47 ブラック・リリ
救護所に駆け付けたリリは、入り口にアルゴを残してラーラと共に中に急いだ。ベッドに横になっている男性、冒険者ギルドの職員ルークを見る。
彼は俯せに寝かされ、上着を剥ぎ取られていた。背中には右肩から左脇腹にかけて斬られた傷があるが、こちらは殆ど塞がっている。だが右脇腹の刺傷がかなり深いようで、今もどす黒い血がゴポっと溢れ出した。
「背中の傷が大きかったから先に治癒を掛けたんです。だが、深刻なのはこっちの刺傷のようで……私は魔力切れでこれ以上治癒魔法が使えないのです」
スケットルが無念そうに首を振りながら教えてくれる。治癒魔法が使える神官はもう一人いるが、今はエバーデンに行っていて不在らしい。
ルークの意識はないが、顔は苦痛で歪んでいる。血色は青を通し越して白い。既にかなりの血液を失っているようだ。
「私が治療してもいいですか!?」
「ええ。……ですが、彼はもう――」
「リリちゃんに任せましょう」
「……はい」
ラーラがスケットルに声を掛けて近くの椅子に座らせている間に、リリはルークに浄化魔法を掛けた。その上で傷を観察する。
出血量から考えて大きな血管が傷付いている。この血の色は静脈? それにこの場所には肝臓がある筈……この世界の人の体が地球と同じか分からないから、とにかく傷付いた内臓を再生、血管、神経、筋肉、脂肪、皮膚を再生するイメージ……よし。
「治癒!」
リリの足元に眩い光を発する魔法陣が現れる。黄緑色の光はこれまでで一番強い。その光が幅五センチほどの刺傷に集まり、ルークの体内に浸透していく。
「ああ、これじゃ駄目だ。浄化!」
腹腔内に溜まった血を取り除くイメージ……うまくいった。先に内臓と血管を修復して……もう一度浄化……よし。細い血管と神経、筋肉……脂肪、皮膚……ふぅ、なんとか上手くいったと思う。
「おっと」
「リリちゃん!?」
ふらついたリリをラーラが支え、椅子に座らせてくれた。
「大丈夫?」
「……たぶん?」
「横になる?」
「いえ。……少しフラッとしたけど大丈夫そうです」
ルークの顔を見ると、先程より穏やかになって少し血色も良くなっていた。
「リリさん、少しお聞きしても?」
「あ、はい」
「治癒の途中で何かしましたよね?」
「あ、浄化魔法です。お腹の中に血が溜まっていると思ったので」
「血が溜まっていると良くないのでしょうか?」
「あー……たぶん、はい」
前世のドラマや映画で観た手術のシーンでは、吸引する機械のようなもので血液を吸い取っていた筈だ。
「浄化魔法で取り除けるんですね……」
「あれ? 本当ですね」
恐らく、体に悪影響を及ぼす物としてリリが判断したから浄化魔法で取り除けたのだろう。
「それにしても素晴らしい治癒魔法でした」
「……ありがとうございます」
「リリさんは……いえ、何でもありません。力を貸してくれてありがとう」
スケットルは「神官になるつもりはないのですか」という言葉を飲み込んだ。まだ十一歳のリリに将来を押し付けるようなことは言えない。
「私は……出来ることをしただけですから。ルークさんは知り合いですし」
リリの言葉に、スケットルは少し目を見開いた後に優しい笑みを浮かべた。
「リリちゃん、帰れそう?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ帰りましょうか」
「はい!」
もう一度ルークを見ると穏やかな寝息を立てている。これなら大丈夫、彼が死ぬようなことはないだろう。スケットルから再度礼を言われるが、勝手に邪魔したことを詫びて救護所を出る。
「アルゴ、お待たせ」
「GRRRRRRUUU……」
あれ? 私をチラッと見ただけで、どこか別の場所を気にしているみたい。喉の奥から聞いたことのない低い音が鳴ってる……これは、警戒? それとも威嚇?
