70 姉弟のお出掛け(保護者付き)
1スニード=約100円の設定です。
瘴魔祓い士協会東区支部でのごたごたから二週間。その日、リリは朝からジェイクに捕まった。
「リリ、折り入って頼みがあるんだが」
「うん、いいよ」
「……まだ言ってねぇぞ?」
「ジェイクおじちゃんが無理なお願いする訳ないもん」
リリの返事に、ジェイクはう~んと唸りながら頭をガシガシと掻いた。
「いや、俺としては断固反対なんだが」
「ん? 無理なお願いってこと?」
「いや、危険があるかも知れねぇ」
そう前置きをして、ジェイクが話し始めた。
ファンデルの北西、馬車で二日の距離に洞窟型の迷宮があるそうだ。そこに、普段は見られない強力な魔物が出現している。そこで、「金色の鷹」の他に二つ、合計三つのSランクパーティに、冒険者ギルドから指名依頼が入ったらしい。
「総勢十六人だが、治癒魔術師が一人しかいねぇんだ」
元々、治癒魔法が使える冒険者は圧倒的に少ない。危険を冒さなくても十分稼げるからだ。逆に冒険者になった治癒魔術師はバトルジャンキー気質と言える。
「その治癒魔術師、自分でガンガン前に出るタイプでな……あんま治癒魔術師として役に立たねぇんだわ」
「つまり私が治癒魔術師として同行すればいいってこと?」
「……リリの他に治癒魔法が使える奴を知らねぇんだ」
正確には、治癒魔法を使えて冒険に付き合ってくれる奴、である。
「私はいいよ?」
「危険だから俺は反対なんだが、ギルドからどうしても……っていいのかよ!?」
「うん。おじちゃん達が守ってくれるでしょ? それにアルゴもいるし」
自分でも自分の身くらいは守れる。そう思ったが口には出さないリリ。大人の自尊心を尊重できる子なのだ。
「そうか……。ありがとう、助かる。準備は全部こっちでやっとくし、もちろんギルドから報酬も出るからな」
「いつ出発するの?」
「明後日の早朝だ」
「分かった。私が準備することはない?」
「そこは大丈夫だ。体調を万全にしといてくれればいい」
ということで、リリの初迷宮挑戦が決まった。
それからリリは連絡すべき人達にしばらくファンデルを離れると伝えた。具体的には、マルベリーアンとコンラッド、マリエル、シャリーの四人に、一週間から十日ほど迷宮に行って来ると伝えたのだった。ミリーとミルケにはジェイクから話をしてもらったし、アルゴはリリの隣でジェイクの話を聞いていたので既に知っている。
マリエルは何やら毎日忙しそうにしており、なかなか遊んだり出来ない。シャリーは伯母さんの家に移り、新たな生活に慣れるのに大変そうである。シャリーの場合はデンズリード魔法学院の試験もあるので、この時期に迷宮に行って怪我でもしたら大変だ。付いて来たそうだったが、大事な時期だからと言って諦めてもらった。
マルベリーアンとコンラッドは、「行っておいで」「気を付けて」と快く送り出してくれた。いよいよ明日から迷宮に向かうが、その前にリリはやりたいことがあった。ファンデルに来てから、ミルケの相手をちゃんとしてないことに気付いたのだ。だから、今日の午後はミルケと一緒にお出掛けしようと決めたのだった。
「お姉ちゃん! どこに行く?」
キラキラと期待のこもった目で見上げられ、困惑するリリ。正直言って、ファンデルに来てから大した場所には行っていないのである。マルベリーアンの家、マリエルの家、ダルトン商会、鷹の嘴亭、冒険者ギルドに瘴魔祓い士協会の東区支部。リリくらいの年代の子が行きそうな場所に全く心当たりがなかった。ましてミルケが楽しめる場所となると皆目見当がつかない。
