67 会長、勘違いする
騎士が二人掛かりで重そうな扉を開けてくれた。果たして、リリ達の目の前に黒い靄の塊が飛び込んで来た。
「むっ!」
プレストンがリリとシャリーの安全のため、二人を背中に庇いながら浄化魔法を放とうとする。だが、魔法が発動する前に瘴魔がさらさらと崩れ去った。
「なに? ……リリ君、今何かしたのかね?」
「あ、はい。魔力弾を撃ちました」
「さすが姉御だ!」
魔力弾を……撃った? 特級の儂に気付かれずに?
しかし現実として、襲い掛かって来た瘴魔は倒された。自分が浄化魔法を発動していないのだから、誰かが何かしたのは事実。
「……リリ君、あと何体か倒してもらって良いかね?」
「もちろん大丈夫です」
「姉御、オレも倒したいぞ!」
「うん。プレストン会長、シャリーも倒していいですか?」
「ああ。リリ君の後で頼む」
細めの木が疎らに生えている演習場内部には、道らしい道はない。そのため、リリとシャリーはプレストンの後ろを付いて行く。
「あ。向こうに瘴魔がいますね。……二体です」
「どこだね?」
「あっちの、少し斜めになった木の向こう側です」
リリが指差す方に目を凝らすが、プレストンには見えない。
「斜めってあの木か? 二百メートル以上離れてるように見えるが」
「そうです……あ、こっちに向かって来ます」
まるで知り合いがこっちに来る、みたいに気軽な調子。全く自然体を崩さないリリの様子から、本当に瘴魔を怖れていないことが分かる。対抗手段を持たない普通の人間なら、一目散に逃げるか、恐怖で竦んでしまうか、その二択だと言うのに。
「もう少し引き付けた方がいいですか?」
いつでも倒せますけど、と言っているように聞こえた。いや、実際にそうなのだ。この子にとって瘴魔は敵ですらない。その辺を飛んでいる羽虫も同然なのだろう。全力を出さずとも瞬時に倒せる相手。だからずっと自然体なのだ。
「なるべく近くで倒してくれたら助かる」
「分かりました。シャリー、後ろを警戒しててね」
「了解!」
リリは現在、目の能力を使って付近を俯瞰して見ている。後ろどころか、自分達を中心に半径三百メートルの範囲に瘴魔が何体いて、どう動いているか全て把握していた。シャリーに声を掛けたのは、あくまで役割を与えるため。自分で考え、自分で行動しなければ一人で瘴魔を相手にすることは出来ないと思うからだ。
プレストンの目にも二体の瘴魔が見えた。地上を滑るように、人の早歩き程度の速さで近付いて来る。
残り百メートル……五十メートル……三十メートル……二十メートル……。おいおい、これ以上近付かせると瘴魔の攻撃範囲に入るぞ!?
「では倒します」
リリが腰の辺りで僅かに手を動かすと、二体の瘴魔がほぼ同時にさらさらと崩れ、黒い靄の残滓が風に乗って散った。
これほど間近で見たのに、何が起こったのか理解出来ない。それは長年培った常識のせいかも知れなかった。瘴魔を倒すには、上位の浄化魔法か最上位の炎魔法を使うしかない。プレストンは三十年以上現場で戦ってきた。戦っている最中に、他に倒す方法がある可能性など考える余裕はなかったのだ。
「シャリー、後ろから来るよ。任せてもいい?」
「ああ、見えてる!」
背後には、思ったよりずっと近くに瘴魔が迫っていた。彼我の距離は五十メートルを切っている。
「紅炎!」
シャリーの身長より大きな火球は、矢のような速さで瘴魔に迫り、その全身を炎で包んだ。
「ほう……」
このシャリーという子の落ち着きはどうだろう。少し粗削りな所は残っているが、魔法の展開速度、射出速度、威力、全て申し分ない。今すぐに現場へ出ても問題なくやって行けそうではないか。
リリの規格外っぷりを目の当たりにし、シャリーという逸材にも巡り合えたことで、プレストンは歓喜に体が震えるような気がした。
そんな感慨をよそに、リリは両の掌からドバドバと水を出し、シャリーの紅炎が燃え移った木の消火に当たっていた。
「姉御、申し訳ない……」
「気にしないで!」
リリが出しているとんでもない水量に、プレストンは一瞬我を失う。ハッ! と気付き、リリに声を掛けた。
「リリ君、燃えた木はそのままでいいぞ? 騎士団が定期的に植樹しているから」
