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88 ウジャトの目

 学院の正門から出たところに馬車が停まっていた。


「リリ君は一緒に来てもらおう。二人はどうするかね?」

「アリシア、シャリー、二人は学院に残ってくれる? 明日からどうなるとか、説明があると思うの」

「姉御、一人で大丈夫か!?」

「心配ですわ」

「大丈夫。何があったかお話しするだけだから。ですよね、長官?」

「ああ、もちろん」


 絵面としては、幼気な少女が大柄な大人に連行される図だが、面識があるし、長官はリリが所属している特務隊の責任者だ。責任者に説明を求められれば応じるのが当然であろう。


 シャリーが後からリリの家に来て、明日からの予定を教えてくれることになった。アリシアーナとシャリーに一時の別れを告げ、リリは馬車に乗り込んだ。アルゴは馬車の後ろから付いてきてくれる。


「今から特務隊本部に向かうからな。アンにも来てもらっている」

「アンさんも!?」

「アンがいた方が色々と話しやすいだろう?」

「はい……あの、ありがとうございます」


 事件が起きたのは決して自分のせいではないが、マルベリーアンにわざわざ来てもらうことになって申し訳ない気持ちになる。


「あの、さっき学院長に話したこと、その場で思い付いたんですか?」

「ガハハ! いや、ここに来るまで必死に考えた! よく出来てただろ?」

「はい、笑いを堪えるのが大変でした」

「ラムリーが情報を集めてくれたからな」

「そうだったんですね。ラムリーさん、ありがとうございます」


 リリは向かいで長官の横に座るラムリーに頭を下げた。


「これくらい当然っす。リリさんの担当秘書官っすから!」


 あ、長官の前でも喋り方は変わらないんだ。よく分からない理由で安心感を覚えるリリである。


 やがて瘴魔対策特別任務隊の本部へと到着した。あまり特徴のない白っぽい外壁の五階建て。丸ごと特務隊本部の建物らしい。ここは学院からそれほど離れていない、北区の中心部近くである。

 鉄枠の付いた木製扉を押し開けると、一階は受付を兼ねた広いロビーになっていた。受付には女性職員が二人座っている。二人に手を挙げる長官についていき、そのまま一階の奥へ向かう。廊下を挟んで小部屋が四つ、突き当りは大部屋。その大部屋に入ると、中は会議室のように大きな机とそれを囲むように椅子がたくさん置かれている。マルベリーアンとコンラッドが椅子に座ってお茶を飲んでいた。


「アンさん、コンラッドさん。ご足労おかけしてすみません」

「いいんだよ、あんたのせいじゃないさ。それより怪我はないかい?」

「ありがとうございます! はい、体はピンピンしてます!」


 リリはマルベリーアンの隣に腰掛け、その横には椅子を押し退けてアルゴが座った。無意識に、リリはアルゴの耳の後ろから首を撫でる。アルゴが気持ち良さそうに目を細めた。


「長官、先にアンさん達と話してもいいですか?」

「それは構わないが……二度手間じゃないか?」

「リリがそうしたいって言うんだから別にいいだろうさ」

「うむ。私は長官室にいるから、終わったら受付に声を掛けてくれ」

「ありがとうございます」


 リリがぺこりとお辞儀すると、プレストン長官とラムリーが退出した。二十人以上入れる広い会議室に三人と一体……あれ? そう言えばラルカンはどこに行ったんだろう?


『アルゴ、ラルカン帰った?』

『ああ。用があったら呼んでくれと言っておった』

『そっかー。お礼が言えなかったな』

『次に会った時でも良かろう』

『そうだね』


 講堂の出入口から転移してもらった爆弾、爆発しちゃったって言ってたけどそのままで大丈夫かな……。


「お茶を淹れますね」


 コンラッドの声でリリは我に返る。ハッ!? コンラッドさんがお茶を……ってこの前も大丈夫だったよね。コンラッドが会議室に置かれていたティーセットでお茶を淹れてくれた。


「さて、リリ。話を聞かせてもらえるかい?」

「アンさんは全部ご存じなのでそのまま話します。それで、プレストン長官に話して良いかが分からなくて」

「なるほど。あんたやアルゴの能力を使ったんだね?」

「ええ。それはもう、ふんだんに」


 それからリリは、学院長の祝辞の途中で屋根が崩落しかけた所から、学院の応接室にプレストン長官とラムリーがやって来る所までを話した。ただし、人の感情を表す靄が見える点については明言を避ける。アルゴが敵意を感じ、それをリリに伝えたことにした。

