09.王族の事情なんて、知ったことじゃない
レオンハルトは床に弓を置いた。そしてシャルを真っ向から見据え、口を開く。
「……よく、気がついたね? いや、鋭い君のこと、すぐ分かっただろうね」
「……ほぼ確信していたとはいえ、そうあっさり認められちまうとさすがに戸惑うな」
シャルは息を吐き出した。
アレックスが旅の途中「持病の貧血」だとか下手な言い訳をしていたあの症状は、明らかに女性特有の生理痛であった。しかも、あそこまで体調が悪くなるのだから体質的にその痛みがかなり酷いのだろう。あれほどの痛みに毎月襲われながらも、それを必死に抑えていたわけだ。
シャルが気付いたのは、単にフォロッドの住民の中にも生理痛の鎮痛薬を買いに来る女性がいるからだ。職業柄、そういうことにシャルは詳しい。
「君の言うとおり、アレックス殿下は女性だ。しかし殿下は性別を偽り、王太子の座にいる」
レオンハルトはそう明言した。シャルは疑うような目つきで友人を見る。
「それは、王族が軒並み女だからか? ……いや、それなら国王に男の子供ができるまで立太子しなければいいだけのことか。けどアレックスは、だいぶ昔から王太子の肩書を得ていたよな?」
「そう、事情は少し複雑だ。……聞きたい?」
「是非とも」
「普通の人はここで遠慮するんだよ?」
「生憎、俺には遠慮する理由がねえからな」
微笑んだレオンハルトは、すぐに真面目な顔に戻る。
「いいかい、これは僕が、君に全幅の信頼をおいているから話すことだ。他言は無用だよ」
「勿論、そのくらい心得てる」
「まず最初にはっきり言っておくけれど、国王陛下の第一子は紛れもなくアレックスという名だ。ただし、性別は男。その王子殿下は、生まれて間もなく王太子に封ぜられた。ここまでは間違いないことだ」
ますます混乱させるようなことを告げたレオンハルトに、シャルは持ち前の直感を冴えわたらせた。
「……その『アレックス』と、俺が知る『アレックス』は兄弟ってことか?」
「惜しい。双子なんだ。しかも、一卵性」
「そんなことがあり得るのか!?」
シャルが驚愕するのも無理はない。おそらく、アレックスと出会ってから一番の驚きである。
一卵性の異性の双子とは、シャルは聞いたことがなかった。二卵性ならともかく、一卵性双生児は男と男、もしくは女と女が一般的で、男女で生まれることなどないはずなのだ。
「ごく稀に、男女で一卵性の双子ということがあるんだよ。殿下は、その稀なケースだ」
「……へえ、そいつはまた」
シャルはなんとかその一言だけ絞り出した。そしてそのあとは、余計な詮索をせずレオンハルトの話に聞き入る。
「君も知っての通り、双子は忌まれる。高貴な身分になればなるほど、双子というのは後継問題に直結するからね。そうでなくとも、ふたり同時に生まれるというのを奇妙に思う人はまだ多い。しかも、殿下の場合は男女の双子。それが王族ともなれば、かなり大きな問題になる」
男女の双子は、前世で心中した者の生まれ変わり。男女差別が根強く残るこのインフェルシアでは、そんな迷信のようなことも、まだ残っている。
「そこで、兄であるアレックス殿下を王太子にし、双子の妹姫は離宮で育てることにしたんだ。勿論、殿下が双子であることは公表しなかった」
「……貴族の双子ともなれば、片方は殺しでもするのかと思ったが」
「陛下は、どちらの御子も愛されていた。それは、僕がよく知っている」
レオンハルトはそう呟く。ならば、アレックスがシャルに言ったように「レオンハルトとは昔から親しかった」というのも真実だろう。彼は、離宮で育てられていた妹姫の良きもう一人の兄だった。
「だけど、両殿下が六歳のころ、兄のアレックス殿下は事故で亡くなってしまった」
「本当に事故か」