リリはアルゴの視線を追ってみた。建物の陰で、こちらに半分背を向けるようにして男が立っている。不自然に横目でこちらを観察していた。
夜だから少し分かりにくいけど、濃い黄色の靄と濃い灰色の靄が斑模様を描いている。うわー、あんなに悪意のある人は久しぶりに見たな。
アルゴが視線を移したので右の方を見ると、やはり物陰に立つ男が居て、同じような靄を顔の周りに纏わせていた。どっちの人も見たことないな。
「あ」
右の男の肩を誰かが叩いた。え、ジェイクおじちゃん? あの顔はすっごく怒ってる顔だね。笑顔だけど目が鋭い。あ、左の人にはアルガンお兄ちゃんが……二人ともどこかに連れて行かれちゃった。
ラーラを振り返ると、口をポカンと開いて今の出来事を見ていた。
「えっと……行っちゃいましたね」
「行っちゃったね」
いつの間にか、アルゴの喉を鳴らす音が止んでいた。
「アルゴ?」
「わふ?」
「もしかして、さっきの人達って悪い人?」
「わぅ」
「そっか。今はもう大丈夫?」
「わふぅ!」
「分かった。アルゴ、ありがとう」
リリが礼を言いながらアルゴの首に抱き着くと、尻尾が物凄い速さで振られた。風圧でラーラの髪が煽られる。だがラーラもそれを気にすることなく、アルゴの頭を優しく撫でた。そんな事をしていると、通りの先からクライブとアネッサがやって来る。
「あれ? クライブお兄ちゃん、アネッサお姉ちゃん?」
「おう!」
「リリちゃん、こんばんは!」
何だか二人とも楽しそう……いや、これは違うな。顔は笑ってるけど怒ってる。真っ赤な靄が混ざっているもん。
「二人ともどうしたの?」
「ギルド職員が襲われたって聞いてな。衛兵と一緒に犯人らしい奴を捕まえて来た」
「「えっ!?」」
「なんだか気持ち悪い男だったわ」
ジェイク達は、交代でポッポ亭を監視していた。デムラーは宿泊客に混じって宿を出た為に見落とされた。だがその後にクズーリの護衛らしき者が四名、宿を出たのでその後をつけた。途中二手に分かれたので、今日の担当だったアネッサは急遽クライブを呼びに行き、それぞれを離れた所から見張っていた。
冒険者ギルドの近くに陣取った二名は動きがおかしかった。その二名を見ていたアネッサは、他にも動いている者がいる可能性に思い当たったので、急いでアルガンを呼びに行った。ルークが襲われたのはその僅かな間だった。
アネッサとアルガンがギルドに向かっていた頃、家に帰ろうとしていたラーラが偶然倒れているルークを見付け、衛兵を呼んだ。騒ぎが起こったのに気付いたアルガンはジェイクの家へ。アネッサは犯人の痕跡を追った。アルガンがジェイクの家に着いた時、丁度ミリーと鉢合わせした。それでおおよそどんな企みか予想出来た。
ミリーを家に帰らせ、ジェイクとアルガンが救護所の近くにいたクライブと交代し、アネッサを手伝うよう指示。ルークを襲った犯人は町を出ようとすると予測し、アネッサとクライブは東門近くで待ち伏せした。そこで、宿泊客に混じって宿を出た見覚えのある男にアネッサが気付いた。こんな時間に一人で町から出ようとする男を不審に思い、アネッサが声を掛けると戦闘になったが二人と門兵で制圧した。彼らは馬で移動していたので、今は貸馬屋からの帰りである。
「えーと、お疲れ様?」
「フフフ。リリちゃんこそお疲れ様」
「家まで送って行こう。ラーラ、一人だと危険かも知れない。今日はアネッサの家に泊まれるか?」
「あ、はい、じゃなくて、ええ。アネッサ、いい?」
「もちろん」
帰り道、クライブから何が起こったのか、推測を交えて聞かせてもらった。推測と言うが殆ど真実だろう。
それにしても、罪の無いルークさんを餌にするなんて許せない。ルークさんは死んでいたかも知れないのに。
『リリの敵は我の敵だ。潰してやろう』
ふいに聞こえてきた声にアルゴの目を見つめる。その声には明確な怒りが含まれていた。
「……アルゴ、怒ってくれるのは嬉しいけど、手は出さないで欲しいかな」
「わふっ?」
「人には人の法があるの。ちゃんと法で裁いてもらわなきゃ」
「わふぅ……」
アルゴが「潰す」と言ったら、それは単なる脅しではなくその通りになるだろう。物理的に。
リリにはそれが分かっていたし、そうなっても因果応報だと思う。だが暴力を暴力で解決するのは良くない。それに相手は貴族だ。手出しすれば面倒な事になるのは目に見えている。
「法が機能しない時は……証拠を残さないようにね」
「わふっ!!」
「リリ……今サラッと物騒なこと言わなかったか?」
「ん? 大丈夫でしょ、ここは法治国家なんだから」
「え、そういう話か?」
「うん、そういう話」
首を傾げながら歩くクライブを見て、リリは笑いそうになる。だが、リリは冗談で言った訳ではなかった。
犯人やそれに関わりのある平民は処罰されるだろう。しかし命令を下した貴族はどうか? 恐らく処罰されない。それは法がちゃんと機能していると言えるのだろうか。命令を下した人間が一番悪いに決まっている。その命令がなければ誰も傷付かなかったのだから。
リリはこれまで犯罪に巻き込まれたことはない。だから、このような時にアルストン王国がどう対処するか知らない。その対処の仕方次第で、この国に期待出来るかどうか分かる気がした。
アルゴなら、一切の証拠を残さずに敵を滅ぼすだろう。文字通り消し炭にして。
その光景を想像して、リリはブンブンと頭を振った。
「どうした?」
「ううん、何でもない」
クライブの問いに、もう一度軽く頭を振る。
私、どうしちゃったんだろう? ……ああ、そうか。私、怒ってたのか。私のせいでルークさんが死にそうな怪我をしたのが許せないんだ。
何だろう。ただ平凡な幸せを望んでいるだけなのに。貴族とか嫌な人と関わるつもりは全くないのに。どうして放っておいてくれないのかな?
