第三十二話:東への脱出
コロンフィラ伯による騎兵突撃から、半日ほど時を遡る。
リヴァン市退却戦の前夜。リーヴァ教会での訓示の後、フェイゲンを始めとするオーランド軍将校達は、リヴァン邸の一室に詰めていた。
「そもそも、この状況下で脱出作戦を実行するというのが余りに無謀過ぎます!」
辺境伯義勇軍を率いる将校の一人が、長机に広げられた地図を指差しながら、嘆願とも取れる口調でフェイゲンに異論を言い放つ。
「敵はおおよそ五千を数え、リヴァン市を完全包囲しております!衆寡敵せず、どうか旗を巻くご決断を!」
「……ここで白旗を振れば、敵にこれ以上の出血を強いる事が出来なくなる。リヴァン市を防衛する目的を、貴官は今一度確認した方が良い。最後まで耐えつつ、敵に損害を与える。それはこの地を脱出する際にも念頭に置くべき事項だ」
しかし連隊長!と両手を机に置き、身を乗り出しながら言を連ねる将校。
「我々はもう十二分に時間を稼ぎました!最早耐え凌ぐ理由はありません!」
執拗に降伏を進言する義勇軍将校。その姿を見たパルマ・リヴァン連合軍将校の表情がみるみる険しくなってゆく。自分達の故郷を踏み躙った者に対して、頭を垂れる選択肢を勧めているのだ。心中穏やかならざる事は明白であった。
「脱出の可能性が全くのゼロであるならば、当然降伏の選択肢も勘案すべきだ。だが、先の訓示で貴官も聞いただろう?コロンフィラ伯が率いる黒騎士団の運用次第では、敵包囲網から脱出する事も不可能ではない。兵達の士気も幾分か回復しているのだ、脱出を決行する価値は充分にある」
「し、しかし……必成目標である、連邦軍編成までの継戦は達成しております!これ以上いたずらに戦力を消耗させるのは――」
「……いい加減にしろ貴様ーッ!」
とうとう、堪忍袋の緒が切れたクリスが義勇軍将校の胸ぐらを掴む。
「何が時間稼ぎだ!先の戦いでは貴様の連隊が一番先に逃げ出したではないか!?血を流しながら時間を稼いだのはパルマ・リヴァン連隊だ!断じて貴様らではないッ!」
突然掴み掛かられた将校も、クリスの階級が自分より下である事が分かると、襟を掴み返す。
「黙れ少尉風情が!領主の一声で、こんな訳のわからぬ北の辺境に連れてこられた上、終いには何の思い入れも無いこの地の為に、命を捧げろと言われる兵達の気持ちが貴様に分かるか!?」
「落ち着け二人とも。敵はノール軍だ、味方同士で争えば敵の思う壺だぞ」
取っ組み合いの喧嘩に発展しかけた為、フェイゲンが間に入りつつ、両軍の将校達が二人を引き剥がす。
「クリス少尉、義勇軍連隊が敗走したのは、霧に乗じてノール軍が渡河攻撃を敢行してきたのが最大の原因だ。よく訓練された戦列であっても、あの攻撃を防ぎ切るのは厳しかっただろう。責めるべきは私の采配に対してであって、彼らではない」
「ですがっ!あの様な厳しい戦況にあっても、両翼のパルマ・リヴァン連隊は包囲されかける直前まで粘っておりました!それよりも遥かに兵数の勝る義勇軍の戦列が真っ先に崩壊した事に対して、小官は看過することができません!」
「少尉、気持ちは分かりますが堪えてください!」
「イーデン中尉殿の仰る通りです!今は仲間内で争っている場合ではありません!」
イーデンとオズワルドに咎められ、漸く振り上げた拳を下ろすクリス。
「少尉。貴官の気持ちは分からんでもない。ただ、一戦での敗因を、将校一人の責めに帰すべきではない」
先程まで座っていた椅子へ座り直すと、足を組み直しながらクリスを諭すフェイゲン。
「貴官は先の会戦での失態ばかりを追及している様だが、第一次ヨルク川防衛戦において、パルマ軽騎兵が全滅せずに済んだのは、他でもない彼等義勇軍が駆け付けてくれたお陰でもある。それを忘れてはいまいかね?」
「……それは、ご尤もです」
クリスとしても仲間割れは本意ではない為、自ら溜飲を下げる。その様子を見て頷いたフェイゲンは、義勇軍将校へと顔を戻す。
「貴官の降伏提案を根本から覆す様で恐縮だが、既に脱出作戦は進行しているのだ。先程も、ランチェスター大尉を負傷軍人として、リヴァン包囲の外へ逃す事に成功した。そろそろ、コロンフィラ伯と接触する頃合いだろう」
「左様ですか……」
既に脱出作戦が始まっているとあれば、今更降伏を申し出た所でノール軍が受け入れてくれる筈もない。諦めた表情で、一歩引き下がる義勇軍将校。
