63 新しい家
こちらで第三章が終わりになります。
洞窟から姿を現した特異体はライカンを更に巨体にした狼の魔物だった。アルゴと同じくらいではないだろうか? 真っ黒な体毛、妖しく光る赤い目、鋭く伸びた牙と爪。何より、魔法攻撃を受けたダメージが全く見られない。
――GUOOO!
短く吼えた特異体は驚くべき速さでクライブに突進した。クライブは腰を落として正面からの衝撃に備える。そんなクライブを嘲笑うかのように、特異体は跳躍してクライブを軽々と飛び越え、後ろ足で蹴りつけた。クライブが身を捩って蹴りを躱す。
着地した特異体は猛烈な勢いのままアネッサに迫った。
「炎槍!」
「風刃!」
正面から飛来する十数本の炎槍を、特異体はひらりと左右に飛んで躱したが、横っ腹に風刃の直撃を受けて数メートル飛ばされた。
「こいつ、魔法防御を持ってる!」
ラーラの風刃は大木も切り裂く威力だが、特異体の体表には傷一つ付いていなかった。体勢を立て直した特異体がラーラに牙を向けて姿勢を低くしたが――。
――GYAN!
ジェイクが右脚、アルガンが左脚に斬りつけていた。魔法は効かなくても物理攻撃は通るということか。
両脚を斬りつけられてよろめいた特異体の真上から、お返しとばかりにクライブが降ってくる。盾を捨てて両手で槍を持ち、穂先を真下に向けて文字通り降ってきた。
脳天目掛けて槍が突き下ろされるが、直前で気配を察知した特異体が身を捩り、槍は首元に深々と刺さった。クライブは腰に佩いた予備の剣を抜く。
後ろ脚を両方傷付けられ、首に槍が刺さったままの特異体だが、まだ戦意は衰えていない。それどころか、余計に怒りが増しているようだ。四つ足で踏ん張って頭を下げ、大きく口を開いた。
それはリリの目にだけ見えていた。口の中に魔力が集まり、何かを発射しようとしているように見えた。実際に見たことはないが、ドラゴンのブレスのようなものだろうか? 頭で考えるより前に、リリはその口に向けてブレットを放っていた。
――バチュッ
ブレットは特異体の口内から脳に突き抜け、頭蓋を貫通した。特異体の目から生気が失われ、ドスンと大きな音を立てて横倒しになった。
突然倒れた特異体を前に、ジェイク達はしばらく警戒を解かなかったが、剣で突っついても動かないので死んだと確信した。その後、振り返ってリリに視線を向ける。リリは地面にめり込む勢いで草むらに隠れた。
シャリーに手出ししちゃ駄目って言ったのに! 私が手出ししてどうすんのさ!?
恐る恐るシャリーに目を遣ると、キラキラした目でリリを見つめていた。やべぇ、バレてるよ!
「リリ? 怒ってねぇから出て来ていいぞ?」
……このままずっと隠れてる訳にもいかない。リリは覚悟を決めて草むらから身を起こした。ジェイク達がゆっくりこちらに近付いて来る。
「ブレットか?」
「あ、うん……あのね、口に魔力がぶわぁーって集まってるように見えたの、それで何か危なそうだなって思って……気付いたら撃ってましたごめんなさい」
リリが早口で一気に捲し立てたので、ジェイク達は一瞬ポカンとしてから破顔した。
「別に謝らなくていいぞ? 俺達を助けようと思ったんだろ?」
「あ……ハイソウデスネ」
実際には反射的に撃っていたので、そこまではっきり意識していたかは自分でも分からない。ジェイクはリリの頭をくしゃっと撫でた。
「ありがとな。それでシャリー、ちっとは参考になったか?」
「ああ、すごかったぞ! 声も掛けてないのに五人の動きが、何て言うか一つになったみたいで、すごくすごかった!」
「そりゃ良かったが、ちょっと落ち着け」
ジェイクはシャリーの頭もくしゃくしゃと撫でる。リリ達が話をしている間に、アルガンは洞窟の中を確認し、他の三人はライカンの死体から魔石を取り出し、ラーラが土魔法で掘った穴に集めていた。特異体は大き過ぎるので、ジェイクとアルガン、クライブの三人掛かりで運んだ。心臓の傍から獲った魔石は、リリの拳より大きかった。
「迷宮以外で倒した魔物は出来るだけ燃やすんだ。そうしねぇと他の魔物が集まるから」
迷宮だと、死体は自然に消えるのだと言う。出た、ファンタジー設定!
