第八十四話:槍と翼
「敵榴弾砲、指向を開始しました!」
登坂中のパルマ軽騎兵から、悲鳴にも似た報告が飛ぶ。
「散開!散開!隣騎との間隔を十メートルに空けろ!」
オーランド騎兵軍の先陣を切るフレデリカが、ノール砲兵陣地へ突進する。
今まで散々に榴弾を撃ち込んで来たノール砲兵へ、漸く意趣返しをする時間がやって来たのだ。
「進路はそのまま!このまま正面から敵砲陣地を襲撃する!速攻で片を付けるぞ!恐れるな!」
オーランド側のそれと同じく、堡塁によって半ば要塞化された砲兵陣地から、計六門の榴弾砲が大口を開けてフレデリカを見下ろしている。
「素晴らしい豪胆力ですぞランチェスター殿!さすがはエリザベス嬢のご戦友ですなっ!」
美しい銀細工と刻印が施されたサーベルを引き抜きながら、コリードンバーグ伯が屈託の無い笑みを浮かべる。
「なんの!この騎兵軍を前にして一矢報いようと奮闘する彼ら砲兵の方こそ、余程肝が座っていると言えましょう!」
砲撃から身を隠す場所も何も無い緩斜面を駆け上がりつつ、フレデリカは興奮気味に笑みを浮かべた。
東部戦線のノール軍を撃破し、凍結したパンテルス川を渡り、今こうして砲兵陣地に迫りつつあってもなお、彼らは撤退の素振りも見せない。
砲兵とは得てして強情なのだ。
「砲兵とはかくも獰猛なる者か!敵味方共に天晴れである!」
コリードンバーグ伯の賞賛と同時に、榴弾砲陣地から六つの閃光が放たれた。地面を震わせる轟音と共に、導火線の刺さった榴弾が緩斜面を駆け降りてくる。
「賞賛に対し礼砲で返すとは!作法を心得ていますなっ!」
左拳を振り上げるコリードンバーグ伯の前方で、榴弾が次々に破裂する。黒煙と共に弾殻片が撒き散らされ、人馬共ズタズタに引き裂かれたオーランド騎兵が次々に倒れていく。直接的に破片の被害を受けなくとも、至近距離で爆発する榴弾の音と火花は、騎兵の跨る軍馬をパニックに陥れる。
制御不能に陥った馬に振り落とされ、硬い地面に背中から叩きつけられよう物ならそれだけでも致命傷になり得る。後続の味方騎兵達に踏みつけられる様な事があれば十中八九、五体満足とは行かないだろう。
「ランチェスター少佐!健在か!?」
「無論!健在だとも!」
地面で燻り続ける榴弾が振り撒いた黒煙のカーテンを掻き分け、その顔を黒煤塗れにしながらも、二人の騎兵指揮官は己の速力と威風を落とす事無く登坂斜面に喰らい付く。
「ランチェスター少佐に続け!」
「タジ・サール・キャボット少将に続け!」
最も位の高い者が、最も先頭を征く。その姿に感化されぬ兵など居ない。
「敵砲座、再度指向!」
敵の火点が再び星座のように煌めく。先程とは違い、仰角を取って放たれた砲弾達は、丁度オーランド騎兵達の頭上で炸裂した。
「榴散弾ッ――!」
榴弾の破片よりも更に微小な子弾が、鉄の雨となって騎兵達へと降り注ぐ。
撃たれる側からすれば、自分の脳天に向かって散弾銃を撃ち下ろされるような物である。曳火範囲下にいた騎兵達は、例外なく頭に血の花を咲かせながら崩れ落ちた。
「ぐッ……!?」
子弾の一つが、明確な殺意と共にフレデリカの眉間へ突き刺さる。
「少佐殿!?ご無事ですか!?」
「……速度を止めるな!見かけほどの傷ではない!」
幸いにも頭蓋が防弾の役割を果たした為、脳まで子弾が到達する事は無かった。しかし額からの出血が止まらず、みるみるうちにフレデリカの顔が血に染まっていく。
「ここからは我らの時間だ!次弾が発射される前に堡塁へ乗り込むぞ!襲歩――」
フレデリカがサーベルを振り上げ、部隊速度を更に上げようとするが、額から流れ出た血が眼に入り、反射的に振り上げた手を下ろしてしまう。
「このッ……忌々しい……!襲歩!襲歩!だ!進め!」
瞳に血が入り込もうとも、フレデリカは執念で目を見開いたまま号令を出す。
視界が赤へと変色していくと同時に、強烈な痒みが彼女の両目を襲った。
「あぁ、目が……!」
余りの痒さに何度も袖口で顔を拭うが、一向に痒みは治らない。そればかりか出血の所為で、彼女の肋骨服がみるみる内に赤黒く変色していく。
