143 幸せの形
公国から応援部隊が到着したその日、多くの者がリリたちを訪ねてきて大忙しだった。リリは当たり前のようにコンラッドを領主別邸に招いていたので、何故かコンラッドも一緒に対応する事態となっていた。
最初に訪ねてきたのは、公国第二騎士団の副団長だった。彼はマーカス・ペルドンと名乗り、公国からサウステルまで部隊を安全に送り届け、その後は「リリの指揮下」に入るよう命を受けたらしい。
「え、私の指揮下ですか!?」
「指揮下と申しましても、直接指揮を執る必要はございません。今後、我々の仕事は瘴魔祓い士や魔術師を現場まで安全に送り届けること、並びに必要な場合は住民の避難誘導になるかと存じます」
「はい」
「それらに関して我々は心得ておりますので、突発的かつ変則的な事態が発生した場合に、準男爵様のご指示に従うという意味で捉えていただければ」
「わ、分かりました」
騎士団全体を見る必要はなさそうで、リリはとりあえず安堵した。その次に来たのは公国魔術師団の代表である副師団長の一人。リリは一応特別顧問なので、その副師団長と面識があった。
「顧問、魔術師団から精鋭を百五十名連れて参りました」
「ありがとうございます。とっても心強いです」
「それで……お手すきの際に、また魔法の指南をしていただければ……」
「え? あ、はい。分かりました」
サウステルでも魔法講習をしなくてはいけないようだ。
次に来たのは、Sランク冒険者パーティ「暁の星」のリーダー、トレッド・バートンと「血塗れのメル」ことメル・リーダス。そして「黒炎団」のリーダー、バトーラスらしき人。
「リリちゃん、来たわよ!」
「メルさん! お久しぶりです」
メルさん、瘴魔は物理では倒せませんからね? 無茶しないで下さいよ?
「俺たちは魔法職の護衛をする予定だ。メルにも無茶しないよう言い聞かせてる」
「それは良かったです」
「……リリ、また魔法講習する?」
「あ……バトーラスさん。魔術師団と合同で良ければ、はい、やる予定です」
「……楽しみ」
バトーラスさんで合ってたみたい。フードで殆ど顔が隠れてるから、いっつも自信がないんだよね。
それからは代官のボメーラ・ヤンドルとその補佐官が二名。部隊の滞在に関する打ち合わせを行った。滞在に関わる費用は全てアルストン王国が負担してくれるそうだ。さらに街の防壁の外側、東西を訓練で使って良いらしい。
「クノトォス辺境伯様はお帰りになりましたが、間もなくマデリン王女殿下がいらっしゃるかと存じます」
「そうでしたね」
忘れてたよ。マデリン殿下が来るんだった。
「実は、殿下が滞在するのに相応しい場所がここしかなくて……」
「ええ……え、はい!?」
「そ、その、王女殿下と侍女数名が、こちらの領主別邸に滞在することになるかと……」
「あー、なるほど。じゃあ私たちは別の宿に移動すれば良いんですね?」
「あ、いえ……殿下はご一緒なさりたいと」
何で!? 本当の貴族はアリシアだけで、他はみんな貴族や王族との接し方なんて知らないよ?
「アルゴの傍にいたいんじゃない?」
「あ、なるほど」
コンラッドの言う通り、マデリン王女はアルゴにまた会いたいと思っているのは真実であった。だが、自分を治してくれたリリに会って、国王の無礼を謝罪し、再度感謝を伝えたいという気持ちが大きかった。
「とにかく、王女殿下がそう仰るなら従います」
「なるべくご不便のないよう尽力いたします」
ボメーラ代官たちはそう言って帰っていった。最後にやって来たのはマルベリーアン・クリープスだった。
「アンさん、長旅でお疲れではないですか?」
「そこまで柔じゃないよ」
「お元気そうで何よりです」
「あんたも元気そうで良かったよ。……コンラッド、あんたはちゃんとリリに伝えたのかい?」
「あ、いえ……」
リリは隣に座るコンラッドを見てこてんと首を傾げた。
「全く……あんたがそんなんじゃ、あたしも安心して引退できないよ」
「えっ!? アンさん、引退って……?」
「そのままの意味さ。あたしも六十五だからね、そろそろ楽させてもらいたいのさ」
マルベリーアンは瘴魔祓い士として五十年近く第一線で活躍している。スナイデル公国に三人しかいない特級の一人であり、絶大な信頼を寄せられている人物だ。公国にとっては精神的な支柱とも言える。
「アンさん……」
「そんな顔しないでおくれよ。死ぬまで働けってかい?」
「い、いえそんなことは……でも凄く寂しいです」
