10.俺のやり方、覚えてるな?
イルフェに案内されて入ったひとつの天幕の中には、九人の騎士がいた。その殆どがシャルより年上だが、姿を見せたシャルを見てみな一様に目を輝かせた。
「おお、本当にハールディン大佐!」
「お久しぶりです」
「待ってましたよ!」
なんとも陽気な声だ。シャルが肩をすくめる。
「なんだ、勢ぞろいかよ」
この場にいる九名、そしてイルフェを入れて十名。彼らはかつてシャルの千騎部隊の下で百騎隊長を務めていた中佐たちである。あのころと変わらず、誰ひとり欠けていない。シャルはある男性を目に留めて眉をしかめた。
「おい、フォルケ。お前確か、俺が退役したとき大佐に昇格して、千騎隊長になっていたよな?」
「はい、今も階級は大佐です」
フォルケと呼ばれた騎士は二十代後半、陽気な面々の中では比較的落ち着いていた。シャルも彼のことは完全に信頼しているし、だからこそ彼は昇進して大佐になったはずなのだ。
「それでなんでここにいるんだ?」
「ハールディン大佐がお戻りになると聞いて、是非また幕僚に加えていただきたく願い出たところ、あっさりフロイデン中将に許可されました」
「阿呆か、お前は。どこに自分から中佐に降格を願い出る奴がいるかよ」
「いま、大佐の目の前に」
あくまで淡々と返され、さすがのシャルも言葉に詰まる。すると大柄な四十代の騎士が笑った。もはやその姿は「親父」でしかないが、引き締まった身体から繰り出されるその重い斬撃は、シャルでさえ手が痺れるほどである。陣形を突き崩すシャルの遊撃隊の攻撃の起点は、すべてこの男が率いる百騎にあった。名をカイン・V・クロイツベルグという。名前から分かる通り由緒正しき地方領主一族出身の男だが、これほど「貴族」という肩書が似合わない相手をシャルは他に知らない。
「俺たちに何言ったって無駄だぜ、大佐! 俺たちにとっちゃ、あんたに命預けるのが一番しっくりくるんだ」
うんうん、と他の百騎隊長たちも頷く。シャルは盛大に溜息をついた。
「お前らがいてやりやすいのは結構だけど、折角手に入れた武勲を手放してまですることじゃねえだろ。ヴィッツ! お前は出世して金を溜めて、幼馴染に求婚するんだっつってたな?」
名指しされたヴィッツ青年は、かあっと頬を赤くした。
「た、大佐……そんな大声で」
「周知の事実だよ。で、どうなったんだよ」
「大佐が退役してから、俺も千騎隊長に昇進して」
「お前もかよ、ったく。それで?」
「ゆ、指輪を買って、彼女に差し出したら……」
「突き返されました、と」
そう口を挟んだのは、見事な顎髭を蓄えた知識人的な見目の男である。もっともこの髭は、童顔を嫌ってのことなのだが。
シャルが気の毒そうな顔をする。
「そうか……そいつはご愁傷様だな、ヴィッツ」
「ひぇっ!? ち、違います! 何を言っているんですかフリュードルさん!」
「はっはっは」
茶目っ気のあるアンリ・フリュードルは、顎鬚を伸ばしつつ笑う。ヴィッツは咳払いをする。
「嘘ですっ、ちゃんと受け取ってくれましたっ! もう、フリュードルさんが茶化すから締まらなかったじゃないですか!」
「あー、はいはい。……良かったな、ヴィッツ。おめでと」
ヴィッツを祝福するシャルの声はとても素直なものだった。拍子抜けしたヴィッツが、「あ、有難う御座います……」と声を尻すぼみに小さくしていく。
イルフェ・ハインリッヒ。
フォルケ・セルマンティ。
カイン・V・クロイツベルグ。
ヴィッツ・シャステル。
アンリ・フリュードル。
これが主だったシャルの部下たちだ。シャルが心からの信頼をおく、今も変わらず最高と認める仲間たち。シャルが不敵で不遜でいられる理由が、彼らが存在することにある。
口で何と言っても、シャルは彼らが自分を選んでくれたことに感謝しているし、とても嬉しいのだ。彼らを突っぱねるなど、そんな罰当たりは出来ない。
「……俺のやり方、覚えているな?」
確認のために問いかけると、十人の騎士はそれぞれ笑みを浮かべた。シャルは指示を出す。
「イルフェ、ヴィッツ。俺が今から言うものを集めて来てくれ」
「はい!」
イルフェとヴィッツはシャルの指示を受けて天幕から駆け出していく。次にシャルはフォルケに目を向けた。