「ど、どこに行こう……?」
リリの目が盛大に泳いだ。
『屋台や露店が並ぶ通りや、景色の良い場所なら知っておるぞ?』
「ほんと!? アルゴ頼りになるぅ!」
アルゴがいつそんな場所を見付けたかと言えば、リリとシャリーが演習場に行って留守番を言いつけられた時である。隠密をフルに発揮して街のあちこちを探索してきたのだ。縄張りの確認とも言う。いずれにせよ非常に頼りになる神獣であった。
かくして、プランはアルゴに丸投げしてリリはミルケと手を繋ぎ歩き出す。
「ミルケはお母さんとどこかにお出かけした?」
「うん! 服屋さんでしょ、食器屋さんでしょ、あと雑貨屋さん?」
ミルケの方がリリより女子力が高いかも知れない。弟なのに。リリは訓練とか訓練とか訓練ばかりしている気がする。これは不味い。もっと女の子らしいことをしなければ。リリは危機感を募らせた。
「よ、よし! 今日はお姉ちゃんが面白い所に連れて行ってあげる!」
「やったぁ!」
無垢な笑顔を浮かべながらぴょんぴょんと飛び跳ねるミルケ。一方リリは心が痛い。お姉ちゃんが、と言ったが実際にはアルゴが、である。私も、そのうち遊べる場所を見付けておくからね。きっと、そのうち……。
アルゴによると、お勧めの場所の一つは南区にある南門近くらしい。歩くと一時間半はかかると言うので、リリとミルケは乗合馬車に乗って向かうことにした。馬車はダルトン商会の建物の近くから出る。
「うわぁ、ぼく乗合馬車初めて!」
「お姉ちゃんも初めてだよ!」
ファンデルを巡回するように走っている乗合馬車は、距離に関わらず乗車賃は一スニード。三歳未満の子供は無料だ。リリは停車場の係員に二スニードを支払い、ミルケとしっかり手を繋いで馬車を待つ。
『リリ、我は先に行っておくぞ。降りる場所は南門市場前、だからな』
「うん、分かった。ありがとう、アルゴ」
そう言うと、アルゴはすぅーっと人混みに消えていく。アルゴが隠密を全開にすると、リリでさえ居場所が分からなくなるのだ。
「アルゴ、なんだって?」
「先に行って待っとくって」
「アルゴに乗って行ってもよかったのに!」
「そうだねぇ。でも街の人がびっくりしちゃうよ」
「そっかー」
六歳になったミルケは、その歳の男の子にしては随分と聞き分けが良く大人しい子だ。それが生来の性格ならいいが、もし我慢しているのなら、と心配になる時がある。同い年の友達でも出来れば良いのだけど。そんなことを考えていると馬車がやって来た。
「あれに乗るの?」
「そうみたいだね」
乗合馬車は幌馬車で、荷台の長辺に向い合せでベンチのような客席が設けられていた。一応座面にクッションが使われているようだ。荷台の後ろに木製の台が置かれ、それを踏み台にして待っていた人が次々に乗り込む。リリとミルケもそれに続いた。
幌は下の方が開いていて景色が見えるようになっているので、そこまで閉塞感はない。座ってみると、クッションもかなり効いていてこれならお尻も大丈夫そうだ。ミルケは靴を脱いでクッションに膝立ちになり、外の景色を食い入るように見ている。時折面白そうなものを見付けると、リリにそっと教えてくれた。
途中何度か停車し、降りる人、新たに乗る人と入れ替わりながら、四十分程で目的地に着いた。
「おぉ!」
「にぎやかだね!」
そこは南門から一キロほど内側に入った場所にある市場。アルゴの言葉から、アジアの屋台街をイメージしていたリリだったが、良い意味で裏切られた。想像よりもかなり規模が大きい。広い通りの両側には色とりどりの屋根が軒を連ねている。移動を前提にしたものではなく、それが店舗になっているようだ。一軒一軒がそれなりに広い間口と奥行きを持っている。リリとミルケがいる北側は露店で、南側が食べ物などの屋台のようだ。