「別にどこかへ行くわけじゃない。会おうと思えばいつでも会えるさ。それに――」
「それに?」
「公国にはあんたがいる。あんたを支える仲間もいるじゃないか」
マルベリーアンは、リリやコンラッド、シャリー、アリシアーナといった後進に後を任せると言っているのだ。
「……分かりました。アンさんをがっかりさせないようにします」
「そんなに気負う必要はないよ。今まで通りやればいいさ」
今回、瘴魔の大氾濫を無事解決し、その後公国に戻ったら正式に引退するそうだ。引退と言っても瘴魔祓い士という資格を失うわけではない。どうしても必要な場合は臨時で現場に出ることもあるらしい。
「まぁ今日はリリの顔を見に来ただけさ。あたしはもう帰るから、コンラッド、言うべきことをちゃんと言いな」
「は、はい!」
そう言ってマルベリーアンは手をひらひらと振って帰っていった。応接室にはリリとアルゴ、そしてコンラッドだけが残された。
リリはコンラッドが何か言うのを待っている。彼は何か言おうと口を開きかけては閉じ、というのを何度か繰り返した。リリが自分から何か言った方が良いのかと口を開きかけた時――。
「リリ!」
「は、はい!」
真剣な面持ちのコンラッドから名を呼ばれ、反射的に返事する。
「これが終わって公国に帰ったら、僕と……その、け、結婚してくれないかっ!?」
リリはその言葉を聞いて一瞬硬直し、その後すぐに目を潤ませながら頬を染めた。
結婚……前世では叶わなかったこと。もちろん、結婚だけが幸せの形だなんて思わない。だから単なる憧れでしかないのかも知れない。だけど、好きな人とずっと一緒にいることは、幸せの一つであることは間違いないと思う。
リリはもうすぐ十六歳。この世界では、結婚するのに早過ぎるとは言われない年齢である。
「はい、コンラッドさん……嬉しいです、とっても」
リリが肯定の返事をすると、コンラッドは彼女の手を自分の両手で包み込んだ。夕方の陽が差し込む部屋は、明るいオレンジ色に染め上げられている。二人は自然と近くに寄り、コンラッドがリリの肩に手を掛けた。二人の唇が重なる。
アルゴは空気のように自分の気配を薄くしながら二人を邪魔しないようにしていた。リリとコンラッドがキスする様子に、尻尾をゆらゆらと振って二人を祝福するのだった。
コンラッドが宿舎に帰り、リリは自室でアルゴと一緒にいた。夕食中や入浴中、ずっとぼーっとしていたリリを、他の皆は訝し気に見たり心配したりしたが、リリは夢心地だった。
『……プロポーズ、されちゃった』
『求婚のことか?』
『うん。私、前世では結婚してなかったと思うんだよね』
『そうか』
『だから結婚のことよく分からなくって……でもお母さんと、ダドリーお父さんやジェイクお父さんのことを見れば、きっと結婚って素敵なことだと思うの』
『うむ』
『帰ったら結婚…………ん? 帰ったら……?』
『どうしたのだ?』
これって……ド定番のフラグじゃない!? 「無事に戻ったら結婚しよう」って、死ぬ確率ナンバーワンの台詞じゃないの!?
リリは寝転がっていたベッドから降りて仁王立ちになった。
「絶対に死なせない! コンラッドさんは私が守る!!」
ヒーローがヒロインに向かって言うようなことを、リリは高らかに宣言した。コンラッドが聞いていたら顔を真っ赤にしていただろう。聞いていたのはアルゴだけだが、アルゴにもリリの気持ちはしっかりと伝わった。
『ふむ……リリを悲しませぬよう、我も気を配らんといかぬな』
ここに、コンラッドは最強の護衛を得たのだった。
翌日の昼前。領主別邸の応接室には、リリたち全員とコンラッドがいた。コンラッドは「ジェイクさんと話がしたい」と言ったのだが、何故か全員が集まったのだ。これが俗に言う「針の筵」というやつである。
リリはコンラッドの隣に腰を下ろし、対面のソファーにはジェイク。その背もたれの後ろにアルガンとアネッサ、クライブとラーラが立っている。正にコンラッドVS「金色の鷹」の構図。リリたちの座るソファーの背後にはシャリーとアリシアーナ、そしてアルゴがいた。
「で? 話って何だ?」
開口一番、ジェイクは喧嘩腰であった。
「ジェ、ジェイクさん! リリと、け、結婚させてください!」
コンラッドはつっかえながらも言い切り、深く頭を下げる。ジェイクのこめかみには青筋が浮き上がり、拳は膝の上で固く握り締められていた。
