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60 またお前か!

「ミルケは大人しいな。男だったらこう、もっとバーンといった方がいいぞ!」

「ばーん?」

「何事も勢いが大事だ!」


 西に向かう馬車の中で、シャリーがミルケに男とはどうあるべきかを説いている。


「……シャリーは女の子だよね?」

「おう、女だぞ!」

「…………」


 ミルケは助けを求める目をリリに向けた。ミルケの言いたいことは分かる。男のことをどうこう言う前に、シャリーはもっと女の子らしくするべきなのでは、と言いたいはずだ。ミルケの知っている女性はミリーやリリ、店の給仕をしていたジャンヌ、マリエル、アネッサにラーラと皆性格は違うが女性らしさを持っている。それに比べるとシャリーは異質に見えるのだろう。


 リリには前世の記憶があるので、男っぽい女や女っぽい男がいても全然良いと思っている。だからシャリーが男っぽくても、それだけで嫌いにはならない。ただ、もう少し落ち着いた方が良いとは思っている。今も馬車の中でミルケに向かって身を乗り出して喋っている。


 シュエルタクスの冒険者ギルドでシャリーと初めて会った日の夜は、以前マリエル達と一緒に行った「リバーサイド」で川魚のリバルモンに舌鼓を打った。シャリーも初めて食べるリバルモンに大はしゃぎであった。

 その翌朝、一行はシュエルタクスを発った。北西に針路を取りその日の夜は野営。今は次の町、ノーチスを目指している。夕方くらいには到着する予定だ。


 太陽が真上に来た頃、街道沿いの拓けた場所で昼食を摂るために止まった。今回の旅はミリーがいて、アネッサとラーラも結構料理が出来るので、リリの出番は少ない。三人で作ってくれると言うので、リリはアルゴと一緒に少し散歩に出た。


「ねぇアルゴ」

『なんだ?』

「ファンデルに着くまでに、もし瘴魔が出たらシャリーに倒してもらおうと思うんだけど、いいかな?」

『あの者に倒せるのか?』

「実力的には問題ないと思うの。私はもう慣れちゃったけど、実際に瘴魔を目の前にしたら普通は結構怖いよね? そういうのを少しでも経験した方がいいんじゃないかな」

『我とリリがいる時の方が安全だからか?』

「うん」

『リリはあの者が好きなのだな』

「うーん、どうだろう? 好きと言うか、ほっとけないと言うか」

『フッ。まぁよい。リリがそう思うならあの者に任せてみよう』

「ありがと」


 リリはアルゴの首にぎゅーっと抱き着いた。少しの間アルゴのフワフワした毛の感触を堪能して皆の所へ戻った。





 リリの思いとは裏腹に、瘴魔どころか魔物一匹遭遇せず、国境近くの町マクスベイドに到着した。この町でよく見かける「ガラス」から眼鏡の話になって突然意識を失い、転生した時のことを思い出したのだった。

 マクスベイドで一泊してから出発し野営をしながら三日後、国境のベイリュー河に到着。巨大な橋を渡ると、スナイデル公国特有の石畳で整備された街道に変わった。

 リリがこの道を通ってスナイデル公国に来たのは二年近く前になる。十一歳だったリリは、もうすぐ十三歳の誕生日を迎える。


 国境を越えて一日進むと、前回訪れた際にも利用した野営地に着いた。温泉のある野営地だ。


「シャリー、ここはお風呂があって、温泉なんだよ」

「オンセン? なんだそれ」

「えーと、自然に湧き出した熱い水?」

「そんなものがあるのか!」

「一緒に入ろうね」

「…………一緒に?」

「ん? 一緒に入るのはいや?」

「い、いやじゃないぞ! そうだな、一緒に入るか!」


 何だろう、今の反応は? もしかして恥ずかしいのかな?

 私も多少恥ずかしいけど、女の子同士だし、それほどは気にはならないかな。


 あんまり突っ込んで聞くのも悪いと思って、リリはそれ以上何も言わなかった。それよりも、前回マリエルと入った時には瘴魔が出たな、と思い出す。今回も出たら是非シャリーに倒してもらいたいが、初めて遭遇する時に素っ裸というのはハードルが高過ぎだろうか?