「貴官の心情も理解しているつもりだ。察するに心苦しいが、どうか同じ連邦軍人として、我らを助けてほしい」
一度頭を下げる事により、場を仕切り直すフェイゲン。
「さて、肝心の脱出作戦要領についてだが、この作戦はコロンフィラ伯率いる黒騎士団と、我らがオーランド砲兵達がカギとなる。カロネード士官候補、頼めるか?」
「畏まりましたわ」
今まで壁際で腕を組んでいたエリザベスが机の前に踊り出る。
「士官候補風情が、しかも女が作戦の説明するのか……」
「いよいよこの国も軍人不足が深刻化してきたな……」
義勇軍将校の不安そうな囁き声に対して、今までの活躍を知るパルマ・リヴァン連合軍の面々は、暖かな視線で彼女を迎えている。
「先ず結論から申し上げますと、我が軍は東へと脱出進路を取りますわ」
指をリヴァン市東門からパルマ方面へと続く街道へとなぞらせる。
「タルウィタへの脱出が目標であれば、西から脱出すべきなのでは?」
義勇軍将校の一人が挙手をする。
「仰る通り、最短経路でタルウィタを目指すのであれば、西からの脱出が最も適切ですわ。しかし当然、敵もそれは想定しております。現に、敵の包囲網は西が最も厚くなっておりますわ」
「成程。距離は取られるが、包囲が最も薄い東から脱出しようという訳だな」
「その通りですわ。しかしながら皆様方も察しの通り、ただ単に東から脱出するだけでは、包囲網の突破は困難でしょう」
リヴァン市をぐるっと囲むように、コンパスで円を描くエリザベス。
「包囲戦を説いた教本によると、敵に対して包囲を形成する際は、敢えて戦線の一部を薄くするのが定石とされていますわ」
東、パルマへ続く街道の包囲網の線をゴシゴシと消して薄く伸ばすエリザベス。
「……その程度の事は流石に我々も熟知している」
先程クリスと言い合いをしていた将校が口を挟んでくる。
「東の守りが薄いのは、西の包囲を厚くした結果であると同時に、我々を東へ誘引させる思惑もあるに違いない。貴官は、わざわざ敵の術中に嵌まりに行くと言っているのか?」
「どうか最後までお聞きになってくださいまし」
内心で舌打ちをかましながらも、話の腰を折られた事にも笑顔で対応するエリザベス。
「大尉殿が仰る通り、東の包囲網……より正確に言えば、東の包囲網の付近に、追撃掃討用の伏兵を置いている可能性が高いですわね」
「……そうなれば、脱出を決行する前に、伏兵として置かれている兵の兵種を明らかにする必要があるのでは?」
また別の将校が挙手にて質疑を飛ばす。
「その必要はありませんわ」
騎兵を象った盤上駒を、包囲網の東にコトン、と置きながらエリザベスは答える。
現代において、逃走する軍隊の追撃掃討を行える兵科など、騎兵くらいしか存在し得ない。加えて、ノール軍残存兵力の中で、追撃を行える余力を持った騎兵となると、もはや一種に絞られる。
「あぁ……有翼騎兵か」
「その通りですわ。足も早く、衝力もあり、白兵戦力もある。追撃用としてこれ以上ない兵種ですわ」
自ずから答えを導き出した将校に、追認の頷きで応えるエリザベス。
「そろそろ、皆様も勘付いているかとは存じますが、この有翼騎兵による追撃を如何にして防ぐかが、本東部脱出作戦の肝となる部分ですわ」
如何にして、の部分の語勢を強めながら、ゆっくりと述べるエリザベス。
「結論から申し上げますと、陽動攻勢を西部包囲網に仕掛けますわ。それに有翼騎兵が釣られた段階で、本命である東部脱出作戦を発動します」
陽動作戦の言葉を聞いた将校達の間に、なんとも言えない微妙な空気が流れる。しかしエリザベスはその空気感に臆する事なく、堂々と続きを述べる。
「お察しの通り、生半可な攻勢では直ぐに苔威と見透かされてしまいますわ。それ故に本陽動作戦は、熾烈且つ断固とした攻勢でなければなりませんの」
言いながらエリザベスは、西部包囲網の外縁から内縁に向かって、敵戦列を貫く様に、鋭い矢印を描く。
「そこでカギとなるのが、先程フェイゲン大佐も仰っていたコロンフィラ伯率いる黒騎士団と……」
続いて今度は、リヴァン市内から西部包囲網へ、幾つもの小さな矢印を飛ばす。
「わた……イーデン中尉率いる臨時カノン砲兵団ですわ〜」
危うく部隊を私物化しそうになり、慌てて言い直すエリザベス。
