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45 企み

 レイシアに治癒(ヒール)を掛けてから七日目。火傷の痕は消え去り、玉のような肌に生まれ変わった。その日はレイシアの夫、ケイネスも家に居て、リリとラーラは二人から泣きながら感謝された。


 その後、一緒に来ていたマリエルがレイシアとケイネスに注意を促す。


「レイシアさん、ケイネスさん。ほんまにリリに感謝してはるんやったら、リリのことは誰にも言わんといてくださいね?」

「でも……そうか、あまりにも凄すぎるから」

「そうです。リリの身に危険が及ぶかも知れません。だけど、レイシアさん達の身が危険やと思ったら言っても大丈夫です。その代わり――」


 治療費は三千万コイルだったこと。治癒魔術師は気に入った人しか治療しないこと。名前は教えてくれなかったこと。ずっとローブで顔を隠していたからどんな人か分からないこと。そういう風に明かしてくれ、とマリエルは伝えた。


 ラーラには事前にこの話をしたが、今後はジェイク達と協力してリリを守ると言ってくれた。ジェイク達にもリリとマリエルから直接話してある。


 だがリリ達は誰も気付いていなかった。ジェイク達「金色の鷹」はエバーデンでも名の知れた冒険者である。彼等が依頼でもないのに一週間エバーデンに滞在した事は、ギルドや冒険者達の間で既に噂になっていた。ただの休暇だと思う者が多かったが、誰かの護衛ではないかと勘繰る者も居た。そしてジェイク達が「ポロック亭」に宿泊していた事は、調べれば直ぐに分かる。その時誰が一緒に泊まっていたかも。


 リリの治癒魔法を必要とするような力のある人物なら、その気になれば数日で調べられる事だったのだ。





*****





「ベイルラッド様。少々お耳に入れたい話がございます」

「なんだ?」


 ボームス・キャリアースは先代からクノトォス家に仕えている執事長である。間もなく七十歳を迎えるとは思えないほど矍鑠としており、頭の回転も衰えていない。


 四十代前半のベイルラッド・クノトォス辺境伯は八年前にクノトォス家を継いだ。アルストン王国北西部に広大な領地を持つクノトォス家だが、有事の際はシェルタッド王国やルノイド共和国に対する「壁」になる事が求められている。先代からその役割について叩き込まれたベイルラッドは、自分自身を鍛えると共にクノトォス領に属する騎士団と領軍の強化に注力してきた。


 貴族らしからぬ、まるで冒険者のような風貌。二メートル近い身長、広い肩幅、日に焼けた肌。太陽に晒されて白金色になった頭髪は短く整えられ、明るいブルーの瞳は冷たさを感じさせる。


 執務室の巨大な机には書類が整然と積まれ、ベイルラッドは書類に目を通しながらボームスに返事をした。この執事長が無駄話をする訳がない。


「二年前、『メリダの風』の一人が大火傷を負った件を覚えていらっしゃいますか?」

「メリダの風……ああ、確か瘴魔鬼と遭遇したんだったか。それが?」

「右半身に火傷の痕が残っていたのですが、それを治療した者がいるようです」

「ほう?」


 火傷の痕と言われ、記憶が蘇った。瘴魔鬼を倒した冒険者ということで一度謁見したのだ。事件から三か月経っていたが、女性の一人がほぼ全身に包帯を巻いていた。


「火傷などなかったかのように、綺麗な肌を取り戻したそうです」

「それは喜ばしい話だが……まさか、カリナンの脚も治療出来ると?」

「可能性はございます」


 ベイルラッドの三男、九歳のカリナンは、四年前に事故で下半身不随となり、車椅子生活を強いられている。王都から何人も高名な治癒魔術師を呼び寄せて手を尽くしたが、誰も治すことが出来なかった。


「そうか……詳しく調べてくれ。まだカリナンには言うな」

「かしこまりました」


 期待はしない。これまで散々期待しては裏切られた。その度に見せられた息子の悲しい目。一番辛いのは自分なのに、治療が全く効果を発揮しなくても「お父様、ありがとうございます」と笑顔を見せる息子。まだ九歳なのに、彼は人生を諦めたような目をしている。

 期待はしない。だが、ほんの僅かでも可能性があるのなら、それを試さないという選択肢はない。


 少しの間、窓の外に向けていた目を書類に戻す。エバーデンの西に現れた魔物の群れとその討伐について、冒険者ギルドから報告が上がっていた。偶々エバーデンに滞在していた「金色の鷹」の協力で五十近い魔物を殲滅したらしい。冒険者ギルドは国から独立した機関なので、街を守った時には領主に請求出来る。Sランク冒険者が出動したにしては請求金額が低い気がするが、特に不審な点はないのでサインをして「決済」の箱に入れる。


