第九十八話:ころがる毛玉(中編)
「本当!?作ってくれるの!?やったー!」
埃が舞う薄暗い工房の中で、エレンが両手を挙げて喜ぶ。
「お前らにしちゃあ、やけに物分かりが良いじゃねぇか。ガキ相手だからって甘やかす必要は無ぇぞ?」
交渉難航を覚悟していたヨハンが、嬉しい誤算に口元を綻ばせながら尋ねた。
「この大砲でノールを苦しめられるンなら、タダでもやってやるさ」
設計図が置かれた机を取り囲むように座っているヴラジド人技師達の中から、そんな言葉が漏れ出た。
「設計上は特に文句も無い。ノール軍相手の実戦も何度か経験してるってンなら、拒む理由はねぇよ」
ヴラジド人技師の一人が、パイプを吹かしながら答えた。嵌め込み窓から差し込む夕日に照らされて、漂う紫煙がオレンジに染まる。
工房内はヴラジド人技師以外にも、その助手らしき人々でごった返してはいたが、皆一様に黙ってエレンの設計図を見つめていた。それだけ彼女の設計が斬新であり、異質だったのである。あるいは同じ異端に属する者として、設計図に対してなんぞやの親近感を抱いたのかもしれない。
「垂直掘削する為のドリルはもう準備出来てるのか?」
「町外れに作ってあるよ」
「仰俯角調整機構を楔式にしてるのは何か理由があるのか?」
「砲架部品の共用化を楽にする為だよ。ハンドル式にするとネジ径の精度まで厳密に定義しないといけなくなるからね」
「四ポンド砲以外も作れるのか?」
「作れるよ。ドリルは付け外し可能だから、作りたい砲身に合わせてドリルのサイズを変えるよ」
設計図の意図を飲み込み終えた者から順番に質疑が飛ぶ。一人、また一人と納得した表情になると、今まで静まり返っていた技師達の間で、にわかに熱気を帯びた会話が交わされ始めた。
「原材料は何処から調達したら良い?」
「ヤツェクの所から持って来させよう。ヤツならラーダにも顔が効く筈だ」
「使える炉は何基ある?」
「レフの親方が四基は持ってる筈だ。俺も一基までなら出せる」
会話の内容は『この仕事を受けるかどうか』といった次元の話ではなく、既に『一ヶ月で何門作れるか』という話にまで進展していた。
「ご満足頂けたかい?お二人さん」
設計図に食い入る技術者と距離を置いて、壁に凭れたカミルが恩着せがましい笑顔を見せる。
「ありがとうカミルお兄ちゃん!」
「……お前相手に借りは作りたくねぇんだが」
眼中で星を輝かせるエレンと、今一つ警戒の手を緩めないヨハン。
「いや、そんなに畏る事は無い。ちょっとしたお願い事があるだけだ」
そう言うとカミルは両手を打ち鳴らし、技術者達の注意を引いた。
「御商談が大変目出度く祝着した所でこのカミルから今一つ、周知事項がございます。ヴラジド工房組合の皆様には是非ともお耳に入れておきたく……」
彼が二人に見せる煤けた態度とは異なり、街角の講談師のような耳障りの良さで語りかける。どちらが本来の性格なのか分からなくなる程度に、その語り口は洗礼されていた。
「さる一ヶ月ほど前、我らが祖国ヴラジドが公都、ストシンにて、ヴラジド解放戦線の戦士達が蜂起を果たしました」
この情報は既に市井の中では周知の事実だったようで、聴衆からは特に驚きの声も上がらなかった。時事に疎い年長の職人の何人かが、目を皿のようにしていたが。
「ヴラジド解放戦線の指揮官代行にして私の兄、ミロスワフ・ベルカからの情報によれば、蜂起は民衆達による熱烈な支持を受けつつ進行し、卑きノール人は一人残らず市から放逐されたとあります!」
盛り上がり所を分かりやすく明示しながら、自身の発言に関する権威付けも忘れずに行う。話し慣れた彼の語調を前にして、聴衆達は早くもムードの中に取り込まれかけている。他でもないヴラジド人相手ともなれば殊更である。
「そしてこの私カミル・ベルカも、兄ミロスワフの崇高な目的を支えんが為、そしてタルウィタのヴラジド人事情を一手に引き受ける者として、祖国解放の一助となる所存です!」
カミルの演説に聴衆が指笛を鳴らし、両足を踏み鳴らす。振動で壁に架けられた工具までもが騒がしく音を立て、囃し立ててくる。
「これは、ヤツに嵌められたか」
「ん、どうして〜?」
徐々に、自分達へ向けられるであろう相談の内容に察しがついてきたヨハンが、ポカンとした表情のエレンと顔を見合わせる。
「ヤツはヴラジド独立の為に、オーランド連邦とオーランド軍を利用する気だ」
ヨハンの呟きと同時に、カミルの視線が二人へと向けられた。
「周知の通り、オーランド連邦軍はノール帝国軍と激戦の最中にあります。であれば我らヴラジド人にとって、オーランド軍も目的は違えど利害を共にする同士でしょう!」
