79 アリシアーナとセバス
係員が寄って来て、いくつか張られた天幕の一つに案内された。リリはよろよろと歩くアリシアーナを支えながら付いていく。天幕の中には椅子が並べられ、試験が終わった者達が寛いでいた。お茶や茶菓子が用意されているが、もちろんセルフサービスである。
どこから現れたのかアリシアーナの執事っぽい人がいつの間にか横に立っており、リリに目礼して彼女の腕を取り椅子に座らせた。すぐさまお茶が差し出されるという神業も見せられた。リリは自分でお茶と茶菓子を取りに行く。
「セバス、もう大丈夫ですわ」
セバス!? 今セバスって言ったよね? やっぱり執事と言えば「セバスチャン」だよね!? リリはお茶と茶菓子を持って、キラキラした目をしながらアリシアーナの近くに座った。すると、セバスと呼ばれた男性がリリに話し掛けてくる。
「お嬢様をお助けくださりありがとうございました」
「ご丁寧にありがとうございます。リリアージュ・オルデンと申します」
「これは申し遅れました。アリシアーナお嬢様の侍従、セバスティアン・レナードでございます」
惜しい! もうほとんどセバスチャンじゃん! 綺麗な礼をするセバスを見ながら、リリはどうでも良いことを考えていた。失礼である。
「リリアージュさん、ちょっとよろしくて?」
「あ、はい」
落ち着きを取り戻したアリシアーナに尋ねられる。知らない間に髪の乱れも整えられていた。さすがセバス。
「私達より随分後から入ったのに、出て来るのはほぼ同時でしたわね? あの瘴魔を倒さず走り抜けたのかしら?」
「あの瘴魔」がどの瘴魔か分からず、リリはキョトンとした。たっぷり五秒ほど考えてから、リリはポンと手を打った。そうか、人形のことか。
「瘴魔人形のことでしたら、五体無力化しましたよ?」
「なっ!? あの恐ろしい瘴魔を五体すべて!?」
恐ろしい瘴魔ってあの黒いもじゃもじゃのことだよね? それとも、アリシアーナさんの所には本物の瘴魔がいたとか?
「あの、アリシアーナさんの所の、その瘴魔ってどんな奴でした?」
「ゆらゆらと揺れながら近付いてきたり、壁から突然飛び出して来るんですの。恐ろしくて正視できませんでした」
あ、たぶん私のと一緒だわ、これ。
「そ、そうですか」
「反射的に浄化魔法を放ちましたが、一体討ち漏らしました。不甲斐ないですわ」
しゅん、と気落ちした顔になるアリシアーナ。彼女は本当に貴族として民を救うために瘴魔祓い士を目指しているのだろう。だから自分の不甲斐なさに気落ちしているのだ。
だけど、あのもじゃもじゃ人形で恐怖を感じるなら、最終試験は大丈夫かな? 私の場合、慣れ過ぎてもう分かんないけど、本物の瘴魔は根源的な恐ろしさを感じさせるって聞く。あのシャリーでさえ、初めて瘴魔を見た時には腰が抜けたようになったのだ。
ただ、瘴魔には慣れることができる。私がそうであるように。シャリーも、二度目は怖気づくことなく落ち着いて対処していた。
高い志を持った未来の瘴魔祓い士は貴重だ。特務隊に勧誘するかしないかに関わらず、アリシアーナのような人こそ瘴魔祓い士になるべきだろう。
それなら、私にできることは何?
