場面だった。その状況は、あまりに当時の情景とよく似ていた。


「シルヴィアに相談して、資料を全部ひっくり返しました。だから……っ!」

「……そうか。全部分かった、か」


 シャルはふっと肩の力を抜いた。本来は機密情報であるはずの資料を、躊躇うことなくシャルはぱらぱらとめくっていく。我慢できなくなったのか、シルヴィアが口を開いた。


「すみません、准将。貴方が、お姉さまに知られることを恐れていたことは、知っていましたのに……」

「気にすることじゃない。どうせいつかは、嫌でも知る時が来た。……俺が臆病で、自分の口で説明できないから、あんたの手を煩わせちまったみたいだな」


 殉死者の欄にクライスの名を見つけたシャルは、小さく息を吐き出して資料を戻す。そして、目の前で俯いているアシュリーの頭をそっと撫でた。


「アシュリー。……顔を上げてくれ。俺が不用心だった。嫌な思いをさせて悪かったな」

「嫌な思いなんてっ……シャルのほうが、ずっと……!」

「俺が嫌な思いしてるって?」


 問い返すと、アシュリーは顔を上げた。泣きそうに、その瞳は潤んでいる。


「だって……シャルは、フォロッドで私と会った時から、分かってたでしょう? 私が、シャルの兄君の命を奪った元凶で……!」

「何を言うんだよ。兄さんを殺したのはお前じゃない、アジールの工作員だ。しかも、その工作員はその場でレオンが討ち取ってくれた」

「でも、私がもっとしっかりしていれば!」

「無茶なことを言うな。……大体な。あれはお前の護衛に就いていながら、みすみすお前を連れ去られちまった俺とレオンの失態だったんだ。それをフォローしてくれた兄さんが死んだ。油断していた、俺らが悪い……」


 シャルの声は、どこまでも優しい。いつかアシュリーがシャルの兄の死を知ったとき、それに対する罪悪感を彼女に背負わせてはいけない。シャルは本格的にアシュリーに仕えるようになって、そう決意していた。


「そりゃあな、お前が俺のところに来て、あの時の王子殿下だと分かったときは心臓が止まるかと思ったぜ。だが、お前を見て兄さんが死んだことを思い出すのは、何も悪くないお前に失礼だ。俺も、それが分かるくらいには年を取った」

「……」

「俺はお前に賭けたんだ。俺とレオンと兄さんが三人で守った、あの小さい王子様が、きっとこの国を良い方向へ変えてくれる。それを見たい」

「シャル……」

「だから俺は……もう誰の命を犠牲にすることなく、お前を守る」


 シャルは微笑んだ。


「俺もお前も、クライス・ハールディン少将に生かされてここにいる。……だから、おあいこだ」


 沈黙しているアシュリーの肩に、そっとシルヴィアが手を置いた。


「お姉さま」

「……有難う、シャル。本当に有難う……」


 アシュリーは零れそうになる涙を手の甲で拭い、無理矢理笑みを浮かべた。


「今度……シャルのお兄さんのお墓に、花を手向けに行きたいです……」

「ああ、分かった。一緒に行こう。兄さんも喜ぶ」

「はい……」


 あれほど、兄の死の真相をアシュリーに知られたくないと思っていたはずなのに。いざこうやってばれてしまうと、心が軽くなったような気がする。シャルはそんな風に思う。そのうち、きっとレオンハルトやシュテーゲルと共に、兄の思い出話をできるくらいまで、心が軽くなる日も来るだろう――。



 その瞬間。



 けたたましい音と共に、執務室の窓が割れた。はっとしてシャルはアシュリーの腕を引っ掴んで自分のほうに引き寄せ、同時に自分が前に出て抜剣の構えを取った。


「准将! 今の音は……!?」


 カインとフォルケがすぐに室内に駆け込んできた。カインが怒鳴ったとき、室内にあるもう一枚の窓硝子も破られた。その一番傍にいたのは、侍女のテューラだ。


「危ないっ!」


 フォルケが駆け出し、テューラを床に押し倒した。散らばった硝子の破片がフォルケの腕に突き刺さった。テューラが真っ青になる。


「セルマンティ大佐っ……」

「大丈夫だ……それより、怪我はないな……?」


 フォルケはそう言いながら、ゆっくりと身体を起こす。そして無造作にその硝子の破片を腕から引き抜く。


 そうしている間にも、シャルとカインは剣を抜いてアシュリーとシルヴィアを庇うように構えていた。破られた窓から、数名の男が室内に入り込んでくる。男たちはそれぞれ抜き身の剣を持っている。明らかな敵意があった。


「王太子の執務室にノックもせずに入り込むとは、いい度胸じゃねえかお客さま方。人を訪ねるときは玄関をノックしてからって、親に教わらなかったか?」


 シャルはすっかりいつものテンションである。アシュリーが腰に佩いていた長剣に手をかけつつ、前に進み出る。


「お前は下がってろ」

「いえ。戦う力を持っていながら、守られるだけなど」


 アシュリーもすっかり冷静だ。シャルはふっと笑った。


「頼もしいこった。……フォルケ、姫さんたちを頼むぞ」




★☆




 王城への侵入者は、その頃同時に多数の地点を襲撃していた。訓練中だったイルフェとリヒターも部隊を率いて撃退に向かい、別地点にいたアンリとヴィッツも彼らに合流していた。


 レオンハルトも同じように、弓箭隊を率いて出動していた。しかし彼は、部隊は副隊長のブラントに任せ、単身で城内を駆けていた。彼はまだ襲撃者とやらと遭遇していない。


 ――もし彼がもっと早く襲撃者の姿を見ていれば、何かが変わっていたかもしれない。


 T字の通路を直進しようとして、レオンハルトは足を止めた。分岐の先の廊下に、ひとりの少女が倒れている。レオンハルトは慌てて駆け寄った。


「……! トレーネ嬢!」


 それはレオンハルトのもうひとりのはとこ、エルファーデン公爵家の息女トレーネだった。関わりたくない人物であるが、それでも倒れている少女を見捨てられるほどレオンハルトも薄情ではなかった。


 トレーネを抱き起すと、目を閉じていたトレーネはふっと目を開けた。


「レオンハルト様……」

「どこか、怪我でもされましたか?」

「いいえ……」


 レオンハルトがほっとしてトレーネを下ろす。すると、トレーネがにっこりと微笑んだ。――ぞくりとするほど綺麗で、感情のこもっていない笑みだった。


 彼女に気を取られ、背後に人が立ったことにレオンハルトは気付かなかった。はっと我に返って振り向こうとした瞬間、レオンハルトの口と鼻が何か布で覆われた。


「っ……!?」


 振りほどいて声をあげようとしたが、意外にも襲撃者の力が強い。不意を突かれたこともあって、レオンハルトに圧倒的不利だった。


 甘い臭いがする。それに気づいたときには、レオンハルトの意識は闇に落ちていた。


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