雰囲気と人の多さに圧倒されていると、ミルケと手を繋いだ逆の手にふわりとしたものが触れた。見るといつの間にかアルゴが隣にいた。
「アルゴ!」
『無事着いたな』
「うん!」
それからは、リリとアルゴでミルケを挟むようにして順番に露店を眺めていく。洋服、アクセサリー、陶器や銀器、靴、バッグ、魔石の加工品、魔道具、絵画、彫刻、その他よく分からないもの。どちらかと言うと服飾関係が多いようだ。絵画の店を見てみると、色んな作風の作品が並んでいる。人物画と風景画が多い。写実的なもの、抽象的なもの。リリが趣味で描く作風とはまた違うタッチで、純粋に面白いな、と思った。
視線を下げると絵具や筆も売っている。なるほど、ここは画材屋なのか。リリは手持ちの中で少なくなっていた絵具と、持っていない色の絵具をいくつか選び、店員に差し出した。
「これください」
「おや、お嬢ちゃんは絵を描くのかい?」
人の良さそうな笑顔を浮かべる三十代くらいの男性。念のために靄を確認すると、薄い黄色と薄いピンク。見た目通りの人だ。
「はい、趣味ですけど」
「そうか! 良いのが描けたら持って来ておくれ。ここに並べたら誰かの目に留まるかも知れない。ここから貴族お抱えの絵師になった奴もいるんだよ」
「へぇー! すごいですね」
「はい、全部で十二スニードだよ……ほい、ありがと。あ、それと、うちの本店が東区にあるから、そっちもよろしくね」
お金を支払って袋に入れられた品物を受け取る際、小さな紙片を渡された。そこには「ファンデル一の品揃え! マーブル画材店」とちゃっかり書かれている。聞けば、この市場の露店はその殆どが支店のような役割を担っているらしい。たくさんの露店が集まる市場は集客に苦労しない。そこで足を止めてくれた人に本店を宣伝するのが大きな目的の一つだと言う。そんなことを憚りもせず教えてくれた店主は本当に良い人なのだろう。
画材店から二軒南へ進むと、おもちゃ屋があった。
「ふおぉぉぉ!」
普段のミルケからはあまり聞かない興奮した声が聞こえた。そこには数組の親子連れの姿もある。
「ミルケ、欲しいものがあったらお姉ちゃんが買ってあげる」
「ほんと!?」
「ほんとだよ」
ミルケの頭を撫でて一緒におもちゃを見ていく。他の子は気になったおもちゃを手に取り、こちらが心配になるくらい雑に扱っているが、ミルケは顔を近付けても触ろうとはしない。そこで、リリが店員の女性に尋ねた。
「触ってもいいですか?」
「大丈夫ですよ。ここにあるのは見本なので」
「ありがとうございます。ミルケ、気になるものがあったら触ってもいいよ」
「うん!」
魔物を模したフィギュアは、精巧に着色までされている。振ると音と光が出るおもちゃの剣は魔道具のようだ。スノードームに似た物、中の液体は何だろう? まさかスライムとか……?
取っ手を回すと音が鳴るオルゴールもどき、駒が無駄にかっこいいチェスに似たゲーム。筒の穴から覗くとキラキラと光る万華鏡もどき。同じような筒に取っ手が付いたものは、水鉄砲らしい。「水槍」と魔法のような商品名だ。ちなみに実際の魔法に水槍はない。
ミルケは、チェスに似たゲームといくつかの魔物フィギュアを選んだ。
「それにするの?」
「うん! お姉ちゃんとお母さんと遊ぶの!」
「うぅ……他にも買っていいんだよ?」
弟が可愛すぎて苦しくなるリリ。思わず何でも買ってあげたくなる。お金の心配などない!