「アルゴ、いる?」
リリが小さく呟くと、天幕の入口から巨大な狼がのそりと入って来た。それに気付いた受験者達がひぃっと小さな悲鳴を漏らし、騒めきが広がる。セバスはアリシアーナを庇うように前に立った。
「すみません、私の従魔です。安全ですから」
リリが立ち上がり、アルゴの隣に立って首の辺りを撫でながら周囲に宣言した。その言葉を聞いて、立ち上がりかけた者は半分くらい腰を下ろした。残り半分は訝し気にリリとアルゴを交互に見ている。
「アリシアーナさん、驚かせてごめんなさい。セバスさんも。この子とは五年近く一緒にいます」
「そ、そうでしたの。とっても立派な従魔を従えていらっしゃるのね」
セバスはまだ警戒を解かないが、侍従としては当然の反応だろう。
『アルゴ、やっぱり見に来てくれてたんだね』
『うむ、当然であろう。して何用か?』
『このアリシアーナさんに瘴魔を見せたいと思うんだけど、アルゴなら瘴魔がいそうな場所を知らないかな、と思って』
パタパタと振られていたアルゴの尻尾が力なく垂れ下がる。
『我の感知範囲では見当たらん。すまない』
『そんな、アルゴは全然悪くないから! 無理言ってごめんね』
元気がなくなってしまったアルゴに申し訳なくて、リリは首元の長い毛に顔を埋めた。また尻尾がパタパタと揺れ始める。
『奴なら分かるかもしれん』
『ヤツ?』
『サラマ……ラルカンだ。あいつは無駄に広い感知能力を持っている』
そう言えば、庭で初めて会った時、アルゴの魔力が多く残っていたって言ってたな。自宅から焔魔の迷宮までは馬車で二日の距離。そこから転移して来たって言ってたから、それだけ離れててもアルゴを見付けられたってことか。
それにしても「無駄に広い」って……。アルゴのプライドがそんな風に言わせてるのかな? アルゴだって十分過ぎる力を持ってると思うけど。
『ラルカン……でもどうやってあの子に連絡すれば?』
『呼んだ?』
気付けばリリの右肩に虹色の小さなトカゲが乗っていた。
『ラルカン! どうやってここに?』
『転移だよ。なんかリリから呼ばれた気がして』
神獣の勘、恐るべし。
「あの、リリアージュさん? その可愛らしいトカゲさんは?」
「ああ、この子はラルカン。アルゴ――この子と私のお友達です」
「お友達」
「はい」
アリシアーナはラルカンを慈しむような目で見ていた。分かるよ、その気持ち。ラルカンはキラキラして綺麗だし、クリクリした大きな目がとっても可愛いよね!
『ラルカンは瘴魔がいそうな場所って分かったりする?』
『分かるよ。どうして?』
分かるんだ。凄いな。
『このアリシアーナさんに瘴魔を見せたいの』
『どうして見せたいの?』
『えーと、瘴魔に慣れるため、かな』
リリは端的に理由を述べた。
『リリはその子のことが好きなの?』
ラルカンから思わぬことを聞かれる。嫌いな訳ではないが、好きと言えるほど彼女のことを知らない。
『好きになれそうかなとは思ってるよ。彼女の力になりたいって』
『そっかー。じゃあ、リリが呼んで欲しい所に瘴魔を連れて行ってあげるよ!』
『え、そんなこと出来るの!?』
『リリがそこにいればね!』
詳しく聞いてみると、ラルカンはリリの魔力を覚えており、そこに向かって転移出来るそうだ。前聞いた時には、人間が転移したらバラバラになると言っていたが、瘴魔は生物ではないので転移で移動させられるらしい。
『それはラルカンにとって大変なことじゃない?』
『全然? ちょちょいのちょいさ!』
ラルカンにとって負担でないのなら頼んでも良いかも知れない。その前にアリシアーナの意思を確認しなければ。
「あの、アリシアーナさん」
「っ!? なんでしょう?」
ラルカンに目を奪われていたアリシアーナは、リリから名前を呼ばれて姿勢を正した。
「もし良ければなんですけど、最終試験の前に一緒に瘴魔を倒してみませんか?」
「瘴魔を倒す? 瘴魔祓い士でもないのに?」
「……ここだけの話、私三級瘴魔祓い士の資格持ってるんです」
「へ?」
リリがアリシアーナにだけ聞こえる小さな声で伝えると、彼女の口から貴族令嬢らしからぬ気の抜けた音がした。
「資格を持ってるのに受験してますの? それはおかしいですわ」
うん、そうだよね。私もそう思う。リリは懐から二枚の紙片を取り出した。意を決してセバスに渡す。それを見たセバスは眉を上げたが、何も言わずにアリシアーナに渡した。
「これは……本物のようですわね」
「はい」
紙片の一枚は三級瘴魔祓い士の資格証。もう一枚は瘴魔対策特別任務隊の指令書だ。指令書には、学院への潜入調査と特務隊隊員の候補者選定について書かれている。
「信じられなければ、プレストン・オーディ長官に問い合わせていただいても構いません」
「そこまでおっしゃるなら信じましょう。しかし、一緒に瘴魔を倒すというのは?」
「私は、アリシアーナさんのような人こそ瘴魔祓い士になるべきだと思います。だけど今日の様子を見ていると、最終試験が心配なんです」
もじゃもじゃ人形にビビッてるようでは最終試験で落ちます、とはさすがに言えない。最終試験では、安全をある程度担保した上で実際に瘴魔と戦うというのは知られていることである。
「つまり、私の実力不足と?」
「違います。瘴魔に慣れた方がいいと思ったんです」
「瘴魔に……慣れる?」
「ええ。初めて間近で瘴魔を見た人は、ほぼ例外なくその恐ろしさで動けなくなるか、一目散に逃げだします」
リリの場合は結構距離が離れていたし、両親のことが心配でそれどころではなかったが。
「でも、瘴魔には慣れることができます。実際私も慣れましたし、友達も慣れたと思います」
「危険はないのでしょうか?」
セバスが口を挟んできた。侍従なら心配するのは当然である。
「絶対ないとは言えません。だけど、最終試験よりは安全だと保証します」
アルゴとラルカン、二体の神獣が近くにいるのだ。それ以上に安全な場所があるだろうか?