私は、私自身や大切な人が傷付けられそうになったら怒り狂うかも知れない。そうなったら、たぶんアルゴも同じように怒るだろう。そして私はそれを止めないと思う。
でも、私はその結果を受け止められるだろうか? その後も普通の顔をして平然と生きていけるだろうか?
前世で住んでいた国は平和で、身近に犯罪はなかった。高科亜美やその家族、大切な誰かが暴力を振るわれたり、命の危険に見舞われたりすることはなかった。……あ、私は交通事故で死んじゃったのか。命の危険、あったな。でも交通事故と、明確な悪意を持って襲われるのは別だろう。
もちろん自分から暴力を振るったこともない。だからその後にどんな気持ちになるかも分からない。ただ、決して良い気持ちではないことは想像出来る。
そんなことは起こらない方が良いに決まっている。
「うん。暴力はそれ以外ない時の最後の手段だよね」
「リリ?」
「ねぇ、クライブお兄ちゃん」
「どうした?」
「冒険者は、理不尽に巻き込まれた時にどう対処するの?」
「そうだなぁ」
リリが聞きたいことは「正しい対処」の話ではないだろう。リリはあまり人に頼らない。もっと頼ってくれていいのに、とクライブは思う。
「嫌がらせ程度なら我慢する。だが自分や仲間に危険が及ぶなら、まずは仲間に助けを求めるな」
「仲間……ジェイクおじちゃん達?」
「真っ先にパーティの仲間だな。他にはギルドの上の人間や貸しのある貴族とか。一人で考えると無謀なことをやりかねないから」
「そっかぁ。相談できる人がいるのが大事なんだね」
「困ったら、ミリーさんやジェイクさんに相談すればいい。迷惑かもとか考えなくていいんだ」
「……うん。ありがとう」
クライブの大きな手が、リリの髪をくしゃっと撫でた。少し乱暴なくらいが、今は気持ちが良かった。
そうだ。私には頼れる人が何人も居る。全部一人で解決しようとしなくていいんだ。そう気付き、さっきまで感じていた昏い怒りが消えて行った。
翌朝。いつものように「鷹の嘴亭」の仕込みを手伝うためにリリは階下へと向かう所だ。ミリーは既にミルケと一緒に店の厨房にいる筈。踊り場で待機しているアルゴは非常にソワソワしていた。
「ごめんね、アルゴ。今回はジェイクおじちゃん達に任せたから。ヤバくなったら呼ぶからそれまでは我慢してね?」
「わふぅ~」
アルゴは不満そうだが納得してくれたようだ。
夕べ遅く、ジェイクがリリの家を訪ねて来た。救護所の近くにいた男二人はそのまま解放したと言う。
「リリ、俺達が必ず守るから信じてくれ」
「うん。それで私はどうすればいいの?」
「クズーリにわざと捕まって欲しい」
「えっ!?」
アルストン王国の法でも、人攫い(誘拐)は重罪だそうだ。特に成人前の子供を攫った場合、例え貴族でも罪を免れることは出来ない。
「このままじゃ埒が明かねぇし、さらに犠牲が増える可能性もある。だから、リリを攫った現場を押さえてとっ捕まえる」
アルゴが傍に居るとクズーリがリリに手出し出来ない。だからアルゴには自宅待機してもらうのだ。本人は非常に不満そうだが。
ジェイクから聞かされた作戦を、リリは気に入った。クズーリはルークを餌にしてリリを誘き出そうとしたが、今度はリリを餌にしてクズーリを嵌めるのだ。
私は治癒魔法が使えるから、少しくらい怪我しても問題ない。本当に危なくなっても、ブレットなら無限に撃てる。
これまで多くの獣と瘴魔、瘴魔鬼を倒してきたリリは、本人が自覚している以上に肝が据わっていた。貴族やその護衛程度はあまり怖いとは思わない。
「じゃあ行って来るよ」
リリはもう一度アルゴを撫でてから階段を下りた。
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