68 瘴魔祓い士協会東区支部
冒険者ギルドにて、後ろで大人しく控えているアルゴを見て顔が引き攣る職員のお姉さんに何とか本拠地移転の手続きをしてもらい、リリ達はギルドの建物から外に出た。
「シャリー、今日はまだうちに帰ってくるんだよね?」
「もちろんだ! ……まだ泊まってもいいのか?」
「全然大丈夫、シャリーがいたいだけいていいよ!」
「フフフ! じゃあ帰ってくるぞ」
「一人で大丈夫? 家の場所分かる?」
「当たり前だ、心配すんな」
「うん。じゃあ気を付けてね」
「おう!」
伯母さんに会うと言うシャリーの背中が雑踏に消えて行くのをリリは見送った。私にはアルゴがついていてくれるけど、シャリーは大丈夫かな? ……いや、ああ見えて炎魔法の優秀な使い手だ。シャリーなら何かあっても自分で対処できるだろう。
実際にはリリの方が年下だが、まるで妹を見送るような気持ちになった。これではいけない。いつも傍にいてあげられる訳じゃないんだから。気を取り直して瘴魔祓い士協会の建物に向かう。と言っても商業ギルドを挟んで二軒隣である。
協会の建物は、冒険者ギルドと比べると半分以下の大きさで、外側は無機質な印象だ。二重円の上に大きくX字が描かれた看板。二重円は瘴魔を、X字は瘴魔祓い士を表すらしい。建物の外壁は白に近い灰色で、大きな窓があるが中は見えない。金属に見える扉に手を掛けると、思ったより軽い力で開いた。
冒険者ギルドに比べて閑散としている。来客よりカウンター内にいる職員の方が多いくらいだ。リリとアルゴに目を向ける者は誰もいなかった。それが返って薄気味悪く感じる。一番近くのカウンターに近寄り、暇そうにしている女性職員に声を掛けた。
「プレストン・オーディ会長に言われて来ました、リリアージュ・オルデンと申します」
「あ、はい……少々お待ちください!」
女性は一瞬呆気に取られた顔をして、弾かれたように席を立つ。カウンター奥の扉から別の部屋へ入って、男性を伴って戻って来た。
「君がオルデン君か……こっちに来なさい」
男性の後をついて二階に上がり小部屋に入る。アルゴには狭そうなので廊下で待ってもらうことにした。
「アルゴ、少しここで待っててね」
「わふっ」
「何をしてるんだ。早く入りなさい」
「はい、すみません」
机と椅子、小さな窓があるだけの狭い部屋で、男性は先にどっかりと椅子に座った。
「東区支部長のデリア・キュルトンだ。掛けなさい」
「はい。リリアージュ・オルデンと申します」
リリは名乗ってから浅く椅子に腰掛ける。デリアの出っ張った腹が机を押している。もう少し広い部屋にすればいいのに、とリリは思った。顔の周りには黒に近い灰色の靄が大量に纏わりつき、表情がちゃんと見えないほどだ。
それにしても、初見でこんなに悪意のある人は久しぶりに見たな。私のことが気に食わないのだろう。理由は何となく想像がつく。
「会長が君に三級瘴魔祓い士の資格証を与えるようにと言われたが、私は納得がいかん」
そうでしょうね。
「成人前に資格を得る者もいない訳ではない。だが、三級というのは前代未聞だ」
三級って決めたのは私じゃないんですよ。リリはこてんと首を傾げた。私にどうしろと?
「聞けば、マルベリーアン・クリープスが君を弟子にするらしいじゃないか。つまりこれはコネで無理矢理押し込んだ話だ。違うかね?」
「アンさんはそんなことする人じゃありません」
「ふん。アンさん、ね。愛称で呼ぶなんて随分仲が良いようだな。会長も後輩から頼まれたら断れなかったのだろう。君、三級を辞退して五級にしなさい。それならすぐに資格証を作ろう」
私は別に五級で構わないんだけど、それって三級に推してくれたプレストン会長に対して失礼な気がする。この支部長さんが勝手に五級にしたら、きっと会長は怒るだろうし。
「会長と一緒に演習場に行って、瘴魔を倒すところを見ていただきました。それでも不足ですか?」
「どうせ何か狡賢い手を使ったのだろう」
駄目だ、この人。何を言っても自分の考えが正しいと思うタイプだ。
「ではどうすればいいのでしょうか? 一緒に演習場に行きますか?」
「君がどう誤魔化すのかを見に? 馬鹿らしい」
私が瘴魔祓い士になるのが気に食わないのかな? 瘴魔祓い士って貴重な人材じゃないの?