「フォルケ。お前はフロイデン中将から行動許可をもらってこい」
「了解しました」
「残りは人員確認! 今日中には行動を始めるぞ、急げ!」
残りの百騎隊長たちが移動を始めたなかで、シャルはカインを呼び止める。
「悪いがカイン、剣の稽古に付き合ってくれるか」
「そりゃ構わないが、いつになく燃えてるな、大佐」
「身体が鈍っているからな。千人の命を預かる以上、半端な戦いはしたくねえ」
カインはにやりと笑った。
「そいじゃ、外に出るかい?」
「ああ、よろしくな」
「こちらこそ。大佐との手合せは久々だから、腕が鳴るね」
「言っておくが、本番のために膂力は残しておけよ?」
「分かってるって」
シャル率いる遊撃隊の出撃準備は、着々と進められていった。
★☆
翌朝、ファルサアイル湿原は濃い霧に包まれていた。なんとも薄気味悪いが、霧も晴れぬ中でインフェルシア軍は戦闘態勢を整える。陸軍総司令官たるシュテーゲル元帥のもとに次々と戦闘態勢完了の報がもたらされるが、この戦いの要たるシャルの姿は一向に見えない。元帥の傍に佇むアレックスはいささか不安になり、シュテーゲルにそっと囁いた。
「元帥。シャルは一体どうしたのですか?」
「シャルなら、とっくに指定位置に待機しております」
シュテーゲルはにんまりと満足そうに笑う。アレックスは首を傾げた。
「とっくって……?」
「深夜のうちに、ですよ」
「深夜……!」
アレックスは大きく目を見開いた。シャルはそんなに早くから準備をしていたのか。一度やる気を見せたシャルの行動は本当に迅速だ。その行動力の高さがシャルの強さである。
「少ない日数とはいえ、殿下もあのシャルと行動を共にしてきたのです。奴が考えることは、お分かりになりますかな?」
まるで教師のような口調で、シュテーゲルはアレックスに尋ねる。アレックスは顔を上げた。
「――シャルがいるのは、敵後方ですね」
「その通り」
軍隊がもっとも混乱するのは、「いるはずのない方向から敵が現れた」ときだ。シャルはそれをよく知っている。
剣の達人と呼ばれるシャルであるが、実をいうと彼は戦場で敵将を斬り落としたり、敵一個中隊を壊滅させたりといった、華々しい活躍はあまりしていないのだ。彼が行うのは裏方の工作。敵を欺くための偽の証拠をでっちあげたり、罠を施したり、伏兵として敵を攻撃したり。それらの「見えない活躍」が軍内部で高く評価されている。
シャルは同時刻、アレックスの読み通りテオドーラ陣営の後方に控えていた。夜の間に大きく迂回しつつここまで肉薄したのである。馬に轡を噛ませ、蹄を布で覆い、完璧に気配と音を殺すという徹底ぶりである。
いまシャルに付き従っているのは、イルフェが率いる百騎のみであった。そして忘れてはならないのが、シャルの肩に留まっている鷹のヴェルメである。残りの部下はさらに離れたところで待機している。
シャルの目と鼻の先にあるのは、敵輸送隊の荷である。そこには全軍の糧食もあれば、武器弾薬も揃っている。補給物資なくして戦いは成り立たない。そのことを身に染みて知っているシャルは、冷酷ながらもそれを奪うつもりであった。
イルフェに目配せすると、小柄な青年騎士は弓を構えた。それを合図に、約半数の騎士が同じ態勢をとる。本当はレオンハルトの弓箭隊から何人か狙撃手を借りたかったのだが、この際仕方ない。
シャルが手を上げると、イルフェは鏃に取り付けた発火物に摩擦を与え、一瞬で火を灯した。そして素早く矢を放つ。火矢であった。この霧の中の炎は目立つので、これには迅速さが要求される。イルフェに一瞬遅れる形で、部下の騎士たちも一斉に火矢を放った。輸送隊の荷に突き立った火矢は次々と燃え広がる。当番にあたっていたテオドーラ騎士たちが驚いて消火に当たるが、矢継ぎ早に放たれる火矢が消火活動を上回り、輸送隊の荷は炎に包まれてしまった。
「よし、いまだ」
シャルの号令で、弓を射ていなかった半数の騎士たちが剣を抜き突撃した。シャルは肩に留まっていたヴェルメを空中に放つ。ヴェルメはあっという間に空の彼方に見えなくなった。それを見届け、シャルも剣を抜き放つ。
「ふん、自分らが考えたことと同じことを敵がするとは、思わなかったのかね。なんてザル警備だよ」