「ああ、本当に。……王太子が亡くなってしまったけれど、国王陛下の他の御子はみな女子だった。王家にとっては直系を残すことが何より重要なことだから、例えば僕の父や叔父であるとか、僕自身であるとか、そういう分家の人間さえ王位につけることはできるだけ避けたい。……そこで、双子の妹姫が『アレックス』として、表に出ることになったんだ」
つまりアレックスは、『身代わり』。妹姫は、髪の毛さえ短くしてしまえば兄と瓜二つだったそうだ。
彼女は、十年以上も兄を装って、王太子という仮面に素顔を隠して生活をしてきたのか――。
「……残酷なことを、しやがる」
シャルは不快気に呟く。レオンハルトも頷いた。
「惨い仕打ちだとは僕も思う。陛下だってそう思っていた。それでも……王族なんて、そんなものなんだよ、シャル」
諭すように、レオンハルトは言った。シャルもそれは分かっている。
いったいどちらが、彼女にとって幸せなことだったのだろう。誰にも知られることなく、しかし平穏な離宮で一生を終えるのか。波乱に満ちた宮廷で、王太子として暮らすのか。
――どちらにせよ、殆どの人間は本当の彼女を知らないのだ。
女だとばれた瞬間、アレックスは存在意義を失ってしまう。だからばれないように、気を遣い続け――ああやってシャルが触れるだけで拒絶反応を見せるような繊細な性格になってしまったのだろう。
アレックスはこのことに納得しているようだ。それは諦めと紙一重の納得に違いない。
「……あいつは、妹たちが羨ましいと言ったんだ。自由気ままに女として生きたかったって」
「殿下がそんなことを……?」
シャルは頷き、視線を上げた。
「こうなっちまった以上、あいつは王になるしかないんだろうな」
「それは、そうだね……」
「それでも俺は、あいつが女として生きられる世界に、なってほしいと思う」
レオンハルトは意外そうに友人を見つめた。この友が、ここまでアレックスの味方に回るとは思わなかったのだ。しかし考えてみれば、シャルがそう感じるのも無理はないことだ。シャルは不条理を何よりも嫌う。姫として生まれながら、別の生き方を強制させられたアレックスを、心から不憫に感じている。そしてそれを強制した者たちに憤りを感じている。
「……インフェルシア史上初の、女王の誕生かな?」
そう言うと、シャルはふっと笑みを浮かべる。
「不可能じゃねえだろ」
「ああ……君が言うと、急に現実味を帯びてくるような気がする」
レオンハルトも頷いた。きっとこの先アレックスの力になれるのは、忠実なレオンハルトでもなく、実力のあるシュテーゲルでもなく、この飾らない自然体のままのシャルなのだろう。アレックスを頼むと言えば、シャルならきっとアレックスを見捨てはしない。
頼むのは簡単だ。だがそれは同時に、シャルにまた辛い思いをさせることでもある――。
「――シャル。君にこんなことを言うのは不謹慎だと思うが……君が再び剣を手にして戻って来てくれたことが、僕はすごく嬉しいよ」
「なんでお前が嬉しいんだよ」
「シャル・ハールディンという相棒なくしては、やっぱり僕の弓は活かされないんだ」
「よく言うぜ、ちゃっかり中将にまでなったくせに。どうやったら五年間で三階級も昇進できるんだ、なんか汚い手でも使ったんじゃないの?」
「そっちこそ酷いこと言うね、君より余程正道を歩んでいる自信があるんだけど。やっぱり実力だよねぇ」
真面目な話が一転してしまい、あっという間に二人の雰囲気は和む。
すると、先程シャルが天幕に入ってきたときと同じように垂れ布が揺れた。そして現れたのは、騎士隊隊長副官、ラヴィーネ・F・ヘッセラング准将だった。驚いて振り返ったシャルとレオンハルトを見て、彼女は微笑む。
「シャル、見っけ」
「な、なんだよラヴィーネ? 人の天幕に勝手に入ってくるなよ」
「それ僕の台詞だよ、シャル」
穏やかにレオンハルトが突っ込む。ラヴィーネは遠慮なくシャルの腕を掴む。
「細かいこと言うんじゃないよ。ほらシャル、仕事だよ」
「仕事?」
