第九十九話:ころがる毛玉(後編)
「砲兵少佐殿、こちらです」
二人仲良く並んでいる長槍兵の間を通り、黒々とした格子扉と相対する。その黒さといえば、エリザベスの黒服といい勝負である。
「少佐殿は、なぜご自身の部隊色を黒にしたんですか?」
鍵束から目当ての鍵を見繕いながら、つっけんどんな口調で看守が尋ねてきた。鍵を探す手付きに苛立ちの感情が乗っている事から、彼としてはこの仕事は不本意なのだろう。
「大砲の煤にまみれようとも、汚れが目立つ事の無い色だからですわ」
エリザベスの本音としては、自分に似合っていて格好いいから、以上の理由は無かったが、被服の調達申請を行う上での建前は必要だった。その建前というのが、今エリザベスが発した理由である。それなりに納得のいく方便を作る事が出来たと、彼女自身も満足していた。
「なるほど、部下思いですね」
心底思ってもいない口調で、鍵を錠前に突っ込む看守。耳障りな金属音と共に格子扉が開かれ、本来の木扉が姿を現す。
「オルジフ・モラビエツスキ。来客だ、両手を挙げて後へ退がれ」
木扉に備え付けられた覗き窓へ顔を近づけると、彼は部屋の中へお決まりの警句を放り込んだ。
「彼はもう我がオーランド軍の一員ですわ。貴方は戦友に対しても同じように振る舞う方なんですの?」
「はっ、申し訳ございません……!」
謝罪と共に脇へ逸れる看守を横目に、エリザベスは扉を開け放った。
「お待ちください少佐殿、部屋を改めてからのご入室を」
「不要ですわ、下がりなさい」
振り返らずに手で看守を制しながら、眼前で両手を上げる老将と正対する。
この御仁は、何か細工を仕掛けてくるようなタイプではない。もし搦め手を使うような性格なら、私はリトル・ラウンド・トップの戦いで死んでいただろう。
「ごきげんよう、オルジフ・モラビエツスキ男爵殿」
「エリザベス・カロネード少佐殿も、息災で何より。佐官への昇進、誠に目出度く」
右手を胸に、軽く会釈を交わす。カフスの付いた白いシャツも、麻縄で結ばれた綿のズボンも、庶民が着るような質素な物だったが、彼の貫禄と所作のせいか、非常に値打ちのある物であるかのように錯覚する。
「この燃え滓と化した老人に、何ぞ御用がおありか」
「ええ、色々と」
部屋の隅に置いてあった椅子をガラガラと引き摺り、中央へと据え直す。
「もう自由の身なのに、なぜ此処から出ようとしませんの?」
またもや椅子を前後逆にして着座するエリザベス。新しい制服が支給されてからというものの、この座り方が楽で気に入っていた。
「殊の外、根っこが生えましてな。目にも音にも、小五月蝿くないこの部屋が気に入りました」
殺風景な部屋を一望した後、外れかかった格子窓で視点を止める。
「強いて言えば少々、隙間風が気になる程度ですかな」
彼の言には皮肉や含みのような裏が見えず、本心からこの場所が気に入っているとしか思えない。まるで修道士のような性格である。
「引き篭もっている訳ではない事を知れて安心致しましたわ。此度の相談は、貴方を外に連れ出すような内容でしたので」
「私を外に?」
彼の灰色の目に僅かに光が灯される。
「何処ぞの超重騎兵が暴れ回ったお陰で、わたくしの部隊は大砲を殆ど喪失してしまいましたわ。今々は、大砲の再調達に大変苦心しておりますの」
「……手加減して、何門か残しておけば良かったかな」
「あら、手加減する余裕があるようには見えませんでしたけども」
二人は同時に小さく笑った。
オーランドとノールの戦いに身を投じる、ラーダ人とヴラジド人。お互いに戦争の当事者であれば、此処まで和やかな会話になる事は無かっただろう。
第三者同士という適度な他人感が、理性的、理論的な話を推し進める潤滑油のような機能を果たしていた。
「責任を取って、私に大砲を作れと?」
冗談めかした言い方から、エリザベスは彼の警戒が解けた事を確信した。
「いえいえ、そんな無茶は申しませんわ。ただ大砲を作る為の助力をお願いしたいのですわ……もう入ってきて良いですわよ?」
エリザベスが合図を出すと、部屋の外で気配を消していたヨハンがのそっと姿を現した。