集めた死体を燃やす役目はシャリーが買って出た。ここまで何もしていないので何かしたかったのだろう。魔法でライカンの死体を燃やした後、念の為に周辺に異常が無いか確認し、その後ポルカ村に戻って村長に依頼達成を報告する。それから直ぐにクルスモーデルの街へ帰った。
クルスモーデルの冒険者ギルドへライカン討伐完了の報告を行った際、特異体を倒したのは「金色の鷹」ということにしてもらった。止めはリリが刺したかも知れないが、リリが手を出さなくてもジェイク達で倒せたのは間違いないと思うし、下手に部外者が関わったことをギルドに知られない方が良いと思ったからだ。
だがジェイク達は、特異体から採取した魔石の代金はリリが受け取るべきと言って譲らなかった。要らないとはっきり断ったのだが、勝手にリリの口座に入金されていた。リリがこれを知るのはもっと後の話である。
ライカンの群れと特異体を討伐した翌朝、リリ達一行は出発した。翌々日の昼頃にはバルトシーデルに到着。前回訪れた時は夜に瘴魔と瘴魔鬼の襲来があって、寒い中夜が明けるまで外で待っていたことを思い出す。今回は何事もなく平和に過ごして翌朝に出発。昼を少し過ぎた頃、とうとうスナイデル公国の首都ファンデルに到着した。
「おぉー! でっかい街だな!」
馬車の窓に顔を貼り付けて外の景色を見るシャリーの姿を見て、自分は馬車から降りて街を見るのに夢中になり、置いて行かれそうになったなぁと思い出す。
ファンデルは以前と変わらず美しい街だった。淡い色に塗られた外壁、大きなガラス窓、整備された石畳の街路。あちこちで夏の花が咲き誇っている花壇。明るい陽射しに照らされて街全体がキラキラと輝いているように感じる。
東門から入って来た一行は交差点で北西方向に向かった。
「あ! こっちって、ダルトン商会がある方だよね?」
「あー、すまん。俺はあんまり詳しくねぇんだ。アネッサとクライブは新しい家の場所を知ってるから、あいつらに付いて行けば間違いねぇ」
「分かった。ジェイクおじちゃんは気にしないで!」
「お、おぅ」
ジェイクはリリに頼られて答えられなかったのが悔しかったようだ。もちろんリリはそんなことは気にしない。
ところで、シャリーはしばらくリリ達と一緒にいる予定である。グエンの娘の一人がファンデルで暮らしているそうで、シャリーを受け入れる準備が出来たら冒険者ギルドを通じてジェイク達に連絡が来るらしい。グエンの話では恐らく四~五日くらいの筈である。それまでシャリーを一人で宿に泊まらせるなどするのは不安しかないので、リリの家で面倒を見ることになった。もちろんミリーも了承済みである。
「シャリー、マリエルを紹介するからね」
「おぅ! 前に聞いた姉御の友達だな。強いのか?」
「強く……はないけど、すごく頭が良くて明るい子だよ」
「そうか、楽しみだぞ!」
人間的には芯がしっかりしていて強い子だと思うけど、シャリーが言ってるのはたぶん純粋な戦闘力のことだよね。私の時みたいに、いきなり「勝負だ!」とか言い出さなきゃいいけど。
シャリーがマリエルと仲良くなってくれたら嬉しい。シャリーはファンデルに知り合いがほぼ居ないので、一人でも友達が増えれば心細さも軽減されるだろう。
馬車がダルトン商会の前に差し掛かった。マリエルの髪と同じオレンジ色の建物は、遠くからでも直ぐに分かる。ガブリエルかマリエルがいないかな、と首を伸ばして中を覗くが二人ともいなかった。あ、あれはマリエルのお兄さん! たしか……キースさんだっけ。にこやかな顔でお客さんに対応してる。あれはマリエルが言う所の「よそ行きの顔」だな。
「あれ? こっちはマリエルのおうちがある方だったと思うんだけど」
ダルトン家がある場所は、商会の建物から歩いて十分くらいだった筈。あの辺りは結構大きな家が立ち並んでたから、前世の高級住宅街みたいな感じだと思う。まさか、そんな所に新しいおうちがあるんじゃないよね?
