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55/146

55 これじゃない

「お父さん、ごめんね? マルデラを離れてスナイデル公国に行くことにしたの」


 マルデラの北側にある墓地。リリはダドリーの墓碑を布で拭き、花を供えながら話し掛けた。遺体がなかったため、棺は埋められていない。小さな箱に僅かな遺品を入れて埋めただけだった。


「ここにお父さんが眠ってないことは分かってる。これが形だけのお墓だってことも」


 それでも、リリは毎週のようにここへ来ていた。家にも父の遺品はある。だが家でしんみりすると母やミルケが心配するのだ。父を偲ぶ時、父に話したいことがある時、リリはここに来て墓碑に語り掛けていた。そういう時、アルゴは離れた場所でじっと待っていてくれる。リリが一人になりたいことをちゃんと分かっているのだ。


「お父さんも一緒に行こうね? ……絶対だよ?」


 リリは持って来たスコップを使って遺品の入った箱を掘り出した。丁寧に土を払い、綺麗な布で包む。土を埋め戻してから、徐に墓碑を抱きしめた。


「お父さんじゃないって分かってる。でも、今まで色々話を聞いてくれてありがとう。さすがにあなたは連れて行けないから……私にしてくれたように、また誰かを慰めてあげてね。さようなら」


 リリは墓地を後にした。





 二日後、ダルトン商会の隊商がマルデラに到着したが、今回はいつもと違うメンバーがいた。


「マリエル!」

「リリ!」


 いつものようにマリエルが馬車から飛び降りてリリと抱き合う。ガブリエルや「カクタスの鎧」の面々と挨拶を交わすと、その人物がゆっくり近付いて来た。


「……え? アンさん?」

「リリ、久しぶりだね」

「アンさん! お久しぶりです!」

「リリ、ご無沙汰してます」

「わっ! コンラッドさんも! お久しぶりです!」


 隊商の馬車には、スナイデル公国の特級瘴魔祓い士、マルベリーアン・クリープスとその弟子、コンラッド・カークスが同乗していた。リリはマリエルを少し離れた所に引っ張ってこっそり尋ねる。


「ねぇマリエル。アンさんがおばあちゃんってことは?」

「あー、もうだいぶ前にバレてん。だから言うても大丈夫やで」


 「カクタスの鎧」にも隠す必要はないらしい。いつものように瘴魔祓い士のウルもちゃんといる。ウルに話し掛けようとしたら、先にマルベリーアンから声を掛けられた。


「リリ、聞いたよ? 遂に公国に来る気になったんだってね」

「はい、そうなんです」

「瘴魔祓い士を目指す気は?」

「目指すつもりです」


 リリが答えると、マルベリーアンは満足そうに頷いた。


「公国に来たら私を訪ねて来な。コンラッドと一緒に鍛えてやるから」

「はい!」

「リリ、よろしくね」

「コンラッドさん、こちらこそよろしくお願いします」


 マルベリーアンはリリを弟子にするつもりだが、特に自分が教えるようなことはないと思っている。リリの倒し方は他の誰にも真似できないやり方だし、既に実戦経験も豊富だ。弟子にするのは、偏にリリを守るためであった。あと、コンラッドにも良い刺激になると考えている。


「ところで、アンさん達はどうしてアルストン王国に?」

「あー、そうそう。あんたにも頼みたいことがあるんだよ。宿を取るからそこで話そうかね。その前にあんたの料理を食べさせておくれ」


 マルベリーアンとコンラッドはポッポ亭に部屋を取った後、「鷹の嘴亭」に客として来店した。そこで、これまでは手紙のやり取りだけだったミリーと初めて顔を合わせ、二人は少女のように盛り上がっていた。ミルケは人見知りを発動したが、何とか挨拶をした。


「何だいこれはっ」

「めちゃくちゃ美味い!」


 初めてハンブルグを食べた客が必ず上げる反応の声を、常連客と一緒に生温かく見守った後、リリは店の片付けを終えてからマリエルやアルゴと一緒にポッポ亭へ向かった。


「うちは外すように言われてるから、ここでアルゴと待っとくわ」

「うん。散歩しててもいいよ?」

「ほんま? じゃあアルゴ、ちょっとその辺散歩しよか」

「わふっ!」


 ポッポ亭の受付でマルベリーアンとコンラッドに用事があると伝えると、宿の女性が部屋に案内してくれた。予めリリが来ることを言っていたようだ。

 部屋に入ると二人とも居て、コンラッドがお茶を淹れようとするのをリリが止めた。コンラッドの料理は絶望的と聞いていたので、お茶も私が淹れた方が良さそう。そうして三人分の紅茶を淹れて椅子に座る。