「部隊を確認に行くんだ」
「は? 部隊? 誰の?」
「あんたのに決まってんだろ、すっとぼけるんじゃないよ」
ラヴィーネはシャルの頭をはたく。「いでっ」とシャルが呻く。
「あんたは気楽な一騎士じゃないんだよ。アレックス殿下は、あんたを退役前と同じ大佐待遇で迎えると仰せになられた。で、フロイデン中将も同じくシャルに千騎を預けると決めたんだ」
「へえ、そりゃ有難いこったな」
シャルは投げやりに呟く。アレックスなら、そうするであろう。
結局シャルは、レオンハルトにも促されてしまい仕方なく天幕から出た。ラヴィーネが腕を組んでシャルを見やる。
「にしても、本当に久しぶりね、シャル。元気そうで安心したよ」
「そっちもお変わりなく」
ラヴィーネは、シャルとレオンハルトが陸軍訓練生だったころの先輩だ。彼女から武芸について教わったことも多く、特にシャルにとっては騎士隊に配属になってからも世話になってきた。今でこそレオンハルトのほうがラヴィーネより地位は上だが、昔と変わらずレオンハルトは彼女に敬意を払って後輩として接するし、ラヴィーネのほうは元々さばさばした性格で地位に拘らないため、レオンハルトをこきつかうこともしばしばだ。
騎士隊長のフロイデン中将とラヴィーネは、シュテーゲル元帥とクライスを除けば、シャルとレオンハルトの最大の理解者だった。問題児と呼ばれるふたりがここまでうまいこと出世できたのは、ひとえに寛容な上司の支援によるものだった。レオンハルト単独はこれ以上ないほど優秀な軍人であるし、シャルはシャルで奇妙な可愛げがあるので愛されやすいタイプなのだ。
「あーっ、シャル先輩――っ!」
どこからか、この殺伐とした戦場に似つかわしくない元気な声が聞こえた。ぎくり、とシャルが身を硬直させる。ラヴィーネがシャルを見やる。
「呼ばれているよ?」
「空耳だ」
「そんなこと言うと、可愛い部下が泣くよ」
天幕と天幕の間を縫うように走ってきたのは、少年かと思うほど小柄な陸軍騎士隊の軍人だった。シャルの姿を認め、一目散に駆け寄ってくる。
「シャル先輩っ、本当に先輩ですねっ。こうしてまたお会いできるなんて……!」
目を輝かせてシャルを見上げるその姿は、少年というよりもはや子犬のようで。
シャルはおもむろに、その騎士の頭に手を置く。シャルの胸あたりまでしか、彼の身長はなかった。そして一言。
「――相変わらず小せぇなあ、イルフェ」
「……ち、小さいのは分かってます! わざわざ言わないでください! 僕はまだこれから伸びるんですもん」
「いやいや、もう成長期は望めない年齢だろうが」
途端にむきになった騎士の頭を、シャルは笑いながらさらに叩く。「縮んじゃいますー」と頭を抱えるイルフェを見て、ラヴィーネが肩をすくめる。
「昔あんたの旗下にいた人員をできる限り引き抜いた。イルフェを補佐において、好きにやりな」
「はいよ」
「……えらく素直じゃないの。もう少し露骨に嫌な顔をするかと思っていたのに」
シャルはひらひらとラヴィーネに手を振る。
「できれば御免被りたいが、そうできないのは分かってる。今更やるべきことから逃げはしねぇよ」
「――よろしく頼むよ、シャル。この軍の命運はあんたにかかっているんだ」
「そりゃまた大袈裟な」
ラヴィーネはふっと笑い、踵を返した。イルフェがシャルの手を掴む。
「先輩、みんな今か今かと先輩のことを待っているんです! さ、行きましょう!」
「分かったから引っ張るなって」
子供に引きずられる保護者の図。シャルは内心でそう思ったが、実をいうとこのイルフェという騎士はシャルより三歳年下なだけで、今年二十一歳のはずだった。イルフェとの関係は、言うなればシャルとラヴィーネのような関係である。訓練生時代の先輩後輩で、その後イルフェもシャルの千騎部隊に配属されて一番傍で戦ってくれた。平時、シャルの代理で千騎を預かるくらいはそつなくやってのける、なかなか有能な男である。能力は申し分ないのだが、このシャルにべったりなところが玉に瑕だったりする。シャルが退役するとき、その心の傷を知っていたから引き留められはしなかったものの、イルフェの寂しそうな顔は今でも脳裏に焼き付いている。