 時折質問を挟みながら最後まで聞いたマルベリーアンは腕組みをして目を閉じ、しばらく考えた後に口を開いた。


「俯瞰視に時間遅延ね……。あんた、そりゃあたしも初耳だよ」

「そうでしたっけ? ……すみません」


 肩を竦めて小さくなるリリの姿に、アンとコンラッドは微笑ましいものを見る目になる。


「リリがどんどん凄い子になる」

「え、いや、えーと、ごめんなさい?」


 コンラッドの言葉に、リリはよく分からないながら謝罪を口にした。


「フフ。謝ることはないよ。僕も置いて行かれないように頑張らないと!」

「コンラッドの言う通りさ。あんたの能力は、きっと女神ミュール様が授けてくださったんだろう。それを活かしてたくさんの人を救ったんだから、ミュール様も褒めてくださるさ。悪いことは一つもしてないんだから、胸を張りな!」


 マルベリーアンの言葉通り、リリとアルゴは卑劣なテロ行為を目の当たりにし、それを防いで多くの人命を救ったのだ。普通に考えれば、それは誇れる行いである。ただリリの場合、大っぴらにしていない能力が多過ぎて、アルゴのことも含めてそれを人に伝えても良いのかいまいち判断がつかない。能力を明かせないせいで罪悪感を抱いてしまい、それが謝罪の言葉になって口をついてしまうのだった。

 そんなリリの姿勢は人によっては卑屈とか臆病に見えてしまうかも知れない。ただリリは周囲の大切な人が傷付くのを怖れているだけなのだが。


 マルベリーアンが「胸を張れ」と言ってくれたおかげで、リリは力が抜けて安堵した。自分のやったことが間違っていなかったと確信できたからだ。


「ほとんどアルゴのおかげですけどね」


 これはリリの紛う事無き本音である。自分一人では屋根の崩落は防げなかったし、多くの人と一緒に潰されて死んでいただろう。リリがアルゴの耳の後ろをわしゃわしゃと撫でると、アルゴが振る尻尾が巻き起こす風で空いている椅子が動く。


「あんたとアルゴ、どっちかが欠けてもダメなのさ。それはアルゴだって分かってるはずだよ」


 その言葉を聞いたアルゴの尻尾がピタリと止まる。そして徐にマルベリーアンに近付き、その太腿に鼻面を擦り付けた。アルゴがマルベリーアンのことを気に入った証だ。そしてすぐにリリの隣に戻った。マルベリーアンとコンラッドはアルゴの行動に目を丸くしている。


「アンさん。私とアルゴのこと、長官にはどこまで話して良いと思いますか?」

「……あんたはプレストンのことを信用してるのかい?」

「そうですね……信用できる人だと思ってます。ただラムリーさんとは会ったばかりで」

「そうかい。じゃあ今回はプレストンにだけ全部話しな」

「ラムリーさんが気を悪くしないですかね?」

「そのくらいで気を悪くするようじゃ、この先うまくやってけないだろ?」

「それもそうですね」


 マルベリーアンがコンラッドに向かって頷くと、彼は会議室を出て、長官一人だけで来てもらうよう受付の女性に頼んだ。


「コンラッドさん、すみません」

「気にしないで。リリは大変な目に遭ったんだから疲れてるでしょ」

「ありがとうございます!」


 ちょっとした気遣いが嬉しくなるリリ。実際のところ体は全く疲れていないが、少し気疲れしているのは事実だ。コンラッドの優しさを噛み締めながらアルゴを撫でていると、すぐにプレストン長官がやって来た。


「秘密の話は済んだか?」

「長官、すみませんでした。私とアルゴの能力について、どこまで話していいかアンさんと相談しました。それで、長官には全てお話すると決めました」

「ほう?」

「あの、ラムリーさんには、長官が必要だと思ったら伝えていただいても構いません。判断は長官にお任せします」

「あまり人に知られたくない能力ということか」

「はい」


 そして、リリはマルベリーアンやコンラッドに聞かせた話をもう一度繰り返した。長官が度々確認や質問を挟むため、全部話すのにさっきの二倍近い時間がかかった。聞き終えた長官は疲れた顔で大きな背中を椅子の背もたれに預ける。


「そんな魔法を使える魔物……まるで伝説の神獣じゃないか」

「ええ。アルゴはフェンリルです」

「「「えっ!?」」」


 プレストン長官だけでなく、また初耳情報を聞かされたマルベリーアンとコンラッドが驚きの声を上げた。


「あ、あれ? これって言っちゃマズかった?」


 リリはアルゴに向かって問い掛けた。アルゴはやれやれ、といった風情で顔を振り、諦めたような顔になった。


『神獣はほとんど人の前には姿を現さんと言われているのだ』

『えぇぇ……』


 アルゴは五年前から一緒にいるし、最近知り合ったラルカンはしょっちゅう転移で自分の所へ来ている。姿を現さないどころか当たり前のように傍にいるので、稀少性については考えたことすらなかった。