そう悪態をつきつつ、シャルは部下たちと共に敵を攪乱した。混乱から抜け出せないテオドーラ騎士たちは指揮系統もぼろぼろで、呆気なく倒れていく。
「敵襲! 敵襲!」
テオドーラ陣営でその声が上がった。それを聞いた瞬間にシャルは馬首を翻し、部下に怒鳴る。
「退却っ!」
その一言でイルフェが部隊をまとめ、さっとその場を離脱した。少人数の利点は、この速さにある。やすやすとテオドーラ軍から糧食類を消し去ったシャルは、濃霧に紛れて行方をくらましたのだった。
★☆
レオンハルトは視線を空に向けていた。戦場においてかつては発煙筒が主な連絡手段であったが、この五年間でシャルとレオンハルトには共通の友人ができていた。これならば敵に悟られることもなく、状況が分かるというものだ。
いったいシャルとレオンハルト以外の誰が、空中を旋回する鷹が「戦闘開始の合図」だと分かるであろう。
ともかくもレオンハルトは、北の空から飛んできたヴェルメの姿を認め、声を張り上げた。
「弓箭隊、前へ! 構え――っ」
優美なこの男が放つ大喝。その声に応じ、弓箭隊の軍人たちが前方に展開し、弓を構えた。一呼吸置き、レオンハルト自らも弓を構えながら号令を発する。
「――射よ!」
数万本の矢が、一斉にテオドーラ軍に向けて放たれた。この世で最も痛い死の雨である。濃い霧が視界を悪くしているが、レオンハルトは部下たちを更に煽る。
「敵は前方に密集している! 射れば当たるぞ、続けろ――っ」
弓箭隊が矢を射続ける中、騎馬の一隊が躍り出た。フロイデン中将が率いる、主戦力の騎士隊だ。フロイデンは剣を抜き放ち、それを掲げる。
「全兵、突撃!」
号令一下、騎士たちが颯爽と馬を駆った。大地を揺るがすほどの馬蹄が響き、霧の中へ消えていく。そしてさらにそのあとを、槍歩兵隊、剣歩兵隊が続いた。
太陽が昇り、霧がようやく晴れてきた。そこで初めて、全体の戦況が見える。
――シャルの行動で先手を取り、敵を混乱に貶めたため、インフェルシア軍の圧倒的優位だった。インフェルシア側の投石も開始され、流れは完璧に味方が握っていた。
「……すごい」
アレックスが呆然と呟く。シュテーゲルはふっと笑う。
「こればかりは、シャルのお手柄ですな。【ローデルの英雄】が参戦したことで、全軍の士気が一気に高まった。剣術や用兵の腕が鈍っていなかったようで、結構結構」
「……【ローデルの英雄】。シャルは、そう呼ばれることがすごく嫌いみたいですね」
思わずそう呟いたアレックスに、シュテーゲルは目を閉じて頷いた。
「シャルが得た名声は、すべて上官の命を引き替えにしたものだと本人は思っていますからな。しかし上官にしてみれば、年若い部下を真っ先に逃がすというのは当然のことなのです」
「でもシャルは、自分が許せないんでしょう?」
「昔から、責任感と自嘲癖がやたら強い子ですからね」
そう語るシュテーゲルの横顔は、孫を心配するような面差しだった。いったいこのふたりはどういう関係なのだろう。シャルはシュテーゲルのことを剣の師だと呼んでいたが、ただそれだけでないということはアレックスにも分かる。だがそれを聞くことは出来ず、シュテーゲルは話を続けた。
「十年前というのは、テオドーラ、アジール両国との戦争が激化していたころです。その時代が、英雄を必要としたのですよ。凄まじい剣技を使う若い騎士が国王の命を守った、という輝かしい武勲と、『英雄』の呼称。この国には英雄がいる、だから負けはないのだと……インフェルシア軍はシャルの存在で奮い立ち、テオドーラを破り、アジールを破ったのです。その意味で、シャルも政治的軍事的な道具に使われてしまった」
政治的軍事的な道具。そう、シャルも私と同じ――。
「だからクライスが死んで、戦争が終わったときにはあいつを解放してやったのです。しかし時代はまた英雄を求めている。たった五年程度では、あいつが背負った荷は下りてくれないようだ」
シュテーゲルは息を吐き出し、アレックスに向きなおった。
「さあ殿下、目を離さずに。怒涛の反撃が始まりますぞ」
アレックスは頷き、戦場を見据える。これがきっと、インフェルシア史上最高の軍隊と戦略なのだ。願わくは、ひとりでも多くの味方が帰還できますように。アレックスはそれを強く祈った。