天幕の間を縫って移動すると、ふと横手に見知った姿があった。シャルはイルフェの腕を引いて立ち止まらせる。
「どうしました?」
「ちょっとあいつの様子を見てくる。待つか、それとも先に行くか?」
「ま、待ってます」
シャルは頷き、足の向きを変えた。一体誰がいるのだろうとシャルの行く手を見たイルフェは、あっと声を上げかけた。盗み聞きするわけにもいかず、そそくさと少し離れた場所に移動して待機する。
天幕の外に置かれた木箱に、アレックスが腰かけていた。ぼんやりと、沈みゆく夕日を眺めている。足音が聞こえて顔を上げると、シャルが何気ない様子で歩み寄ってきていた。彼はアレックスに片手を上げる。
「よう」
「……シャル」
アレックスは微笑んだ。シャルは軍服のポケットに両手を突っ込み、アレックスの前に立つ。
「こんなところに一人でいて、いいのか?」
「軍議とか、そういうことは苦手で……少し外の空気にあたっていただけですよ」
ふうん、と相槌を打って、シャルは躊躇うことなくアレックスの隣に座った。しばらく黙っていたアレックスは、ぽつりと呟く。
「――国王陛下にお会いしてきました」
「そうか」
「シャルは……陛下とお話したことがありますよね」
「ああ。ローデルでの事件の後は、ちょくちょく」
「陛下のこと、どう思ってました……?」
シャルはちらりとアレックスを見て、率直に答える。
「人の話によく耳を傾けてくれる、良い国王だと思った。異論がある奴もいるかもしれねえが、少なくとも俺は陛下を尊敬していたし、あの人を守れたってことが誇りでもあった」
これは本心だ。騎士としての情熱を失った今でも、シャルは国王のことを名君だと思っているし、ローデルでの事件があってから国王が何かと気にかけてくれたのは栄誉だと思っている。クライスが亡くなった時も、かなりの温情をかけてもらった。
「私にとっても陛下は……父上は誇りで憧れでした。みなに名君と慕われる父上の背中が、本当に好きで……私もあんな風にならなきゃって、ずっと思って……」
アレックスの声は震えている。王侯貴族の親子関係なんてろくなものではない。それが庶民に認識で、シャルも例外ではなかった。だがアレックスと国王はそうではない。国王は『娘』であるアレックスを心から愛し、アレックスもまた父として国王として慕っていた。それは家族としての絆なのだ。
「父上っ……」
嗚咽交じりの呼びかけが、シャルの耳に届いた。シャルはややあって口を開いた。
「――アレックス。俺が現役時代、どんなふうに千騎を率いていたかを教えてやる」
「え……」
「俺は当時フロイデン少将の旗下にあって、遊撃隊を担っていた。突撃の部隊から外れて敵の後背に火を放ったり、そんなことをしていたが、一番の仕事は陣形崩しだった」
「陣形崩し……」
「俺の部隊が崩した場所から、味方が突撃を開始する。これをやって負けたことはない。そしていま俺の手元に、当時の人員が多く集まっているんだ」
シャルはゆっくりと立ち上がり、アレックスに不遜な笑みを向けた。
「いいか。俺が指揮する千騎がいれば負けはない。お前が国王になって平和な世を築くために、俺がインフェルシアからテオドーラ軍を追い払ってやる。だからお前は、堂々としていろ」
アレックスは目に溜まっていた涙を拭った。そして同じく立ち上がり、シャルを見上げて頷く。
「――はい」
「良い顔だ」
シャルは微笑んでアレックスの頭をぽんぽんと軽く叩き、踵を返した。アレックスはシャルに叩かれた頭に手を置いて少し照れたような表情になると、覚悟を決めて前を見据えた。