「分かりました。じゃあ瘴魔祓い士にならなくていいです」
「はぁ? 五級にしてやると言ってるじゃないか」
「いえ、協会にあなたのような人がいると分かった以上、その下で命を懸ける気にはなれません。お金には困ってないし、他にやりたいこともあるんです。どうしても瘴魔祓い士になりたい訳じゃないので。失礼します」
リリは声を荒らげることもなくそう言って席を立った。はぁ。アンさんやシャリーに何て言おう? まぁそのまま伝えるしかないか……。
瘴魔祓い士にならなくても瘴魔は倒せるしね。お金にならないというだけで。それに協会に縛られないのはかえって都合が良いかも知れない。治癒魔術師として活動してもいいし、マリエルの言ってた商売もあるし。
「ま、待ちなさい! 分かった、四級だ。特別に四級にしてやる!」
「はぁ……もう結構です。失礼します」
これ以上話すのはお互いに時間の無駄。リリはデリアの顔を見ることすらせず、部屋を出る。後ろで何かドタバタと音が聞こえるが関係ない。
「アルゴ、お待たせ。行こうか」
『何かあったのだな?』
「後で話すよ」
そう言って階段を下りる。後ろから「待てと言ってるだろう!」と怒鳴る声が聞こえるが耳を貸さない。
久しぶりに嫌な気分を味わったな。こんなの、クズーリ・ギャルガンに攫われそうになった時以来だ。
自分の内側から沸々と湧き上がる昏い衝動を何とか抑える。リリがアルゴに頼めば、この建物は一瞬で焼き尽くされるだろう。あの太った支部長ごと。それを見て「ざまあ見ろ」と言ってやりたい。
後ろを振り返らず、出口の扉だけを睨み付けて歩く。早くここから出たい。自然と小走りになっていた。
「あれ、リリちゃん? リリちゃんじゃないかい?」
その時、横からふわりと柔らかい声が聞こえた。聞き覚えがあるような気がして、リリは思わず足を止める。
「……えーと、ティーガーさん?」
「おお! やっぱりリリちゃんじゃない! どうしたの、そんな怖い顔をして」
声を掛けて来たのは一級瘴魔祓い士、ティーガー・ブルース。瘴魔の氾濫を治めるために訪れたルノイド共和国で知り合った、マルベリーアンの弟子だ。
「ブルース! その子を引き留めてくれ!」
ドスドスと重い足音を立てながらデリアが階段を下りてくる。リリは一瞬鋭い視線をデリアに向け、直ぐに出口へ向き直った。
「おいおい支部長。あんたこの子に何をしたんだ?」
「お前には関係ない! 私はその子に話があるんだ」
「って言ってるけど、リリちゃん?」
「私はありません」
「だとよ、支部長」
ティーガーはリリを後ろに庇うようにデリアの前に立ちはだかった。
「お前には関係ないと言っているだろう!?」
「それが関係あるんだなぁ、兄妹弟子だから。それに、あんたに命令される筋合いはないよ?」
ティーガーの物言いに、リリは「おや?」と思った。支部長の命令を聞かなくていいの? それと、私がアンさんに弟子入りしたこと、もう知ってるの?
「あんたは知らないだろうが、俺はリリちゃんが四十三体の瘴魔と、二体の瘴魔鬼を一人で倒すところをこの目で見た」
「は……?」
「いやぁ、あれは痺れたね。そうか、リリちゃん遂に瘴魔祓い士になってくれるのか」
ティーガーは心からの笑顔をリリに向けた。だがリリは口をきゅっと一文字に結んで首を横に振る。
「瘴魔祓い士にはなりません」
「え? なんで? リリちゃんなら一級か、少なくとも二級の実力あるよね?」
「私は、アンさんやプレストン会長を信じない人の下で命を懸けたくありません。詳しいことはその人に聞いてください」
リリはそれだけ言うとティーガーに向けて深々と頭を下げ、そのまま出口を飛び出して行った。
リリの言葉に衝撃を受けたティーガーだが、だいたい何があったか察した。そして氷のように冷たい視線をデリアに向ける。
「あんた……自分が何をしたか分かってるのか? 未来の特級瘴魔祓い士が、祓い士にならないって言ったんだぞ?」
「え、な、わ、私はただ」
「どれだけの損失か分かるよな? 彼女が祓い士にならなかったせいで、どれだけの人が死ぬのか」
ティーガーはそう言い捨ててリリの後を追う。だが、扉を出た所で辺りにリリとアルゴの姿はなかった。
トボトボ歩くリリと、心配そうに寄り添うアルゴ。帰りに冒険者ギルドで面白そうな依頼がないか見て行こうと思っていたのに、それすらしようと思う気力がなかった。
五級でもいいから、とにかく瘴魔祓い士の資格をもらうべきだっただろうか?