「そうなんですね」
と言ってから、たっぷり三十秒は水が止まらなかった。念には念を入れてしっかり火を消したのか? プレストンはそんな風に訝ったが、単に水を止めるのが苦手なだけだった。リリにとっては出すのは簡単なのに止めるのが難しいのだ。おかげで辺りは水浸しであった。やってしまった、と思ったリリは急いで話を逸らす。
「プレストン会長、まだ倒しますか?」
「いや、これ以上倒すと試験に支障が出る。ここは終わりにして、少し話を聞かせてもらえないかな?」
「分かりました。シャリーもいい?」
「いいぞ!」
俯瞰では、すぐ近くには瘴魔がいないと分かっている。来た時と同じように、リリとシャリーはプレストンの後ろを付いて行って門から出た。門にいた騎士と何事か話した後、少し離れた建物に向かう。
「ここは騎士の詰所だ。少しの間借りたから、ここで話をしよう」
何の飾り気もない石造りの建物。中は意外と広く、いくつかの部屋に分かれている。プレストンは何度も来ているようで、迷いなく一つの扉を開いて入った。そこは騎士の休憩室のようだった。向い合せでソファに座る。
「リリ君……あれはどうやって倒してるんだね?」
リリはプレストンの靄を見た。濃い黄色と薄いピンク。強い好奇心と少しの好意だ。警戒する必要はないと思えた。
それに、瘴魔祓い士になるなら協会とはずっと縁がある。いつまでも隠し通せはしないだろう。マルベリーアンが紹介した人でもあるし、ここは彼女を信用して全て正直に話すことにした。
「私、瘴魔の弱点らしきものが見えるんです」
「弱点!?」
初めて瘴魔と遭遇した時から、薄ぼんやりと光る白い球が瘴魔のどこかに見えた。頭だったり脚だったり、その場所は一定ではないが、そこを魔力弾で撃ち抜けば必ず瘴魔を倒せる。これまで倒した瘴魔と瘴魔鬼は全てそうだった。
「なんと……」
「魔力弾は、六歳くらいからずっと鍛えてたんです。私は強い属性魔法が使えないから、身を守るものがそれしかなくて」
意識していた訳ではないが、結果的に威力と精度が普通の魔力弾とは桁違いになった。今では、近距離なら手を前に伸ばすことなく、腰の辺りから撃っても外さない。しかもほぼ反射的に撃てる。リリとしては西部劇の早撃ちガンマンのイメージだ。西部劇は殆ど見たことがないので、あくまでイメージである。
「魔法については自分で全く分からず使っていたんですけど、少し前にちゃんと教えてくれる方と出会って。それで浄化魔法と治癒魔法が使えるようになりました」
「治癒!? 君は治癒魔法も使えるのか!」
「あ、治癒魔法についてはあまり知られたくないので……」
「ああ、もちろん他言はせんよ。しかし浄化と治癒、両方使えるとは」
「珍しいんですか?」
プレストンによると、普通はどちらか一方しか使えないらしい。ただ、珍しいのは確かだが全くいない訳ではないと言う。
「ちなみに浄化は上位の魔法が使えるのか?」
「神聖浄化魔法しか使えないんです」
「……は?」
「…………神聖浄化魔法だけ、です」
最後は消え入るような声だった。リリとしては、普通の過程をすっ飛ばして最上位の浄化魔法だけが使えるというのがちょっと恥ずかしいのだ。なんせ旅先のお風呂代わりで神聖浄化魔法を使っているのだから。毎度派手な金色の光が迸り、居た堪れない気持ちになるのである。
「範囲は最大でどれくらいだね?」
「あの、全力で試したことがなくて」
「分からない、と?」
「はい、すみません」
プレストンは、リリの答えを「神聖浄化魔法は使えるが、実戦で使えるほど範囲が広くない」と解釈した。だからこそ、先程も魔力弾を使ったのだろう、と。プレストンがこう思うのも無理はない。まだ成人前の華奢な少女が、この演習場全体を余裕で浄化できるなどと思い至る筈がないのだ。
「そうか……しかしあの魔力弾があれば十分だな」
プレストンは、弱点を正確に射貫く魔力弾、あれだけで三級瘴魔祓い士として認めるのに十分だと判断した。
「シャリー君」
「ひゃい!?」
それまでリリとプレストンの話を聞いているようで聞いていなかったシャリーは、突然名前を呼ばれて変な声を出した。リリが俯いて笑いを堪えている。
「君も瘴魔祓い士を目指すんだね?」