「ううん。またお姉ちゃんと選びに来たい。いい?」
「っ!?」
百点満点の返事をしたミルケを、リリは思わずぎゅーっと抱きしめた。
「く、苦しいよ、お姉ちゃん」
「ご、ごめん! じゃあ今日はそれを買おうね」
チェスっぽいゲームは「戦盤」というらしい。その戦盤と遊び方の説明書、それに魔物フィギュア二点。合計で百四スニード。商品を渡される時、お姉さんから本店の宣伝をされた。西区にあるらしい。今度ミルケを連れて絶対行こう、とリリは思った。姉バカである。
満足したリリ達はそのまま屋台が並ぶ所まで進んだ。香ばしい匂い、甘い匂いがあちこちから漂ってくる。お祭りみたい、とリリは思った。ただしこんな規模の出店が並んだところは前世でも見たことはないが。
串焼き、スープ、揚げ菓子、串焼き、焼き菓子、氷菓子、串焼き、串焼き……。
串焼き多過ぎじゃないっ!?
使われている肉は違うようだが、タレが似ているのか、どこも同じような香りだし同じに見えてしまう。これでは選ぶのも難しそう。
『我の勘が、あそこのが美味いと言っている』
「おお!」
リリはミルケの手をしっかり握り直し、アルゴが教えてくれた店の前まで行く。
「もうすぐ夕飯だから、ちょっとだけ食べようか」
「いいの?」
「一本くらい大丈夫だよ。それに、ここはアルゴがお勧めしてくれたんだよ」
「ほんと!? じゃあ食べてみたい!」
アルゴに対するリリとミルケの信頼感は絶大である。
「お兄さん、串焼き三……いや四本ください!」
「ほい、ちょっと待っててな!」
明らかにお兄さんではないおじさんにリリが注文すると、おじさんは機嫌よく四本の串焼きを焼き始めた。もう焼けてるのがあるのに……。
「お嬢ちゃん可愛いから特別だ。焼き立てが一番美味ぇんだよ」
「なるほど」
炭に落ちた肉の脂とタレの香ばしい匂いが暴力のように襲い掛かる。リリとミルケの口の中は、もう涎でダバダバだ。アルゴに至っては透明な雫が口の端から地面まで垂れていた。
「四本で十二スニードだよ」
「はい!」
「まいど! ほい、熱いから気をつけてな!」
「お兄さん、ありがとう!」
「また来てくれよ!」
袋に入れてくれた串焼きを持って、南門に近い場所に移動する。そこは椅子やテーブルが並べられ、フードコートのようになっていた。空いている所を見付けて座る。
「はい、ミルケ。熱いからね」
「うん。ありがとう、お姉ちゃん!」
「アルゴのは串を抜くね……お皿がないから、この紙の上でいいかな?」
『問題ないぞ!』
「はい、どうぞ」
ミルケに一本、アルゴに二本、最後の一本をリリは慎重に食べ始める。外側は焦げ目が付くくらいしっかり焼かれているが、中はほんのりピンク色。癖のある肉はボア系か。しかししっかりと下味が付けられ、上から掛けられた甘辛いタレと相俟って癖は殆ど感じない。表面の歯ごたえと、内側のとろけるような柔らかさが口の中で一体になる。
「おいしいー!」
「うん、ほんと美味しい。アルゴ、ありがとね!」
「ありがと、アルゴ!」
『礼には及ばん』
リリとミルケが串に刺さった一つ目の肉を食べ終わる頃には、アルゴは二本分を完食していた。あと二本くらい買った方が良かったかな?
『追加は不要だ。夕飯があるからな』
心を見透かされた。リリ達が小腹を満たすのに丁度よい大きさなので、アルゴには物足りないだろう。しかし、アルゴにとってはオルデン家で食べる食事こそ至高。特にリリが作る時は幸福の絶頂である。だから、今は物足りないくらいがいいのだ。
アルゴのもう一つのお勧めポイントは北区にあるらしく、また別の日に行くことに決めた。買い物と買い食いで心とお腹を満たした姉弟は、また乗合馬車で自宅へ戻った。アルゴはダルトン商会の建物前で置物のように待ち構えてくれていた。その夜は久しぶりにリリとミルケは一緒のベッドで眠ったのだった。
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