 野営地ではアルガン達が手早く天幕を設営し、アネッサとラーラが馬の世話をしている。リリはミリーと共に夕食の準備に取り掛かった。この野営地には簡易の竈が用意されているので、薪を用意して火を熾してから食材を刻んでいく。

 マクスベイドで仕入れてきたトマト、ジャガイモやニンジン、茸、鶏肉を一口大に切る。メニューは香草を効かせたトマト煮込みだ。人数が多くても、こういう料理なら手早くできて美味しく頂ける。


 西の空には今日を名残惜しむような残光、東の空は薄墨色に染まってちらほらと星が瞬き始めた頃、焚き火の周りに全員集まって夕食にした。

 アルゴには、大き目の深皿に同じトマト煮込みを出している。いつも不思議なのだが、シチューや汁気の多い煮込みを食べても口の周りを全然汚さないのだ。謎である。


「リリ、お風呂に入りましょうか?」


 夕食の片付けが終わり、ミリーから声を掛けられた。


「あ、私もリリちゃんと入る!」

「私も!」


 アネッサとラーラが名乗りを上げる。チラッとシャリーの様子を窺うと、虚空の一点を見つめて固まっている。

 恥ずかしいと言うより、もっと切羽詰まった理由があるのかも知れない。無理強いはしたくない。


「ねぇシャリー?」

「ひゃいっ!?」


 傍によって声を掛けると、シャリーから変な声が出た。周りに聞こえないように囁き声で伝える。


「あのね、お風呂は無理して一緒に入らなくていいんだよ? 一人の方がゆっくり入れるもんね」

「あ、あぅぅ……」


 それほどシャリーのことを深く知っている訳ではないが、一週間近く共に旅を続けて、こんな風に遠慮するのは彼女らしくないな、と思った。


「言いたくないことは言わなくていいし、したくないことはしなくていいんだからね?」

「べ、別に恥ずかしいとか嫌とかじゃないんだ。……ちょっと一緒に来てくれるか?」


 そう言って、シャリーはリリを野営地の隅っこ、焚き火の明かりも届かない暗がりに連れて行った。一際大きな木の裏まで手を引かれる。


「リリ。びっくりするかも知れないが、見てくれ」

「え、ちょっ!?」


 そう言って、シャリーは上衣を豪快に捲った。真っ白いお腹が見え、少し膨らんだ胸の上まで露わになった。

 夜だからはっきりとは見えないが、左胸の上から右脇腹にかけて四本並んだ傷がある。特に左胸の傷は酷く、抉れたようになっていた。シャリーが上衣を元に戻す。


「村で他の子と風呂に入った時、この傷を怖がられたり気持ち悪いと言われたりしたんだ」


 村で魔物退治を引き受けた少し後、九歳になる直前くらいにブルーベアの群れを相手にしたらしい。その時、群れのリーダーにつけられた傷だと言う。


「こっちのおっぱいがほとんどないだろ? リリは気にしないだろうけど、他の人を不快にしたくなくて」


 裸を見られるのが恥ずかしいんじゃなかったんだ。一緒にお風呂に入る人のことを考えて遠慮してたんだ。人から奇異な目で見られる度、シャリーはきっと傷付いたことだろう。誰だって傷付きたくない。だから一緒に入るのを嫌がるのは当たり前だ。

 私、この子の気持ちを全然分かってなかった。事情を知らなかったとは言え、最初の反応を見た時に気付けたはずなのに。


 リリの両目には涙が貯まり、今にも零れ落ちそうになった。


「お、おい!? 泣くなよ」

「シャリー、ごめんね……気付かなくて……今まで辛かったね」


 リリはシャリーをそっと抱きしめた。シャリーはどうしたら良いか分からずに両手をワタワタと動かしている。


「よし! 私に治療させてくれるかな?」

「はぁ?」

「治すって約束は出来ないけど、やらせて欲しいの」

「リリ、治癒魔法も使えるのか? いや、だけど村の治癒魔術師は、これが限界だって言ってたぞ?」

「いいからやらせて。友達でしょ?」

「とっ!? ま、まあいいけどよ……」


 そう言うと、リリはシャリーの手を引いて皆の所に戻る。ミリーにミルケと先に風呂に入ってと告げ、アネッサとラーラには少し待っていてと頼んだ。そのまま誰もいない天幕にシャリーを連れて行く。


「そこに横になって、服を捲ってくれる?」

「わ、分かった」


 ハンモックベッドで仰向けに横たわったシャリーは、先程と同じように上衣を胸の上まで捲り上げた。


 二十七歳までの前世の記憶があるリリは乳房の構造を知っている。お医者さんみたいに詳しい訳じゃないけど、肋骨の上に胸筋、脂肪があって、内側に乳腺、上から吊り上げるクーパー靭帯。乳輪と乳頭は右の乳房と同じようにすればいい。後は脇腹まで走っている傷の下に新しい組織を再生する。よし、イメージ出来た。


「いくよ? 治癒(ヒール)


 横たわるシャリーの下に魔法陣が現れ、天幕は明るい緑色の光で満たされる。光の粒子がシャリーの上半身に凄い勢いで吸い込まれていく。魔力がガンガン減っていくのが分かるが、カリナン・クノトォスを治療した時ほど負担はない。


 傷痕の下に新しい組織が作られ、左胸は右胸と同じくらいの膨らみになった。古い傷はまだそのままだが、いずれ新しい皮膚と入れ替わる筈だ。今は、抉れた左胸が自然な膨らみを取り戻したことで見た目がかなり改善された。


