13.昔話なんて、柄じゃないんだけど
軍議も済んで天幕から出たレオンハルトは、少し離れた場所に置いてある木箱に腰かけているシャルを見つけた。歩み寄って声をかけようとすると、背後から肩を掴まれる。振り返ると、フロイデンだった。
「悪いけど、少しシャルを譲ってくれないかな。実をいうとまだじっくりあいつと話していなくてね」
「ああ、どうぞ」
だいぶ順番待ちが溜まっていそうだ。フロイデンの次はシュテーゲル、アーデルと続くのだろうか。そんなことを思ったレオンハルトは、フロイデンに会釈してその場を立ち去った。
シャルと対話する権利を手に入れたフロイデンは、シャルの元へ歩み寄った。
「シャル。君の案が通ったよ」
そう声をかけると、シャルは顔を上げて不敵に微笑む。
「あの軍師さん、さぞ気に入らないって顔をしたんでしょうね?」
「……嫌な思いをさせたね」
「いや、別に。堅物そうに見えましたからね、あの軍師。当然の反応だと思いますよ。自分でも、何をしゃしゃっているんだかと呆れるくらいだし」
立ち上がったシャルと肩を並べて歩きつつ、フロイデンは告げる。
「テオドーラ騎士の一隊に擬態するのは、シャルの千騎に任せる」
「――いいんですか、そんなに俺を重用して? 俺は一時的に軍に協力しているだけで、復役したわけでもないんですよ」
「言いだしっぺだろ。責任取れ」
「……はいはい」
この人の強引な要求を、シャルは一度として断れた試しがなかった。まあ、もうひとりの兄のような存在で、幼いころから知っている『近所の兄ちゃん』的存在だから、フロイデンも遠慮しないのだ。
昔――そう、昔。兄のクライスと、その友人であるフロイデンと、そしてシュテーゲルと。親友のレオンハルトと。そんな五人で過ごした時間が、楽しかった――。
「……シャル。君、幾つになった?」
この微妙な沈黙が、フロイデンの思考をも過去に連れて行ってしまったようだ。シャルは短く答える。
「二十四」
「そうか……もう、そんなに。シャルとクライスに出会ってから、十五年も経ったんだね」
確かにそうだ。兄が陸軍の訓練生になった直後に、フロイデンとクライスは仲良くなった。だから、レオンハルトよりもフロイデンのほうが付き合いが長い。
シャルはふっと笑った。
「――なんですか。いまこんな状況で、昔話をしようとでも?」
「んや、別に。私も年を取ったなあって思っただけ。シャルとは丁度十歳違いだし」
「はあ」
この少し間の抜けた回答が、果たして素なのか演技なのか。シャルには残念ながら判別不能である。
シャルは小さく頭を振り、話題を戻した。しんみりした話は、何より苦手だ。
「まあ、この戦いが終わるまでは最善を尽くすつもりですよ。だから、安心して任せといてください」
「それは心配していないけどね。それより、戦いが終わったらどうする?」
「どうするって、フォロッドに戻ってこれまで通り薬師として……」
「残念だけど、そうはさせてあげられないかもしれない」
「……どして?」
思わず本気で問いかける。フロイデンはにっこりと笑う。別に意地が悪そうな笑みでもない。どちらかといえば、少し寂しそうな――。
「のこのこ戻ってきた君を、手放すとでも? 私とレオンハルトくんとシュテーゲル元帥が、そんなことさせないよ」
「理不尽。世の中って理不尽だらけだ」
「そうなんだよ、今更気づいた?」
「再確認ですよ」
「それはともかく……」
それはともかく、の一言で流されてしまった。やっぱこの人偉大だな、とシャルは感心する。この空気の読めなささ。せっかくシャルがしんみりしないように軌道修正したのに、どうしてもしんみりさせたい感じか。根が真面目だからな、この人は。
「やっぱり、私としてはね。友人の弟に世捨てみたいな生活はしてほしくないんだよ」
「世捨てって、別に俺は世を捨てているわけじゃ」
「じゃなくても、世間一般からすればそう見える」
シャルはしばし沈黙した。そして大きく息を吐き出し、呟く。
「俺はもう……国を守るためとか、大切な人を守るためとか、そんな風に思いながら戦うことはできないんです。殺人はやっぱり殺人でしかない。人を斬り殺すのが中将の言う『世間』なら、俺は世捨てでいい」
「シャル」
「貧しくても、小さな街で人々の健康のために尽くすことのほうが、俺には有意義に思えます」
それは現実逃避なのかもしれない。一度剣を手にし、人殺しの罪を負ったからには、その罪から一生背を背けてはいけないはずだ。だがシャルはそれに向き合う勇気がなかった。どうしても、無理だ。
「『自由に』というのが、クライスの最期の言葉……だったな」
「……そうですね」
「君が選んだ生活を壊す権利は、私にはないね。詮無いことを言った、忘れてくれ」
「いえ……」
「それでも、私は君が留まってくれることを願っている。軍に残らなくてもいい、せめて王都のあの家で暮らしてほしい。私が言いたかったのは、それだけだ」