ノールからの独立を目論むヴラジド人にとって、オーランド=ノール戦争は願ってもみない好機である。オーランドという第三国を、ヴラジド独立戦争へと引き摺り込むのに、これほど良い情勢は無い。
「我らは貴軍へ砲を提供する。それはノールを打ち倒す為だけではなく、我らが祖国を永き眠りから呼び覚ます砲として、喜んで提供するものです!」
エリザベスやコロンフィラ伯のような人物がこの場にいれば、カミルの勢いに負ける事なく、それとこれとは別の問題であると、毅然とした態度で交渉を行う事も出来ただろう。
「あーと、えーと……」
「…………」
しかしヨハンもエレンも、テーブル上の交渉事には疎い。期待に満ちた眼差して自分達を見つめてくる数多の存在相手に対して、明確にノーを突きつけるのは、それなりの経験と訓練が必要である。
「ヴラジドを甦らせてくれるなら、何門だって大砲を作ってやる!」
「ヴラジドが独立した暁には銅像だって作ってやるぞ!」
大砲を作ってくれる工房を見つけて、その代金を支払うという、極めて単純な話が、今や二人の手に余る程に巨大な話へと変貌している。
そのような状況下で出せる回答の種類は、そう多く無い。
「……俺らはあくまで輜重担当だ、決裁者じゃない」
「お、お姉ちゃんに確認するからちょっと待っててね……」
否定でなく、保留の答えを引き出した時点で、カミルの勝利だった。
「承知致しました。では是非決裁権を持つ者をこの場へ呼んで頂きたい。職人達も一堂に会するこの場で決めた方が、何かとスムーズでしょう」
「……わかった、連れて来よう」
カミルは、相手の決裁者を場に引き摺り出すという難題を、相手側の仕事として押し付ける事に成功したのだ。
エレンとヨハンは、皆からの期待を一心に背中で受けながら、足早に工房を後にした。
◆
「いずれ首を突っ込む事になるとは思ってたけど、流石に時期尚早な気がするのよねぇ〜……」
背もたれ付きの椅子へ、前後逆に腰掛けるエリザベス。ドレスではなくキュロットを穿いてるのをいい事に、盛大に開脚しながら座っている。
「本当にストシン市はヴラジド解放戦線が掌握してるの?そこからまず怪しい気がするんだけど」
未だにパンテルスの丘から動けずにいるオーランド軍陣地には、野営の長期化に伴って食器やら戸棚やらの日用品までもが運び込まれており、いよいよ根っこが生えようとしていた。
「そこは本当のようです。ラーダ経由の情報源ですが、確かにストシンにはヴラジドの旗が翻っています」
エリザベスの右隣に立つディースカウが、調書を読み上げる。
「う〜ん。ヴラジド解放戦線とかいう組織の戦力や内部事情が分からないまま首を突っ込みたく無いのよねぇ〜」
背もたれに抱き付くようにして座るエリザベスが、今度は左隣に立つオズワルドへと首を傾げた。
「オズワルド。他に大砲作ってくれそうな所って無いの?」
「無いですね。ダメ元でラーダの商人にも聞いてみましたが、商売敵に塩を送るようなマネはしたくないとの事でした」
「むむむぅ……」
「コロンフィラ伯閣下は何と仰っていたのですか?」
慣れない敬語を駆使しながらヨハンが尋ねる。彼の隣には付け合わせのようにエレンが引っ付いている。
「大砲の調達さえできれば良い。付随する課題は砲兵内で解決せよ、ですって」
背もたれから目だけを覗かせながら、フンと鼻を鳴らした。
「オーランド軍としては、現状ヴラジド独立戦争に加担する気は無い。もし手を貸す事があれば、それは軍内の一勢力が勝手に行った事であり、公的には何ら感知しない……というスタンスですね」
「分かり易いお纏めありがとうございますわ」
毛先をクリクリと弄りながら、ディースカウの総括に謝辞を述べる。
「……ヴラジド人相手には刺激が強過ぎるからあんまり使いたく無い手段なんだけど、そうも言ってられないわね」
ガタガタと椅子から立ち上がると、彼女は仕立てたばかりの黒いコートジャケットを掴んだ。
「あー、ヨハン爺は付いてきてくれる?多分貴方の知識が色々役に立ちそうだから」
「構いませんが、どちらにお行きなさるんで?」
タルウィタ、と答えになっていない答えを言いながら漆黒のコートに袖を通す。以前とは違い、袖口のサイズもピッタリである。
「タルウィタのどこに行くの〜?」
留守番が確定したエレンはヨハンの元から離れると、さっきまでエリザベスの座っていた椅子を占領した。
「旧タルウィタ市庁舎、サリバン邸よ」
エリザベスは金のモールが入った三角帽を被りながら、椅子で寛ぐ妹を一瞥した。
「有無を言わさずヴラジド人を従えられる力を持った御仁が、そこに居るの」