「悪いね、呼び出して」

「いえ全然」


 紅茶を一口飲んでから、マルベリーアンが本題を話し始めた。


「私らがここに来たのは、ベイルラッド・クノトォス辺境伯からの依頼なんだよ」

「ベイルラッド様の?」

「おや、辺境伯とは知り合いかい?」


 リリは辺境伯の息子、カリナンの治療を行ったことを話した。それで辺境伯家から甚く気に入られて仲良くしてもらっていることも。


「下半身不随を治療って……リリ、あんたとんでもない治癒魔術師じゃないか」

「いえ、師匠が良かったんです」


 そこで今度はラーラの話をする。流れでレイシアの火傷痕を治療したことも話した。


「なるほど……あんたにとっては凄く良い魔法の先生だったんだろうねぇ」

「はい! おかげで神聖浄化魔法も使えるようになりました」


 リリの言葉に、マルベリーアンとコンラッドが飲みかけの紅茶を噴き出した。リリは慌てて布巾を探し、二人の服やこぼした紅茶を拭く。そんなリリの姿を、二人は呆然と見ていた。


「……リリ、神聖浄化魔法と言ったかい?」

「え? ええ。ただ師匠からそう言われただけなので、それが本当にそうか分からないんですけど」

「……なるほど、だいたい分かったよ。だから辺境伯はあんたを公国に逃がそうとしたんだね」

「逃げる、というのが正しいか分かりませんけど、たしかに移住を勧めてくれたのはベイルラッド様ですね」


 リリの危機感の薄さに、マルベリーアンは少し心配になる。それだけの治癒魔法が使える上に神聖浄化魔法まで使えるとなれば、貴族や王家、教会が指を咥えて見ている筈がない。リリを何としても取り込もうとしてくるだろう。それだけならまだいいが、言いなりにならない場合は実力行使だってしてくる。リリとその家族、近しい人たちが危険な目に遭う可能性はかなり高い。だからこそ、辺境伯は早めにリリを公国に行かせたいのだと分かった。


 わざわざ公国の貴族を通じて自分に連絡してくるくらい、辺境伯はリリのことを心配しているのだろう。


「うーん……そういう事だったら、今回はリリを連れて行かない方が良いかも知れないねぇ」


 マルベリーアンにしては珍しく歯切れの悪い言い方だ。リリは小首を傾げた。


「今回の依頼は、あんたを連れて行くと誰かの目に留まる可能性が高いんだよ。公国へ行く準備をしているとは言っても、今日明日出発できる訳じゃないだろう? 良からぬことを考える奴が出ないとも限らない」

「あの……ベイルラッド様の依頼というのは?」


 マルベリーアンがコンラッドに目配せする。説明しろ、という意味らしい。


「ギャルガン子爵領で、スードランド帝国が以前開発した『魔箱』を買い集めているという情報が入ったらしいんだ」

「まばこ?」

「『魔箱』っていうのは、瘴魔を人為的に発生させる魔道具のことだよ。これくらいの薄い木箱なんだけど」


 そう言って、コンラッドは胸の前で箱の大きさを示した。


「あ……それなら何度か見たことあります」

「この前エバーデンが襲撃されたのは知ってる?」

「はい。その場にいたので」

「いたの!? ……もしかしてその時倒したのってリリ?」

「……はい」

「さすがだね……まぁそれはいいとして。その時に『魔箱』を持ってた男の供述から、その襲撃もギャルガン子爵家の関与が強く疑われてる。それで調査している過程で、子爵領に少なくとも二十個の『魔箱』が持ち込まれたという情報を掴んだらしいんだ」

「二十個……それで何をするつもりなんでしょう?」


 瘴魔を発生させることは分かる。だが何のために、どこで、というのは分からない。ギャルガン子爵家の関与、と言われているが十中八九クズーリ・ギャルガンの独断だろう。クズーリなら、辺境伯やリリ、「金色の鷹」への怨恨という線が最も濃厚だ。逆恨みも甚だしいが。


 コンラッドがリリの疑問に答える。


「何をするつもりかはまだ分からない。だけど、何か事を起こされる前にクズーリ・ギャルガンを捕えようと辺境伯は判断した。クノトォス領の騎士団と領兵が捕縛の任務に就くんだけど、『魔箱』がある以上瘴魔が出現する危険がある。騎士団と領兵、神官だけで抑えられない時のために、僕たちが呼ばれたってわけさ」


 辺境伯もやはりクズーリが怪しいと考えているのだろう。いや、主犯だと確信しているのかも知れない。

 騎士団などから囲まれて、自分が捕らえられると分かったクズーリが何をするか……素直に捕縛されれば良いが、恨みや怒りで正常な判断力を無くしていたら「魔箱」を一斉に使って瘴魔の群れを発生させる可能性もある。だからこそ特級瘴魔祓い士のマルベリーアンが呼ばれたのであろう。


 その場に私が行って、もし瘴魔を倒すことになったら……多くの人に見られるだろう。自分だけが面倒に巻き込まれるならまだ良いけど、家族や大切な人が巻き込まれるのは避けたい。

 避けたいが……アンさんやコンラッドさんに万が一のことがあったら、私は自分を許せるだろうか?


