53 気遣う人々
「ジェイク……『ウジャトの目』を知っているな?」
「ええ、一応……まさか、リリが『ウジャトの目』を持ってると?」
「可能性が高い、と思っている」
二人きりになった辺境伯とジェイクは、場所を執務室に移して話を始めた。
「私にとってリリは恩人だ。妻と、もちろん息子にとっても。だから彼女を守りたいと思っている」
「俺は……ダドリーが死んでから、ダドリーの家族は俺が守ると決めました。リリは俺にとって娘同然です」
「うむ……一時はリリを養子にすることも考えた。だが、私も王国貴族の一人だから、もしあの子を差し出すよう王命が下れば逆らえない」
「そう、でしょうね」
二人とも、リリを自分の娘のように考えている。ジェイクはリリをやるものか、と対抗心が芽生えるのを感じた。
「アルゴのことだが」
「え?」
突然話が変わり、ジェイクは虚を突かれたようになる。
「もし伝承通りなら……あれはフェンリルかも知れない」
「フェ……いやまさか」
「あれが伝説の神獣だとしたら、リリを傷付けるものは容赦しないだろう」
「あー、神獣じゃなくてもそんな雰囲気はありますね」
このおっさん、何を言い出すんだ?
「王国がリリを利用しようとしたら……国が滅ぶかも知れん」
「いや、それは大袈裟でしょう……ですよね?」
「お前は、魔法が使える狼を見たことがあるか?」
「……ないですね。聞いたこともないです」
「リリの話では、アルゴは魔法を使った」
「…………たしかに」
スナイデル公国の首都ファンデルの東、バルトシーデルに瘴魔と瘴魔鬼が迫った時のことを、リリは詳しく説明してくれた。アルゴが風魔法で瘴魔鬼を倒した、と確かに言った。
「リリ自身は守るべき対象だが脅威ではない。だがアルゴは……恐るべき脅威の可能性がある」
「それは、敵対した場合の話でしょ?」
「……この国の貴族、それに今の王家も、愚か者が多いのだよ」
「……そりゃあ嘆かわしいですね」
「本当にそうだよ」
つまり、辺境伯は他の貴族や王家がリリの力を知って都合よく利用しようとする事を恐れている訳だ。そんなのは俺だって許せねぇ。ということは、アルゴだって許す筈がない。もしアルゴが辺境伯の言う通り伝説の神獣だったら――。
「この国、ヤバくないですか?」
「ああ。かなりヤバい。だから頭が痛いのだ」
はぁー、と二人して溜息をつき、温くなった紅茶を飲んだ。
「リリが貴族か、貴族と同等の身分になればおいそれとは手出し出来なくなるのだが」
「この国で叙爵は有り得ないでしょうね……叙爵の前に王家が何かしらやるでしょう。いっそ国を出ますか」
「……それしかないかも知れないな」
国を出ると冗談っぽく言ったのだが、辺境伯は最初からそれを考えていたらしい。
国を出る……リリは何と言うだろう? ミリーは?
もしこのアルストン王国から出た方が良いという話になったら、リリならスナイデル公国を選ぶだろう。そしてスナイデル公国には「瘴魔祓い士」という仕事がある。先程リリから聞いた話が本当なら、彼女には瘴魔祓い士として十分やっていける才能があるだろう。
「瘴魔祓い士が国から認められているのは、スナイデル公国とクルーセルド王国だけだ。今思えば両方『ウジャトの目』と関わりが深いな」
「その両国では、瘴魔祓い士は貴族以上の権限を持つんでしたっけ」
「まぁ、上の階級になればの話だが。しかし彼女の能力なら問題なさそうだ」
クルーセルド王国はよく知らないが、スナイデル公国では瘴魔祓い士は手厚く保護されていると聞く。他国がスナイデル公国に瘴魔祓い士の派遣要請をすることも度々あり、瘴魔祓い士に危害を加えようとした国には、それ以降派遣されない。だからどの国も馬鹿な真似はしないそうだ。少なくともこれまでは。
「スナイデル公国かぁ……」
「うむ……しかしなぁ……」
「何か問題が?」
「私がリリに会えなくなるじゃないか!」
何言ってんだおっさん。リリはやらんぞ。
「カリナンも、ケイトリンも寂しがる……」
「……早めに爵位を譲って引退したらどうですか?」
「っ!? ……そうか、その手があるな……長男は二十四だ、少し早いが早過ぎることはないだろう……うむ、カリナンは公国に留学させればいいし……」
おっさん本気か?