「あ! やっぱりそうだ!」
商会の建物と同じ淡いオレンジ色の家は、ひと月近く過ごしたからすごく馴染みがある。あー、なんか「帰って来た」って感じがするなぁ。家を外から見ても、知った顔は見えなかった。
マリエルの家を通り過ぎると馬車の速度が落ちたのが分かった。前方を見ると、アネッサとクライブの乗った馬が止まっている。二人が馬から降りて馬車に近付いて来たので窓を開ける。
「リリちゃん、ここが新しい家よ!」
そこは二階建ての真っ白な家だった。周りを鉄製の柵に囲まれているが、蔓性の植物が絡んで色とりどりの花を咲かせている。門も立派な鉄製。その扉は開いていて、馬車でそのまま入って行けるくらい広い庭がある。
「外壁を好きな色に塗れるように、白く塗り直したのよ」
とアネッサが教えてくれた。マリエルの家と変わらないくらい大きな二階建て。親子三人で暮らすには大き過ぎないだろうか? いや、アルゴも居るから丁度良いかな?
「先に馬と馬車を預けに行きましょうか」
「預かってくれる所があるの?」
「ええ。歩いて五分くらいよ」
取り敢えず大きな荷物を先に下ろし、荷物の番にミリーとミルケ、シャリー、ジェイクが残った。来た道をそのまま進み、最初の角を左に曲がってしばらく進むとちょっとした牧場のような場所があった。
「ここは厩舎だけど、馬車の預かり所も兼ねてるの」
馬八頭と荷馬車二台、馬車一台。それだけ預けて月五百スニードらしい。もちろん馬の世話も任せられる。こんなに安く預かってくれるのは、貸し馬車として他の客に貸し出すからだそうだ。
しかし……日本円で月に五万円かぁ。普通に考えたら高いよね。私自身、馬に乗れないし御者も出来ない。このまま維持する意味あるのかな?
「馬車と荷馬車は私達も依頼で使うと思うし、リリちゃんが本格的に仕事をするならあった方が便利よ? とは言っても殆ど使うのは私達だと思うから、ここの維持費は『金色の鷹』で出すから」
「え!? でも……」
「いいのいいの! これでもSランクなのよ? ライカンの討伐でいくら稼いだと思う?」
「えっと……二千スニードとか?」
「フフフ! 二十万スニードよ。それも魔石や特異体の討伐を除いて」
二十万! 日本円で二千万円!? ちょろっと遠出してサクッと倒して二千万?
Sランク冒険者ってそんなに稼ぐんだ……。知らなかった。
「まぁ、もちろんそれをみんなで分けるんだけどね。それでも悪くない稼ぎでしょ?」
悪くないどころではない。ジェイクおじちゃんとか、いっつも遊んでるように見えてたけどそんなに稼いでたんだね……。
「すごいね、アネッサお姉ちゃん」
「でしょ! ファンデルは大きな街だから、依頼も増えると思うのよ。これからガッポガッポ稼ぐわよ!」
うん、アネッサお姉ちゃんが楽しそうで良かったよ。
それからアネッサ、アルガン、クライブ、ラーラの四人と一緒に家まで戻る。
「ラーラさん達はもう住む場所決まってるの?」
「決まってるわよ。リリちゃんの家からだと、歩いて十分くらいのとこ」
「近いね! よかった」
「アルガンお兄ちゃんとクライブお兄ちゃんは?」
「俺もだいたい同じくらいの所だよ」
「俺もだ」
「アネッサお姉ちゃんも?」
「そうよ」
「ジェイクおじちゃんは?」
「ジェイクさんは……本人に聞いた方がいいかな」
最後のアルガンお兄ちゃんの言い方が少し引っ掛かるけど、概ねみんな近い所に住むみたい。家に戻ると、もう荷物を運び入れたようだ。荷物と言っても服や小物ばかりで、嵩張るものは持って来ていない。クノトォス辺境伯が「身一つで良い」と言っていたからだ。
リリも家の中に入ってみた。アルゴが早速あちこちの匂いをチェックしている。明るい色の木製玄関を入るとホールになっていて、二階へ続く階段がある。ホールを抜けると広々としたリビング。暖炉もある。奥にはキッチン、お風呂、トイレがあった。キッチンは前の家の三倍はありそうだ。お風呂も広い。頑張れば四人くらい一緒に入れそう。
ホールに戻って別のドアを開けると、部屋が二つあった。それらは客間らしいのだが、何故かジェイクがいそいそと自分の荷物を運び入れている。その向かいの部屋は取り敢えずシャリーが使うようだ。
「ジェイクおじちゃん? どうして自分の荷物を運んでるの?」
「え? いや、ここに住むからだが?」
そうでしょうとも。聞きたいのはそういうことじゃないのよ。なんで一緒に住むことになったのかって聞いてるの!