 一方、二年前にそうではないかと予想していたマルベリーアンは、やっぱりか、と全てに納得がいった。


「プレストン、コンラッド。今から話すことは外に洩らさないと誓ってくれるかい?」

「分かりました」

「……承知した」

「リリ、よく聞いておくれ」

「は、はい」


 マルベリーアンの真剣な顔を見て、リリは思わず背筋を伸ばす。


「あんたの目の力。それにフェンリルの存在。あんたの天恵(ギフト)は十中八九『ウジャトの目』だと思う」


 ウジャトの目。それはリリも何度か耳にしたことがある。


「千年も前、この世界が瘴魔で溢れ返りそうになったとき、突如現れて人々を救った聖女。その傍らには美しい銀色の巨大な狼がいたと言われている」


 それは御伽噺ではなかったのか。


「聖女は何千という瘴魔を薙ぎ払い、瘴魔王を数十体倒したそうだ。その聖女は『ウジャトの目』を持っていたと言われている」

「『ウジャトの目』って先読みの力じゃないんですか?」

「こればっかりははっきりと分かってない。なんせこの三百年で、『ウジャトの目』を授かったのはたった二人だからね」


 約三百年前にスナイデル公国を興した人物の妻。約百六十年前に十六の小国をまとめてクルーセルド王国を興した女王。この二人が『ウジャトの目』を持っていたことは史実として残っている。二人ともまるで未来を見通していたかのような逸話を残しているので、リリはてっきり『ウジャトの目』は未来視のような能力だと思っていた。


 御伽噺か伝説か、そこに登場する聖女なる人物も『ウジャトの目』を持っていた。その聖女は瘴魔から世界を救った。いや、世界を救ったから聖女に祀り上げられた。


『ウジャトの目とは神眼のことだ。使う者によって力は異なる』

「え、そうなの!?」


 アルゴの念話に、リリは思わず声に出して聞き返した。


『聖女と呼ばれた者は瘴魔の弱点が見えていた。俯瞰や遅延の他にもいくつか能力を持っておった』

『……アルゴ、まさかその聖女と一緒にいたのって』

『うむ。我のことだ』


 アルゴ……まさか千歳を超えるおじいちゃんだったとは。いやいや、そういうことじゃない。びっくりし過ぎて思考がおかしな方へ飛んでる。


『アルゴ、また瘴魔が溢れるの?』

『それは分からん。可能性は常にある』

『そうなんだ……。その前に、私の天恵はウジャトの目なのかな?』

『それも我には分からん。祝福の儀を経なければ天恵は確定しないのだ』

『な、なるほど?』

『そういうものだと思っておけばよい』

『うん、分かった』


 次々と驚愕の事実が語られたため、すっかりアルゴとの念話に夢中になってしまっていた。そんなリリの様子を三人が固唾を呑んで見守っていた。


「あ、こっちに集中してしまってごめんなさい」

「いや、問題ない。それでアルゴ……様はなんと?」


 プレストン長官がアルゴに様付けし始めた。ちょっと面白いからそのままにしておこう。


「『ウジャトの目』は神眼、つまり神様の目で、その能力は使う人によって変わるみたいです」


 リリの言葉を聞き、マルベリーアン、コンラッド、プレストン長官の三人は神妙な面持ちでリリを見る。何だか視線に敬意というか恭しいものを感じて居心地が悪くなる。


「あ、あの、私が『ウジャトの目』を授かったかどうかは祝福の儀まで分からないそうです」


 リリがそう言うと、三人は一斉に「ふぅー」と息を吐き出した。


「リリの天恵が何であれ、二人をどうやって守っていくか考えないといけないね」

「ああ。アルゴ様がフェンリルである前提で、国を挙げて検討するべきだな」


 マルベリーアンとプレストン長官の話にコンラッドがコクコクと頷く。何だか話が大きくなり過ぎて、リリはもう一つの事実を打ち明けるのが怖くなってきた。だが言わない訳にもいかないだろう。


「あ、あの……もう一体、神獣がいるんです」

「「「は!?」」」

「ラルカンと言って、サラマンドラだそうです。見た目は可愛いトカゲなんですけど、炎と空間を司る神獣らしいです」


 リリは一息で打ち明けた。ここまで来たら全部知ってもらった方が、リリの負担が軽くなるというもの。要するに共犯者にしてしまおうという魂胆である。


「伝説の神獣が二体……」


 プレストン長官が放心したように呟き、マルベリーアンとコンラッドは頭を抱えるのだった。

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