「まぁまぁ辺境伯様。いずれにせよ、リリの意思が大事ですよ」
「うっ、それはそうだな」
「でも、公国に移り住むっていうのがあの子にとって良い手だってのは分かりました」
「うむ、リリや母親とよく話し合うのだ。そして後悔しない道を選ぶ手助けをしてやれ」
「もちろんです」
「あと、本当に公国に行くならちゃんと教えろ」
「え? あ、はい」
「……私にだって、公国の貴族に伝手くらいあるのだぞ?」
「あ、そうですよね」
辺境伯、何か言い訳し始めちゃったよ。
「いずれにせよ、話し合いの結果を教えてくれたら助かる……あと、リリに今回の褒賞金を出すつもりだ。それについては……まぁ手紙でも良いだろう」
「分かりました。結果はお伝えしますし、リリに褒賞金を楽しみにしとけって言っておきますよ」
「ハハハ! 頼んだぞ」
執務室を出て、衛兵に従って城を出る。しかし、辺境伯は想像以上にリリの事を考えてくれてたんだな。息子の足を治したってのもあるだろうが、やっぱりリリが素直で可愛いからだろう。
うん、例え辺境伯だろうと、リリはやらんからな!
*****
騎士の一人が案内してくれて、リリ達はボームスの家を訪れた。大人数で押し掛ける訳にもいかないので、リリとアルゴ、ラーラだけだ。アルガンとクライブ、アネッサは先に宿に戻ってもらった。
それはこぢんまりとした古い家だが、よく手入れされているのが窺えた。ボームスの家らしいと思える。
「ボームスさん、こんにちは! リリです!」
玄関の扉をノックして声を掛けると、二十代前半くらいの女性が顔をだした。
「えーと、おじいさまに何かご用ですか?」
「あ、はじめまして。リリアージュ・オルデンと申します。ベイルラッド様――辺境伯様から、ボームスさんが腰を痛めて寝込んでいらっしゃるとお聞きして、お見舞いに来ました」
「まあ、辺境伯様の! ……どうぞお入りください」
アルゴには通りで待ってもらい、リリとラーラがお邪魔した。お孫さんと思しき女性は「お待ちください」と言って奥の部屋へ消えた。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
お孫さんに従って奥の部屋へ行くと、ベッドの上でボームスが上半身を起こしていた。
「リリアージュ様、このような恰好で申し訳ございません」
「いえいえ! 急に押し掛けたのはこちらですから、どうかお気になさらず」
執事服の時と違い、パジャマ姿のボームスは年相応に老けて見える。
「私も歳を取りました……最後の最後まで辺境伯閣下にお仕えしたかったのですが」
「ボームスさん、私が治癒を掛けてもいいですか?」
「いえ! とても治療費をお支払い出来ませんから」
「お金を取る訳ないじゃないですか。初めてお会いした時から親切にしてくださったお礼です」
しばらくの間、魔法を掛ける・掛けないで押し問答を続けたが、じれったくなったリリが有無を言わさず魔法を発動した。
「えい! 治癒!」
「ああっ、リリアージュ様!?」
黄緑色の光がボームスの腰に吸い込まれていく。加齢による腰痛は、脊椎の間にある軟骨が磨り減って神経を圧迫することが原因のはず。だから、腰辺りの軟骨を再生するイメージで魔法を使った。それほど長くかからずに光が収束する。
「……これがリリアージュ様の治癒魔法なのですね……温かく包み込まれるような感じがします」
「腰痛に治癒魔法は効果が薄いと聞いたんですが……どうでしょう?」
ボームスはベッドから足を下ろして立ち上がった。その場で腰を曲げたり回したり、ぐぅっと背伸びをしたり、果ては屈伸まで始めた。
「リリアージュ様! 腰が! 痛くありません!」
「そ、それはよかった。でも急に動いたりしちゃダメですよ?」
「いえ、もう大丈夫です。早速城に――」
「おじいさま! 無理してはいけません!」
「そうですよ。また痛みが出るかもしれないから、少し様子を見てください」
「し、しかし」
「「しかしじゃないです!」」
リリと孫娘から止められて、ボームスは渋々ベッドに戻った。
「リリアージュ様、本当にありがとうございます。これでまた閣下にお仕えできます」