フロイデンはそう言うと、足を止めた。シャルもフロイデンの少し後ろで立ち止まる。
「明日には進軍を開始する。準備は怠りなくな」
シャルの肩をぽんと叩き、フロイデンはその場を去った。
溜息をついたシャルは、くるりと背後を振り返った。そこにある天幕の陰に向かい、シャルは声を投げかける。
「……で? いつまでついてくる気だ?」
「う……」
その声でおずおずと姿を見せたのは、アレックスである。シャルは右手を腰に当てた。
「まったく、立ち聞きたぁ良い趣味だな」
「す、すみません! でも、その……」
「気になるなら直接俺に聞けばいいだろ」
そう言うと、アレックスはシャルの前に進み出て、シャルを見上げた。
「……聞いてもいいんですか?」
「言ったろ、俺は過去の自分を否定はしないんだ」
アレックスは少し笑みを浮かべた。このシャルのさっぱりした性格は、アレックスにとって好ましいものであるのだ。
「じゃ、じゃあその……シャルはどうやって老将軍とお知り合いに?」
「へ?」
シャルは瞬きをした。そして怪訝そうに尋ね返す。
「そっち?」
「え、そっちって?」
「いや、覚悟していたのと違う質問だったから、驚いただけだ」
アレックスが質問してくるとすれば、ローデルでの事件のことか、なぜシャルが退団するに至ったのか、どちらかだろうと思っていたのだ。まさかシュテーゲルと出会った時のことを聞かれるとは。
――気を遣ってくれたのかもしれないな。シャルはそう思う。どの出来事もシャルにとっては辛いもので、いくら隠すつもりはないと言っても、やはり兄の死を改めて語るのは少し躊躇う。それに、それを話すと、アレックスは自分を助けるためにシャルの兄が死んだことを知ることになってしまう。今の状況でそれは避けたいところだった。
「俺とじいさんの出会いね……まず、俺は王都レーヴェンの下町出身だ。両親はどっちも薬師で、十歳歳の離れた兄さんと、四人で暮らしていた」
両親は腕のいい薬師で、優しく献身的な人たちだった。下町の貧しい者たちを助けながら、慎ましく暮らしていた。兄のクライスは両親から薬の調合を教わる傍ら、剣技に打ち込んでいた。といっても彼に軍入りする意思はなく、ただ趣味の一環として、近所に住む友人たちと剣の稽古をしていた程度である。勿論面倒見も良く、幼いシャルの子守りはいつも、忙しい両親に代わってクライスが見てくれた。シャルが『お兄ちゃんっ子』になり、クライスの後を追っかけまわすようになったのは言うまでもない。
「俺が八歳のころ……だから、十六年前だな。その頃はテオドーラと戦争していて、今と同じようにエレアドールが戦場だった。戦場の周辺の街は人手不足で、怪我人や病人で溢れかえっていた。そこで、王都で民間の救護団が組まれたんだよ。腕のいい医者たちが集まって、怪我人を助けようって。俺の両親もそれに参加して、俺と兄さんも無理を言って同行させてもらった」
当初はクライスとシャルの救護団同行を、両親は反対したものだ。だが息子たちにしてみればたったふたりで王都に残されるなどとんでもないことで、この危険な情勢下、一時たりとも離れ離れにはなりたくなかったのだ。十八歳だったクライスも既に薬師として両親の補佐をしていたし、正直人手はあればあるだけありがたい。それだけ戦況は緊迫していたので、ふたりは同行を許可されたのだ。
「が、戦場まであと少しってところで、戦場漁りの盗賊どもに襲われた。元々庶民の組織で騎士の護衛なんてなくて、傭兵とは名ばかりの連中を数人雇っていただけだった。呆気なく、みんな殺されたよ」
「シャルのご両親も……?」
「ああ。生き残ったのは俺と兄さんだけだ。それも、戦場付近を哨戒していた部隊が駆け付けてくれたおかげで助かった」
「それが、シュテーゲル元帥?」
「あのころはまだ騎士隊長で、中将だったけどな」
シャルは腕を組み、感慨深げに呟いた。
★☆
騎士隊長たる者後方にあって指示を出すべし、という輩がいるが、残念ながらシュテーゲルはそういう性格ではなかった。自分でなんでもやりたくなってしまうのだ。だから戦闘と戦闘の合間に、部下を百人ほど引き連れて自ら巡回にあたったのである。
「……シュテーゲル中将! 盗賊どもが民間人を襲撃しています!」
突如として部下がそう報告し、シュテーゲルは急いでその場へ向かった。街道の中央に広がっていたのは、無残な光景だった。横転した馬車、その周囲に倒れ伏す大勢の人々。そのいずれもが既に息をしていないことは明らかだった。そして血濡れた剣を持つ盗賊たち。それを見たシュテーゲルは激怒した。今インフェルシアは敵の侵略を受けかけている。そんな時に、なぜ自国の民を襲い略奪を働くのか。シュテーゲルには理解できなかったのだ。