リリのイメージでは、瘴魔祓い士というのは誇り高く尊敬される仕事であった。実際、リリが知る祓い士は皆そうだ。だが、そんな人達がある意味命を預けている協会の、しかも支部長という責任ある立場の人間が、自分の考えを妄信して押し付けるとは。
それだけならまだいい。あの支部長は、アンさんやプレストン会長を侮辱したのだ。人々の命を守るために、途方もなく長い時間戦ってきたあの人達を。自分を侮るのはいいが、あの人達を侮るのは絶対に許せなかった。
そう考えると、瘴魔祓い士になる前に協会のことが知れて良かった。そう思うことにしよう。
自宅の前を素通りして、そのままマルベリーアンの家の方に向かう。リリに一番期待を寄せてくれているのは間違いなく彼女だ。瘴魔祓い士にならないということを、真っ先に報告するべきだろう。
『あの男がリリに酷いことを言ったのだな?』
「うーん……そう、なるかな? 私みたいなのがいきなり三級瘴魔祓い士っていうのが許せなかったみたい」
『だがリリの実力はそれ以上であろう?』
「それは自分では分からないよ。ただ、アンさんと会長さんを侮る言葉は許せなかった。そんな人の下で働けないよ」
『リリは思うように生きれば良いのだ。何も祓い士だけが生き方ではない』
「うん、そうだよね。アルゴは祓い士じゃない私でも一緒にいてくれる?」
『何を言う。当たり前ではないか』
「フフッ。ありがとう、アルゴ」
アルゴのふわふわすべすべな毛の感触を堪能していると、だんだん心が軽くなるような気がした。そうこうしているうちにマルベリーアンの豪邸に着いた。
*****
その日の夜、マルベリーアンの自宅リビングでプレストン会長が正座させられていた。リリはもうとっくに帰った後だ。リリから協会で何があったか聞かされたマルベリーアンは、泣きながら謝るリリを慰め、コンラッドに自宅まで送らせた。そしてプレストンを呼び出した次第である。瘴魔祓い士協会の会長を呼び出して正座をさせる女傑。それがマルベリーアンだ。
「あんたの教育がなってないからこんなことになったんだよ!」
「……面目ない」
「あの子はね、泣きながらあたしに謝ったんだ。祓い士にならなくてごめんなさい、ってね!」
「言い訳のしようもない」
お茶を出そうとしたコンラッドは、マルベリーアンの剣幕に恐れをなしてキッチンに引っ込んだ。自分に対して、こんなに怒りを見せたことは今までない。自分に飛び火しないように、コンラッドは出来るだけ気配を消した。
「それで、どうするんだい!?」
「…………支部長を連れて謝罪に行く」
「はっ! 無駄だね」
「何故?」
「いや、謝罪自体はするべきだ。だが、それをあの子が受け入れたとしても、また祓い士としてやっていきたいと思ってくれるかは別だ」
「どういうことだ?」
「あの子は瘴魔祓い士という仕事に失望したんじゃない。協会に失望したんだよ! 協会の下じゃ働きたくないってね!」
「…………なんてこった」
言いたい事を言ったマルベリーアンはプレストンをソファに座らせた。
「リリはね、今でも十分なお金を持ってるんだよ。そのうえ、孫と一緒に商売も始めるらしい。少し教えてもらったが、その商売はきっとうまく行く。相手が貴族連中だから気は休まらないかも知れないが、少なくとも命の危険はない」
プレストンは神妙な顔で頷いた。
「つまり、あの子には選択肢があるんだ。わざわざ瘴魔祓い士なんて危険な仕事をしなくてもいいんだよ。それでも祓い士を目指したのは、人々を守りたいと思ったからだ」
マルベリーアンの言葉に、プレストンは首が折れそうなくらい深く項垂れた。リリが瘴魔祓い士を目指した理由こそ、プレストン自身が理想に掲げていることなのだ。自分と理想を同じくした若者の将来を、自分が潰してしまう。そんなことは断じて避けたい。
「儂は……どうすればいいのだ?」
「プレストン・オーディ、あんたは会長だろう? あの計画を前倒しすればいいんじゃないかい?」
「そう、か……なるほど」
「ただし、リリにちゃんと謝罪してからだ。謝ったからって許してもらえるなんて思うんじゃないよ?」
「ああ、そうだな。謝罪は謝罪としてきちんとさせてもらう。デリア支部長については辞めてもらうか」
「いや、あの子はそんなこと望んじゃいないね」
その後遅くまで二人は話し合った。デリア・キュルトン東区支部長がプレストン会長の自宅に呼び出されたのはその日の真夜中近く。デリアはプレストンの怒りに顔色を無くし、脂汗を流しまくった。しかし進退については一言も言及されなかった。次の日の午前中、プレストンとデリアは一緒にリリの自宅へ謝罪しに行くことに決めたのだった。