「リリアージュ殿、失礼ながらあなたの保証には何の意味も――」
「セバス、おやめなさい。リリアージュさん、私、行きますわ」
セバスの抗議を遮って、アリシアーナが宣言した。それに一つ頷いて、リリは場所と日取りについてアリシアーナに尋ねる。最終試験は五日後、その前でなければ意味がない。すると、明日でも構わないと言われた。場所も指定された場所まで行く、と。
『アルゴ、あまり人が来ない所で瘴魔と戦えそうな場所はあるかな?』
『それなら分かるぞ』
アルゴによれば、そんな場所はたくさんあるそうだ。アリシアーナは貴族街の北寄りに住んでいるというので、北門から街道を二キロ進んだ所で待ち合わせすることに決めた。時間は明日の十四時。
『ラルカン、それでお願いしてもいい?』
『いいよ、任せて!』
こうして、アリシアーナ侯爵令嬢のために、急遽瘴魔を倒すデモンストレーションを行うことになった。
その話が終わった頃、丁度シャリーも試験を終えて同じ天幕にやって来た。
「姉御、アルゴも来てたのか!」
「わふっ!」
シャリーはアルゴの姿を認めると、その体に飛び付いた。
「シャリー、試験どうだった?」
「あの人形、あれで瘴魔のつもりなんだから笑わせるよな! 楽勝だったぜ!」
ここまでアリシアーナに気を遣って言葉を選んでいたのに、シャリーの一言でそれが無駄になった。アリシアーナは愕然としたあと顔を赤く染め、俯いてしまう。
「シャ、シャリー? 瘴魔を見たことがない人もたくさんいると思うの」
「そうだな。オレだって初めて見た時は膝がガクガク震えたもんな!」
その言葉を聞いたアリシアーナが、ガバッと顔を上げた。
「あの……初めて瘴魔を見たら、やっぱり恐ろしいんですの?」
「ああ、そりゃあ恐ろしかったぜ! 今は不思議と平気だけどな!」
ガハハ、と豪快な笑い声をあげるシャリー。アリシアーナはそんなシャリーの話を聞いて、胸元で拳を握り締めていた。シャリーは言葉を飾らない。だからこそ、その言葉には説得力がある。そんなシャリーだからこそ、リリは彼女のことが好きになったのだった。
シャリーも交えてアルゴやラルカンと戯れる。アリシアーナはラルカンのことが相当気に入ったようで、膝の上に乗せてだらしなく顔を緩ませながらその背中をずっと撫でていた。一方のラルカンはされるがまま。心なしか目がウットリしている。シャリーはアルゴの首元に顔を埋めて胸いっぱいに匂いを吸い込み、体ごとアルゴに埋まりたいと言わんばかりにしがみついていた。
神獣とはかくも人をダメにするのか。前世のクッションか。
セバスが時折アリシアーナに苦言を呈している。貴族令嬢らしからぬ顔になっているので仕方ない。彼女はハッと顔を引き締めるが、二分も経つとまた緩んでいる。シャリーは体の半分くらい、アルゴの毛の中に埋めることに成功していた。
そんな二人の様子を微笑ましく見ていると、天幕に係員がやって来て合格者の名前を読み上げ始めた。リリ達がいる天幕には五十人くらいの受験者がいたが、名前を呼ばれたのは十六人だった。リリ、シャリー、アリシアーナの三人の名も呼ばれた。
「アリシアーナさん、また明日」
「はい、よろしくお願いしますわ」
侯爵家の馬車を見送ってから、リリとシャリーは乗合馬車に乗る。
「シャリー、次のお祝いは最終試験に合格してからにしよう」
「そうだな! 家で待ってる人がいるしな!」
一次試験の時は家族をずいぶん待たせてしまったので、今日は二人とも真っ直ぐ帰ることにした。
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