 火傷痕の治療とSランク冒険者の滞在……。ベイルラッドは偶然というものを信じない。何か関わりがあると考えるが、もし治癒魔術師を「金色の鷹」が護衛していたとなると一筋縄ではいかない可能性が高い。


「ふむ……厄介払いを兼ねてみるか」


 何にせよ情報が必要だ。あの優秀な執事長なら数日、長くても一週間で確かな情報を集めてくれるだろう。





 クズーリ・ギャルガンはエバーデンの屋敷で部下からの報告を聞いていた。


「なるほど。ではその治癒魔術師を連れて来れば、ベイルラッド閣下の覚えが目出度くなるということか」

「はい。それだけでなく、もし治療が成功すれば――」

「大いに恩を売ることになる、か」


 ギャルガン子爵家の三男であるクズーリは、家督相続をまだ諦めていなかった。二人の兄はそこそこ優秀ではあるが自分程ではないと考えている。だからこそ、ベイルラッド・クノトォス辺境伯に自らを売り込んで側近の一人になった。手腕を認められれば、直轄地の代官や叙爵も夢ではない。大きな功績を挙げれば領地の割譲も有り得る。


「直ぐに動かせる兵は何人くらいだ?」

「十五人ほどかと」

「こちらに向かわせろ……いや、エバーデンは不味いか」

「クリッシュの街でよろしいかと」

「そうだな。クリッシュで合流し、その……何という村だ?」

「あ、村ではなく町です。マルデラです」

「マルデラか。どこかで聞いた気がするが、とにかくそこへ向かう」

「手配いたします」


 アルストン王国北西部の貴族で、隣国との要衝であるマルデラを知らないのは勉強不足以前の問題である。この事から分かる通り、クズーリという男は自分が思うほど優れている訳ではなかった。ただ周囲の人間が優秀なのを、自分の手柄と勘違いしているのだ。

 それだけならばあまり実害はないのだが、この男は特権意識の塊だった。貴族以外の者は貴族に従って当然、平民には人権などないと本気で思っている。


 ベイルラッド辺境伯の前ではそれを上手く隠しているつもりだが、とうの昔に本質を見抜かれていた。ただ一度仕官させたからには明らかな失態を犯さない限り辞めさせる大義名分がない。ベイルラッドは態とクズーリに情報を流し、治癒魔術師とひと悶着起こさせてクビにする心算だった。


 ベイルラッドも、件の治癒魔術師が普段からSランク冒険者に守られている上、最強の護衛が常に傍に居る事までは予想していなかった。





*****





 エバーデンから戻ってひと月。マリエルはとっくに帰路に就き、リリは改めて自分の将来について考えていた。


 料理をするのは好きだ。新しい料理を考えるのも好き。「鷹の嘴亭」が繁盛している事から、料理人として生きていくのは「有り」だろう。

 絵を描くのも好き。自分の絵を見た人はみんな褒めてくれる。ダルトン商会本店に自分の絵を飾ったら絵師を紹介してと言われたらしい。絵を仕事にするのも「有り」かも知れない。


 治癒魔法については、自分の大切な人を守る力と考えていたし、それは今でも変わらない。それに、治癒魔法はあまり得意ではないと思っている。ブレット(弾丸)なら無限に撃てるのに、治癒(ヒール)では何度か魔力枯渇に陥った。魔力の枯渇は怖い。ただ、誰かの役に立つのは嬉しい。嬉しいが、仕事にするかと聞かれたら首を傾げてしまう。


 う~ん……。平和に生きるなら料理人か絵師だよね。料理や絵だって人に喜んでもらえるんだし。だけど両方趣味でも良いんだよな……。


「ねぇアルゴ」

「わふ?」

「私に瘴魔祓い士の仕事って合うと思う?」

「わふっ!」


 アルゴは合うと思ってるのか。そうかぁ。そうだよねぇ。瘴魔の弱点が見えるなんて、瘴魔を倒しなさいって言われてるようなものだもん。

 だけどなぁ。お母さんやミルケと離れるのはいやだな……。ジェイクおじちゃん達とも。みんな一緒にスナイデル公国に行けたら良いのに。


 前世の私はどうだったのかな……? 前世で仕事を始めたのは二十二歳。大人になれば一人でも寂しくないのかな?