「少佐殿!目を負傷されたのですか!?」
パルマ軽騎兵の第一小隊長がフレデリカの元へ駆け寄る。
「私に構うな!堡塁の制圧が最優先だ!行け!」
「しょ、承知いたしました!」
両目を閉じながら、騎兵小隊長を突き放す。
彼女の号令を聞いた隷下の騎兵達が次々に突撃速度を上げていくが、彼女の馬だけは中々速度が上がらない。
「鞭を……視界が滲む……!」
今度は痒みが痛みへと変化し、とうとう一瞬も目を開けていられなくなる。
熱した針を眼に突き刺されているかの様な痛みに、手綱を握る力が薄れる。その様な状況で、馬に拍車を掛けている余裕など無い。
「あの遅れてる騎兵指揮官を狙え!道連れにしてやる!」
「オーランドの烏共に一矢報いるチャンスだ!」
装填の完了した榴弾砲の一門が、明確にフレデリカへとその砲身を向ける。
それとほぼ同時に、オーランド騎兵達が砲兵陣地へと突入した。
「蹂躙しろ!これ以上撃たせるな!」
堀や交通壕といった障害を軽々と跳躍しながら、オーランド騎兵が堡塁の中を暴れ回る。ノール砲兵側も導火棹や銃剣、マスケット銃で果敢に応戦するが、戦列を組んでいない兵士など、軽騎兵の機動力とサーベルの前には無意味である。
「射撃用意!」
それでも彼らは、目と鼻の先に敵騎兵の洪水が迫ろうとも、決して砲から離れようとしなかった。
「ダンジュー大佐殿、どうかお元気で!」
導火棹を構えた砲兵士官が、火門へと火種を近づける。
「撃て――」
「させませんぞッ!」
空気を切る鋭い斬撃音と共に、砲兵士官の腹が切り裂かれる。彼はそのまま砲身へと覆い被さる様にして倒れ込んだ。
「貴様らの気骨には目を見張るものあり!」
血塗れのサーベルを左右無尽に切りつけながら、コリードンバーグ伯が最後の砲兵陣地を蹂躙していく。
「その奮戦に敬意を表し、このコリードンバーグ伯タジ・サール・キャボットが直々に切り結んでくれようぞ!」
どう見ても戦闘用とは思えない、柄に宝石が嵌め込まれた銀細工のサーベルを駆使しながら、コリードンバーグ伯は次々に迫り来るノール兵を切り捨てていく。
「栄あるコロンフィラ騎士団長、フィリップ・デュポン伯閣下へ挑みたい者は、先ずこの余を乗り越えて見せよ!」
まるで歌劇の様に、声高らかに己の身分を叫びながら、彼は刃を交えていく。
その手際と速さは尋常ならざる物であり、遅れてフレデリカが堡塁へと辿り着く頃には、既に全砲門の制圧が完了していた。
「流石ランチェスター殿、よくぞ此処まで辿り着けましたな」
刃に付着した血糊をハンカチで拭き取りながら、薄目を開けるフレデリカへと賛辞を送る。
「コリードンバーグ伯閣下も、お噂に違いない剣筋で……」
フレデリカが、一太刀の元に切り捨てられた死骸達を薄目で見つめる。
「頭の出血は止まりましたかな?もし止まらない様であれば、これを使いなさい」
腰に巻いていた純白の腰布をサーベルの刃で切り取ると、包帯代わりにとフレデリカへ手渡した。
「勿体なき御厚意、有難うございます……その償い代わりという訳ではございませんが、榴弾砲の無力化については我ら軽騎兵にお任せを」
パルマ軽騎兵達が、蹄鉄用の長釘を片手に次々と榴弾砲を無力化していく。リヴァン市の退却時にも聞いた、耳障りな衝撃音が断続的に響く。
「各自の判断で下馬、並びに休息を実施したまえ。次任務あるまで、この高地は確保し続けた方が良いですな」
敵砲陣地の制圧という一大任務を完遂した事により、強張っていた騎兵達の表情が幾許か緩んだ。
「休息の前に掃討だ!腰を下ろすのは完全に陣地が確保されてからだ!立て!」
いそいそと腰を下ろして休憩モードに入ろうとする兵士達を、騎兵士官が強制的に起立させる。背中を小突かれた兵士達は、溜め息と小言と恨み節が混じった独り言と共に立ち上がり、周囲の安全確保へと乗り出した。
倒れ込んだ兵士にサーベルを突き刺し、本当に死んでいるのかを確認したり、僅かに生き残った敵兵を武装解除させたりといった戦闘後処理も、彼ら兵士達の役目である。