「むぅー……」


 腕組みをしてしかめっ面をするリリ。そんな彼女の様子を見てマルベリーアンとコンラッドは苦笑いを浮かべる。


 面倒は嫌だ。でも二人を放っておくのも嫌。こんな時は誰かに相談しよう。そうしよう。


「アンさん、まだ出発しないですよね!?」

「え? ああ、恐らく明日の朝になると思うよ」

「ちょっと相談してきます!!」


 言うが早いか、リリは部屋を飛び出した。残されたマルベリーアンとコンラッドは呆然とリリの背中を見送る。


 宿から駆けだしたリリは取り敢えず自宅に戻った。何故ならジェイクが暇な時はリリの家に居る可能性が一番高いからだ。二階への階段を走って上ると、果たしてジェイクはダイニングの椅子に座っていた。マリエルとアルゴも帰って来ていた。


「ジェイクおじちゃん!」

「おお。リリ、おかえり」


 まるで自分の家のような言い方だが、もうリリも慣れたものである。


「ただいま。相談があるんだけど」

「どうした?」


 リリはマルベリーアンとコンラッドから聞いた話を伝えた。その上で、面倒には巻き込まれたくないが、二人を手助けしたいという相反する気持ちを話した。


「なんだ、そんなことか。変装すりゃいいじゃねぇか」

「変装?」

「要は、活躍して誰かに見られてもリリだって分からなきゃいいんだろ? だったら分からないように変装すりゃあいい」

「なるほど」


 言われてみれば簡単な事だった。ジェイクに指摘されたのがちょっと悔しい気持ちになるくらいだ。

 ただ、変装なんて今までやったことがない。何なら前世のハロウィンでも、恥ずかしくて仮装は出来なかったクチである。


 しかし……自分が変装すると考えたら何だかワクワクする。前世で幼い頃、アニメで見た魔法少女に憧れたものだ。ひらひらの可愛い服を着て、髪や瞳の色が変わり、よく分からない派手な杖を持っていたりした。十二歳なら、あんな恰好をしてもギリギリ大丈夫かな?


「変装するなら……そうだな、ラーラとアネッサに相談してみたらどうだ?」

「そうだね!」


 今日は依頼を受けていないから家に居るだろう、とジェイクが教えてくれたので、まずはラーラの家に行ってみることにした。話を聞いていたマリエルも「なんや面白そうやな」と言って付いて来る。もちろんアルゴも一緒だ。


「ラーラさーん!」


 玄関で呼び掛けると、家の中でドタバタと音がする。邪魔したかな? と思った矢先に玄関が開き、ラーラが顔を出した。


「リリちゃん。どうしたの?」

「ちょっと相談があって」

「取り敢えず入る?」

「いいですか?」


 そうやって家の中に入れてもらい、リビングでジェイクに話したのと同じことを伝えた。あちこちで荷物が纏められていて、どうやら引っ越しの準備をしていたようだ。


「なるほどー。つまりリリちゃんって分からないように変装したいってことよね?」

「はい! ……あの、出来れば可愛いのがいいんですけど」

「うーん……あんまり可愛いと逆に目立たないかしら?」

「っ!? たしかに」

「うん、大丈夫。私に任せて。とっておきがあるから」

「ほんとですか!?」


 そう言って、ラーラは奥の部屋に消えた。ラーラはリリと背丈が変わらないので、これまでも偶に服の貸し借りをしたことがある。ラーラが変装道具一式を持っているなら、それを借りるのは良い考えに思えた。


「じゃーん! 見て見て!」


 なんと、ラーラはそれを自分で着て来た。漆黒の長いローブはフードが付いており、それを目深に被っている。前が開いているので中の服も見えるが、膝丈のスカートにはフリルが多用されているが真っ黒。上衣の前身頃は全面黒い革が使われている。指出しグローブも黒革。踵がやけに高いブーツも黒革で膝くらいまである。


 リリの前世の知識ではそれはゴスロリファッションだ。


「ほら、仮面もあるんだよ!」


 ラーラが得意げに取り出して顔に着けたそれは、飾り気のない大きめのベネチアンマスク、もちろん色は黒。


「どう? 可愛いでしょ!?」


 ラーラはその場でくるりと回って見せた。うん、可愛いというより怪しい。完全に魔法少女にやっつけられる方だよ。何でこんな服一式を持っているのか知りたい。


 これじゃない、と強く思うリリだったが、心優しい彼女は何も言えなかった。

 その後着替えさせられた。それを見たマリエルは、背中を向けて肩を震わせていた。

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