「コホン……。具体的に言うと、砲兵の煙幕射撃による援護を行いつつ、西部包囲網の外側から黒騎士団を突撃させますわ」
左右から伸ばした矢印を、敵戦列中央で衝突させた所で、一旦皆に息をつく暇を与えるエリザベス。
「陽動作戦の為に、ここまでするのか……」
「陽動作戦だからこそ、ここまでしなければなりませんの。戦力投射量を上げれば上げるほど、陽動作戦の成功率は高まりますわ」
どこからか漏れ聞こえてきた声であっても、丁寧に汲み取る。挙手をせずに漏らす独り言こそ、真に回答すべき質問である。
少なくとも、エリザベスは商会でそう習った。
「コロンフィラ伯との連絡手段はどうするのだ?この状況下で、包囲外と連絡を取るのは容易ではないぞ?」
「それに関しては、こちらのエレン輜重隊長が解説しますわ」
エリザベスが一歩下がると、エレンがおずおずと前に歩み出る。
「えーと、ほ、砲兵輜重隊長のエレンですぅ……」
また女かと嘯く声や、奇異なモノを見る様な視線に晒され、エレンはすっかり萎縮してしまっていた。
「まず、お外と連絡を取る理由ですが、焼夷弾をお知らせ弾……信号弾?として打ち上げます。高い位置から発射した方が良く見えるので、このお屋敷の屋上から打ち上げます。打ち上げ方法によって、お知らせする内容を色々と変える事が出来るので、どれがどんな意味なのかは、フレデリカお姉さ……ランチェスター大尉からコロンフィラ様に事前にお伝えしてて、えーと、うぅ……」
「わ、わかった。要するに焼夷弾を利用してコロンフィラ伯へ指令を出すのだな?」
どんどん声が小さくなっていくエレンに対して、責任の無い罪悪感を覚えた将校が思わず止めに入る。
「そうです……以上ですぅ」
泣きそうな顔で後ろに引っ込むエレン。
「あらら。アナタにこういう場はまだ早かったかしらね……」
バトンタッチする際に抱きついてきたエレンの頭をヨシヨシと撫でるエリザベス。
「私からエレンへの伝達事項に不足があり、失礼いたしましたわ……」
頭を下げつつ、話を作戦概要へと戻すエリザベス。
「それで話を戻しますが……突撃の成功後は更なる陽動として、リヴァン市内からパルマ軽騎兵中隊を西部包囲網へ突撃させますわ。少数精鋭ではありますが、煙幕射撃と併用すれば、敵に数的以上の動揺を与える事が可能かと。陽動に掛かった有翼騎兵が配置転換するのを確認出来次第、黒騎士団及びパルマ軽騎兵を東へ転進させます。その後は同騎兵二部隊を先鋒として、東への突破機動を実行致します」
そこまで一息で言い切ると、エリザベスは息を整えるように大きく深呼吸をした。
「以上が作戦概要になりますわ。ご質問はございまして?」
「……よろしいかね?」
挙手はせず、腕を組みながら、クリスが声を上げる。
「我が隊の突撃はどの程度まで深入りすれば良い?完全に敵戦列へ突撃するか、それとも突撃するフリを見せるに留めるか?」
「突撃するフリで結構ですわ。貴隊は東部包囲網の突破に必要な戦力です。死なれては困ります。ただ……」
数秒言い淀むと、歯切れの悪そうな表情でエリザベスは答えた。
「死ぬ必要はありませんが、死ぬ気で突撃して頂きたく……」
◆
「死ぬ必要は無いが、死ぬ気で突撃しろ、か……」
馬を走らせながら、エリザベスの言葉を反芻するクリス。
「……元より、覚悟の上よ」
彼の眼前、一キロ先に広がる煙幕と乱戦模様。
コロンフィラ伯による背撃が完璧に決まった今、西部包囲網に大きな綻びが生まれつつある。この綻びを更に広げ、陽動作戦を完璧な物とするのが、クリス達パルマ軽騎兵に課せられた使命である。
「中隊総員!突撃用意!」
サーベルを振り上げ、最早中隊とは名ばかりの、少数騎兵を列後に集めるクリス。
「襲歩!」
土と泥を一層強く蹴り上げ、馬蹄が響かせるリズムを駈歩の三拍子から襲歩の四拍子へ一気に引き上げる。
速度を増すにつれて、頭上から降り注ぐ雨が、前方から吹き付ける横殴りのそれへと変貌して行く。
「抜刀ォ!」
三十余名の彼らが一斉に引き抜いたサーベルは、度重なる剣戟の所為で、刀身は歪み、刃は毀れ、敵の血糊でほの暗く染まっていた。
「突撃ィィィ!!」
しかして彼等の突撃は、掲げられたサーベルの惨状とは全く対照的であった。
畢竟、その突撃には一糸の乱れも、曇りも、然すれば寸毫の迷いも無かったのである。




