第六十八話:最終補給
うっすらと雪のベールを被った浮舟達が、パンテルス川の岸沿いに幾艘も係留されている。
「これが最後の物資か?」
「いえ、もう一艘来る予定です。それが最後になります」
分厚い毛皮のコートに身を包んだリヴィエールが、ヴィゾラ伯と足並みを揃えながら答える。
「これで、本国からの補給路は完全に途絶えたな」
しんしんと降りしきる雪を手のひらに乗せ、忌々しそうに握り込むヴィゾラ伯。
「敵国首都を目前にして孤立無援、か」
物資の荷下ろしを終え、空船と化した小舟達を見つめるヴィゾラ伯。
「この浮舟達はどうするのだ?」
「解体して木材の足しに致します。これ以降、薪材は幾らあっても困りませんので」
「そうか……」
川上の方角、遥か彼方に聳えるアトラ山脈を見上げる。
「国境峠はどの様な状況だ?」
「船員に聞いた所、既に馬車が通れる様な場所ではないとの事です」
「クソッ、例年よりも積雪のペースが早いな……河川の凍結状況は?」
「リヴァン市の駐屯部隊からの報告によれば、ヨルク川は既に凍結済み、オーデル湖は辛うじて未凍結との事です」
リヴァン市の占領以後、ノール軍は河川を利用した水運によって補給を行なっていた。リヴァン市周辺で生み出された幾ばくかの食料を、ヨルク川、オーデル湖、パンテルス川と運び、進軍中のノール軍本隊へと届けていた。当然、リヴァン市単体で補給できる食料の量など、ノール軍全体が消費する物資量と比較すれば知れた量であった。しかし曲がりなりにもリヴァン市によって、それなりの輜重を融通出来ていたのは事実である。
しかし冬季の到来により、リヴァン市以北の河川が凍結。これにより水運による補給が不可能となった。加えて積雪により国境峠が通行不能となり、ただでさえ細く、そして長くなっていたノール帝国の補給路が、ここに来て完全に断ち切られたのである。
「ラーダ領内を通る代替ルートの件はどうなった?」
「先日、ラーダより断固拒否の返答がありました。あくまで中立を固持する姿勢の様です」
「そうか……これはこれは、どうしたものかな」
緩やかなヨルク川とは違い、好き勝手に水沫が跳ね回るパンテルスの急流をじっと見つめるヴィゾラ伯。
「将兵の士気はどうだ?」
「幸いにも、比較的に高い状態を維持しております。配給が少ない事に対する不満はありますが、ラカント村での休息や、敵首都を前にしての士気高揚が功を奏しております。加えて……」
野営地内に佇む巨大なテントに体を向けるリヴィエール。
「プルザンヌ公閣下による、兵士達への激励も要因として大きいです。あの有翼騎兵を鎮圧し、配下に従えたという功績が、非常に大きな人望を産んでおります」
「二十年前の終戦から、十年以上抵抗を続けていた組織の首級を上げたのだ。兵達から人気が出ない筈も無い」
体をヴィゾラ伯の方に向き直すリヴィエール。彼は、分厚いコート越しでも容易に判別できる程に肩を落としていた。
「かような人望名高い軍団長閣下に率いられた軍を、あろう事か敵地で孤立させるなどという愚を犯した事、このリヴィエール、一生の不覚にございます……」
「半年でオーランドを攻略出来ると判断した帝国軍評議会のマヌケ共にも責任はあろう。無論、余にもな」
霜の降りた草地に腰を下ろし、寒々しい群青色に染まったパンテルス川を遠い目で見遣るヴィゾラ伯。
「さて、ここらで今までの我々の行動評価でも実施しようではないか。首都攻略戦を前にして、時期も丁度良い」
「畏まりました、直ぐに将校各官を召集致します」
「いや違う違う!そうではない!」
一礼してその場を去ろうとしたリヴィエールを引き留めるヴィゾラ伯。
「高級将校共と一堂に会する事になれば、只の真面目な作戦後行動評価の場になってしまうではないか。余は貴殿と無責任な結果論の投げ合いをしたいだけだ」
「要するに愚痴を言い合いたいと?」
「身も蓋も無い事を言うな」
降る雪も気にせず、二人はパンテルスの畔で話し始めた。
「パルマの保持に失敗したのが、今となっては全ての始まりでしたね」
「そうだな。父上が先遣隊を率いてパルマへ向かった所までは良かったが……」
「パルマ市の防衛戦力が先遣隊よりも少数と見るや、モーリス・ド・オリヴィエ閣下は本隊到着を待たずしてパルマ市への攻撃を開始したと。そう報告を受けました」
当人の父親の汚点を指摘する事に若干の気まずさを覚えたのか、語尾が伝聞調になるリヴィエール。
「事実だ、別に語尾を濁さんでも良い。あの時の軍団長閣下の剣幕は凄まじかったな」
「はい、国境峠の雪が全て溶け切る程の勢いでした」
当時を思い出し、僅かばかりに顔を綻ばせる二人。
「その結果、オーランド残存軍によるパルマ奪還を許してしまった。本隊がパルマ近郊に到達するまで攻勢を抑えてくれていれば、今頃パルマは我らの掌中だっただろうに」
煤けた金髪を掻きながら、力無く笑うヴィゾラ伯。
「これに関しては、軍団長閣下の命令にも責任の一端があるかと」
ここだけの話ですが、と声色を潜めて言い放つリヴィエール。
「オーヴェルニュ公閣下は、パルマ市を無傷で手に入れんと欲するあまり、モーリス殿率いる先遣隊に対してオーランド軍を野戦で迎え撃つよう厳命しておりました」
「……今思えば、何とも無謀な命令だな。余も当時は同数のオーランド軍程度、野戦であっても軽く蹴散らせるだろうと踏んでいたのだが」
「私含めて、オーランドの力量を見誤った。それに尽きます」
いつしかリヴィエールも腰を下ろし、ヴィゾラ伯の隣に肩を並べていた。
「見誤ったと言えば」
銀色に光る地面を見て、ふと思い出した様に呟いた。
「あの銀魔女には、何度もしてやられたな」
「……銀魔女とは、エリザベス・カロネードの事ですか?」
「そうだ、他に誰が居る?」
「砲兵令嬢の事を銀魔女と呼ぶのは、連隊総指揮官殿だけですので」
「我らに齎した数多の災禍を引き比ぶれば、魔女こそ相応しい称号だろうに。それに砲兵令嬢とは一体何だね?大砲を撃ってる時点で令嬢とは程遠い存在ではないか」
「私に問われましても」
毛皮のコートを身震いさせながら困惑するリヴィエール。
「やはり、リヴァン市攻略戦の際に何としてでも銀魔女を引き込んでおくべきだったか……いやしかしなぁ、あの様子だと金では動かんだろうしなぁ……」
云々と唸るヴィゾラ伯を、リヴィエールは薄い笑顔で見つめていた。
「そこで銀魔女を誅する案が出てこない辺りが、閣下らしい」
「余は調子者だが、卑怯者ではないからな……さて、征こうか」
臀部の雪を払い落としながら立ち上がるヴィゾラ伯。
「何にせよ、次の決戦で勝てさえすれば、今までの失策も帳消しよ」
リヴィエールに肩を貸し、彼が立ち上がるのを介助する。
「えぇ。やれるだけ、やりましょうか」
彼の顔色は相変わらず悪かったが、声色だけは明るかった。
明日、オーランド連邦軍がタルウィタを出立。
ここに、タルウィタ首都防衛戦の幕が上がった。