リリはジェイクの様子をハラハラしながら見つめる。彼が自分のことを溺愛してくれているのはよく分かっていた。自分のことになると冷静な判断が出来なくなることも。
「…………一発殴らせろ」
「ちょ、ちょっとお父さん!?」
「リリ、いいんだ。分かりましたジェイクさん。ただ、これだけは言わせてください」
ジェイクは威圧を込めて睨み付けるが、コンラッドは怯むことなくジェイクの目を真っ直ぐ見据えた。
「ダドリーさんが亡くなってから、ずっとリリを支えてくれて本当にありがとうございます!」
「っ!?」
ローテーブルに額がつく程頭を下げるコンラッド。それを見て、ジェイクの肩から力が抜けていく。
「……そんなこと言われたら殴る気が失せたぜ」
「す、すみません!」
「謝らなくていい。リリのこと頼むぞ?」
「はいっ!」
「お父さん……ありがとう」
リリもホッと肩の力を抜き、ジェイクに微笑みかけた。
「リリ、コンラッドが酷いことしたらすぐ言うんだぞ? 俺がぶん殴ってやるから。それに、嫌になったらいつでも別れろ。お前は可愛いんだから、代わりの男なんていくらでも見つかる。それと」
「お父さん。私大丈夫だから!」
リリに遮られ、ジェイクは泣き笑いのような顔を向けた。
「リリ、コンラッド……おめでとう」
「あ……ありがとう、お父さん」
「ありがとうございます!」
リリは涙が零れるのを抑えられなかった。コンラッドの言った通り、ジェイクはダドリー亡き後に父親代わりとしてずっとリリを見守り、そして父親になってからも同じように傍で愛してくれた。不器用だが、愛され守られているとずっと感じさせてくれた。
結婚したからと言って、それは変わらないだろう。リリもジェイクの娘として、彼を愛することは変わらない。
「……アルガン、何であんたが泣いてんのよ?」
「だっで、だっでよぉ……あんなちっちゃかったリリぢゃんがよぉ……」
「……アルガンお兄ちゃんも、ありがとうね」
リリの言葉にアルガンが号泣する。それに誘われるように、応接室には鼻を啜る音が続いた。それは決して悲しい涙ではない。幸せに溢れた温かい涙だった。
それから約一か月、リリは精力的に日々を過ごしていた。公国魔術師団と冒険者への魔法講習は、シャリー、アリシアーナ、アネッサ、ラーラも講師として手助けしてくれた。
この間、三度魔物と瘴魔の討伐に赴いたが、その際はコンラッドも同行した。彼は地道な努力を続け、剣の腕はSランク冒険者にも引けを取らないほど上達していた。さらに短時間ながら上位の炎魔法「獄炎」を剣に付与することも可能になっていた。
コンラッドが加わった瘴魔戦はこれまでで最も安定していた。「金色の鷹」メンバーはそもそも瘴魔とは戦わない。リリ、シャリー、アリシアーナの三人はいずれも魔法職、つまり距離を取って戦う。ゼロ距離でも瘴魔を倒せるコンラッドはいわば前衛職。彼がいることで安心感が違うのだ。特にシャリーとアリシアーナはより落ち着いて正確に魔法を放つことが出来た。結果的に瘴魔を倒すのが楽になったのである。
そしてその日、アルストン王国の王都グレゴールからマデリン第三王女と侍女八名、護衛騎士五十名がサウステルを訪れた。先触れを受け、リリは身だしなみを整えて領主別邸前で王女の一行を出迎えた。
王家の紋章が入った臙脂色の馬車には金の装飾が品よく施され、いかにもやんごとなき身分の者が乗りそうである。扉が開くと、まずリリも見覚えのある侍女が降り立った。マデリンが最も信頼を置いているカトリーヌだ。そして、彼女が手を支えて降りてきたのは、輝かんばかりの美少女。
「リリアージュ様! お会いしたかったですわ!」
金髪碧眼で抜けるような白い肌。そこには、かつて見られたような変色は一切残っていない。弾けるような笑顔を見せ、騎士や侍女の静止を振り解き、マデリンはリリに駆け寄って抱き着いた。
えーと? この子、こんな子だったっけ? 想像以上の親愛を示されて戸惑うリリ。騎士や侍女がリリに鋭い視線を向けるが、お返しに助けを求める視線を送った。カトリーヌだけがニコニコと微笑ましそうに二人を見ている。
「マ、マデリン王女殿下?」
「いやですわ。マディーと呼んで下さらない?」
ちょっと待て。愛称で呼ぶほど仲良くなったっけ?
「マ、マディー様……私のことはリリ、と」
「リリ様!」
マデリンが更に強くリリに抱き着く。あー、なんかいい匂いがするぅ。リリは混乱し、おっさんのような感想を抱くのだった。
なるほど、美少女に抱き着かれるのが幸せの形か……。