「そうだ、です。デンズリード魔法学院の試験を受けるつもり、です」
「うむ。先程見せてもらった紅炎、君の年齢にしてはかなりのものだ。あとはその場に応じた威力に調整できれば、即戦力になるだろう」
「おっさん、見る目あるな!!」
素が出たシャリーの頭を、リリが軽くチョップした。
「プレストン会長、すみません」
「ご、ごめんなさい……」
「ハッハッハ! 瘴魔祓い士は民衆から尊敬される者だ。それに相応しい態度や言葉遣いも、ゆくゆくは身につけてくれ」
目が笑っていない会長が怖い。シャリーには魔法の技術や実戦経験よりも、常識を学ばせるのが先かも知れない。
「リリ君の家は東区だったね?」
「そうです。東区の中心から少し北になります」
「ファンデルには瘴魔祓い士協会の本部が中央区に、支部がそれぞれの区にある。東区の支部は中心部近く、冒険者ギルドや商業ギルドが集まっている所にある。場所は分かるかな?」
「行ったことはないですが、だいたい分かります」
「うむ。明日以降に東区支部に来てくれ。君が来たら手続きするよう手配しておくから」
「はい、分かりました」
話は終わり、リリとシャリーは馬車で自宅まで送ってもらうのだった。
翌日、リリは瘴魔祓い士協会東区支部に行くことにした。昨日留守番してもらっていたアルゴも一緒である。ついでに冒険者ギルドにも顔を出す予定だ。こちらにはシャリーも連れて行く。
昨夜ジェイクにギルドの場所を聞いた時、冒険者ギルドで本拠地変更の手続きをする必要があると言われた。リリとシャリーはこの手続きを行うためギルドへ向かう。シャリーは手続きが終わったら親戚に会いに行くと言う。グエンの娘、シャリーの伯母に当たる人物だ。伯母夫婦の家で今後生活することになっているので、必要なものの買い出し等に行くらしい。
伯母さんという人は、シャリーの性格とか分かってるのかな? ちょっと心配。
二人の少女の後ろを、アルゴは悠々とした足取りで付いて行く。昨日は一緒に行けなかったので、今日は二人の護衛をする気満々である。魔力こそ抑えているが、二人に一定時間以上の視線を向ける輩には、威圧を込めてガンを飛ばしている。ファンデルのような大都市には、年端もいかない美少女二人が連れ立って歩いていれば、良からぬことを考える輩もいるのだ。リリ達は気付いていないが、少し離れた建物の陰などで腰を抜かして座り込む人物が何人かいた。アルゴはそれを見てフンと鼻を鳴らす。やり過ぎであった。
「ここが冒険者ギルドかぁ」
「でっかい建物だな!」
マルデラにあったのと同じ、剣と盾が描かれた看板。だが建物は遥かに大きい。巨大な石を積んで出来たような五階建ての建物で、入り口はリリの背の二倍近い重厚な木の扉である。ダルトン商会の建物を横に二つ並べた以上の大きさだ。
これでファンデルに四つある支部の一つらしい。この都市でどれだけ多くの冒険者が活動しているのか、想像するのも難しい。
体重を預けるようにして扉を開けると沢山の冒険者がいた。
「お嬢ちゃん達、ギルドに何かよ――」
近くの冒険者が目敏く二人に気付き、早速声を掛けようとするが、その後ろからのっそり入って来たアルゴを見て言葉を失った。ぐるる、と低い唸り声が聞こえ、その冒険者が後退りする。
「本拠地変更はどの窓口で出来ますか?」
「……い、一番左で出来るよ」
「ありがとうございます」
にっこりと微笑んでリリがお礼を言う。声を掛けた冒険者のみならず、その場にいる殆どが呆気に取られる。美少女二人と、どこからどう見てもウルフ系魔物の特異体。背の低い方の少女が狼の首元をぽんぽんと撫で、教えられたカウンターに向かって歩き出す。すると進路上にいた者は無意識に道を開け、彼女達と距離を置いた。
何だあれは。とんでもない従魔使いがファンデルに来たな。
触らぬ神に祟りなしとはまさにこのこと。従魔が暴れたら主が責めを負うとは言え、その前に死んでしまえば元も子もないのである。あの爪と牙を見て、ちょっかいを掛けても無事でいられると思うような奴はそもそも冒険者に向いていない。
かくして、新人冒険者がギルドで絡まれるというテンプレ展開は、アルゴがいる限り起こらなさそうであった。