盗賊にしては腕の立つ集団だったが、それでも精鋭百騎には敵わなかった。あっさりと討伐し、すぐ息のある者を探した。だがやはり全員事切れており、シュテーゲルの怒りは急激に収束し、救えなかったというやるせなさが全身を支配した。
するとそこで、馬車を調べていた騎士が声を上げた。
「子供がふたり、馬車の下敷きになっています!」
「なにっ……急いで救助しろ!」
シュテーゲルの指示で、数人の騎士が横転した馬車を持ち上げ、馬車の下敷きになっていたふたりを引っ張り出した。二十歳一歩手前と思わしき青年が、幼い少年を抱きしめて庇うように倒れている。呼吸の有無を確かめていた騎士が表情を輝かせる。
「ふたりとも生きております!」
青年は複数個所骨折し、出血も多かったが、応急手当で十分間に合う。少年はその青年に庇われていたおかげで、すり傷や打撲程度しか負傷していなかった。気を失っているのは、強い衝撃をその身に受けたからだろう。
シュテーゲルが青年をそっと抱き起すと、青年は意識がないまま咳き込んだ。咳と共に少量の血が吐き出される。肋骨が内臓を傷つけているのだろう。
「しっかりしろ、坊主!」
何度かそう呼びかけると、青年の口が小さく開いた。そこから掠れた声が漏れる。
「……ャル……シャルっ」
その叫びと同時に、青年が目を開けた。自分を抱き起すシュテーゲルの顔を見て、縋り付くように尋ねる。
「シャル、は……っ……弟、は……?」
「大丈夫だ、お前の弟は無事だ」
安心させるように声をかけると、青年はほっとしたのかまた意識を失ってしまった。
シュテーゲルに保護されたクライスとシャルは、死んだ両親の他に身寄りがなく、戦いが終わった後もシュテーゲルの庇護下に置かれることとなった。ふたりはシュテーゲルの家で傷を癒し、やがて『何か恩返しをしたい』と考えたクライスは陸軍に入った。そして彼はフロイデンと出会い、家族ぐるみの付き合いをするようになった。
そして弟のシャルも、兄の凛々しい姿に憧れて、軍に入ることを決意したのである――。
★☆
「……というようなことがあったわけでございます、王太子殿下」
そんな風に話は締めくくられたが、締めくくったのはシャルではない。アレックスは唖然とし、シャルは表情をひきつらせながら、言葉の主を見やっている。
そのシャルが脅すように低い声を出す。
「……勝手に湧いて出たと思ったら、これまた好き勝手にべらべら喋りやがって」
「ふん、自分に都合の悪い部分を省きたがるお前に代わり、殿下に客観的事実をお話し申し上げただけだ」
「俺がいつ何を省こうとしたよ!?」
「クライスに庇われて気を失っていたとか、そんなことをお前が素直に話したとはとても思えんなあ。お前には妙な自尊心があるようだし」
噛みつくシャルに、からからと笑ったのは当のシュテーゲル元帥であった。シャルが話を区切った瞬間にどこからともなく現れたシュテーゲルは、そのまま養子の話を奪い取ったのである。
「シュテーゲル元帥は、シャルの剣の師で、育ての親でもあるということなんですね」
アレックスもやっと納得した。だからシャルには、軍幹部に人脈があるのだ。この年まで独身を貫いているシュテーゲルである。彼がどれだけクライスとシャルを大事にしてきたかは、アレックスにもよく分かる。
「いえいえ、こやつらが勝手にでかくなりおっただけですよ。では、私はこれで」
シュテーゲルはそう言ってアレックスに頭を下げ、齢六十を過ぎている人間とは思えないほど軽い足取りでその場を去った。シャルが舌打ちする。
「気まぐれじじいめ……」
「仲が良いんですね」
にっこりと笑ったアレックスに、シャルは沈黙した。そして頭を掻き、視線をそらす。
「……真面目な話、俺は両親をあまり覚えていないが、死に際だけははっきり覚えている。目の前で見ちまったからな。それでも俺がまともにやってこられたのは、兄さんやじいさん、レオンがいてくれたからだと思ってる。兄さんが死んだとき、息子に先立たれてしまったって泣いているじいさんの背中も、俺はよく覚えている」
それはシュテーゲルにとって、どれだけの苦痛だったのだろう。父親として、騎士として、傷心するシャルをなだめる傍らで、シュテーゲルもまた痛みを背負っていたのだ。
「それでも、俺はさ。死んじまった奴らの願いっていうのは、まだ生きている奴らが少しでも長く生きていてくれることなんじゃないかって思うわけよ」
「……死んだ人の願い……」
「お前、母親は?」
問いかけられたアレックスは顔を上げる。
「二年前、病で亡くなりました」
「そうか……アレックス、お前は長生きしろよ。お前のことを慈しんでくれた両親のためにも。きっと、そう願っているはずだ」
忌まれる双子として生まれ、存在を隠さねばならなかった娘でも。国王と王妃は、惜しまぬ愛を彼女に注いできたのだから。
シャルの言葉に、アレックスは神妙に頷いた。