戦闘そのものに比べれば命の危険は余程少ないが、かといって死なない保証も無い。死骸の中に紛れた生存者が、銃剣片手に這い出してこないとも限らないのだ。戦闘に勝利して気が緩んでいた所を敗残兵に襲われたとあっては、死んでも死に切れない。
兵卒はサーベル片手に生存者を探し回り、下士官は敵下士官の死体を数えて回る。この細々とした作業こそが、戦場の霧を徐々に晴らして行くのだ。
「第一、第二中隊の担当範囲、掃討完了致しました!」
「第三、第四中隊の担当範囲も掃討完了しました!」
三十分余りの時間を掛け、砲兵陣地の制圧を完了させた兵士達が士官の元へ報告に戻ってくる。皆一様に、早く休ませてくれといった表情をしていた。
「良し!各員大休止!次命令あるまで休息を――」
「少将閣下!敵本陣に動きがありました!」
しかしどれだけ疲労困憊の状態にあったとしても。
「敵本陣からエルヴェット橋へ向かう騎兵部隊を捕捉しました!少将閣下ご指示を!」
戦況がそれを察して、優しく立ち止まってくれる事など無いのだ。
「騎兵という情報だけでは判断できん!単眼鏡を寄越したまえ!」
乗馬中のコリードンバーグ伯が足元の騎兵から単眼鏡を受け取り、そのレンズを西へと向ける。
「……なんと……!余は夢を見ているのであろうか!?」
興奮と恐怖、そして何よりも畏怖の念を込めた声を上げる。
全戦線渡河攻勢による橋頭堡の確保、エルヴェット橋の制圧、そして西部戦線の優勢。
指揮官階級でなくとも、今この瞬間が本会戦の勝敗を決定付ける土壇場である事は容易に理解ができよう。
そしてノール帝国軍の総指揮官たるプルザンヌ公は、この戦況を読めぬ程の愚か者ではなく、この戦況に遭ってもなお予備戦力の投入を渋る程の優柔不断でも無い。
天に掲げた長槍と、その穂先に括り付けられたヴラジドの国旗。大羽根の飾りを背負い、銀鎧を纏う騎士達。
よもや、見間違う事など有り得ないだろう。
「有翼騎兵だ!有翼騎兵がエルヴェット橋に向かっておる!」
エルヴェット橋を渡り、オーランド砲兵が立て篭る南部の小丘を、有翼騎兵の衝力を以て蹂躙する。
プルザンヌ公が下したこの命令は、なんの捻りも無い正攻法である。そうであるが故に、今までオーランド側が弄してきた小細工など全く通用しない。
純粋な練度と士気によってのみ抵抗し得る作戦。
それこそがオーランド軍に打ち勝てる作戦であると、プルザンヌ公は看破したのだ。
「わ、我々が相対するしかありません!味方砲兵陣地へと到達する前に、少しでも有翼騎兵の数を減らさなければ!」
未だ視力の回復しきっていないフレデリカが、片目を見開いてコリードンバーグ伯へ進言する。
「よく見さらせい!ランチェスター少佐!彼らは有翼騎兵だけで構成されてはおらん!」
彼が、悠然と進む有翼騎兵の背後を指差す。
そこには、有翼騎兵に付き従う徒歩歩兵達が、幾百本もの長槍を携え、天へとその穂先と矜持を示しながら行進していた。
「――槍組!?時代錯誤も良いところでは無いですか!?」
「左様だとも!二百年前の絵画そのままの勇姿では無いか!余はこの光景、死ぬまで忘れはせんぞ!」
騎兵が最も苦手とする兵種と、最も強いとされる騎兵が共に進む。
無用の長物と化して久しい槍兵という兵種が、今この瞬間においては、オーランド騎兵軍の攻勢を封じる楔として機能したのだ。
「ランバート少佐達に知らせなくては!伝令を……」
イーデン達に迫る危機を彼らに知らせようと、コリードンバーグ伯がすかさず伝令を呼び寄せようとする。
「いいえ!伝令では間に合いません!早馬よりも早く彼らに情報を伝えなければ手遅れになります!」
片目を白布で覆ったフレデリカが、使用不能にされる寸前だった榴弾砲を指差す。
「どうやっ……!あぁ信号弾か!しかし肝心の内容を伝える術はどうする!?」
「術はあります!確かに此処にて!」
フレデリカがプリスの裏からメモを取り出し、高らかに掲げる。
「我が戦友たる砲兵令嬢であれば必ずや意図を汲んでくれましょう!」
ヨレヨレに折り曲がったそれは、かつてリヴァン市退却戦の折に使用した、臼砲の信号表だった。
【パンテルス会戦:戦況図⑧】