「諸事情から、今度の大砲鋳造にはヴラジド人工房組合の力を借りようと考えておりますわ。その為に貴方の力が必要ですの」
「どうも、従軍鍛治師のヨハン・マリッツです」
ヨハンが差し出した右掌をしげしげと見つめた後、オルジフは握手に応えた。
「良い手をしておりますな」
「この齢になっても、相変わらず槌と粘土しか知らん手でしてな」
「なんの。私の手など槍しか知りません」
謙遜の奥に見え隠れする確かな自信を込めたやり取りに、エリザベスは年の功を感じずには居られなかった。
「少佐殿が仰ったように、ヴラジド人の職人方から協力を取り付ける事に成功はしたんですが、少々面倒な条件を突きつけられてまして」
「……大砲を作る代わりにヴラジド独立戦争へ加担しろと、そのような条件ですかな?」
「まさに、まさに」
そう頷きながら着席するヨハンの隣で、エリザベスが背もたれに顎を乗せながら言葉を重ねる。
「元はと言えば貴方が放った火ですわ。多少の火の粉であれば、被る事も止む負えないと存じますが、要らぬ火の粉までは被りたくありませんの」
オルジフが矢面に立てば、ヴラジドの独立支援という面倒な役割を、オーランド軍ではなく、オーランド軍の一指揮官であるオルジフ個人の役割へと押し込める事ができる。いや、元々は彼が企て、彼が始めたた戦争なのだ。押し付けと言うよりは、元鞘に収まると言った方が正しいだろう。
「私はパンテルスで半ば死んだ身だ。最早役には立たんぞ」
「火だけ付けて、後は知らん振りなどという振る舞いは如何な物かと思いますわ」
オルジフとしては、オーランド軍も巻き込んだヴラジド独立戦争にしたかったのだろう。
しかし彼は不幸にも生き残ってしまった。
自身の死を以て、火付け人としての責任を有耶無耶にし、ひいては火の粉をオーランド側に転化する。
彼の描いた、二十年以上にも渡る壮大な計画は、最後の最後で失敗したのだ。
「火種の行く末を見守るのも、火付け人の義務でしてよ?」
他ならぬ、目の前にいる少女の手によって。
「……私を生かしたのは、それが目的か?」
死に逃げは許さない。
生きて責任を取れ。
そう物語るエリザベスの目から、オルジフは僅かに顔を逸らした。
「偶然ですわ。わたくしに、そんな銃の腕はありませんわ」
エリザベスはオルジフの素振りから、彼の心中に罪悪感と後めたさが存在している事を感じ取った。
「強いて言うなら、神の思し召しじゃないかしらね。貴方には、まだやる事が残っていると、そう仰っているのではないかしら?」
商人が神の名を語る時は、用心して気を付けなければならない。
彼らが神の御言葉を宣う時とは、相手に内省を求め、改心を促し、自らの利益に与する方へと誘導したい思惑がある場合が殆どであるからだ。
そして残念な事に、オルジフは目の前の少女が元商人である事を未だ知らなかった。
「未だ、やらねばならぬと。そう仰るのですか」
元よりヴラジド人は敬虔な信徒が多い。指導者階級ともなれば、神の言葉には真摯に耳を傾けなければならない。
たとえその正体が、エリザベスの口八丁と、自身の罪悪感とが生んだ空言に過ぎなかったとしても。
「貴殿の言う通り、こうして生き残ったのも、神の思し召しなのだろう」
オルジフは腰掛けていたベッドから立ち上がると、左手を差し出した。
「同士達の元へ、案内してくれ。ヴラジド人達の期待は、私が一身に受けよう」
「流石は名士モラビエツスキ家の御仁ですわね。お受け頂けると信じておりましたわ」
翻って戸口へ歩みを進めるエリザベスと、その後に続くオルジフ。そして最後尾を歩くヨハンが、たまげた様子で帽子を手に取った。
「この歳の差を物ともしないとは……」
四倍以上、歳の離れた異性をも丸め込む姉の辣腕と、好きな物事の為ならどんな暗がりだろうと進んでいく妹の度胸。
ここ数日、カロネード姉妹両方のそばで過ごしてきたヨハンが舌を巻くのも無理は無い事である。
「姉妹揃って末恐ろしい奴らだ」
かつてイーデンが口にした所感と全く同じ言葉を呟きながら、ヨハンも部屋を後にした。