「ふぅー」

「お、終わったのか?」

「うん」

「そうか……すっげー痒いんだけど!?」

「忘れてた! 少し我慢してて!」


 リリは慌てて天幕から飛び出し、自分の荷物がある場所へ走る。バックパックから清潔なタオルを二枚取り出し、急いで天幕に戻った。


「うきー!!」


 シャリーが奇声を上げながら身悶えしていた。


「ごめんごめん! ほら、これを使って擦って!」

「いいのか!?」

「うん、多少ゴシゴシしても大丈夫。私も手伝うから」

「こ、これ、ずっと痒いのか?」

「ううん、十分くらいで収まるはず」


 リリは脇腹の方をタオルで擦る。シャリーは左胸を擦ろうとして手が止まった。


「お……おっぱいがあるぞ!?」

「はいはい。強く擦ると痛くなるから、表面だけ擦るようにしてね」

「む、難しいぞ!?」


 上半身をはだけた超絶美少女エルフの体を約十分擦り続け、ようやく痒みが収まった。


「はぁはぁ……魔物倒すよりしんどかった」

「ごめん、先に言っておけば良かったね。あ、傷痕は一週間くらいで綺麗になると思うから」

「え……? 傷も消えるのか?」

「うん、大丈夫だと思う」

「そうか……」


 シャリーは自分の左胸を愛おしそうに触っている。その目に涙が溢れ、遂に零れ落ちた。


「リリ……ぐすっ、ありがとう……」


 リリはシャリーの頭を優しく抱いた。


 二人とも気付いていないが、リリは部分欠損を治癒(ヒール)で治したのだった。古の文献には欠損を治した聖女や聖者の記録が残っているが、現在では失われた腕や足を再生するのは不可能だと言われている。





 シャリーが泣き止んだ後、皆の所へ戻るとミリーとミルケが風呂から上がった所だった。二人ともホカホカしている。アネッサとラーラには待っていてと言ったが、二人は何かを察したのか風呂に向かったらしい。


「シャリー、どうする?」

「うん、風呂入りに行こう!」


 シャリーは一切の迷いを見せなかった。傷痕は残っているが、古傷なので少し周りの皮膚と色が違う程度だ。シャリーにとっては、もう気にならないくらいなのだろう。替えの下着とタオル、石鹸を持って二人で女湯に向かう。


 脱衣所では、シャリーの脱ぎっぷりが男前だった。漫画のように「ズバッ!」という擬音が見えた気がする。二人が洗い場に行くと、アネッサとラーラは湯舟に浸かっていた。何を思ったのか、シャリーは二人の前に行って仁王立ちした。


「どうだ!!」


 治癒(ヒール)を掛ける前の状態を知らない二人は、どうだと言われて困り顔である。


「えーと……スレンダーだね?」

「うん、スタイルいいよ?」

「フフン!」


 ドヤ顔のシャリーに対して、二人は大人の対応を見せた。十四歳のシャリーはまだまだである。具体的に何がとは言わないが、まだまだなのだ。斜めに傷が走っているが、そういった傷は冒険者なら見慣れた物だ。そもそもこの二人なら、左胸が抉れたような状態だったとしても気にしなかっただろう。


「ほらシャリー、先に体を洗うよ?」

「おう!」


 自分の方が年下なのに姉みたいだな、とリリは思った。シャリーは育った村の歪な人間関係の中で今に至っている。人と関係を築く重要性を、まだよく理解していないのだ。根は純粋で素直なのに、幼い頃から村の安全を一身に背負わされたら、そりゃあ勘違いもしちゃうよね、とリリは思うのだ。


 髪と体を洗うと、アネッサとラーラの向かいに体を沈めた。


「あ“ぁぁぁ……」

「お“ぉぉぉ……」


 リリとシャリーからおっさんのような声が出た。温泉に浸かる時のお作法である。


「これがオンセンか……」

「気持ちいいでしょ? ……ん?」


 正面に並んだアネッサとラーラ。その向こうには、外と隔てる木製の塀がある。高さは約三メートル。その上に、黒い靄の塊が見えた。


「またお前かっ!」


 リリは膝立ちになり、反射的にブレット(弾丸)を放った。塀を貫通し、瘴魔の首元にあった白い球が砕け散る。


「あ……」


 しまった。瘴魔が出現したらシャリーに倒させようと思ってたのに。反射で倒してしまった。


「リリちゃん、もしかして今、瘴魔がいた?」

「……あ、はい」


 ラーラの問いに、リリは少ししょんぼりして答えた。


「なんだとっ!? どこだ?」

「ごめん、もう倒しちゃった」

「なにぃ!?」


 自分が倒したかった、せめて瘴魔を見たかったと言うシャリーを宥めながら風呂から出ると、出口でジト目のアルゴが待っていたのだった。

ブックマークして下さった読者様、本当にありがとうございます!

昨日は予約投稿のためお礼を書けませんでした。

読者様の反応が何よりの励みです。今後ともよろしくお願いします!

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