「わふぅ」

「フフ。そうだね、アルゴはずっと一緒だよね」

「わふっ!」


 リリはアルゴの首に抱き着き、フワフワの毛に顔を埋めた。うん、まだ数年の時間はある。じっくり考えて決めればいいや。





 マルデラから西に続く街道の北側、ノストランドの森。街道から十キロほど奥に行くと洞窟がある。「金色の鷹」とラーラは、その洞窟で魔物狩りを行っていた。


風刃(ウインドエッジ)!」


 ラーラの風魔法が複数の魔物を切り裂く。


氷槍(アイスランス)!」


 アネッサの氷魔法が大型の魔物に突き刺さる。クライブが一番前で盾と槍を構え、素早い魔物を牽制。ジェイクとアルガンは後衛に魔物を通さないようにしながら、魔法で撃ち漏らした、或いは死に体になった魔物に止めを刺していく。


「よし。これくらいで良いだろう」

「ふぅー。やっぱ魔術師が二人いると安定するね!」

「そうだな」

「私も楽できるわ」


 ラーラは勘を取り戻していた。攻撃魔法を忌避する気持ちも殆どない。マルデラに来てから三か月弱、ラーラは変わった。レイシアの治療に成功したこと、何よりもリリとの出会いによって彼女は再び前に向かって歩き出した。


「なあ、ラーラ」

「はい?」

「ずっとソロでやっていくつもりか?」

「え? いや、別に拘ってる訳ではなくて」


 洞窟での狩りを終え、森の中を歩きながらジェイクがラーラに声を掛けた。


「だったらウチに入らねぇか?」

「え!? 『金色の鷹』にですか?」

「そうだ」

「でも私、Aランクですよ?」

「この一か月何度も一緒に依頼をこなしただろう? その上で、実力は問題ねぇと判断した。それに、ラーラの加入はメンバーの総意だ」

「あ……わ、私……嬉しいです! よろしくお願いします!」


 ラーラはジェイクに頭を下げ、他の三人にも頭を下げる。


「じゃあ新メンバー加入のお祝いだね!」

「そうと決まれば急いで戻るぞ」

「「「「おー!」」」」





 マルデラの冒険者ギルドで、ジェイクとラーラがパーティ加入の手続きを行っている。アルガンは「鷹の嘴亭」に夜の貸切をお願いに行き、クライブとアネッサは着替える為に自宅へ帰った。


「『金色の鷹』のジェイク・ライダーはお前か?」


 手続きを終え、ギルドから出た直後に大柄な男から問われた。冒険者の恰好をしているが、その横柄な口の利き方や物腰から、ジェイクには男が何者なのか容易に見抜けた。声を掛けてきた男の後ろにも同じような男が二人。まだ何もしていないのにこちらを睨んでいる。


「だったら何だ、()()さんよ?」


 騎士と呼ばれ、男が目を見開く。後ろの男達は騎士じゃないな。ただの兵士か。


「フッ……まあ話が早いな。私の主人がお前に聞きたいことがあるそうだ」

「へぇーそうかい。俺にはねぇな」

「……お前の意思など聞いていない」

「そうか。じゃあ話は終わりだな」


 ジェイクとラーラがその場を離れようとすると、三人の男が剣の柄に手を掛けた。


「これは命令だ!」

「命令? 俺に命令できる奴なんて……まあ二、三人はいるが、その中にあんたは入ってねぇよ」


 冒険者ギルドの真ん前で騒ぎを起こすなんて、こいつら頭悪過ぎじゃねぇか? ほら、冒険者が何人もこっちを見てる。あ、ギルド職員も見に来た。


「貴様、我々を誰だと――」

「いや、知らねぇよ。名乗られてねぇから」

「くっ!」

「いいから先に抜け。これだけ証人がいるんだ、お前らが先に抜けば文句なく正当防衛だろう」


 ジェイクの言葉を聞いて、ようやく男達は周囲に気付く。冒険者、ギルド職員、通りすがりの住民。全員が男達を睨み付けている。ここで剣を抜けば、間違いなく男達が悪者になると嫌でも分かった。


「貴様、覚えていろよ!」


 捨て台詞を吐いて、男達はすごすごとその場から去る。


「いやだから、名前も分かんねぇのに覚えねぇって」

「はぁー、怖かった。ジェイクさん、よく平気でいられますね?」

「怖い? 嘘だろ、あんなのよりラーラの方が強ぇぞ?」

「え!?」

「え? まあいい。それより、俺はあいつらを()ける。アルガンに、俺を探すように言ってくれ」

「『鷹の嘴亭』ですよね?」

「そうだ」


 ジェイクは男達が充分に離れてから自然な感じで歩き出した。ラーラは「鷹の嘴亭」に走る。警戒していたので、冒険者風の恰好をした目付きの鋭い男が何人かいるのに気付いた。「鷹の嘴亭」でミリーと談笑していたアルガンにジェイクの言葉を伝えると、凄く嫌そうな顔をしながら出て行った。

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