「お礼なんてとんでもない。私が勝手にしたことです。それにボームスさんには元気でいて欲しいので」
それから少しだけ話をして、リリ達は宿に戻ることにした。帰り際に「くれぐれも無理は禁物ですよ?」と念を押したが、たぶん聞かないだろうなぁ、と思うリリであった。
*****
リリ、アルゴ、ラーラが宿に戻ると、丁度ジェイクも帰って来たところだった。
「ジェイクおじちゃん……私のことで面倒かけちゃってごめんね?」
「面倒なんて思っちゃいねぇぞ? むしろ面倒も迷惑も足りねぇくらいだ」
「……ありがとう」
ジェイクがリリの頭をくしゃっと撫でる。
「よーし! 『金色の鷹』は集合だ。ちょっと話がある。リリはすまねぇが外してくれ」
「……分かった」
リリはアルゴと一緒に泊まっている部屋に戻った。夕飯まではまだ少し時間がある。こういう空き時間が出来ると、リリは絵を描くことが多いのだが、今回は道具を持って来ていない。
「たまにはゴロゴロしよっかな。ね、アルゴ」
『ゴロゴロ! 良いと思うぞ! 我と一緒にゴロゴロするのだ!』
「ウフフ!」
リリは部屋の床でアルゴと一緒にゴロゴロと戯れる。本来の「ゴロゴロ」はそうではないと思うのだが、アルゴが嬉しそうだから構わない。汚れても浄化魔法で綺麗にできるので気にせずゴロゴロする。
そう言えば最近こんな風にアルゴと遊んでなかったな。十二歳になって子供っぽさが無くなってきたのかな?
しばらく床を転がり、最後にはアルゴに抱き着いてふわふわの毛に顔を埋め、胸いっぱいにその匂いを吸い込んだ。アルゴはいつもお日様のような匂いがする。リリの大好きな匂いだった。
「まだどうなるか分からねぇが、パーティの今後に関わることだから早めに伝えておきたい」
ジェイクの部屋に集まった「金色の鷹」はその言葉を聞いて真剣な顔になった。辺境伯との話の中で、リリを守るには国を出るのが一番かも知れないという結論に至ったことを説明する。
「もちろんリリの気持ちやミリーとミルケの気持ちだってある。ただ、俺はリリが国を出るなら付いて行くつもりだ。それをお前たちに強制はできね――」
「私だって一緒に行くわ」
「俺も行くけど」
「私も。どこでも冒険者は出来るし」
「俺も行く」
ジェイクの言葉を遮って、ラーラ、アルガン、アネッサ、クライブが答える。
「無理しなくていいんだぞ?」
「「「「無理してない!」」」」
ダドリーの死後、ジェイクはリリ達家族を守るのは自分の役目だと考えてきた。だが、アルガン、アネッサ、クライブの三人も同じ気持ちなのだ。リリへの態度に程度の差こそあれ、ダドリーが残した家族を守るのは当然だと思っていた。
ラーラはリリに恩があった。レイシアのこともそうだし、自分が再び冒険者としてやっていくきっかけをくれた。それに単純にリリのことが好きだった。歳の離れた妹のように思っている。
「アネッサの言う通り、冒険者の仕事はどこだって出来るわ。私達はSランクパーティなんだから。どの国に行っても引く手数多でしょ?」
ラーラの言葉に三人がコクコクと頷く。ジェイクも「そうだな」と呟いた。
「まぁ、俺は例えジェイクさんが行かなくてもリリに付いて行くけどね!」
「何っ!?」
「まぁとにかく、『金色の鷹』は一緒にリリ達に付いて行く、と。そういう事でいいだろう、リーダー?」
アルガンの発言にジェイクが反応したが、放っておくと言い合いになるのでクライブが纏めた。
「あー、そうだな。まぁ聞かなくてもそんな気はしてたんだけどな」
「じゃあ別に聞かなくても良かったんじゃないの?」
「いやアネッサ、一応聞いといた方が後々問題にならねぇと思ったんだよ」
「そうね。どうなるかはまだ分からないけど、みんなが同じ気持ちだって分かって良かったかもね」
「そうだな」
冒険者というのは自由だ。自分がこうしたいからと言ってパーティの仲間にそれを強いることはしたくない。アルストン王国に残りたいって奴がいたら快く送り出すつもりだった。ダドリーだってそうしたはずだ。
だがそんな気遣いは不要だったな。