「…………」
「いやだってよ、よく考えてみろよ。こんな広い家、女子供だけじゃ危ねぇだろ。それにマルデラでも、週に三回はお前の家に入り浸ってただろ?」
入り浸ってたって自覚はあるのか。
「……お母さんと、その、そういう関係なの?」
「ば、ばか! そんな訳ねぇだろうが。ボディーガード代わりで間借りすんだよ」
「ふ~ん…………」
「ご、誤解すんなよ! 俺はただ、お前たち家族を守ろうとだな」
「分かった分かった。だけど、私の部屋には勝手に入らないでね?」
「そりゃ……入りません」
言葉の途中でリリが「キッ!」と睨むとジェイクは目を逸らした。まぁ、ジェイクおじちゃんも一日中家に居る訳じゃないし、依頼で何日も家を空けることだってあるだろう。それに、男の人が家に居たら安心なのは確かだ。アルゴが居るから必要ないとも言えるけど。
「じゃあこれからよろしくお願いします」
「お、おう! よろしくな!」
ジェイクがあからさまに安心した顔になったので、リリは笑いを堪えながら二階に上がった。二階には廊下を挟んで二つずつ、計四つの部屋があった。
「あ、お母さん」
「リリ、ジェイクが一階の一部屋を使うけど、あんまり気にしないでね」
「あー、それは別にいいけど」
「あなたはどの部屋を使う?」
お母さん、ジェイクおじちゃんのこと男性として意識してないのかな? ま、いっか。
リリは一部屋ずつ中を見る。全部同じくらいの広さだが、一番大きな窓がある右奥の部屋が気に入った。
「ここ使っていい?」
「いいわよ。私とミルケは斜向かいの部屋にするわ。リリが友達を呼んで遅くまで喋ってても気にならないから」
「そんなこと……あるかも」
これからはマリエルがご近所さんだ。だって二軒隣なんだもん。お互いの家を行き来する機会がきっとたくさんあるだろう。
リリは自分の部屋に入ってゆっくりと見回した。木の温もりが感じられる落ち着いた空間だ。日当たりも良いし、窓を開ければ風通しも良い。見下ろせば庭の緑が目に優しい。アルゴもその部屋にやって来て一通り匂いを嗅ぎ、ベッドの横に落ち着いた。
「アルゴも新しいおうち気に入った?」
『うむ。前の家も良かったが、ここは更に良いな』
そう。前のおうちも大好きだった。小ぢんまりしてて、家族の一体感があって……お父さんの思い出がいっぱい詰まってた。壁の落書きや柱の傷、目を瞑っててもどこに何があるか全部分かる。そんなおうちだった。
リリは陽の当たる窓辺に小さな箱を置いた。それは、ダドリーの墓標の下に埋められていた箱だった。新しい墓を作るかどうか、まだ決めていない。お墓はなくてもいいかな、と思っている。埋めるとしても遺品だけだ。今では、父の遺品を見ても悲しみで胸が潰れるような思いをすることもない。だったら、お父さんを思い出せる品を身近に置いてもいいだろう。
お父さん。私達、ここで新しい生活を始めるよ。見ててね。
第三章までお読みいただきありがとうございます!
続けて明日から第四章を投稿します。
引き続きよろしくお願いいたします。




